【day3】-[10]-(4)
シダーも頬杖を解き、メモ帳に目を向けたが、タオが彼に声を掛けた。
「シダー君、君は、今の話に何も思うところは無かったのかね」
シダーは顔を上げ、今度は顎を指で支える形で肘をつく。
「何か思うところがあるように見えましたか?」
「頭の体操になりそうだと云ったじゃないか。なったのか?」
軽い口調でタオが云うと、シダーも薄笑いを見せる。
「……本人が居るところで云うとフテるかショゲるかしそうだったから黙ってたけど、俺もタオさんと同様、アエラ女史がちょいと近目になってるなあ、とは思いましたよ」
拳を口にあててククッとタオが喉を鳴らす。
「アエラはよっぽどカロラインが嫌いなんですな。感情的なブレが生じやすいところと体型は良く似てるのに」
「シダー君、それはセクハラだ」
タオが苦笑する。シダーはすっとぼけた顔をしている。
「ぶっちゃけ、君はどう思う。俺はツェッロ君に、ベットして良かったのか悪かったのか」
腕を卓に乗せ、身を乗り出すようにしてタオが問うと、
「さあ、それは戦略みたいなもんですから、俺よりも参謀さんに訊いた方が良いんじゃないスか?」
シダーは小首を傾げ、はぐらかすように云った。タオが軽く手を振って、
「俺も頭の体操や整理がてらで訊いてるんだよ、君からどんな返事が来ようが、後悔なんざしない。君としては、何を思った」
そう云う。シダーが少し何か考える顔をして答えた。
「……そうッスね…。皇帝陛下を『人材』と云ったのが、その時は方便みたいなものだった、ってのに、ちょっと驚いたというか、拍子抜けだったか、しましたね」
「ふっ……」
「俺としては、あの時、タオさんが本気でそう思ってた、その上で平気で云った、って感じて、そこに笑えたんで」
「カロライン君の感傷的な追及をはぐらかすための『方便』って意味だからね、出任せを云った訳でもないよ。ただ、現状でも『プラスアルファ』に過ぎず、脱出が叶わなくても特に困らない、そこまで『ちきしょー』とは思わないだろうことにも違いは無いんだが」
そこでタオがジッとシダーの顔を見て、
「君は、結構本気で、リオ・カルム陛下の『手』が必要と思っている訳か?」
「――万一失われたとき『ちきしょー』と泣きはしないですけど、舌打ちしそうなくらいには、まだ生きてて欲しいですよね」
「ふむ……」
「だから、少なくともサウザーから脱出を助ける隊を出すってのには、――民間人の俺が云うことじゃないッスけど、まあ、賛成」
シダーが云うと、タオは「そうか」と呟いて、軽く顎髭を扱いた。
「――イリグマギと合流するって決定が正解だったかどうかは、政治的戦略にも関わる以上、俺には何とも云いがたいですけどね――タオさんはどのくらいの勝算あって賭けたか解りませんが」
シダーは軽く肩を竦めながら云って、タオは薄く笑みを浮かべた。その表情を見て、今度はシダーの方から、
「結構、勝算があるンスね」
と、質問ではなく確認の口調で問うた。問いにハッキリとした答えは返さず、
「まあ、俺は、『一か八か』ってのは滅多にやらないね…」
と、タオは独り言のような口調で云い、卓に乗り出していた身を椅子の背もたれに戻して腕を組んだ。
「アエラにあんなことを云ったが、どっちか云ったら、ツェッロ君の方が俺に、『一か八か』で賭けたんじゃないかとも思うんだがな」
「……。ああ、それはそうッスね…。皇帝を助けたいんなら、黙って自分達だけでやってりゃ良かったってのがつくづくですもん。サウザーは邪魔する可能性があるんだから」
「そう。だが、自分達だけで『絶対に助ける』のが難しいことを、現段階で解ってしまっているのなら、それは彼らにとって『絶望』だ。だからこそ、せめてサウザーにミンジュリーの現況だけでも伝えておけば、もしかしたら、俺というより――実際そうだったみたいに――ディナム師匠が、何処かの段階で手を差し伸べる気になるんじゃないか、と、ツェッロ君はそう読んだのかもしれん」
「……その読み方も『感傷的』っちゃあ感傷的ですがね。――第一、俺は、『哀れな皇帝を絶対に救出したいのはイリグマギの方』ってのを、タオさんがそこまで真剣に云うのもイマイチ分からない」
「そうさ。ロザリウム君だけがそうなんじゃない、彼女は『特別』感傷的なだけで、そもそもイリグマギがそういう組織だからな。シダー君、君、知らんのか?」
微かに呆れた口調でシダーが云うと、タオは大きく頷き、「おや?」という顔をした。シダーは軽く肩を竦め、
「全く知らない訳じゃないけど、タオさんほど良く知りもしませんよ。第一、俺みたいな問題児がイリグマギのことをよく知ってるなんてことになると、どんな邪推をされんだか。堪ったもんじゃない」
「ははは、それもそうだ。――そういや、タイラーさんが恨めしげに云ってたが、君、一度くらいは平零商会からスカウトされたことがあるのか」
「センソー始まる前は、社員へのセミナーみたいのに雇われたことがあったんですよ。それは、カロラインからファンと云われてマム・オリヴィアが礼を云っても変じゃない程度、やましいことも後ろ暗いことも無いッスよ?」
「ふん?」
――リオンが今この場に居たら、「良く解らないけど、そうなのか?」と、少しは「釈然としない」気分が解消されていたかもしれない。
「ただ、そのたんび開発研究の相談役なんかに誘われましてね…、そっちは固辞してたんです。ウザイんで――日当は良いんですけどねぇ――セミナー講師ももう断ることにしてました。丁度良くセンソーも始まったしね」
再び、聞きようによっては不謹慎な言葉を使ってシダーは飄々と云い、タオは苦笑を見せた――タオが議論や講義を願いたい時ほどシダーは行方が知れない、と思っていたが、実は平零商会も同じように考えていたのか――。
腕組みをしたまま、フゥと一つ息を吐く間を空け、タオが独り言のように云う。
「ピンリーと違って、イリグマギの『道化』は、純粋だからな」
「――アエラが聞いてたら、また噛みついてるんじゃないスか、そんなこと云うと」
今度はシダーが苦笑する。タオが横目にちらりと彼を見て口角を上げた。
「もう少し云えば、『子供の』純粋。そこには、〝短慮・短絡〟〝突発的〟〝激しい躁鬱〟〝残酷〟〝無分別〟――〝感傷的なブレ〟も含まれる」
「ああ…そういう意味で」
「俺が、ある意味究極的に中立と云ったのも、イリグマギの場合はそれを土台にしてのことだな。――矛盾しているように聞こえるだろうが、イリグマギは一度対象を敵と見なしたら徹底的に残酷で容赦しない。しかし味方と見なせば味方、物凄く利他的で自己犠牲に充ち満ちた聖人のようにもなる。対象が同一でも全く気にせず、コロッと手の平返してみせる。裏切りや寝返り、加えて元の鞘に収まることに、何の躊躇いも後ろめたさも無いんだ。――カラス翁はあんなこと云ってたが、〈精霊〉の『混沌』を具現化してるのは、俺よりイリグマギの方が余程だと思うよ」
〈研究者〉のシダーに、タオが苦笑を見せる。その目の色に「君はそう思わないか」という問いが含まれている気がしたので、シダーは小首を傾げながら返した。
「そういえばそうッスけど、――カラス翁は、タオさんの場合、そこに〈世界〉を造る秩序も持ち合わせてるって云ったンスよ。俺は、翁の意見になら乗りますね。でも、イリグマギの方がタオさんより混沌を具現化してる、とは思いません」
「――そうかい」
「でもまあ、イリグマギがそんなであるから、ってんなら、敵味方の判断に容赦が無い割りに『中立』って表現が、納得も出来ますよ。それは〈精霊〉がまさに、ッスからね」
だろ?と小さく頷いた後で、タオが腕組みしていた片方の手を、今度は頬に当てて擦りながら呟く――恐らく、彼は今、「声に出しながら自分の思考に沈んでいる」だけなのだ。シダーからの返答、意見は、あってもなくてもいい。シダーにもそれが伝わっているから、領主に対して、「何か役に立つようなことを云わなくては」というプレッシャーは一切無い、出任せでさえなければ適当に相槌を返すだけでも構わない。
「そんなイリグマギにとって唯一、『枷』と云えるものがあるとすれば、それがミンジュリーの皇帝陛下だ。忠誠、信奉、崇拝、そういう『感情』がミンジュリーの皇帝、皇家に対してだけ、絶対的なものとして在る――彼らから見て『王朝』がまともでさえあれば、ミンジュリー王朝そのものがそうだったろうがね……今や王朝の方は、彼らからすれば陛下の敵なのだろうな、あんだけ腐してたんだから――。イリグマギが『結社』として存在する軸がソレ、と云っても良いだろうか」
「へえ……そうなんスか? 何だってまたそれが、神出鬼没の秘密結社なんかになってんです」
それは本当に「よく知らなかった」ことらしく、シダーが意外そうに目をぱちくりとさせた。
「さあ、俺も正確には知らん。イリグマギの創始者が当時の『聖帝』から相当な恩義を受けたからだとか、杯を交わしたからだとか、もやっとした噂程度ならあるがね。何にせよ……カラス翁はあんなことをやたら真面目に云ってたが――ロザリウム君もそれに乗っかったおべっかを使ってたが、イリグマギが『リスペクト』を向けてるのは、俺なんかよりよっぽど、ミンジュリー皇帝の筈だよ――だから、世界的にはおろか、ロザリウム君の云うことが全部本当だったとしたらミンジュリーの国民ですら最早使ってないだろう『聖帝』という呼称を、彼らだけは使う」
「へえ……」
「――だからこそ、今、絶対に皇帝を助けたいのはイリグマギの筈なんだ。多分――カラス翁が云ってた訳の分からん話は置いといて――ミンジュリーの民衆を皆殺しにしてでも助けたい筈だし、自分の命すら全く惜しくないくらいのつもりでも居る。だが、救出が叶わなければ彼らがやったことは全てが失敗だ。ミンジュリー国民を皆殺しに出来たって皇帝も死んだら完全に失敗」
アエラにも云い聞かせたことを、シダーにも繰り返す。
「……。タオさん曰く、ディナム老師とて『きちんと処刑台に乗る姿』さえ見届けられるなら、失敗じゃないんですしね」
「そうだ。――ってか、順番、向きが逆なんかな。イリグマギからすると、民衆を皆殺しにすれば必ず皇帝を救出出来るってんなら心置きなくやるし、自分達が命を捨てれば皇帝の命が助かるってんなら喜んで腹かっさばく、それに躊躇いは無い――が、その保証も担保も無い以上、命は捨てないし、多分――実のところ俺が念を押すまでもなく、テロも、今んとこやるつもりは無いかもしれんな。そんな制限の下で皇帝陛下を救出するのに、どんな手段がより有効なのか……」
「……」
「――故に、ツェッロ君の方が余程、俺に賭けた。サウザーに『傍観させない』ことを『担保』にしてんじゃないか」
タオが独り言のような口調で云う。そこでシダーが、ふと「くく」と喉を鳴らした。タオは「何だ?」と首を傾げる、一体何処で笑えたのだ。




