【day3】-[3]-(5)
次に、少し迷う顔をしてから、シダーはリオンにも握手を求めた。
「……フリュスに行ってみたいという君には悪いが、結果によっては、君にはサウザー待機が命じられるかもしれないよ」
とシダーが云うと、リオンは軽く肩を竦め、
「まあ、それは仕方無いッスよ」
と返した。シダーは、「ほう、やんちゃで我が強いのかと思ったら、そうでもない」と、アサギに引き続きリオンの評価も少々覆す。シダーも直ぐに、リオンを「素直」だと評価した、決して「我が儘」ではないのだ――俺とは大違いだ、と。
「じゃ、一応バーナードさんも」
と最後に、タオと並び称されるほどの〈土〉の〈マスター〉と握手をする。
席に戻り、メモ帳とペンも再度取り出して、
「少し待って下さい、他に議題があるなら、進めてても構いませんよ」
〈計器〉と紙面を交互に見ながら、「計算」とやらを始めた。
――そうは云っても、今のところ研究職のトップが他のことに集中している中、新たな議題に入る訳にもいかない。タオは再びサンハル達と隊の編成についてコソコソと意見を交わし始め、フーコーはルナールを振り返り、彼女も座らせると、顔を突っつき合わせて小さな声で、フーコー曰くの〝クソババァ〟に関する諸々を議論し始めた。
ディナムはどっしりと座り込んだまま、少し休憩、とでも云うように目を閉じてしまっている。
――無口な〝三つ子〟は、それぞれ思うところもあるだろうに、全く口を開かずにいた。
マッカンは、椅子から立ち上がってシダーの後ろに回り込み、彼がペンを走らせる様子を覗き込んでいる――。
〝比較的素朴〟な集団に属したオリヴィアが、何だか申し訳なさそうな顔をして、
「まあまあ、そんなつもりじゃなかったんだけど……、リオンちゃん、フリュスに行かれなくなっちゃうかもしれないのねえ…。ごめんなさいね、余計なことを云っちまった」
リオンにぺこぺこ頭を下げる。まず「いつから〝ちゃん〟付け?」と驚いた後で、頭まで下げられては困る、とリオンは慌てて手を振った。
「いや、別にそれはオリヴィアさんが悪い訳じゃねぇし。バーナードさんとアサギが動かせないんだから、何か問題あるなら、ただ物見遊山みたいな俺が引っ込むのは当然だしさ……」
オリヴィアに「謝んないでよ」と焦った声で云って、リオンはちらりと〝三つ子〟の方へ目をやる。アサギもリオンと一緒にそちらを見た。
リオンが「引っ込」めば、チョウとリオンが取りあえず纏めてギンと入れ替わり、必要なら〈火〉である他の者が入るのかもしれない。チョウはもしかして、それを期待しているのじゃなかろうか――だが、彼にそんな様子は今、全く見えない。
リオンとアサギが「チョウさんのアレは何だったのだろうね」と首を傾げ合うと、そこでタイミング良く、
「彼らをそれぞれ配置するのは、もう決定事項なんですね?」
顔はタオに向けて手で三つ子を指し示しながら、シダーが確認する口調で云った。タオは「ああ、出来る限りそうしたい」と頷く。そっすか、と応じて、再びシダーはペンを走らせる。
「――、おい、これは何だ」
数分経ったところで、マッカンの鋭く厳しい声が聞こえた。シダーが書き物をしているメモ帳の一点を指さしている。
シダーはマッカンを振り返らず、ペンも止めずに、
「最近導き出した係数と公式だ」
とあっさり答える。マッカンは顔をしかめ、
「そんな論文はまだ見たことが無いぞ」
「そりゃ、まだ発表してないからな」
やはりあっさりとシダーは返す。いよいよマッカンは険しい顔と声で、
「ジェイ、今何をしてるのか分かってるのか。フリュスへの遠征の人員配置について確認してるんだぞ。云い替えれば、安全確保のための確認だ。あんまり無責任じゃないか!」
「――。無責任?」
シダーがそこでピクリと手を止め、マッカンを振り返る。シダーも眉を寄せた厳しい表情を浮かべていた。
「何がだ。俺は俺の理論に基づき、真摯に間違いの無い結果を出そうとしてる。嘘やでたらめを云うつもりなど全く無い。それを信じるか信じないかは、タオさん達の判断だろうが」
「まだ発表すらしてない理論は他の誰からも検証がなされていないということだぞ、君の頭の中だけで真実となってる定理を、バーナードさんやアサギ君達の安全に関わる編成、タオさんの最終判断の資料にさせようとしていることが、無責任だと云ってるんだ。君に嘘を云うつもりは無くても、『詭弁』と大して変わり無い!」
そこでシダーが、ペンを卓に叩きつけるようにして腕を突っ張り立ち上がった。
その音に驚いて、二人を除く全員の視線が彼らに集中する。
シダーも、マッカンと同様に顔をしかめている。
「もう一度云ってみろ」
マッカンを睨みつけて、シダーが絞り出すような低い声で云う。マッカンは怯まず、同じように睨み返す。
「何度でも云うさ。詭弁じゃなければ空論だ。それで、裁量の責任がタオ様にあるなどと、君は随分卑怯なことを云ってるぞ」
「俺は、タオさんに俺の意見を採用してもらう意志など無い。俺の意見が通って『手柄』と思うこともないし、通らなくて『悔しい』と思うこともない、俺には単なる解答以外の『結果を出す』必要が無ぇから、詭弁や空論を弄す動機なんざありゃしないぞ。俺が出すのはただ自分が真実だと思ってる結論だけ、そしてそれをただタオさんに告げるだけだ。それが俺の『やり方』だ。――ツゥリー、おまえ、役人になって、昔よりも、リンデンよりも、守りに入りやがったな? 研究者の思考回路捨てちまって、俺を『卑怯』などと云うんならな、おまえの御託は素人の役人が保身でガタガタ云ってんのと変わらねえ、エラそうに、俺がやってることに口出すな」
「何だとっ」
マッカンが思わず、シダーの胸ぐらを掴む。皆が驚いて、直ぐ近くに居たケンが立ち上がり、「お止め下さい!」と二人の間に腕を差し込む。
アエラも顔をしかめて大股に近寄ると、
「何やってんの、二人とも!」
と怒鳴って、マッカンとシダー、両者の脳天をガシッと鷲掴みにした。――ケンだけでなく、皆も、アエラの行動の方に目を白黒させた。
こちらを向け、というふうにアエラが力を込める。
「先輩方! いい年のオッサンが、若い子の前でみっともないことしてんじゃないの!」
アエラ・ヴァン・フーコーから見て、実際シダーとマッカンは学年が上だ。……しかし、シダーは「同い年」であるので、彼にとってそれは二重の皮肉になっている。バツが悪そうに、シダーは口を歪めた。
「マッカンさん、貴方には、私がアツくなった時に諫めてもらわなくちゃ困るのよ、じゃなきゃ、〝実家〟から何云われるか分かんないじゃない。それが貴方の方が取っ組み合いの喧嘩なんて。兄貴にチクるわよ」
「……アエラ様こそ、随分ずるい仲裁の仕方しますね」
彼女に上目遣いの苦笑を見せてマッカンが云い、素っ気なく「済まなかった」と呟きながら、シダーの襟を掴んだ手を離した。アエラが「ふん」と鼻息を飛ばして手を離す。
シダーは、軽く襟を整えてから、
「大丈夫だ、みっともないところを見せて済まなかったね」
とケンに向かって、手の平を見せながら云う。軽く会釈したように見える程度、クッと顎を引いて、ケンは席に戻った。
シダーが、ズボンのポケットに手を突っ込み、タオに顔を向ける。タオは、頬杖をついてニヤニヤしていた――二人の諍いを「見物」していたらしい。
「タオさん。まだ内輪と云えそうな集まりで良かったが、俺が居ると、この先もどんな揉め事が起きるとも限りませんよ。俺を組織から外すなら今のうちです」
溜息混じり、同時に大げさに苦々しい声でシダーが云う。椅子に戻りかけたマッカンが、じろりと彼をねめつけた。アエラも、「全くこの人は、〈凪〉が余程嫌いなのね」と呆れつつ、席に戻る。
タオはニヤニヤしたまま首を振り、
「そんな君だから、居て貰う価値がある。袋小路で守りに入ってしまった時に必要なのは、尖った能力だ。『突破』とは、突いて破ると書く」
「……」
「君も座りなさい」
促され、シダーは頭を掻きつつ、椅子に戻る。
タオが、パンッと手を叩いて、陽気な声で云った。
「議論、大いに結構。なんの波風も立たずに低いところへ流された結果、辿り着いたのが思いっきり落差のある滝だったり、袋小路の肥だめだったりなんて、真っ平御免だものな」
タオはまず、ピッとマッカンに指を突きつけた。
「マッカン君。シダー君がとんでもなく尖った才能を持つが故に過激でイケイケドンドンの問題児――だからこそピュアな研究者であることは、俺も昔からよーく知ってる。君が心配しなくても、俺はそれを念頭に置いてシダー君の言葉を聞いてるから、先回って余計な心配はしなくて良い。君の危惧は、結果的に俺の裁量を信用してないことに繋がるよ? 俺の最終決定に不審な点があるなら、俺にケンカ売ってくれ」
「……はっ…」
苦笑したタオに云われ、マッカンは恐縮して頭を下げた。
次にタオは「シダー君」と彼に指を突きつけた後、真っ直ぐ彼と目を合わせた。
「ただでさえ学生時代から〝この世〟に重きを置いたリアリストであり、ウィリアムさんと共にまつりごとの表舞台で生きてきたマッカン君だ。同じ『役人』でも、〝ダーク〟や〝ダーティ〟な世界にもあって臨機応変な対応を求められるイムファルよりも余程、守りに入って堅実になった感は、実際あるだろう。だが、それは仕方のないことだ。彼が真っ先に考えるべきは、自分のことよりも不特定多数の民、その安全のことだからな、君も一市民として、棘の生えた背中に背負われるのは嫌だろう? なかなか〝尖る〟訳にはいかんのだよ。――しかし、『打開』は打って開くと書く。鋭く尖っている必要は無いが堅いものでなけりゃ、開くほど打つことは出来ん。堅実であることは、必ずしも前進の阻害を意味するわけじゃないよ」
「……」
「君らが己の理論を信じ、俺に自分の考えを訴えるための議論を戦わせるなら、一向に構わん。俺に『選択肢』を与えてくれる真っ向勝負は、俺も望むところだ。――だが、二人とも。研究者の哲学、その理想についての論争なら、会議室の外でやろうぜ」
薄笑いを浮かべたまま、タオは正面――ディナムの奥にある扉に向かって指を振った。
つまり、今のは完全な、単なる、「価値観の違いによる衝突」だ。
――マッカンとシダーの二人とも、改めて会議場の皆に向かって視線を巡らせ、
「お見苦しい所を見せてしまい、失礼しました」
と恐縮そうに頭を下げた。シダーとて、ここで頭を下げないくらいに「問題児」ではない、「いい年のおっさん」なのだった。
ディナム翁が口髭の向こうで薄く笑い、
「――お互い、仲直りの握手は良いのかね」
全体に頭は下げたが、互いには向かい合いもせず己の席に着いた二人へ云う。
マッカンは曖昧に首を捻っただけだが、シダーは――こういう時にディナムのような者にまで減らず口を叩くから「問題児」と称されるのだ――肩を竦めて返した。
「仲直りの握手が出来るほどの議論は深まってませんよ、ディナム老師。場を収めるための和解が出来るほど、俺は出来た大人じゃないんです――タオさんが云ったとおり、尖った矛と堅い盾をすり減らし合うのは、ギャラリーの居ないところでやりますよ」
ディナムが口元に拳を当て、「ふふ」と笑い、
「で、『計算』は終わったのかね」
と訊ねる。微かに慌てた顔をして、「途中でした」とシダーはペンを取り直した。
――こうなると結局、皆がシダーの挙動に集中する。




