【day3】-[2]-(4)
――リオンがスコーンを囓りながらオリヴィアと雑談をし、アサギが壁際でルナールとヒソヒソ話をしている間に、二人がやってきたのとは別の廊下から、イムファルが一人の男性――ジェイコブ・シダーを連れてやってきた。休憩所となっている空間に入ってしまわず、廊下との境辺りで立ち止まり、言葉を交わし始める。
壁に凭れて俯き加減になっていたギンが顔を上げた時、その様子が目に入ってきた。視線の先に、イムファルと――見覚えのある後ろ姿がある。昨日、傍聴中継所に居た男性だと思われる――彼に余程の好奇心を抱いていたリオンの方が先に気付いて良さそうなものだったが、生憎、彼はイムファル達に背中を向ける形でオリヴィアと会話していた――。
昨日は自分の位置からだと殆ど背中しか見えていなかったのだが、今は肩越しに、顔も少しは見える。やはり――「昨日見た」だけでなく、既に自分は「知っている」人のような気がした。
ギンは直ぐ横に立っている長兄を、軽く肘で突いて、
「ねえ、ケン兄。……あの人、誰だっけ?」
と問うた。
伏し目がちだったケンもちゃんと瞼を開いて、ギンに「あの人?」と問うように首を傾げてみせた。
ギンが小さく、そちらへ視線を振り、
「ほら。イムファルさんと一緒に居る人。……城の職員じゃないよね?」
「――」
ケンも、イムファルと話している男性の姿を見て、思案げに目を細める。だが、答えは出てこない、「顔は知っているが名前が直ぐに出てこない」と云うふうに、眉間に指を当てた。
ギンは、窓を挟んでケンと反対側に居るチョウにも、
「チョウは分かる? あの人、誰だっけ…」
そう云った。
――チョウは、ずっと窓の外を見ていたので、その質問に直ぐに答えられない。窓から視線を外してギンに、ケンと同じく首を傾げる。ギンは、誰が見ても無礼には見えない程度、ほんの一瞬、指を振った。
チョウは彼を見て直ぐに、
「――シダー教授だ」
と端的に答えた。
答えを聞いて、ギンは目をぱちくりとさせた後、ケンと顔を見合わせ、二人して「ああ…」と納得の頷きを見せた。
――〝有名人〟と云えば〝有名人〟だ、イムファルやマッカンと同窓生で、〝異端児〟のジェイコブ・シダー…。
「二人とも、何故知らないんだ?」
不思議そうに、チョウが兄と弟に問う。
素朴な声で「知ってて当然」と云うふうに問われたので、ギンが軽く口を尖らせた。
「ってか、チョウは何でそんな直ぐ出てくるんだよ。イムファルさんやマッカンさんと違って、シダー教授はずっと研究室に居た人だから、習ったことある学生か研究職か、それとも結構なマニアかミーハーでもなけりゃ、そんなちゃんと、顔と名前一致してなくない?」
「俺も今、『そういえば学術誌で見たことある顔』としか思わなかった」
と、ケンも――ギンほどふて腐れた声色ではないが――チョウに向かって云う。
チョウはチョウで「え?」と首を傾げた後、「ああ」と何か思い出す顔をした。
「そうか。俺は、習ったことがある先生だったから」
其処まで答えて、黙り込む。――こういうところが周りから「無口」と表現される所以なのだと、ケンは兎も角、ギンは良く分かる。
「いや、チョウが習ったことあるんなら、僕らだって知ってそうなもんじゃん。なのに、『何で』。そこまで云えよ」
シダーの研究室は自分達が卒業したのと別の学部にあったので、魔術士志望の自分達が習うとなると全学生共通科目だとかになる筈だ。となると、チョウが習ったことがあるのなら、ケンやギンも習っていて可笑しくない。
「――大学じゃない。隊でだ」
そこまで云わなきゃいけないのか、と納得したのか億劫なのか、どちらともつかない息を吐いた後でチョウが続けた。
「新人教練の講義に、シダー博士が来ていたんだ。〈地 隊〉はどうだったか俺も知らないが、〈火隊〉の講義には来たことがある。ケンとギンが直ぐに分からないのなら、俺達の期だと、共通教練、〈水隊〉と〈風隊〉での講義は全くやってない、ってことじゃないか?」
それを聞いてケンとギンも顔を見合わせ、「あ~ぁ」と頷き合う。それならば解る。
――そこまで納得出来れば、特に交わす話題は無い。三人ともが「で、何故シダー教授が此処に?」と疑問には思っていたが、それを今、三人の間で語り合っても推測の域を超えないただの雑談でしかない。そういう雑談をわざわざやろうとはしない程度に、ギンも本来はお喋り好きでもないのだ、まして今は「任務中」である。
再び、三つ子は口を噤む。――少しして、結局イムファルとシダーの二人は会議室に入っていったが、その時も特に言葉を交わさず、三人でチラリと視線を交錯させただけだった。
――イムファルの方は既に、シダーを休憩時間が終わる前に会議室へ入れようと思っていたのだが、
「ちょっと待てよ」
とシダーが後ろから止めるので、己も足を止めた。
シダーは困ったような顔をして、
「何か、随分と人が居るじゃないか。あの中をズカズカ突っ切っていくのか? 俺も流石にいたたまれないぞ」
休憩所にちらりと視線を巡らせ、そんなことを云う。
イムファルがからかうように、
「おや、君はそんなに繊細だったかな。今は休憩時間なんだ、ここを喫茶室みたいにしてるだけだよ」
などと云うと、シダーは軽く眉を寄せた。
「尚更だ。皆が休憩中に、会議室に入ってくコイツは誰だ?って思われるだろう。俺、今んとこ部外者なんだぞ。研究に関しちゃ我が道を行く自覚はあるからこそ、他の関係無いところで必要以上に目立ちたくはないんだよ」
「――それで髭も剃って来たのだしね。それに、やたら平凡なジャケットとタイを選んだものだね」
グレーのジャケットに無地で紺色のネクタイ、己のクローゼットの中で一番地味なものだ。ふふっとイムファルが笑う。
シダーもおどけて呆れ顔を作り「おまえのだろ。どれもどっこいでダサかったぞ」と云い返した。
「会議再開したら、皆ぞろぞろ中に入ってくだろ。最後尾のどさくさにコソッと入る方が良いと思うんだがな」
「僕は、今のうちにタオ様達には〝面通し〟しといて、皆さんが戻る頃には堂々と〝関係者面〟してた方が良いかと思ったんだけどね」
今度はイムファルが軽く肩を竦めた。
「今見る限り、もう会議には参加しない方も残ってるよ。『最後尾のどさくさ』になれるほど、ぞろぞろとは入っていかないだろう」
「そうなのか?」
「ああ、自分の会議は終わったけど宿舎や持ち場に戻る前に一服、って人も居るみたいだね。で――会議室に今居るのは、タオ様、ヴァン・フーコー女史、サンハルさんにディナム様、……バーナードさんも中みたいだな、そして、マッカン君だ」
「――ふん…?」
「このメンツだと、君の顔見た途端に『久しぶり』って懐古話や、研究論文への〝感想〟も出てきそうだよ。会議が始まる前に、そっちは簡単に済ませてた方が良いんじゃないかなあ」
「あ~…。それはそうかもしれんなあ…」
腕を組み、天井を仰ぐようにしてシダーが息を吐く。それからイムファルに顔を向け、
「おまえも、今からの会議には参加しないんだな?」
「ああ、君を連れて来ただけだ。直ぐ情報部に戻るよ」
「初対面の〝関係者各位〟には自己紹介しなきゃいけないってことか。――じゃあ、やっぱり、〝知己への挨拶〟は先に済ませたほうが良いな…」
やれやれ…と云うふうに息を吐き、「おまえの言い分に乗る」とイムファルに頷きを見せるシダーだった。
じゃあ行こうか、とイムファルが先導し、そそくさと扉に向かう途中、シダーが誰とも目を合わせないように気をつけつつ、休憩所をちらりと見回す。
「……随分若い子も居るな」
シダーが独り言のような声で、それでもイムファルからの答えも期待しながら云うと、
「ああ、アサギ君とリオン君が居たね。フリュスの御三男――現司祭の末弟と、〝ギーチ〟さんの縁者だよ」
イムファルも小声で早口に返す。
「へー。壁際に居た若手の〈軍人〉は? エンブレムは魔術士隊のようだが、ローブじゃなく〝軍服〟着てる」
イムファルは〝壁の花〟まで良く見ていなかったので、ちらりと振り返って確認する。
ああ…と頷きながら扉の前に立ち、
「……目に留まったかい。あれが、例の〝三つ子〟だよ」
「ほう?」
アサギとリオンのことを聞いた時とは違い、シダーは軽く目を見開いた――チョウはシダーのことを覚えていたが、シダーの方は新人教練講義に居た隊士の一人を覚えてはいなかったらしい。
イムファルが苦笑して、
「……気持ちは分かるが、後生だから、君は〝スプープ〟での研究に熱中してくれよ?」
と釘を刺す口調で云った。――特に〈感〉〈識〉〈通信〉に於いて「後にも先にも彼らだけ」と云えるくらい、特異な成長の仕方をした〝三つ子〟は、研究者の間で話題の的になっている。「異端児」のシダーにとっても、かなり興味深い〝事例〟だ、その「実物」を目にしたことで、彼にスイッチが入ったようだ…。
シダーが軽く肩を竦める。
「彼ら自身への好奇心も尽きないが、今から一緒に行動することもあると思えば、そっちは諦められる。今は『もう一度堂々と〝化けもん〟を観察したい』ってウズウズが止まらないよ」
「……そういう好奇心だけは、君、本当にタオ様と似ているね」
化け物を観察したい、とは……。
イムファルは、昨夜タオがアサギに語った話など知らないが、「好奇心が恐怖を凌駕している」という領主の気質自体なら、既に理解している。
シダーに溜息混じりの苦笑を見せてから扉をノックすると、中から誰何する声が聞こえた。
イムファルは少しだけ扉を開けて顔を突っ込む形で――まだ会議は再開していないのでこの程度の無礼は大丈夫だ――、「お連れしました」と誰にともなく云うと、タオが「おうっ! 入って貰え、早く早く!」と大げさに手招きをしつつ答える。
――その気配をイムファルの背後で感じていたシダーは「うわー…」と思わず顔をしかめた。
イムファルに促されるまま、シダーが「あー、どうもお久しぶりッス…」と、取りあえずタオとサンハルとフーコーに視線を巡らせ、マッカンに「やあ」とだけ軽く手を挙げながら会議室に入った――案の定、特にフーコーとマッカンが驚いた顔をして駆け寄り、「久しぶりどころじゃないわよ」「一体どうしてたんだ、連絡先くらいは教えとけよ」などと、少々険しい声でまくしたてた。
その間に、タオから簡単に「シダー博士だよ」と教えられたバーナードやディナムも、思わず椅子から立ち上がって、「ほうほう」と目を輝かせながら彼に近づいた。
取り囲まれたシダーの後ろ姿を見ながら、イムファルは苦笑を漏らした後で、
「――話が積もっているのは私にも理解出来ますが、ただでさえ会議の時間が押しているのですから、程ほどに切り上げてくださいね」
と冷静な声で云った。――シダーが胸の内で「リンデン、サンキュー!」と叫ぶ。
シダーを連れてきただけで役目は終わっているが、イムファルは一度タオとサンハルに近づく。
「……エグメリークの会見は終了し、録画映像がそろそろ発信されるようですが、如何いたしますか、会議室に転送致しますか?」
冷静な声でタオに訊ねる。タオは小首を傾げて何か考える顔をした後、
「いや、もう此処は完全に〝スプープ〟で集中してるから、今は要らん。暇が出来たら映像も後で見るだろうが、取りあえず情報部は骨子を纏めといてくれ」
「分かりました」
「ああ――そうだ。しかし、その会見に、〝筋〟や〝土塊〟に関わるような内容が出てきたなら、直ぐに伝えてくれるか」
「はい」
こくりと頷いたイムファルへ、補足するようにサンハルも声を掛ける。
「それと、イムファル。今からの会議には俺とブランシュ閣下も残るんだが――〝戦況〟の意味で『外交戦略』に触れてるようなら、それはテリーインに直で伝えてくれて構わん。ただ、より広義というか……戦に限らない〝外交〟の内容が出てくるなら、こちらにも伝えてくれるか」
少々判断が難しい、曖昧な依頼だったので、イムファルは小首を傾げた。タオも、「何を云ってる」と云うふうにサンハルの顔を見た。
「その内容によっては、流優やスオウ達、フリュスの魔術士と、サウザーから派遣してる魔術士の動き方も変わるだろう? CFCやイー・ルとの同盟関係がどうなるか、その辺りも気になる」
「それはそうだが、今、此処まで早めに持って来て欲しい情報でも無かろう」
「そうか? 最低限、流優がもう自由に動けるかどうか、それが分かりそうな情報は早い方が良くないか。アサギ君の動向も変わってくるし。――それに、タオ、君だって〝土塊〟がエグメリークの基地を襲った、現場を見てみたいだろ? それには、フリュスとエグメリークの国交がさくっと回復してくれるほうが良い」
「ふん……」




