【day3】-[1]-(1)
随分と状況が変わり、城内では職員のシフト編成もかなり見直しが必要になった。
一昨昨日までの基本シフトであれば、領主の執務室に報告へ向かい、それを終わらせたら昼過ぎの交替まで非番ということになっていたのだが、それがどんどんずれ込み、〝部長〟である己は丸二日自宅に戻れていない。
それが当然になるような状況がやってきた訳だから、愚痴を持っているのではないが、人手が足りないのは確かだ。
体が幾つあっても足りない。自分が後二人くらい欲しい。
――己が〝著名人〟である自覚はあるので、本来なら、不特定多数の民衆が集まる場所にはあまり向かいたくないのだけども……、普段は情報室で〝モニター〟を眺めるときにだけ使う眼鏡を掛けたまま、リンデン・イムファルは一般避難所の方へ向かった。
朝食の炊き出しが行われている時間帯である。
小さな子供や老人・傷病人が居る世帯は、避難所となっている〈軍〉の屋内鍛錬所に残り、係の者が配給を行なっている。また、鍛錬所は二箇所の出入り口がピロティと屋内ロビィに面しており、そちらでは長テーブルに鍋や碗がずらりと並べられている。加えて、昨日は会議の傍聴中継所となった城の正面ロビィも開放されている。一箇所に集中させていないので、どの配給所も大混雑はしていない。
それでも、普段の城内と比べて人が多いのは確かだし、賑やかだ。
イムファルはきょろきょろしながら、それぞれの配給所を見回った。
避難民名簿にまだ名前があったのだけど……――正面ロビィには居なかった。二箇所目のピロティで、碗を持ってスープの給仕を待っている列に探し人を見つけ、
「シダー君」
と声を掛けた。
――二人の間にもまだ大勢の人が居る、聞こえなかったのか、相手はこちらに顔を向けない。
シダーの前後に居るのは腰の曲がった年寄りと小柄な女性だったので、頭一つと云わず二つは余裕で飛び抜けている。ぼさぼさの髪に白いものは混じり始めていたが、浅黒い肌に角張った顎と鷲鼻は、自分が良く知っている形だ。人違いということは無い筈だ――
「シダー! ジェイコブ・シダー君」
目立ちたくはないのだけども仕方なく、少し声を高くして呼ぶと、「んっ?」と旧友がイムファルの方へ顔を向けた。
シダーは少々困った顔をして首を前後に捻っている。――折角並んでいるのに、ここで列をはみ出してまた後ろに戻らせるのも理不尽であるので、イムファルの方からそちらへ近寄った。
ちょっとだけ自分より背の高いシダーの肩を軽く叩き、
「城に避難をしていたんだね。部員から、傍聴の中継所で顔を見かけたと聞いて」
「ああ、ちょっと色々タイミングが悪くてな」
「タイミング?」
「……済まんが、積もる話はちょっと待ってくれんか。えーと、あの柱辺りに居てくれ」
配給の列はじりじりと前に進んでいる。中庭に面したピロティ空間の角となる柱を、シダーが指さして云った。
それもそうだ――イムファルは、「ああ……こちらこそ済まなかった」と軽く手を振り、「じゃあ」と云って、そそくさと指定の柱の方へ向かった。
天気が良いので、ピロティから出て中庭の芝生に腰を下ろし食事している者も居る。
程なく、シダーが左手にスープの碗を、右手にパンを掴んでイムファルの待つ柱へ近づいた。シダーは一度イムファルに、
「ちょっと持っててくれ」
と碗を差し出して渡した。カーゴパンツのポケットからハンカチを取り出して腰を屈めながら、タイル張りの床にそれを敷く。
ああ、塊のパンにスープだものな、とイムファルは納得する。この献立で床に一度も何も置かずに食事をしようとしたら、片手のパンにかぶりつきながら片手の碗を啜るという、野性味の溢れる風景になってしまう――が、申し出れば一応トレイも借りられる筈だが、そこまではしなくて良いと考える程度に、実際シダーは野性味のある男だ。
どっかりと胡座をかいてハンカチの上にパンを置き、イムファルから碗を受け取って、シダーは「君も座りなよ」と彼に声を掛けた。
イムファルも彼の前に胡座をかいてから、シダーは頂きますと軽く頭を下げ、パンを千切った。
一口大――と云うには大きかった塊をシダーが囓ったところで、イムファルが、
「随分久しぶりだ。どうしていたんだい? 風の噂で〝研究室〟を出たと聞いて、ちょっと心配してたんだよ」
と小首を傾げながら問う。
モグモグと頬を動かし、シダーはスープも口に含んで飲み込んでから
「もう十年くらいになるよ? そんなにずっと心配してたのかね」
少々からかうような声で云う。イムファルは苦笑した。
「そりゃ、ちょっと思い出したら気にかかるって程度さ、他の心配事が出来たら直ぐ忘れる。薄情者で済まんね」
「そんなもんだろう。お互い、便りのないのは元気な証拠ってな……まあ、君の場合は特に便りなど無くても噂は聞こえるが。――ツゥリーも元気そうだったな、昨日見たよ。アイツは〝権威嫌い〟だと思ってたから、ああも立派な〝従僕〟になってて驚いた、とうとう領主代理様までなっちゃって」
――ギンとリオンがこの場に居れば「ああ、あの時の」と合点しているところだ。昨日の傍聴で彼らの前に座っていた、マッカンの発言時に懐かしそうな遠い目をしていたのは、このジェイコブ・シダーだったのだ。
イムファルは肩を竦める。
「マッカン君は権威嫌いと云うより、僕みたいな〝保守派〟が嫌いだったんだろう。それに、研究テーマの考察に限った話じゃないか、個人の性格で云えば、彼も元々『お堅い』方だよ――加えて、君がマッカン君のことを云えるのか、彼に輪を掛けて〝過激派〟だったくせに」
「ははははっ、それもそうだな」
大口を開けて笑ったところにパンを放り込む。改めて、イムファルはシダーに訊いた。
「それで、研究室を出てどうしてたんだい? 今はどうしてる」
「聞こえが良く云えばフリーの研究者だよ、冒険家とも云えるかな? ――社会的に一言で云えば〝無職〟さ」
大して悪びれる様子も無く、軽く口角を上げてシダーは云い、イムファルは「何だって?」と訝しげに目を細めた。
「パートタイムや短期就労で資金を貯めたらフィールドワークに出る、って生活をしてるんだ」
「……。ああ、それで……、所属や所在も不明な割りに、ちょくちょく論文の発表はあったんだな」
「ほう、読んでくれているのか。まあ、なかなか充実してるよ、好きな時に好きなだけ研究へ熱中出来る生活ってのは」
それにしても――とイムファルは軽く眉を寄せ、
「しかし、なかなかタイトロープだな。……学生時代よりも痩せて見えるよ?」
ちらりとシダーの腹を見て云った。お互い、中年太りが心配になってきて可笑しくない齢なのに。
シダーは大げさにパンを――まるで塊肉のように――噛みちぎって見せる。
「引き締まっていると云ってくれ、肥える暇なんか無いだけさ。独り者は気楽だよ、幸せ太りすることもない」
「――何故、研究室を出たのだね」
出身地の役人になったマッカン、サウザー領本部で城職員と魔術学教授を兼任している自分と違い、シダーはサウザー中央大学で純粋な「研究者」としての進路を選んでいた。それも、研究室を一つ宛がわれたのは相当若い時分だ――つまり、将来を嘱望され、そして保証された研究者だったのだ。研究室に教授として残っていれば、予算も出、時間もそのためだけに使えたのに――。
シダーは旧友の質問に、呆れたように肩を竦めた。
「そりゃあ、今みたいな生活の方が好ましかったからさ。――余裕はあったが、その分ストレスは多くてな。最たるものは、『俺は人にものを教えるのが相当苦手だ』ってことだな」
「……?」
イムファルが訝しげに目を細めた。
「そんなこと無いだろ。君の講義は面白くて分かりやすいと、学生には好評だったみたいだぞ」
「受けた方がどう思うかは俺に関係ないさ。俺の講義が面白くても、俺が面白い・得意と思ってるかは、別問題だ」
シダーが、ふっ、と鼻息を飛ばす。
「……学生への講義は、負担だったということか」
「そういう研究者は多かろう? 俺はそれに耐えられる肝っ玉が、極端に小さかったんだ。学生もいい大人なんだからちょっと大げさだが、俺には他人のお子さんの人生を背負える度胸が無くてな――俺本人にその意識はないが、俺の講義が面白くてタメになったと学生が云ってるんなら、そのストレスが良い方向に行ってたってことだろうけど……流石に限界感じてな。重圧と予算や時間の余裕を秤に掛けたとき、俺は今の方が性に合ってたってことさ――幸い研究職としての後任は、〝ダニエラ君〟が育ってくれていたし」
汁気の減ったスープの中で転がっている野菜をスプーンで掬い、パンの上へカナッペのように乗せていっぺんに口へ放り込む。頬をもぐもぐとさせながら、シダーは訥々と――「ストレス」の話をしているのに随分こともなげに――云った。
「知らなかったな。君は、論文発表の場では随分堂々として、どんな野次にも涼しい顔してたから」
「そりゃ、自分の研究論文を発表するだけで緊張はしないよ、傍から何を云われても平気なのはその通りだから。学生への講義は違うだろ。他人様の業績を教えて、理解させることも必要だし、何と云っても一番の重責は、単位をくれてやるために『評価』下さなきゃいけないってことだ。ぶっちゃけた話、俺はそんなことやりたくなかったのさ」
イムファルは「成る程なぁ…」と、少々呆れたような響きもある溜息をつきながら頷いた。
「『講義の時間』が『稼ぐ時間』に変わっただけだと思えば、今もそんなに違いはないよ。資金を貯めるための時間と研究に当てるための時間が完全に切り離されている分、精神的には楽だね」
イムファルが小さく俯いて微苦笑を浮かべる。……研究が職業でなくなった以上、一般的に考えたら、「オン」と「オフ」の使い方が逆だ。
――学生の頃から、シダーは〝尖っ〟ている〝天才肌〟だった。決して悪い人間ではないのだが、「協調性」はいまいち欠けていた。故に、と云えるだろうか、「貢献」だとか「奉仕」だとかの意識も薄い。
その才能が故の「カリスマ性」も――今思い出しても妬ましいほどに――あったが、それが「リーダーシップ」として顕れるタイプではない、あくまで我が道をゆく性格なのである。
いくら研究環境としてそれが好ましくても、同時に人を導くのが「義務」――代償として課せられるなら、彼の性格では研究室に居る方が辛かったのだろう……。
シダーはそこで苦笑いを浮かべつつ肩を竦め、
「まあ、今回は、そのタイトロープから足を踏み外しかかってるんだがな。――別の意味で独り者で良かったよ、養わなきゃならん女房子供が居たらエラいことになってた」
「どういう意味だ? ――そういや、さっきタイミングが悪くてとか云ってたね」
イムファルが眉を寄せて首を傾げる。――一先ず、シダーはパンの残りと、碗の中身もかき寄せて口に放り込んだ。
ご馳走様、と告げてから、シダーが胡座の膝で頬杖をつく。
「いやさ、俺、昨日から、ジルバ鉱山で、一年契約で働く筈だったんだよ。幸い、寮に入れることになってたから、住居も引き払っちゃっててな、一昨日で」
「……」
イムファルが呆れたように口をぽかんと開けた。当然、シダー本人に呆れた訳では無い、彼自身が云ったとおり、タイミングの悪さに驚いたのだ。呆れる矛先を向けるとすれば、CFCの暴挙に、である。




