【day2】(4)-[7]-(4)
「つまりだな――」
黒板の前に戻り、タオは腕を組んで二人に真摯な目を見せる。
「俺達は、〈魔術士〉であるが故に、『或るもの』が『変化』することを――その〝振り幅〟や〝限界〟を、一般人よりはかなり広く想定してしまっている。あるいは、色んな〝層〟を見通す目を持っているが故に、一つのものが色んなものに見えることを、不思議に思ってない。が、魔術士でない者からすると、『黒雲』が、かなり具象的な『女』に変わるなど、あり得ないし、同じく、誰かが『黒雲』だと認識したものを別の人間が見て、『女』と認識することも、あり得ない。――君達、自分のイメージを疑う以前に、『〈魔術士〉の目』から一旦離れるということも、してなかっただろ」
バツが悪そうに、アサギとリオンが首を竦ませた。
「――魔術士でない者からすれば、魔術士は既に『時間と空間を超越した者』であり、『非常識な存在』なんだ。ならば、魔術士よりも『時間と空間を超越した者』が居たって一向に可笑しくはない――実際に、〝火の巨人〟〝鳥女〟が、それを超越しているのかどうかは置いといて、だ。俺達が知る『常識』の中だけで考察を限定するなら、それは、『魔術士以上に時間と空間を超越する者は居ない』という無意識の傲慢だ」
きっぱりと、険しくも聞こえる声でタオが宣う。
「実際、あの『火の玉』は、〈矢〉を食らうまで、何処から来たのかも全く分からず、唐突に目の前に出てきた。何も無いところから氷が出てくるのと同じように」
「……ッ」
「『筋』はどう見ても、俺達からすると何も無いところ、ただの空間としか云いようのない場所に出て、その後あり続け、そこから『異形』は溢れて来た。――既に、この目で見た『事実』が、俺達の常識、知識、理から外れてるんだから、自分自身がそこを飛び越える発想をしなけりゃ、『あれ』が何なのか、どう対処すれば良いのかなど、いつまで経っても解る訳が無い。イー・ルが魔術士を『悪魔』と呼んだだけで終わっているのと同じだ」
うっ…、と若人二人が息を飲んだ。
「君達は今、そこから抜け出す――というより、それを『覚悟』するのに、『畏れ』を抱いてるんだろう」
多分、そうなのだろう――アサギとリオンが怖ず怖ずと首を縦に振る。そんな二人に、タオが微笑を見せた。
「だがな――、その『傲慢』から抜け出しさえすれば、大して怖ろしくないこと、『枯れ尾花』なのかもしれないのだよ。魔術士以外には何処までも非常識なことかもしれないが、ただ俺達が気付かない、あるいは未だ知らないだけで〈魔術士〉ならば考えついて良いこと、魔術士に出来る範囲の『手品』と云える程度のものなのかもしれんのだ」
力強い声でタオが云い、「アサギ」と彼に顔を向けて声を掛けた。
「はっ、はい」
上擦った声を出して、アサギがぴしゃんと背筋を伸ばす。
「――君は、〝死者の層〟を見る目を、普段抑えるように努めている訳だが、その抑えを解除したとき、何が見える? 仮に今解除して俺達を見た時、〝リオンを守護する者〟がリオンと全く同じ座標、俺を呪う者が俺と全く同じ座標に、見えないか?」
「……」
アサギは口を噤み、戸惑った顔をしてタオを見、次にはちらりとリオンに顔を向けた。リオンがゴクッと唾を飲んで表情を強ばらせたので、アサギは苦笑を漏らし手を振る。
「あ、リオン君、大丈夫ですよ、見た訳じゃないです」
そう云ってから、タオの問いに答えた。
「……そう云われてみたら、全く同じ場所に別のものが存在している、というのは、『あり得る』と云えるのかもしれませんが…」
まだ完全に「云われてみればその通り」という納得が出来ないので、アサギの口調は淀んでいる。タオはアサギに対してそれ以上続けず、今度は「リオン」と彼に顔を向けた。
「君はどうだ? サヴァナの平原には、アカシアが良く生えてるよな。それと同じ座標に『樹の妖精』が座しているのを、見たことはないか」
「……そりゃ、あるけど……――それは、〝層〟が違ってるからで……、あんたが今云ったのとは、ちょっと、違うじゃん?」
「何が違う?」
リオンも口ごもりつつ云ったが、タオはニッと笑って跳ね返した。
若人は二人とも目を見開き、それ以上は何も返せない。
「〝違う層〟を見る能力が無い者からすれば、同じだ。同じ座標に違うものが同時に存在している、という『現象』だろう。〝違う層にある〟ということが解ってない、知らないだけだ。〝層〟の違いという、自分には理解出来ない座標が、対照条件として浮かばないだけ」
「……」
「君らは、それが解ってるから、『同じ座標に違うものが同時に存在している』という現象を受け入れられてるんだ、魔術士でない者は同じ座標だと思っている場所が、実は違う座標だと解ってるから。だが、見えるが故に、魔術士であるが故に、それが当たり前になってしまって自覚が無い。――いいか、こういう考え方も出来るだろう。〝鳥女〟は、数で云うなら、最初に云った通り『一体』である。だが、任意の〝層〟それぞれに於いて違う姿を取る。その上で、〝違う層〟に在りながら〝此処〟に存在しているかのように見える……つまり、フィズ君達やイー・ルの民衆は、それぞれ違う三つのものを見たというよりも、別々の〝層〟を見ていたのではないか。ただ、フィズ君達は〝層〟を見通すのが『苦手』だから、それに気付いていなかった――もしかするとフィズ君だけは、後々それに気付いたかして『同じ一つのもの』と云ったのかもしれない。イー・ルの民衆は、そもそも別の〝層〟の存在など知らないから、自分の目に映るものは全て〝この層〟にあるものだと思っている、だが、それが今まで見たことの無い〝化け物じみたもの〟だったからパニックになった。――どうだ、この仮定は? 理解不能か?」
何だか、面白がっているような表情と声でタオが云う。アサギとリオンは顔を見合わせたっきり、反論は出来ない。
「リオン。――特に君は、そういう発想が、出来て当たり前でもあるんだぞ?」
「う……」
リオンはたじろぎ、息を飲む。――グロスの丘からの帰り、そして先ほども、タオは似たようなことを云っていた。アサギには相変わらずその意味が分からないのだが、二人が未だに自分に説明をしてくれないし問うことも出来ないので、少々居心地悪くモジモジと肩を揺らしつつも、黙っていた。
タオはそんなアサギにチラリと目を向けたが、何も云わない。彼も、それを自分が今「説明」するつもりは無いのだった。
「――五つ目の『その他』として云ったが――、それが『別の層のものをこの層に於ける存在として見せる』という〈術〉、どっかの物凄ぇ魔術士による、俺達はまだ知らない、新しい〈幻視〉の術だった――〈異層の顕示〉とでも云おうか?――……なんてことなら、『恐るるに足らず』。同じ魔術士として、俺達にも再現出来る可能性はある。――リオン、君がもしその『術』を使えて、イー・ルの民衆にドリアードを見せることが出来たら、イー・ルの者は恐らく、鳥女を見た時と同じリアクションをするぞ」
「……」
「術が凄すぎて再現は出来なくても、理解は出来る。違うか?」
それには、二人とも小さく頷いた。
「それが〝鳥女〟による術、術というか、そいつが元々持ってる特性だけによるものだとすれば、結局は〝じゃあ何者なのか〟っていう『初めての謎』として提示されてることになる――が、俺達の生きてる世界にも〝存在〟出来ているのであれば、俺達が、百パーセントは無理でも、ある程度理解は出来るのかもしれない。理解が出来るのなら、対処も出来るのかもしれない」
「……」
「――つまり、丁寧に、確実に、研究と探求さえ行えば、炎の巨人、鳥女、百鬼夜行の何れも、新たな理として再現性のある事象なのかもしれんのだよ。その探求が可能なのは、魔術士ではない者から見て非常識な存在である魔術士だと、それを『魔術士としての矜持・自負』と云ってるんだ」
そこでタオが一つ息を吐く。
「――必要以上の畏れは、裏返せば『傲慢』の現れであり、『卑屈』と『謙虚』の区別が付かない状態、とも云えるな。会議の時、シャール君にも云ったけどな――、俺達が今やろうとしているのは、自分達が知らないことを知ることなんだ。そのために必要なのは、自分が知らないことを認める『謙虚さ』を持つことと、知らないところで止まって終わる『傲慢』と『卑屈』を捨てることだ――良いかね、君達。ある程度の畏れは、身を守るために必要だ。だが、『卑屈』で思考停止するほどの恐怖は、邪魔だ。それを心しなさい」
再び、二人は息を飲む。タオの、笑みを浮かべつつも真摯な声は、つまり覚悟を要求している。
一度は「やりたい」と云ったけれど――、少しの迷いが、二人の胸を過ぎった。だが、この若者二人も〈魔術士〉だ。〈水〉の、〈風〉の、〈友〉なのだ。
もし、「あれ」――〝炎の巨人〟〝鳥女〟〝百鬼夜行〟が、このガイアに滅びをもたらすようなものであったならば――自分一人の恐怖に囚われて何も出来なくなるようでは、〈友〉を名乗る資格など無い。
アサギとリオンは顔を見合わせてお互いに頷き合った後で、タオに「はい」「うん」と大きく頷いて見せた。
さて、と息を吐き、タオが今度こそ机に戻った。椅子に座り、机の隅からさらの紙を取りながらリオンに云う。
「リオン、再三の確認になってしまったが、流石に君からの〝情報〟はもう無いか」
「あ……うん、一通り」
リオンは指を折りながら首を捻り、「ニックから聞いたこと」は一通り出してしまっただろうと、頷いた――タオからの「説教」「講義」が挟まったことで、「その時ちょっと思ったこと」などは、かなり〝地層〟の奥底、あるいは〝記憶〟の隅に追いやられてしまった気がする。それはそれでタオにとっての「情報」とはなり得るのかもしれないが――何せ、諜報員に「日記の宿題を出すかもしれない」と云うくらいなのだから――、自分自身が思い出すのが無理だ。
「じゃあ、君が次の〈通信〉で確認出来るなら出来そうな事柄、ってのが出てきた訳だが、そのメモは要らんか? ちゃんと覚えてるか?」
タオがそう云いながら、まだ白い紙を摘まんでひらひらさせた。再びリオンが少し考え、「大丈夫」と首を振る。次に少しばかり皮肉な声で、
「〝集中する余り脱線する〟クセがある所為で、『気になったこと』は解消するまで覚えてるクセもあるんだ、俺」
などと云った。するとタオがククッと笑い、
「成る程、それはある意味『長所』でもあるんだな」
と同じくからかうような声で云い、ペンを取り、紙に何事か書き付け始める。
さらさらと――殴り書きを終わらせ、タオはペンを置くと一つ息を吐き、改めて二人に体を向けた。
机に肘をついて頭を支える格好になり、二人に――というより、特にアサギに視線を向ける。そして苦笑して、
「大変お待たせしたね。では、アサギ、君の話を聞こうか」
と云った。
アサギとリオンは顔を見合わせ、――タオより少し遅れて、苦笑をし合った。待たされたアサギよりも、待たせたタオの方が、余程に「次の本筋」を覚えていたのだ。




