【day2】(4)-[6]-(1)
意味の分からない目配せを交わした若人に、タオは軽く首を傾げたが何も問うことはなく、一つ息をついて「つまりだな」と再び纏めに掛かった。
「世間に漂っているあらゆる『情報』ってのは、実は『誰かの脳内を経由した処理結果』であることのほうが多いってことだよ」
タオは空中にくるりと円を描いた後、自分のこめかみを指した。
「主観的・感覚的な『表現』は含まれていない、かなり客観的なように見える『情報』とて、それを発信する側が『事実』を一旦自分の頭に通過させてから、外に表している以上、やはり『事実そのもの』とは違う。――それに、極めて客観的な情報――例えば数字でだけ表される各種の統計データとか――や、人づてではない自分自身が経験した事実に基づいているとしても、『推理』や『考察』ってやつは、明らかに『処理』だろ? やっぱり、どこかでその結果を、もう一度『確認』しなきゃ『事実』かどうかは確定出来ない。そこに誤解や曲解が無いか、やはり遡って確認が必要なんだ」
そこでタオは再び黒板を振り返り、「F」の文字を指した。
「フィズ君達が経験した事実そのものは、此処、フィズ君達の脳内に記憶として蓄積されている」
次にタオは「L」を指し、「F」に向かって線を――白い粉を拭う形で――描いた。
「だから、君からフィズ君に直接『確認』が出来る機会があって初めて、ニック君から伝わってきた『情報』が、『事実』にグッと近づくんだ。それまではまだ、『何処かで誰かの脳内を通過した情報』とだけ認識し『事実』とは切り離しておく――歯止めを利かせておくべきなんだよ」
そう云うと、タオは広げた手で、自分の前に衝立を立てるような仕草をした。
若者二人が神妙な顔をしていると、ふとタオが苦笑して軽く肩を竦める。
「――極端に哲学的で非現実的に聞こえる話だから常に意識する必要は無いが、それこそ『事実』ではあるから頭の隅っこに引っかけておくべきことも云っとくとな……」
妙な前置きをする。アサギとリオンが小首を傾げたが、余計な話ではないのだろうから、そのまま真剣に耳を傾けている。
「実は、百パーセントの事実そのものは、この世の何処にも無い」
「……」
――真剣な顔をしていた二人がきょとんとした後、アサギは戸惑った顔をし、リオンは呆れたような顔をした。
「それじゃ、身も蓋も無いじゃんよ」
声も呆れてリオンが云うと、「そうだなあ」とタオも応じた。が、軽く口角を上げ、
「しかし、百パーの事実が無いからこそ、人はまことしやかに勝手な噂話も出来るというものだぞ。特に、『出来事』に関してはな」
「……」
今度はリオンも戸惑って、アサギに顔を向ける。「どういう意味だと思う?」と尋ねるような顔をしていたが、アサギも答えられず小首を傾げた。
タオが「ふふっ」と笑った後で先を続けた。
「まあ、それじゃあ煙に巻いてるだけになるから、もうちょっと云うか。正確には、『もう何処にも無い』と云った方が良いな。――哲学的な話、つったろ? 存在と非存在の話さ」
「……。――フィズさん自身が経験した事実も、最早『記憶』であって、事象である事実そのものは、既に存在しない――ってそういう意味ですか?」
おずおずとした声でアサギが問うと、タオはコックリ頷き「そういうことだな」と云った。
するとリオンが一層呆れた顔になり、「ホントに〝哲学的〟だなあ」と少々ふて腐れた声を出した。
「結局、身も蓋もないじゃん。あんた、ニヒリズムの人か」
「『虚無』っていう程でもないぞ、もうちょっと即物的なことを云ってるんだが。どっちかいうと君の方に、それは良く伝わると思ったんだけどな」
「は?」
大げさに「おや」と目を見開いてタオが云うので、リオンが首を傾げた。
「……特に出来事に関しては、と云っただろ。魔術士であっても、時間は超越出来ない――『人』は、過去にさかのぼることが出来ない。故に、過去に起きた『出来事』をもう一度経験することは出来ない」
「――」
「だから、さっきから云ってる『確認』を〝百パー〟行うことは、不可能だ。『客観的な事実としての出来事そのものは、もうこの世の何処にも無いからだ』、――そう云ってんだよ」
「……それがどうして、『俺の方が』良く分かるってんだ?」
「リオン、だからだろ? イー・ルが、胸張ってサヴァナにケンカ売ってくるのは」
「――」
それを聞いてリオンは口を噤み、微かだが戸惑いの表情を浮かべて、ちらりとアサギに目を向けた。
「ああ……〝哲学的に云えば〟そういうこと、なんですよ、リオン君…」
アサギも小さく頷きながら、リオンへそう云った。
――話の主題は違う……偶然そういう流れになっただけだが、数時間前、ギンも「それ」を例に出したじゃないか。即ち「〝歴史〟ってのは、生きている人間が〝作る〟ものだ」と。それを、サヴァナの者もイー・ルの者も解っているのだと……。
それが「事実は何処にも無い」と……表現し直されただけ、なのか。リオンがアサギに、同じく小さな頷きを返す。
若者が少ない言葉と目配せで何かを云い交わしたらしいことに、タオは再び軽く首を傾げたが、特に何も問わなかった。彼らが彼らなりに、自分が云ったことを受け止めたのであれば、今はそれだけで良い。
「そりゃまあ、〈魔術士〉の中には、時空を見通す目を持つ者も居るが、それにしたって過去に遡って〝事実をもう一度経験〟する訳じゃないからな。第一、イー・ルはそういう〈魔術士〉の云うコトを耳に入れるような融通も無い」
タオが肩を竦めて云うと、リオンは苦笑を浮かべ、軽く頷いた。それからタオへ「続き」と云うふうに再び真面目な顔を向ける。
タオはそれを受け止め、「こっち」と促すように、まず目線を黒板に向け、
「俺が虚無主義みたいな感傷で云ってんじゃないってのを、『この流れ』の中で示すと、だな…」
そう云って、また「F」を指さした。
「――リオンへの通信が、朝と午後の二回、時間を置いて、分けてやってきたところからして、フィズ君からサヴァナ本陣――タックさんへの報告も二陣に分けてなされたんじゃないかと想像出来る」
それから「T」への矢印を二回なぞった。アサギは「はあ」とただ頷いたが、リオンは小首を傾げた。
「ん~、そうかもしれないけど……、俺から云い返させて貰やぁ、それもまだあんたの『想像』の範疇だろ。俺としては、フィズさんからの報告はまだ一回だけで、タケさんたちはまず何より、警備の奴らに云っとかなきゃいけない部分をピックアップして纏めた、後で残りを纏めてからサウザーの俺に伝える分をニックには渡した……ってタイムテーブルも、アリだと思うけどな?」
「ああ、その通りだ。解ってきたな、リオン」
からかうのとふて腐れたのとが混じったような声でリオンが云うと、気を悪くした様子も無くタオはククッと笑って頷いた。
「まあしかし、そうだとしても、フィズ君からの『鳥女の件』に関しての報告が、そのたった一回きりで終わるってことは、無いんじゃないかな」
特に「反論」という口調ではない、「どう思う?」と云うふうにタオから問われ、リオンも「まあ、そりゃそうだろうな…」と応じた。
フィズ達は現在、「この次元でやっている戦争」の件でイー・ルの動向を探るべく「間諜」の任務に就いているのだ。
ニックからリオンへ伝わった事柄は未だ、「たまたま知ったこと」「一応地元に伝えておくべきだろうこと」程度でしかない感がある。個人的には、イー・ルの情勢などより、〝竜巻〟〝はねを生やした女〟の方が興味の大半を占めているだろうとしても、サヴァナの上層部がフィズ達に退避命令をまだ出していないとするなら、彼女らが任務として本来収集すべきは、「今後、〝鳥女〟に対してイー・ル上層部がどういう対処を行うのか」「イー・ル国内にどういった影響が出るのか」――そういった情報だろう。
当然、〝鳥女〟そのものに関しても――それはサヴァナだけでなくサウザーやフリュスにとっても問題であり、もしかしたら世界中の懸案となるかもしれないのだから、情報収集に務める筈だ。フィズ達の「任務」は追加された格好になる。
ならばタオの云うとおり、フィズ達間諜からの報告が本格化するのはこれからだろう。必然、報告の回数や量は増えると思われる。
「そもそも、この第一陣――もしかしたら二陣も含め――の〝鳥女〟情報は、フィズ君だけでなく、ガフ君、シェイク君が経験した事実も、まず集めた上で纏められてる訳だろ。その報告は明確に『処理結果』だよな」
そう云ってタオが「F」から「T」へ指を滑らせた。
「そりゃ勿論……、諜報活動に入ってたのがフィズ君・ガフ君・シェイク君のいずれか一人だけだった場合を仮定してみれば、各地点の何処か、一箇所に於ける『事実』しか把握出来なかった訳だから、纏められてることが悪い訳じゃない。むしろ、三人入ってた、その上ばらけてた、ってのは喜ばしいことだよ、情報量の点で」
と、今度は直線に黒丸を重ねて描いた部分、その黒丸を一つずつ指す。その指を離し、
「が、――最終的な報告書を纏める段階で、三人は『取捨選択』をしてる筈だ」
タオはそう云うと、自分のこめかみを指した。
「自分が経験した事実――その『記憶』の内、報告すべきと思われるもの、そうじゃないものを、篩にかけてる」
「まあ……そりゃ、そうじゃなきゃ『纏め』になんないし」
「間諜の任務に就いている者が、自分の経験をつらつら綴った『日記』を報告書にする訳にゃいかんものな。タックさんに報告する段階だけでなく、ガフ君やシェイク君は直接の上司に云うべきか否かを篩にもかけたろうし、フィズ君が『断言を避ける慎重な性格』だと云うなら、彼女の〝篩の目〟も恐らく細かいだろう」
「……」
「そういう『纏める』能力も、当然間諜には求められてる。――だからこそ」
今度は、こめかみに何本も線を書くような仕草をして、タオは云った。
「新しい『記憶』が追加されて、再び『取捨選択』をし、その都度捨てられた側の記憶――経験していた事実は、記憶の地層に埋もれる」
「……」
「そのうち、思い出せなくなる。すると、完全にその『事実』は、フィズ君の中からも無くなる。いや、無くなったのと同じになる、くらいに云い留める方が良いのかな、――そういうことだ」
リオンが腕組みをして「ふむ…」と鼻を鳴らした。アサギも「そっか…」と小さく呟く。それは確かに感傷的なニヒリズムではない――。
と、タオが軽く肩を竦め、「誤解がないように、ちょい補足」と少々おどけた声で云う。
「別に、『纏める能力』を求められる間諜だからこそ〝忘れるときはすぐ忘れる〟なんて云ってる訳じゃあないぞ。間諜だからこそ記憶力も良いはずさ。そういう、情報の取り扱いを主要任務にしていない人物や一般人――フィズ君達だって任務から離れて日常生活にある時には、経験する段階で、その端から忘れる、覚えようという気がない、ってこともあるだろうからな。それと比べたら、フィズ君達はその時、自分が見た〝鳥女〟の寸法や見た目のディテール、自分の居た地点等々を、可能な限り覚えようとした筈さ――それこそ『人相がき』が出来るほどにね」
再びタオはこめかみに線を引く。




