【day2】(4)-[5]-(1)
タオは再び「N」から「L」に伸びた矢印をなぞった。今度は随分と丁寧に、「L」を囲んだ丸の線に合わせてピタリと指を止める。
「フィズ君が持っている『事実』の九割、五割、はたまた、たった一厘、どの程度の量にしろ、ニック君からリオンに届いたものは『情報』だ。それを元にして、君達が具体的なイメージを持つこと自体は、別に悪くない。が、そのイメージは『情報』じゃない。君達の脳内で処理された結果なんだ」
そう云って、タオは矢印の先から「L」を突っ切る形で指を滑らせ、その先にただ丸を書いた――白墨を使っていないから厳密に「書いた」とは云いがたいが、元々、黒板が結構白くなっていたので、粉を拭う形でその軌跡はちゃんと見える――。
「脳内で処理して出てきた『結果』の方を、『情報』として記憶してしまうこと、それはきっぱり、間違っていると、俺は君達にそう云いたいんだよ。アサギがイメージした『移動』――アサギ、リオンは一言だってそんなことを云ったか?」
「い……いいえ…――多分――、自分自身が見た『炎の巨人』の記憶のせいで、無意識に、そんなふうに思ったんだと思います……」
アサギは狼狽の表情も隠さず、膝の上で、忙しなく両手を擦り合わせつつ答えた。タオはリオンにも同じように訊いた。
「リオン、ニック君は、『同時に同じものを見て別の見え方をした』と、それが事実だと納得出来るような話し方を、したのか?」
「……してない、と思う」
リオンの方はアサギと違い、眉を寄せ――口惜しそうな顔をして、首を横に振った。
そんなリオンにタオは微笑を見せ、まだ先を続ける。――若人二人にとっては、かなり「追い打ち」を掛けられている気分だった。
「リオンがさっき云った『信用』ってのも、そうだろ? 俺は『人の云うコトを百パーは信用するな』とは、一言も云ってない。君がそう聞いた、俺の話を処理したんだ。――今、君が確認したから俺は『そうじゃない』と否定出来ているが、それをせずに、一応サウザーでの師匠である俺がそう云ったと感じたままだったら、君はこの先どういう価値観を持って、どういう人間になっていたんだろうか? ――もっと怖いのは、『タオがそう云った』と、君からまた誰かに伝わることだ。それは、今度は『情報』になる。……そりゃあ、俺としては『それ』を信用して欲しくないさ」
「……っ」
「――ニック君はこういうイメージを全く持っていなかったのに、話している間、リオンがこのイメージを持ち、それが無意識に言葉の端々に出てたりしたら、ニック君の方にこのイメージを返しているかもしれず、ニック君と君は『情報』というよりも『脳内で処理した結果』の方を共有した状態になっているのかもしれない。先にちらっと云ったけどな――もしや、それが『事実』とは異なっていた時、君は『ニック君が誤りを伝えた』と思わずにいられるか。ましてや、ニック君の方にもこのイメージが出来上がってしまったせいで、彼の方が『リオンに誤りを伝えてしまった』と自責することになったら、どうするんだ? 『事実』と異なる『情報』が広がってしまった責は、この場合、一体何処にあるんだ? 誰も嘘はついていないのに」
「うっ……」
リオンは息を飲み、今度こそあからさまに狼狽の表情を浮かべた。それから額に手を乗せて、「待てよ……俺……」と独り言を呟く。――ニックとの会話で、迂闊なことを云わなかったかどうか思い出そうとしているようだ。
先ほど「フィズ達の身の安全」について話していた時にも見せていなかった表情、狼狽と困惑を見せている。
アサギがリオンの二の腕をぽんぽんと叩き、
「リオン君、――リオン君、そんなに困らないで。今のは単なるタオ先生の意地悪ですよ」
「え、えっ?」
「リオン君は可能な限り、客観的に、ニックさんから伝わったことをそのまま、自分のイメージは交えずに僕らに伝えて来ましたよ。――だって、そうじゃなかったら、僕が『移動』のイメージを抱く筈は無いでしょう?」
「……あ」
「だから、多分ニックさんと話している間も、謙虚に情報は情報として受け止めてたのだろうし、無意識にでもニックさんに自分の思い込みを返してるってことは、無いと思いますよ」
ぽかんとした顔で「そっか…」と呟き、安心したようにリオンが大きく溜息をつく。――それからアサギと二人して、タオに目を向けた。リオンは口を尖らせてふて腐れている。
師匠は悪びれること無く薄笑いで、
「自分で気付けたらまだ良かったけどな、リオン」
等と嘯いた。リオンは、今度はプッと頬を膨らませた。
薄笑いは残ったままだが、声色はもう少し真面目に戻って、タオが続ける。
「しかし、分かっただろ、『情報』という外からやってきたものと、それを受け入れた内の記憶――『己の頭で処理して残ったもの』を混同してはいけないってことは」
「まあ……うん」
相変わらず、表情はふて腐れていたが、リオンは「それは分かった」と頷く。アサギも「はい」と真面目に受け入れた。
「しかし、それらを混同してしまうことは平時でも良くある。――いや、平時、日常の方が余程あるかな」
「……?」
「――リオン、さっきのが俺の意地悪ってのはアサギの云う通りだ。意地悪というか、脅かしたのさ」
「むー…」
「一応師匠としちゃあ、君らが『これ』を『情報』として記憶してしまうことが無いよう、『しっかり』戒めておきたいんでな」
二人のイメージを模式図にした部分を軽く指しながら、今度は苦笑してタオが云った。そして――これはおどけてのことだろう――リオンは大げさに口を尖らせる。
「……君自身、最初に『客観的な情報を伝えきれる自信が無い』ようなことを云っていたものの――実のところ、結構早くの段階で、君が『情報』と『脳内で処理した結果』をある程度切り離して考えられる人物だろうことは、別のところでも伝わってるんだよ。――自分で分かるかい?」
「え?」
「……? さっきの間にですか? サウザーに来てから今までに伝わってきた性格とかじゃなくて……?」
リオンがきょとんとして首を傾げ、アサギも不思議そうな顔をして確認した。タオは「そうだ」と頷く。
「勿論、サウザーに滞在している間に伝わってきた『人となり』でも大体判るよ。ああ……たった今の間にも、それが現れていた、と云うべきかな」
「――」
「多分、君達は『情報』としては受け取っていないだろう部分――雑談めいた部分でな」
若人二人は顔を見合わせる。二人から答えが出ないので、タオが云った。
「ニック君の軽口だよ」
「は……?」
「ニック君は、この『何か』に、『チョーいい女』って云ってたんだろう?」
黒板の「棒人間」を軽く指してタオが云う。
「そ、そうだけど、それが何で、俺の評に繋がんの?」
リオンが目を白黒させる。タオは笑みを見せたまま続けた――声色は、何だか頼もしいものだ。
「ニック君の好みのタイプが巨乳、って云ったじゃないか。〝黒雲〟見ただけで〝いい女〟などと云う程おっぱい好きじゃない、とも云ってたな。――これはな、リオン。ニック君が『いい女』と云ったのを聞いて、君は彼の好みをイメージ出来る人物だってことを表してるんだよ」
「……」
「君自身の理想像を当てはめていない。――君が『情報』と『自分のイメージ』を混同してないからだ」
――戒められた直後に、恐らく、良い評価を貰っているらしいこともそうだし、しかも、その評価が彼自身にいまいち理解し難いものだったので、リオンは混乱したふうに何度も首を横に傾げた。
「いや……それはただ単に、俺がニックの好みのタイプを知ってるからってだけなんだけど……」
「そう、それだよ」
謙遜というのでは無く、本音でタオの云っていることが理解出来ないから、口ごもりつつリオンが云うと、タオはまたニカッと笑って、白墨を挟んだ指を彼に突きつけた。
「その『ただ単に』を、全ての人が、常に、実践出来るならば、情報の齟齬から来る混乱や諍いは格段に減るんだよ」
「――」
リオンはアサギと顔を見合わせる。
「リオン、では、君の理想像は、どんな人だ?」
ニッと笑ったまま、タオがリオンに訊いた。
一体その問いがどこに着地するのか解らないが、リオンは素直に――と云ってもやはり少々口ごもり――答える。
「見た目だけで云うんだったら……背は俺より低い方が良いな。色白で、美人ってよりは可愛い子、痩せすぎてるのは嫌だけど、〝おっぱい〟は普通にあればソレで良いよ、そんなデッカくなくても」
「例えば、誰?」
「――ん~……、あー、そうだ、〝メレンゲさん〟が、ハタチくらいの頃はもうちょっとは細かったってんなら、完全にストライクかも」
タオがそれを聞いてまず「メレンゲさん?」と首を傾げた。アサギが、
「メランジュさんのことです、リオン君、彼女のことをそう呼んでるんです」
と云うと、タオは「ああ、成る程」と頷く。それから「へぇ~」と大げさに納得した声を出すと、一層ニヤニヤしつつ
「ほぉ~、そうか。――じゃ、君は生まれるのが遅すぎたな。彼女は大卒で城に入ったんだが、その頃は結構シュッとしてたぞ。今みたいにふくよかになったのは、出産の後だな……――ちなみに、最初に生まれた娘さんは今確か十八歳、メランジュ君の若い頃にそっくりだ。その機会がもし有れば、サヴァナに帰る前に連絡先でも交換出来たら良いな」
「……」
一体その軽口にどう反応したら正解なのやら。リオンは困った風に首を傾げた後で、それでも少々照れくさそうに頭を掻いた。
タオが声色を変えて、「な、今のもそうだ」と若人二人に微笑を見せた。
「――『例えば』と訊かれて、君は、メランジュ君を例えに出したろう? まあ、もっと若い頃に細ければ、というのは君の想像と仮定だが、それでも伝わりやすい。何故なら、君が『サウザーの』『より身近な』人物を例えに出してくれたからだ。俺とアサギに伝わりやすいように。それは、答えが、俺とアサギと君の三者で共有出来ているだろう情報に基づいているべきだと、そういう意識がちゃんと働いているから。違うか?」
「……」
「リオン、俺の想像だが、じゃあニック君は……、例えば、フーコーだと、『ストライク』か?」
「あ、ああ……多分、どストライクだろうな、絵に描いたような『ボンキュッボン』だもん」
「ふん、あの子自身は、自分の体型を殊更に賛美する男性が嫌いなんだけどな」
くくっと笑って独りごちた後、再びタオが声色を変えて続けた。
「――ここで俺が『ボンキュボン』の例として、〝サウザー中央大学魔術研究科〟の〝マリー・ダニエラ教授〟の名前を出したとて、君らに全く伝わらないだろう。『色白で小柄の可愛い子』の例としてリオンがサヴァナの、〝〈風信魔法装置〉職人のホープであるウィルヘルム君のお内儀さん〟の名前を出したとて、アサギは全く分からんわな」




