【day2】(4)-[1]-(1)
ルナールが先導している後ろを、アサギとリオンはついていく。
方角としては執務室とほぼ同じだ。……執務室の位置は既に知っており、棟の結構奥の方だから、其処を基準や目印にすれば大して迷う余地は無い。「どこそこから先の角を曲がって突き当たり」だとかのような、口頭の案内だけでも良かったのではないだろうか。
案内して貰うことに、少し恐縮しかけていたアサギだったが、ちらりとルナールが振り返り、
「ついでに、お二人に訊いておきたいことがあるのだけど」
と云った――それでか……、とアサギは合点する。
しずしずと歩きつつ前を見たまま、ルナールが訊いた。
「お二人とも、朝の……あの〝物騒な通信〟のことは、それぞれの地元にもう連絡した?」
「え? いいえ」
アサギがまずきょとんとした声で云うと、リオンも「俺もまだッス」と云った。
ルナールが再び軽く振り返り、微笑を見せて「そう」と頷く。
「じゃあ、サウザーの誰かには? ずっとお話をしていたそうだけど、ギンにその話は?」
「いえ、してません。それはまだ……たまたま知ることになっただけの僕達が、口にして良いような情報じゃないと思ったので――。でも、その……話の途中で、思い出してしまったので、ちょっと反応は……出ちゃったんですが」
ん?と云うふうにルナールが目を細め、今度は足を止める。
「話の途中でって…?」
それでアサギが掻い摘んで答えた。ギンから「権力」にまつわる話を聞いたのだが、その際〝CFCの市長〟という言葉がさらっと出てきたので、その時に……。
「俺もちょっと、びくっとしちゃって…。ギンさんから『どうかしたのか』って訊かれたのには、『何でもない』って答えたンスけど」
リオンもバツが悪そうに頭を掻きながらそう云った。ルナールは苦笑し、
「でも、ギンが突っ込んで訊ねてくることも無かったのね? それでつい答えちゃった訳でも」
「はい」
「だったらそれで良いわ。この先ギンがそれを知る時が来たら、『もしかして、あのとき知っていたのかな』って思うだけでしょう。その時彼が訝ることがあれば、正直に『たまたま居合わせた』と云えば良いわ。――じゃあ、改めて云っておくけど、サウザーの誰にも、あのことは漏らさないでね?」
「は、はい」
「それと、地元――フリュスとサヴァナにも、貴方方からは伏せていてくださる? その情報は、タオ様ご自身が入れるって仰ってるから」
「解りました」
こくっと頷いた二人にルナールは微笑を見せ、再び歩を進めた。
今度は前を見たまま、雑談の風情で二人へ問う。
「それにしても、そんなに何を話し込んでいたの? ケンとチョウに比べたら彼は話しやすいでしょうけれど」
ギンだってさほど口数が多い方では無い筈なのに、とルナールは云いたいようだ。
「話すというか、ギンさんから伺ったことも、本当に『講義』みたいなものだったんです」
「本当に、丸一日、『授業』と『見学』だったなあ」
アサギが云うと、リオンも嘆息混じりにそう云った。
「ギンさんは、何か『教えてくれる』場面では、丁寧に言葉を使ってくれる方ですから……」
「ケンさんやチョウさんが教えてくれないってんじゃないけど、あの二人は言葉じゃなくて実践とか態度が先だもんな」
「まあ……。一体何の『講義』をそんなに時を忘れて?」
「ユピタ=バルム共和国の大統領がフーコーさんのお兄さんだったことに驚いて、そこから引き続いてだったンスよ。アサギが、自分ちの兄弟の関係とは全然違う感じなのを不思議に思ったみたいで」
ただ、そこから延長――というより、そこに至るまでに共有しておくべき意識の点で、「支配」「権力」とは何ぞや、〈マスター〉とは何ぞや――、という「講義」があり、それが――時折個人的な感情が混じりつつも――念入りであったが故に長くなったのだと、今度はリオンがルナールに掻い摘んで説明した。
ルナールが「成る程」と頷き、
「それは確かに、勉強になったでしょうね」
と云った。そこでふと、アサギが何か思い出した声色で、
「そういえば、午前中の……あの、『説諭』って何だったんですか?」
とルナールに訊ねた。タオは「領主として部下である幹部に説諭するぞ」と云っていた――ギンから受けたのが「権力」「為政者」、その「哲学」の講義だったから、糸をたぐるように、それを思い出した。
ルナールは肩越しに振り返って微苦笑を見せる。
アサギの質問に答える先に、今前方に伸びている廊下の突き当たりを指さし、
「あちらが、タオ様の書斎であり寝室ですよ」
と云った。ルナールの手の先――暗がりの中に、それでも解る重厚な観音開きの扉があった。
「……私たちが受けた『説諭』の内容を、今、伝える必要は無いでしょう」
ルナールが、特にアサギに向かって小首を傾げてそう云った。
タオの部屋に着いたから、その時間がない、ということだろうか? 明日以降にしよう、ということだろうか。
アサギがそれを確認するように問うと、ルナールは「いいえ」と軽く首を振った。
「お二人とも、ギンから有意義な話を聞いたようですから」
「え?」
「たまたまのことですけど……、ギンの『講義』には、私たちがタオ様から受けた『説諭』が、どうも、含まれていたようです。ですから、貴方方にはその『説諭』の内容を今は――しばらくの間は、告げておく必要が無いでしょう、繰り返しになってしまいますもの」
「――」
戸惑った顔をして、意見を求めるようにアサギがリオンへ顔を向けると、彼も「さあ?」と云うふうに肩を竦めた。
ルナールは微笑みを浮かべ、
「ギンの『講義』が為になったと云うなら、それを確と胸に刻んでいれば良い、ということですよ。そうであれば、私たちがタオ様から受けた『説諭』は貴方方に不要です。――もし、お二人に……特にアサギ君、貴方に、それを忘れたような言動が見えた時には、私でなくても何方かが、きっと『説諭』をすることでしょう」
そう云った。相変わらず、アサギとリオンは戸惑いの表情を見合わせる。
二人から見てギンは「先達」である。だが、ギンから見てルナール達は上司であり、やはり「先達」だ。――大師匠たるタオからの「説諭」に、ギンから受けた「講義」の内容が含まれていたとは……?
まさか「ギンの方が実はルナールよりも優秀である」という訳では無いだろう。ルナール本人が云ったように――それは確と胸に刻んでいるべきことであり、しかし忘れがちになることなのかもしれない、時間が経ち、年月を経て、どんなに経験を積んだとしても。
ということは……ギンから聞いたことのうち、「哲学」――「意識」の部分に、忘れてはならない大切なこと、忘れたら、それを忘れていない人から「説諭」を受けてしまうようなことが含まれていた、そういうことだろうか。
ルナールはまた微笑んでから、少々おどけた様子で――
「くれぐれも、お二人とも、無理をしてタオ様に合わせないでね。貴方方が眠くなったら遠慮せずそう云って、出来たらタオ師にもお休みになるように勧めてください」
「……。そんな興奮してんの? タオ」
リオンが呆れたような声で云うと、ルナールが肩を竦め、
「一通り命令書を書いてしまったら、ご自分の好奇心にだけ集中出来ますからね。興奮というか、ノッてらっしゃるんでしょう」
そう云うと、重厚な扉をノックした。
向こうから、「おう」とタオの声が聞こえる。
扉は外開きだった。ルナールが観音開きの扉の右側だけを開いて
「タオ師、リオン君とアサギ君がいらしてくださいましたよ」
と、――若人二人の本意ではない、少々恩着せがましい云い方をした。
ルナールが大きく扉を開ける。
彼女の後ろから部屋の中を覗き込むと、部屋の灯りは点いていなかった。恐らく、机の上に置いてあるランプだけが今は灯っているのだろう。アサギとリオンから見て右の壁際に設えた机に向かっているタオの横顔が、シルエットだけ見えた。
ルナールは二人を案内する役目を負っているから、「どうぞ」と二人を先に部屋へ促すことはなく、まず彼女から入って二人を振り返り、いらっしゃい、と云った。
タオが顔をそちらに向け、アサギとリオンに「ヨッ」と軽く手を上げた。
アサギとリオンは、初めて入る「師匠」の「書斎」をきょろきょろと見回しつつ、机に近づいて行く。
寝室と兼用と云っていたが……、書斎に寝台を置いてあるだけ、という風情である。もっと云えば、「書斎というより図書室」の中に机と寝台を置いている、だろう。
天井の高い部屋は、殆どの壁が本棚で埋め尽くされていた。壁だけではない、部屋の面積半分以上は、背の高いもの低いもの――必要になったときその都度増やしていったのだろう、インテリアも何もあったものじゃない様々な意匠の本棚のために使われていた。
部屋の最奥、二人から見て左側の角に――これは如何にも「領主」のような人が使いそうな天蓋付きの――大きな寝台があったが、辛うじて、その周囲だけ「本棚のない壁」を確保している、という雰囲気だった。万が一地震などが起きて本棚が倒れてはえらいことになってしまうからだろうが、それでも、寝台の直ぐ横の床、ランプを置いたチェストには、やはり本や紙挟みが積まれている。
奥にある寝台から扉側に離れた窓際には、今タオが向かっている机とは別に簡素なテーブルと椅子を設えていた。魔術士隊棟の食堂にあるものと同じだ、食事用や応接用にしているのだろうか。――そちらも、やはりどうも、その「窓」を「確保している」という雰囲気があった。
そして、タオが向かっている机の「隣り」と云える位置に、随分無造作に姿見がぽつんと置いてあり、そのまた横に奥まって、恐らく衣裳収納とおぼしき扉がある。誰が見ても衣裳より本の方が圧倒的に多い――一日一冊読んでも一生のうちに読み終えられるかどうか、そんな蔵書数と対比させて表現するなら、タオは「着た切り雀」と云っても構わないのじゃなかろうか。




