097 VS異形
『■■■■ォォォォォォォォ!!!』
この世のものとは思えぬ咆哮が、魔王城跡地に轟いた。
直後、異形の下半身から伸びる無数の尾が触手のごとくうねり、縦横無尽に薙ぎ払われる。
一本一本が丸太に等しい太さの豪撃。それが同時に、四方から降り注いだ。
「ふっ――!」
だが、エルナは慌てない。
迫る触手を最小限の動きで見切り、剣先で軌道を逸らしていく。
「おらぁっ!」
隣では戦士のトールが、真っ向から触手を弾き飛ばしていた。
速度も威力も並の魔物とは一線を画しているが、対処できない程ではない。
この程度の攻撃を仕掛けてくる魔物ならば、過去に何体も相手取ってきた。
――もっとも、この怪物が有する脅威は触手だけではなかった。
「ガァァァァァァアアアアア!」
「キィィィィイイイイイイ!」
怪物の腹から生み落とされた魔物たちが、地を駆け、空を舞い、二人の隙を突くように襲い掛かってくる。
「隙だらけだぞ!」
「邪魔はさせん」
魔法使いのジュードが放った魔法が、空を舞う魔物を次々と撃ち落とす。
地を駆ける魔物には、いつの間にか背後を取っていた斥候のレイヴンが刃を突き立てていた。
数こそ多いが、生み出される魔物の実力はCランクからBランク中位程度。
歴戦の冒険者たる彼らからすれば、討伐に手間取る相手ではない。
「エンチャント――ストレングス! マジック!」
そして最後方からは、フィーネの声が響く。
基本は強化魔法を、時には治癒魔法を状況に応じて使い分けながら、彼女は戦線の維持に徹していた。
そんな均衡を破るべく、エルナが動く。
薙ぎ払われる触手の合間をかいくぐるようにして、一息に怪物の懐へと迫った。
「はあッ!」
『■■■■ゥゥゥッ!』
裂帛の気合と共に、鋭い一振りが放たれる。
剣閃は膨れ上がった腹部を深々と裂き、怪物が苦悶の雄叫びを上げた。
脈動が乱れ、魔物の排出が一時的に停止する。
このまま押し切れるか――そう思われた矢先。
シュゥゥゥゥゥ
「……またか」
蒸気の抜けるような音を立て、瞬く間に傷口が塞がっていく。
自動再生。上位の魔物がよく有している能力だが、この怪物のそれは他と比べ物にならない速度だった。
魔物の創造と、肉体の再生。
奴がその二つに特化した存在であることは、もはや疑いようもない。
こういった魔物を相手にする場合、通常であれば持久戦を試みることが望ましい。
これらの能力には大量の魔力を必要とするのが常。
戦闘が長引けば長引くほど、涸れていくのは向こうであり、有利になるのはこちら側だからだ。
事実、開戦からここまで、五人に目立った消耗はない。
(こちらはまだ余力十分。このまま進めば、勝つのは私たちだ……ただ)
優勢。その実感は確かにある。
にもかかわらず、エルナは拭いきれない違和感を覚えていた。
このまま済むとは思えない。
目の前の怪物には、まだ隠された力があるのではないか――理屈ではない、幾多の死線で磨き上げられた直感がそう告げていた。
そして、奇しくもその予感は現実のものとなった。
キィィィィィン!
「っ、何だ!?」
「魔法陣だと!?」
トールとジュードの声が重なった。
突如として、魔王城跡地の敷地全体を覆うほどの巨大な魔法陣が展開されたのだ。
そして、その魔法陣から大量の魔力が怪物へと注がれていくのが分かった。
『■■■■ァァァァァァァァァァ!!!』
怪物が歓喜にも似た雄叫びを上げた。
纏う気配が膨れ上がり、その口に漆黒の魔力が収束していく。
これまでにない行動パターン。
奴の視線の先。魔力の照準が向けられていたのは、最後方で支援に徹するフィーネであり――それを理解した瞬間、エルナは既に動き出していた。
「ッ」
「フィーネ!」
地を蹴り、一瞬で距離を潰し、フィーネの体を抱き抱えて横へ跳ぶ。
刹那、閃光。
漆黒の魔力は眩い光線と化し、直前まで彼女の立っていた場所を薙ぎ払った。
轟音と共に、後方の大地へ底の見えない大穴が穿たれる。
直撃すれば大怪我では済まなかっただろう。
それこそ、即死すらあり得たかもしれない。
「あ、ありがとうございます、エルナさん」
「ああ」
腕の中のフィーネに短く応えつつも、エルナの視線は怪物から外れない。
それもそのはず。怪物の体躯は先ほどまでより一回り大きく膨れ上がり、纏う魔力はもはや次元が異なっていた。
さらに、変化はそれだけに留まらなかった。
「はっ、冗談だろ……」
「本体だけでなく、子にまで影響するか」
トールが呻き、ジュードが低く唸った。
裂けた腹から、新たに這い出てくる魔物たち。
先ほどまではCランクからBランク中位止まりだったそれらが、今や総じてAランク以上の力を宿していたからだ。
「対応できんとは言わんが……」
レイヴンが刃を構え直しながら、小さく呟く。
「どうする、エルナ。これまで通り消耗戦を仕掛けるか?」
トールの問いに、エルナはしばし思考を巡らせた。
魔法陣からは今この瞬間も、絶え間なく魔力が怪物に注がれ続けている。
あの陣が何なのか、どこまで奴を強化するのか――要領を得ないことだらけだ。
だが、目の前の状況と、先ほどから鳴り止まない直感が警鐘を鳴らしている。
この怪物と、長く渡り合ってはいけないと。
首を振り、エルナは答えを出す。
「いや、恐らく時間をかければ、こちらが不利になるだけだ。短期決戦で仕留めるべきだろう」
「まっ、そうなるか」
「先陣は私が務める。皆は援護を頼む」
「おう」「承知した」「ああ」「分かりました!」
四者四様の返事。
それだけで意思の疎通には十分だった。
「ふぅ」
一つ、息を吐く。
(ここで決める)
本能が告げていた。
一分一秒でも早く、この怪物を仕留めなければならないと。
エルナは回避も防御も思考から切り捨て、全神経を攻撃だけに割り振る。
そして――疾駆。
『■■■■ォォォォ!』
迫る影に対し、怪物は触手の全てを迎撃に回した。
だが、遅い。
奴が触手を一本振るう間に、エルナの剣は五度閃く。
圧倒的な剣閃の質量。降り注ぐ触手の悉くが、怪物へと至る道の上で無力化されていった。
『■■■■ッッッッッ!?!?!?』
怪物の咆哮に、初めて怯えの色が滲む。
目前に迫る脅威に対し、奴は触手による迎撃を諦め、口元へと魔力を集め始めた。
先ほどフィーネを狙った、あの光線だ。
この至近距離では躱すことは難しいだろう。
だが、その心配はいらなかった。
「エクスプロード・サンダー!」
ジュードの声が響く。
上空から降り注いだ極大の雷光が怪物を撃ち抜き、その巨躯を硬直させた。
「エンチャント――ストレングス! スピード!」
続けて、フィーネの強化魔法がエルナの全身を包み込む。
膨れ上がる膂力と速度。仲間たちが繋いでくれた好機を逃す彼女ではない。
「はあああああッ!」
無数の斬撃が怪物に浴びせられる。
一太刀ごとに肉が裂け、体液が舞い、再生の追いつかない速度で敵の全身が切り刻まれていく。
トドメまで、あと一歩。
エルナは最後の一撃を叩き込むべく、怪物の眼前で足を止めた。
『■■■■ァァァァァ!』
しかし、ただやられるだけの怪物ではない。
斬撃の嵐に晒されながらも密かに蓄えていた魔力が一斉に膨れ上がり、大気を震わせた。
その総量は、先の光線すら上回っている。
だが、
「無駄だ」
静かに告げ、エルナは両手で握った剣を振り上げる。
これはただ一振りに、全身全霊を懸けて放たれる渾身の一撃。
剣士系統最上級技能――
「――――【天閃】」
放たれたのは、天を裂くが如き一条の斬撃。
それは解き放たれた漆黒の光線ごと、怪物の巨躯を真っ二つに両断してみせた。
『■■■■ォォ――……』
断末魔すら半ばで途切れ、左右に分かたれた巨体がゆっくりと崩れ落ちていく。
遅れて、仲間たちの間から歓喜の声が沸いた。
残っていた魔物たちも、既にトールとレイヴンが片付けてくれたらしい。
周囲に動く敵影は一つもない。
「なんとか、倒せたか……」
詰めていた息を、ようやく吐き出す。
これで魔物の異常発生を引き起こしていた元凶を排除することができ、万事解決――
――――かと思った、次の瞬間だった。
「――――――ッ」
ゾクリ、と。
これまでで一番の悪寒が、エルナの背筋を駆け上がる。
「ッ!」
仲間たちから怪物へと視線を戻す。
すると、気が付いた時にはもう、それはそこにいた。
両断された怪物の前に、いつの間にか佇む一つの人影。
灰色の長髪に、頭から伸びる漆黒の角が特徴的な男だった。
魔族であることは間違いない。そしてこれまでにもエルナは、幾人もの魔族と戦い勝利してきた経験がある。
しかし、その男は過去のどの魔族とも違った。
何をするでもなく、ただそこに立っている――それだけで、常人ではないと分かる佇まいだった。
「ここまでか」
男が、独り言のように呟く。
瞬間、全員が息を呑んだ。
先ほどの怪物すら遥かに超える、圧倒的な圧。
それが波のように押し寄せ、エルナたちの体を意思とは無関係に震わせる。
「なんだ、お前は……!」
剣を構え直し、エルナはそう問いかけた。
対する男は、煩わしげに視線だけを寄越す。
「貴様たちに名乗る必要は感じないが……そうだな、影王とだけ覚えておけばよい」
影王。
聞いたこともない名だ。
だが、男の纏う気配が、何よりも雄弁に格の違いを物語っていた。
男は興味を失ったように視線を外すと、両断された怪物の亡骸へと歩み寄り、その表面に手を当てる。
そして、
「では――始めるとしようか」
ここまでの死闘が、全て前座に過ぎなかったのだと。
そう突き付けるような言葉を、静かに告げるのだった。
先週の10月6日(火)、コミカライズ版の第8巻が発売されました。
アヴァルス戦完全収録!
よろしければそちらもお読みいただけると幸いです!
次回、『影王』。
10月17日(土)、投稿予定です。




