101 可能性
――十数分前。魔王城跡地。
フィーネを逃がした直後から、エルナと影王の戦闘は苛烈を極めていた。
剣と拳が交わるたびに轟音が鳴り響き、激しい振動が魔王城跡地を揺らす。
内容は、ほとんど一方的と言ってよかった。
エルナの放つ斬撃の悉くを、アトロスは尋常ならざる技量をもって凌いでいく。
驚異的な反応速度で紙一重の回避に徹しているかと思えば、時に刃の腹に拳を添え斬撃の軌道ごと力を受け流し、さらには漆黒の魔力を瞬時に鎧として編み上げ刃を正面から受け止めてみせる。
対するアトロスの反撃は、着実にエルナへダメージを与えていた。
刃と入れ違いに放たれた拳が胴を打つだけに留まらず、薙がれた魔力の残滓が躱しきれぬ衝撃となって肌を裂き、確実に血と体力を削っていく。
致命傷こそ辛うじて避けているものの、もしこの場に観客がいたのなら、誰もが口を揃えて影王の圧倒的優勢と断じただろう――
――――しかし。
その評に違和感を覚えている者がいるとすれば、それは他でもないアトロス自身だった。
(…………)
エルナの体には、確かにダメージが蓄積している。
通常なら、とうに動きにブレが生じ、致命的な隙を生み出すとともにこちらの勝利が確定しているはずだった。
だが、現実はそうなっていない。
それどころか――時間が経てば経つほど、彼女の動きは研ぎ澄まされていくようにすら思えた。
無駄が削げ落ちていき、剣筋から迷いが消えていく。
先に見た戦いの印象とは、まるで別物だった。
(――これが、この女の本質か)
皮肉なものだ、とアトロスは思う。
仲間たちが倒れ、たった一人になったことで、初めて見えてくる本質がある。
事実として、女の強さは先刻よりも明らかに増していた。
力、速度、反応、どれをとっても比べ物にならない。
こちらの回避を上回る速度で刃が迫るだけに留まらず、その特性上、斬撃に対して耐性を有している魔力の鎧すら時に突破してくる。
一手、また一手。
少しずつ、しかし確実に、その攻撃の勢いにアトロスの守りが追い付かなくなりつつあった。
「…………」
繰り広げられる攻防の中。
アトロスの中に、一つの考えが生まれようとしていた――
――――その一方。
エルナは半ば本能のままに猛攻を続けていた。
「ガァァァァアアアアアアアッッッ!」
既に満身創痍であるのにも構わず、驚異的な勘の良さで影王の動きに応じ、獣のような嗅覚で僅かな隙を見つけ出し反撃を浴びせていく。
そして、その裏側。心の内には不思議と冷静な思考が駆け巡っていた。
――――ああ、そうだ。ずっと忘れていた、この感覚を。
自分の居場所はいつだって死地にあった。
確かにこの敵は、自分を遥かに上回る強者だ。
だが、それがどうした。
こんな絶望は、これまで幾度となく超えてきた!
「うぉぉぉおおおおおおおおおおおおおお!」
裂帛の気合いと共に、剣閃がさらに加速する。
受け流されても、なお踏み込む。弾かれても、なお喰らいつく。
一合ごとに研がれていく刃が影王の体勢を崩し始め、その体に少なくない切り傷を刻んでいく。
「――――ッ」
攻守が入れ替わりつつある事実に対し、僅かに表情を歪ませる影王。
このままだと押し切れる。
エルナの中に一瞬、そんな思考が過った直後だった。
「……不遜だな」
「――ッ!?」
刹那、影王の全身からこれまでの比ではない魔力の圧が膨れ上がり、エルナの体が強引に押し返される。
なんとか地面に足を縫い付けるようにして堪えるエルナの前で、彼は続ける。
「どれだけ足掻こうと無駄だ。貴様の敗北は初めから決定づけられている」
見れば、アトロスはその場に立ち止まり、手元へ魔力を集めていた。
一本一本は糸のように細い漆黒の魔力。
だが、明らかに常軌を逸したエネルギーが込められているのが分かった。
「其は、羈絆の理を模る帳」
詠唱とともに、無数の糸が幾重にも絡まり合い、編み上げられ、渦巻くようにして巨大な塊を成していく。
それを伸ばした右手の先に浮かばせた影王は、淀むことなく言葉を紡いだ。
「王の権威を以て万物を呑み込み、蹂躙せよ――――【玄濤】」
そうして解き放たれたのは、迸る漆黒の魔力の奔流。
巨大な波濤となって押し寄せるそれを前にし、エルナは直感的に理解した。
――――ああ、これはダメだ。
この魔力に触れた瞬間、自分の身は瞬く間に喰らい尽くされるだろう。
受け切ることはおろか、恐らくは回避を試みることさえも許されない。
発動した瞬間に、その結末が確定しているかのような、そんな概念的な何かを有した一撃だった。
(ならば――こちらが取れる手段は一つしかない)
覚悟とともに、エルナは剣を構える。
防御も回避も叶わないのなら、こちらも最大の一振りで返すしかない。
「――――【天閃】」
天を裂く一条の斬撃が、迫る黒波と正面からぶつかり合った。
激震。
斬光と漆黒の魔力が拮抗し、軋む大気が悲鳴を上げる。
だが、その均衡は長くは続かない。
徐々に、確実に、漆黒の波が刃を呑み込もうと迫ってくる。
「まだ、だ……!」
諦めてやるつもりはない。
エルナは全身の力を、魔力を、その一振りへ余さず注ぎ込む。
まるで、これまでに培ってきた経験と記憶全てを費やすように。
――その刹那。
エルナに訪れたのは未知の感覚だった。
限界を超えた、その先。あと一歩で、自分が求め続けた領域に踏み込める――そんな感覚が確かにあった。
「ぉぉぉぉぉおおおおおおおおおお!!!」
確信と共に、エルナは剣を振り切る。
そしてとうとう、渾身の刃は漆黒の波濤を断ち割ってみせた。
「「――――――」」
静止したかと錯覚するほどの緩やかな時間の流れの中、交差する両者の視線。
その中でもエルナの意志が途絶えることはなく、振り上げた刃が影王に迫り――
――――あと一歩、届かなかった。
振り抜かれるはずだった切っ先は、影王の首元で止まっていた。
裂いたのは、ほんの皮一枚。
ギリギリのところで、押し切ることは叶わなかった。
(届かなかった、か……)
全てを出し尽くした体から、力が抜けていく。
立ち続けることは叶わず、エルナはその場にばたりと崩れ落ちた。
「…………」
影王は何も言わない。
何を考えているか分からない無表情のまま、自身の首元に刻まれた浅い切り傷を指先でなぞっていた。
(私の敗北、か……)
両手両足で辛うじて体を支えつつ、エルナは霞む視界で男を見上げる。
と、その時。
エルナを見つめていた影王が、何かに気付いたように別の方向を向いた。
「……追わせていた魔物の気配が消えた? あの女に倒せるだけの余力が残っていたとは思えんが、あり得るとすれば……」
疲弊しきったエルナの聴覚ではとらえきれない程の声量で何かを呟いた後、男は小さく息を吐く。
「――仕方あるまい。万が一にも今、邪魔をされるのは御免だ」
影王はエルナを一瞥すると、先ほども見た歪む空間から透き通るような球体の魔道具を取り出し、中に漆黒の魔力を灯した。
直後――魔王城跡地の外に、おびただしい数の魔物の気配が生まれる。
その数は百にも及ぶだろうか。
しかしエルナには、その意図が分からなかった。
「なぜ、今……? それに、私やフィーネを殺したいのであれば……これほどの数を用いる必要は……」
「万全を期すためだ。これから行う実験のな」
「……何?」
影王は見下ろすようにエルナへと向き直ると、首筋の傷を撫でながら言葉を紡ぐ。
「貴様は俺の想像を超えた。数多の傷を負ってなお動きは衰えることなく、それどころか躍動する強靭な精神力。非礼を詫びよう。先刻まではただ殺すつもりだったが――貴様には資格がある」
続けて、影王が歪んだ空間の中から取り出したのは、あの漆黒の塊――先ほど異形の亡骸から回収された禍々しい何かだった。
「試すだけの価値はある。貴様に、この魂片を施そう」




