第九話
RRRR―――― RRRR――――
(き、来たっ!)
俺が殺人容疑で警察に逮捕され、その後いろいろあって逃走することになってから二日目の、朝七時ごろ。俺の携帯が鳴った。けっきょく俺は、春乃のおむすびを味わったこの路地裏で一夜を明かしたのだ。
本当は、すぐにでも春乃に電話してその声が聴きたかったのだが、自分から発信するのは憚られるような気がして自重していたのである。いちおう、位置情報を知られるGPSは切ってあるので、警察には居場所を感知されていないのだろうが。
液晶画面に表示されていた番号は、「非通知」となっていた。一瞬躊躇したが、俺は出てみることにした。なに、ヤバそうだったら速攻で切ればいい。
《……おにーちゃん?》
「はっ、春乃か――?」
《うんっ! おにーちゃん、いまどこにいるの? ひとり? 元気?》
俺の耳に、世界で一番心地よく響く声。紛れもなく、恋ヶ窪春乃のものだった。俺は感極まりすぎて、昨夜のようにまた泣きそうになっていた。
「大丈夫、俺だけだ、春乃。ケガもないし元気だよ」
《あー、駿河氏? 寫眞部の天玉だ。元気そうでなによりであるな》
春乃との感動の再会に割り込んできたのは、寫眞部部長の天玉喜一朗だった。
《よかったぜー! 生きてたかよ真蔵之介!》
《無事のようですね駿河くん。安心しました》
《駿河先輩、私たち寫眞部も心配してますよ》
続いて、寫眞部員である同級生の右野陽平と祖父江修身、後輩の烏山千晶の面々の声が聞こえてきた。どうやら、朝っぱらから部室に集まってくれた部員たちは、電話機のスピーカーを介して話しているらしい。そして彼らは、今回の殺人事件の詳細もすっかり把握しているようだ。
「なあ、みんな。いちおう、俺が殺人犯じゃないってことは――」
《んなモン当ったり前だろ!》
《もちろんわかっていますよ》
《駿河先輩のわけないです!》
《当然、我輩も信じているよ》
《寫眞部のみんなも私も全員、絶対におにーちゃんの味方だよ!》
携帯から口々に聞こえてくる声に、俺は自分の体から力が沸き上がってくるような感覚を覚えた。これが、武者震いというやつか。
《いいですか? 駿河くん。この連絡は警察に感知されないよう、僕の伝手で手に入れた特別な携帯から行っています。そちらには「非通知」表示されますが、気にせず出てもらって結構です。いちおう念には念を入れて、今後も発信はこちらからのみということにさせてもらいますね》
「ああ、ありがとう、祖父江」
《それから、連絡にはメールやSNSも使用しないでください。第三者に知られる可能性があるし、後に証拠が残りますので》
「わかった。ところで、あれから警察のほうはどうなってる?」
俺の同級生、祖父江修身は誰あろう、現役の警察庁長官の実子にあたる。将来は警察官になることを目指しているはずだが、これからも彼はずっと俺の味方でいてくれるのだろうか。
《きみの身柄を警視庁本部へと移送中に、事故を装った妨害行動によって警察車両は大破しました。幸い、同乗していた警察官たちの命に別状はありません》
そうか、よかった。俺は、安田刑事たちが無事だったことに安堵した。それと同時に、祖父江がその立場を最大限に利用して、警察関係の情報収集にあたってくれていることに心から感謝した。
《昨夜、混乱に乗じて駿河くんをバイクで連れ去ったのは、今回の事件の被害者である、五郎月剛造の娘・五郎月猪子という少女です》
「ああ、知ってる。父親が殺されたことを根に持って、俺に復讐しようと、警察の護送車から攫ったんだ」
《猪子ってのはなんかよぉ、女だてらにすっげー凶暴な走り屋の頭目なんだろ? よく逃げられたな、真蔵之介》
「ああ、なんとか命からがらな」
俺は、昨夜の倉庫からの脱出劇を思い出しながら言った。あの猪子から間一髪で逃げられたのは、たまたま運がよかっただけかもしれない。
それにしても、五郎月猪子はかなりの強敵だった。俺と同世代の少女でありながら、大排気量のアメリカンバイクを楽々と駆り、手にしたチェーンソーですべてを粉砕切断する。そして、なによりも直情的で怒りっぽいあの性格。彼女にキャッチフレーズをつけるなら、【猪突爆進回転鋸】で決まりだ。
《そんな人に狙われてたら、危ないよ! おにーちゃん、早く帰ってきて……》
涙ぐむ春乃の声に、今すぐにでも彼女の元に飛んでいきたい気分だったが、あいにくそうもいかないのだ。
「春乃、俺にはやることがある。それが終わらなきゃ、帰れないよ」
《やることって?》
《それはもちろん、今回の事件の真犯人を見つけ出すことですよ、春乃さん》
《あ、そりゃそっか! 五郎月を殺したのが真蔵之介じゃねぇってことは、ほかに犯人がいるってこったからな》
膝を叩いて甲高い声を上げる、右野の姿が目に浮かぶようだった。ようするに、俺の無実を証明するためには、俺以外の「真犯人」を捕まえるしかないのだ。
《で? それはいったい誰なのかね? 祖父江氏》
《それは、まだわかりません。確かなことは、今回の事件の犯人はわざわざ五郎月剛造の胴体を切断して殺害しています。その理由はおそらく――》
「この俺に、罪を被せるため、だろ?」
そうなのだ。たとえばもし、五郎月がただ刃物で刺されて死んだだけだったら、警察も俺が犯人だとは断定しなかっただろう。やはり、あんな巨大男の土手っ腹を切断できる人間となると、その容疑者像はかなり狭まってくる。
《うーん。ひょっとするとその犯人は、駿河先輩に強い恨みを持っている人なのかもしれませんね》
「恨み?」
《でもよー、あんなにデッカいおっさんの腹をブッタ斬るなんて、真蔵之介や親父さん以外にはムリだろーがよ?》
烏山の発した「恨み」という言葉と、今の右野の台詞のふたつから、俺はとある同い年の男について思い出していた。
「……いや、もう一人だけいる。この世に、スルガ式抜刀術究極奥義『極一文字』を使えるかもしれないヤツが」
《なんだってぇ? マジかよ真蔵之介!》
《駿河くん、それはいったい誰ですか?》
「霧崎蓮十郎。――――この俺の、幼なじみだ」
続く




