第十話
《おにーちゃん! それって、もしかして『れんちゃん』のこと?》
《れんちゃん? 聞いたことねぇ名前だなぁ。俺は真蔵之介とは中学からだし》
《あのね、右野さん。れんちゃんって、小学生くらいまでおにーちゃんの家で一緒に暮らしてた人なの。私も、三人でよくいっしょに遊んだことあるし》
《その人は、駿河くんと一緒に剣の修行を?》
「いや、そういうわけじゃないんだけどさ。ひょっとするとアイツなら、極一文字に関して何か知ってるかもしれないんだよ。だから祖父江、悪いんだけどその霧崎蓮十郎って男について、調査してみてくれないか? くわしいことは春乃にも聞いてもらってさ」
祖父江は、ネット検索のエキスパートだ。彼の知識と経験、そして警察関係者への知られざるコネクションにより、どんなものでも調べ上げてしまうだろう。
《わかりました、できるだけやってみます。――――それでは駿河くん、これからきみに、今回の逃走のタイムリミットを伝えておきますね》
「タイムリミット?」
いつになく真剣な祖父江の言葉に、俺は思わず居住まいを正しつつ、携帯を耳に当て直した。
《よく聞いてください。今警察は、行方をくらませて逃走中の駿河くんを、五郎月剛造殺害の最有力容疑者として認識しています》
「ああ、そのようだな」
《ですから、たとえ駿河くんがこのまま警察におとなしく出頭したとしても、殺人事件の犯人として扱われるだけです。その霧崎蓮十郎という人についても、現時点でなにも証拠がない以上、警察に報告したところでまともに取り合ってくれる余地はありません》
《んだよ! じゃあ、真蔵之介はどうすりゃいいんだよ?》
《警察は今回の殺人事件を、重要かつ特殊な事例として扱っています。容疑者の駿河くんが未成年であること、そしてスルガ式抜刀術の正統継承者という剣の達人であることを十分に考慮して、今のところ対外的な発表を一切行っていません》
《そういえば駿河先輩のことって、まだ何もニュースにはなっていませんよね》
《しかし、今日から一週間経っても容疑者に関する新展がなかった場合――。警察は駿河くんを正式な容疑者として全国に指名手配して、公開捜査に踏み切ります》
「一週間?」
俺に残された時間は、たったそれだけというのか。真犯人の行方について、まだ何ひとつ掴んでいないというのに。
《でもでも、指名手配されたって、おにーちゃんが犯人って決まったわけじゃないんでしょ?》
《確かにそうです。しかし、駿河くんの名前や顔、素性がマスコミを通じて殺人犯同然に日本中に公開されることになります。この先、たとえ警察の追っ手を逃れて身を隠しつづけたとしても、その汚名は一生消えません》
《そんなことって……おにーちゃん……》
春乃は、消え入りそうな声でつぶやいた。俺は、たとえこの身がどうなろうとも、彼女にだけは辛い日々を送らせたくはない。
「つまり、こういうことだな祖父江。俺が助かるためには、一週間以内に真犯人を見つけ出さなきゃならないってことだ。しかも――」
《その間、警察に捕まったらその時点で試合終了です。監視はさらに厳重になり、今度こそもう逃げ出すことは不可能でしょう》
《それだけじゃねぇ、五郎月一家もいるんだぜ? あっちはマジで真蔵之介の命を狙ってるんだからよぉ》
《それもありますね。五郎月剛造には、猪子のほかにもまだ娘がいるとの情報もあります》
《なんだと? そいつらも、猪子みてーにあぶねぇヤツなのか?》
《よくわかりません。こちらも、詳細が判明しだいお伝えします》
右野と祖父江のやり取りのあと、しばしの沈黙を破って、これまでずっと静かだった天玉部長が口を開いた。
《――――ところで、駿河氏。これからキミはどうするんだね?》
「俺の方も、蓮十郎のことを調べてみます。ちょっと心当たりもあるし」
《そうか。まあ学校のことは我輩たちに任せておきたまえ。担任教師には、駿河氏は都合により一週間休ませてもらうと伝えておくよ。なあに、心配はいらないさ。なにしろ陣風高校には、三回も留年した生徒を在籍させてくれる心の広いところがあるからね》
天玉部長は、そう言って笑った。彼の言葉を聞いていると、この状況をどこか楽しんでいるようにさえ感じるのは俺だけだろうか? この男は、根っからのイベント大好き気質なのだ。
「ねえ、おにーちゃん。これからどこ行くの……?」
「ごめんな春乃、心配かけてすまない。――――また連絡するから」
そう言って俺は、静かにスマホの通話を切った。つぎに春乃の声が聴けるのは、いったいいつになるのだろうか。
《まもなく、おおさかー。大阪駅バスターミナルに到着いたします》
俺は夜行バスに乗って、東京から大阪の梅田へとやってきた。今の時刻は、まだ朝の六時だ。
なぜ、この地を目指してきたのか。それは俺の幼なじみである霧崎蓮十郎の、母親の生まれ故郷がこの大阪だからである。霧崎親子は、かつて俺の家で同居していた。
何か確証があるわけではない。まったくの空振りに終わるかもしれない。だが、今の俺にはほかに取っ掛かりになるようなものが何ひとつなかったのだ。
「それにしても……」
大阪駅のバスターミナルに降り立ち、待合室のイスに腰掛けた俺は、財布の中身を確認してため息をついた。残金は、二千円とちょっと。ここに来る前に古着屋でTシャツとズボン、そしてわずかでも外見に変化をつけるためにと、百均ショップで伊達メガネとメッシュキャップを購入していた。
まあ、見た目の普通さには絶対的な自信を持つこの俺だ。怪しい動きをせず、目立たないところにいれば、そうそう警察に目をつけられることはないだろう。
そして夜行バスは、最安値に大阪まで来られる手段だが、新宿からの発車時間は夜の十時すぎ。そのために、一週間のうちの貴重な昼間の時間を一日分ムダにしてしまった。
こんなことで、はたして蓮十郎の手掛かりは得られるのか。いや、そもそもヤツがこの件に完全に無関係ということも十分あり得る。
「大丈夫かな、俺」
そしてこの大阪で、もうひとつ気がかりなこと。それは、あの五郎月剛造とその娘、猪子の本拠地であるということだ。猪子は、大阪にある剛造の墓前に俺の首を捧げると言っていた。そんなところにわざわざ自分からやって来るなんて、正直どうかしてるとさえ思う。
「ま、なんとかなるか」
あまり細かいことは考えず、成り行きに任せるのが俺の持ち味だ。俺自身の運命が決まるまであと六日、気楽にいこうか。
続く




