第二十三話 百鬼
《――――アテンションプリーズ。定刻通り、当機は午後七時十五分に新千歳空港に到着いたします。どなた様もお忘れ物などございませんよう――――》
そのアナウンスの声で、俺は目を覚ました。昨日からの疲れのせいか、シートに体を預けたまま、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
ムニュ
それにしても、この感触はなんだ? 自分の顔が、なにか柔らかく生暖かいものにサンドイッチされている。薄目を開けようとすると――――
「……にゃ、ダーリン……」ムニュムニュ
どうやら俺は、隣の席の五郎月猪子から抱きつかれていたらしい。体をひねった状態の彼女は、俺の首筋に両手を回して、覆いかぶさるようにしてなにやら寝言をつぶやいている。飛行機の座席だというのに、ずいぶん器用な寝方である(CAは猪子のこの搭乗姿勢に、なにも注意しなかったのか?)。
「おい、猪子」
Zzz…… Zzz……
揺すっても叩いても反応がないため、俺はあきらめて飛行機が到着するまで放っておくことにした。あくまで貧乳派の俺だが、ここまでストレートに好意を寄せられると、グラマーなボディーも悪くないと思えてしまう。
ポーン
しばらくして、飛行機が滑走路に着陸したことを知らせるチャイムの音が鳴ったと同時に、猪子はパチッと目を開けて飛び起きた。
「さ、ホッカイドーに着いたで! 行こっかダーリン!」
「お、おう……」
手荷物をまとめ、だれよりも早くボーディング・ブリッジへと駆けだした猪子の後を、俺はあわてて追った。
五月下旬の今は行楽シーズンではないが、さすがに国内屈指の観光地・北海道。午後七時半の新千歳空港のロビーは、大きな荷物を抱えた大勢の発着客でにぎわっていた。
「やっと着いたな、ダーリン! ウチ、ホッカイドーって来たことなかってん♪」
考えてみれば、俺も北海道の地に降り立つのは初めてだ。気がつけばここ数日の間に、東京から夜行バスで大阪、そして飛行機で北海道と、駆け足の逃走ツアーを続けている。これが春乃と二人っきりの新婚旅行だったら、どれほど楽しいものになっただろうか。
「ほんで、これからサッポロに向かうんやろ? どうやって行くん?」
「ああ。JRの快速エアポートっていう、札幌駅まで直通の電車があるみたいだから、それに乗って――」
携帯を取り出して、検索画面を見ようとしたちょうどそのとき、着信が入った。表示は非通知。おそらく、寫眞部の祖父江からだろう。
「悪い、俺ちょっとトイレ行ってくる。ここで待っててよ」
「あー、それやったらウチも。さっきから行きたかってん」
いや正直なところ、寫眞部のヤツらと話しているのを、あんまり猪子には見られたくない。どんな話が飛び出すのかもわからないし。
「だったら、先に行っていいよ。俺、ここで荷物見てるからさ」
「ホンマ? 悪いなダーリン。やっぱ優しくてサイコーやわ♡」
猪子は俺の頬にチュッとキスすると、公衆トイレの方へ駆けていった。よく考えると、彼女と通天閣の下で決闘をくり広げてから、まだ一日も経っていないのだ。猪子の背中を見送りながら、俺は運命の不思議さを噛みしめていた。
「もしもし? 祖父江?」
《ブブー♪ 大阪帰りの右野陽平ちゃんでしたー。真蔵之介、元気か?》
「ミギー! 東京、無事着いたのか」
《おう、黙って一泊したから、親から大目玉喰らっちまったぜ。今は寫眞部のみんなで、マックに集合して作戦会議中だ。みんなといっても、野郎だけだけどな》
男連中だけってことは、春乃も後輩の烏山千晶もいないのか。せっかく、春乃分(幼なじみの春乃からしか得ることのできない特別な栄養素のこと)を補給できるかと思ったのに。
《で、真蔵之介。いまどこにいるんだよ?》
「ああ、ちょうどいま北海道の新千歳空港に着いて――」
《北海道ぉ? 駿河氏、キミの行動に文句をつけるわけではないが、ちょっと自由すぎやしないかね? その逃走資金は、いったいどこのだれが工面してると――》
《天玉部長、もうそのへんで。駿河くん、祖父江です。旅は順調のようですね》
寫眞部部長の天玉喜一朗に続いて、警察庁長官の御曹司・祖父江修身が電話に出た。俺の逃避行は、彼らの協力なしでは成立しない。
「うん、おかげさまで。なあ祖父江、霧崎蓮十郎が所属してる百鬼会のことについて、なにかわかったか?」
《駿河くん。百鬼会に関する項目は、警察内においても重大機密です。ちょっとやそっとじゃ触れることすらできない、ガチガチのトップシークレットですよ》
「そうか。だよな……」
《普通なら、ね。まあ、ぼくくらいの警察官僚との人脈と情報解析の腕があれば、話は別ですが》
かなり怖いことを、サラッと言っている祖父江であった。メガネを指先でクイッと上げる、いつものポーズが目に見えるようだ。まさに、【糸目微笑電脳悪魔】の面目躍如である。
《百鬼会は昭和初期から存在する、殺人を請け負う闇の組織です。現在は、元締となる本部が北海道の札幌と沖縄県の那覇に存在していることが確認されています》
「そのうちの、札幌の本部のことが知りたいんだけど」
《最新データによる、札幌本部の住所をお伝えします。なにか、書き留めるものはありますか?》
「覚えるから大丈夫。頼むよ」
札幌本部の住所まで教えてくれるとは、本当に助かった。俺自身、百鬼会についてはおぼろげにしか記憶になかったからだ。
《――――ということです。それから、百鬼会の内情についてもすこし》
「おお、すまない」
《百鬼会にはその名の通り、総勢百名の殺しのエキスパートが所属しているとのことです。札幌に五十名、那覇に五十名》
「なるほど。蓮十郎も、その札幌の五十人の中の一人ってわけだな」
《ところで祖父江氏。霧崎蓮十郎とやらは、百鬼会の最年少メンバーということだが、その百鬼会にはいったいどうやったら入会できるのかね?》
《上限が百名と決まっているので、おそらく入会時に欠員があれば》
「じゃ、もしそのとき欠員がなかったら――?」
俺は、意を決して祖父江に質問した。
《――たぶん、入会希望者が無理矢理にでも欠員を作るしかない、でしょうね》
《ってことはなにか? まさか蓮十郎は、百鬼会に入るためだけに組織の殺し屋を一人ブッ殺したってことか?》
《かどうかはわかりませんけどね。それくらい、実力本位の組織ってことです》
ようは、百鬼会のメンバーを一人倒すことが、新人にとって殺しの実力を証明することになるというわけか。俺も寫眞部の部員たちも、百鬼会という組織のあまりの冷酷非情さに、心が凍りついたような気分になった。
「あ、ところで、ホントに申し訳ないんだけどさ。できたら、追加の資金を……」
《なんだよ、ついこの前俺が持ってってやったのに、もうなくなっちまったのか》
その金を、最終的に半分持って帰った男がお前である。
《駿河氏! 我輩が融資した分の返済計画は、キチンと整っているのだろうね? あとでちゃんと確認させてもら》
《じゃあ、駿河くん。また連絡します。札幌に着いたら――――》
まだ話の途中だったが、俺は通話を切った。ちょうど猪子が帰ってきたからだ。彼女は手を合わせながら、明るく笑った。
「おっ待ったせー! なんや大っきいのが出てもうてん。ごめんな、ダーリン♡」
続く




