第十八話 包囲
さて。時間は少しさかのぼって、俺と五郎月猪子の対決直後。大阪通天閣の下、遠巻きにその様子を見ていた赤いフォルクスワーゲン・ビートルがあった。時刻はまだ、深夜二時を数分回ったばかりである。
「す……すごいものを見てしまいました、羽生田警部。あれが、スルガ式抜刀術の究極奥義・極一文字なんですね!」
息を呑んで俺たちの決闘を見守っていた川本翔子警部補は、隣のシートの羽生田三郎警部に、興奮気味に話しかけた。
「これでハッキリしましたね、川本君」
「はいっ! 駿河真蔵之介が、五郎月剛造殺害事件の真犯人――」
「――ではないということが」
「えっ? ど、どういうことですか?」
「たしかに彼には、手にした刀でなんでも切断してしまうという、驚くべき剣技がある。大型バイクやチェーンソーが斬れるんだ。いくら横綱級の大巨漢とはいえ、人間の胴体なんて簡単でしょう」
「そのとおりでっす!」
「だったら逆にですよ、なぜわざわざその奥義を使って殺したのかと。あれだけの腕を持つ男だ。相手の腹を真っ二つになんてしなくても、刀で一突きすれば十分に殺せるじゃないですか」
「それは……うーん。言われてみれば、たしかにそうですね」
「そして、殺害に使ったという『獄門刀』を、被害者の血塗れのまま現場に残していったこともいただけません。『極一文字』と『獄門刀』。これらのせいで、彼は自分が犯人だと自分から言ってるようなものです。どう考えても、合理的じゃないんですよ」
「それはですね……あ、もしかして事件当時の彼は、極度の緊張による錯乱状態に陥っていたのでは?」
「ふふ……。んまあ、そう言ってしまえば、なんでも説明できちゃうんですがね」
そう言って笑った羽生田警部。彼は、手元の資料を指さしながら続けた。
「真蔵之介は陣風署での取り調べのとき、担当した刑事から極一文字を使うことができるのか、と聞かれて、明確に『できます』と答えたそうです。そもそも、そんなことを正直に言う必要ないじゃないですか。いや、使えませんと言った方が不利にならずにすむのに」
どうやら羽生田警部は、俺の取り調べを記した調書を読んだそのときから、俺が真犯人であることを疑っていたようである。
「じゃあ、警部! 今回の事件は、何者かが駿河真蔵之介に罪を擦りつけるために起こしたものっていうんですか?」
「でしょうね。おそらく、九割九分は」
「それは、いったいだれなんですか?」
「さあて。少なくとも彼は、なにかを掴んでいそうですよ。後を追いかけていけばわかるかもしれませんね」
シートベルトを装着しながら、羽生田警部は車を発進させる準備をはじめた。
「ところで川本君。大阪府警の方には、昼間のうちに連絡してくれましたよね? 真蔵之介逮捕のための緊急配備はもう必要ないと」
その言葉を聞いた川本は、手の平で口元を押さえたまま、しばらく考えを巡らせていた。
「――――」
「川本君?」
「も、申し訳ありません! すっかり忘れておりました!」
「……………………マジ?」
川本の言葉に、思わず頭を抱えた羽生田警部だった。
「ええか、おまえら!」
「ウイッス!」
「東京の五郎月剛造殺害事件の重要参考人とされる男子高校生が、この大阪市まで逃げてきとるっちゅう情報が入った。えーっと、氏名は……駿河真蔵之介景光! えらい長い名前やな。年齢は十七歳。中肉中背の、まあようある顔の男や」
警視庁から緊急連絡を受けた大阪府警では、大勢の警察官たちがこの俺を逮捕すべく、本部長からの訓令を受けていた(らしい。あとで、警察関係者に聞いた)。川本が連絡を失念していたせいで、この有り様だ。
「ウイッス!」
「緊急配備や! 電車にバスに飛行機に船、高速から一般道に至るまで、すべてのルートの検問を行い、厳重警備にあたるんや。ええか! ごっつい凶悪事件の被疑者や。府警の威信にかけて、絶対にこのガキを大阪から逃がすんやないで!」
「ウイイイッス!」
警察の包囲網が固められたことにより、俺がこの大阪から逃げ果せるのはかなり厳しい状況となったわけである。
右野と別れた俺は、北海道・札幌へ向かうため関西空港へ来ていた。新千歳空港まで飛んだあと、バスなどに乗り継げば行けるはずだ。俺は自販機で缶コーヒーを買ってから、国内線ロビーの一角にあるベンチに腰掛けた。
札幌には、霧崎蓮十郎が所属しているという殺し屋組織「百鬼会」の元締となる部署が存在する。無論、俺にそんな物騒な連中とのつながりはないが、親父がらみの交友関係でいくつか心当たりもなくはない。北海道行きの航空券は、あそこのカウンターで購入できるだろう。
「っと、そのまえに……」
俺は携帯を取り出して、恋ヶ窪春乃が自作小説を公開しているサイトを開いた。そこには、彼女がアップロードした最新話が掲載されていた。この過酷かつ孤独な逃走の日々で、春乃の小説だけが俺の心を癒してくれる一服の清涼剤となっていたのである。
前回のように、作品の感想を春乃への熱烈な愛情も込めて記したあとに
『れんちゃんサッポロ百鬼会』
という一言を添えた。我ながらストレートすぎるヒントかなとも思ったが、事態は急を要する。警察関係者である同級生の祖父江修身に、なんとしてでも蓮十郎とつながりのある百鬼会を調べてほしいと考えていたのだ。
スマホの文章を打ち終え、顔を上げた俺の前に一人の少女が立っていた。
「マクラノスケ……?」
それは、ほんの数時間前に命を懸けて斬り合いをした相手、五郎月猪子だった。
続く




