第十一話 旧友
霧崎蓮十郎との出会いは、俺たちが六歳のころにさかのぼる。母親の志保さんに手を引かれ、彼は駿河家の屋敷へとやって来たのだ。
若く美しいシングルマザーであった霧崎志保さんは、親父の古い友人からの紹介で、住み込み家政婦として勤めることになった。その頃の駿河家は剣術道場が活況で弟子の数も多く、うちの母親だけでは家のことに手が回らなかったからだ。
「オッス! おれ真蔵之介! こっちは、隣ん家に住んでる一学年下の春乃な」
「き、霧崎蓮十郎です――――よ、よろしく」
「きりさきれんじゅーろーって、長い名前ね。ねぇ、これから『れんちゃん』って呼んでもいい? ねっ、おにーちゃん!」
蓮十郎は無口で物静かな性格だったが、俺や春乃とはすぐに仲良くなった。彼は大阪の高槻というところの生まれだそうだが、とくに関西訛りはなかった。ここに来るまでに、母親とともにさまざまな土地を転々としていたせいだろうか。
ともあれ霧崎親子は、駿河家という安住の地を得ることで、はじめて平穏な日々を過ごせるようになったのだった。
父親の真景が「スルガ式抜刀術」という驚くべき古武術の伝承に大きく寄与したとして、重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝として認定されることが決まったのもちょうどこの頃だった。桜の巨木を一太刀で斬り倒す究極奥義「極一文字」は、関係者の間で大きな話題となったのだ。
当時の俺は毎日欠かさず、親父から厳しい剣の修行を強いられていた。その日もさんざんにしごかれ、道場にひっくり返ってのびていた俺に、蓮十郎が声をかけてきた。どうやら彼は、修行の様子をたびたび物陰から見ていたらしい。
「真蔵之介……。修行、いつも大変そうだね。大丈夫?」
「蓮十郎か。はあー、マジもうやってらんねえよ! ――――でもまあ、しょうがねえけどな。おれ、後継ぎだし」
「ふうん、そっか」
そう言いながら蓮十郎は、床に転がっていた木刀を手に取った。
「なんだ、お前も剣術に興味あんの?」
「うーん。いつもまっくんの修行を見てたらさ、ちょっとおもしろそうかなって」
蓮十郎は木刀を腰に構えると、その姿勢からビュッ! と真一文字を描くようにして振った。まさしく、これは「極一文字」の型そのものだ。
正式に剣の教えを受けた経験は一切なく、陰から見ていただけにしては、その動きは凛として堂に入っていた。彼に特別な剣の才があることは、小学校に入りたての俺でもはっきりと理解できた。
「どうかな? まっくん」
「すげえよ! なあ、れんちゃんもさ、おれといっしょに――――」
そう言いかけたとき、親父の声が背後から響いてきた。
「蓮十郎! 木剣を置きなさい!」
「師範さま、ご、ごめんなさいっ!」
蓮十郎はあわてて木刀から手を離し、親父に深くお辞儀をした。
「師範さま、いいじゃないですか。蓮十郎も修行を――――」
「ならん! 蓮十郎、今後は剣を持つことも、道場に近づくことも許さん」
「――――はい」
「なぜですか? 蓮十郎には、剣の才能があると思いますが」
めずらしく反論してきた俺に向かって、親父は静かに口を開いた。
「これは、まさしく『忌の太刀筋』だ」
「忌の太刀筋?」
「生まれついた強大な剣力と裏腹に、数多の凶事を引き起こすという負の素質だ。よいな、蓮十郎」
そう言い残して、親父は道場を去っていった。その後は蓮十郎は、道場には一切姿を見せることはなかった。
それから数年がたち、まもなく小学校の卒業を控えた季節。志保さんは急に体調を崩した。胸の痛みを訴えた彼女は緊急入院。診断の結果、その病状はすでに手の施しようのないほど末期の肺癌であった。
聞くと、どうやら以前よりその兆候はあったらしいのだが、駿河家にはひた隠しにしていたらしい。子供付きの住み込み家政婦という彼女の立場を考えれば、その気持ちもよくわかる。
「申し訳ありません、師範さま。私…………」
「なにも心配することはない、志保。蓮十郎のこともな」
「はい、ありがとうございます…………」
倒れてからわずかひと月後、志保さんはこの世を去った。簡素な葬儀を済ませたのち、荼毘に付された母親の遺骨を納めた白い木箱を抱え、蓮十郎は母子で過ごした一室でひとり静かにうつむいていた。
そしてそれが、俺の見た霧崎蓮十郎の最後の姿だった。
「そうでっか、真蔵之介さん。あれから、もう五年も経つんやねぇ」
俺は古い記憶を頼りに、大阪府高槻市に来ていた。ここは蓮十郎の出生地であるとともに、日本古武術伝承協会の関西支部が存在しているのだ。
事務所を急に訪ねてきた俺に、機嫌よくお茶を出してくれたのは、ここの支部長を務める長谷さんという男性だった。長谷さんは親父の長年の親友であり、かつて駿河家に霧崎志保を紹介した人物でもある。志保さんが亡くなった時も、わざわざ大阪から葬式に来てくれたのだ。
「ほんで、今日は志保さんの、なにを聞きに来はったん?」
「ええ。あの、霧崎志保さんには息子さんがいましたよね」
「ああ、蓮十郎くんっていう男の子な。たしか、ちょうど真蔵之介と同い年やったんとちゃう?」
「そうです。志保さんが亡くなったあと、駿河家を出てしまって。その後も音信不通なんですよ。長谷さんは、志保さんの身元保証人のような方だったんですよね。蓮十郎の行先に、心当たりありませんか? いえあの、同窓会みたいのするんで」
「うーん、自分はよう知らんけど、協会の関係者やったらわかる人間もおるかもしらへん。いくつか、知り合いに当たってみようか」
「お、お願いします! できたら、お早めに……」
「わかったで。ほな、今日ちょっと電話で聞いて回って、明日中には連絡するわ。まだ大阪におるんやろ?」
「はい、助かります! ――それじゃ長谷さん、よろしくお願いします」
そう言って俺は、日本古武術伝承協会関西支部を後にした。これはあくまで俺の直感なのだが、蓮十郎はいまも剣術に関係したなにかに携わっているような気がしているのだ。その一番の理由は――――
「師範さま、蓮十郎がどこにもいません!」
志保さんの葬儀が終わった翌朝、親子が暮らしていた部屋に、霧崎蓮十郎の姿はなかった。室内はきれいに片づけられ、すでにここには生活の痕跡すら存在しないようだった。
ただならぬ事態に、俺はスルガ式抜刀術の師範である父親・真景のいる道場へと急いだ。
「ああ、そのようだな真蔵之介。道場から、獄門刀が消えている」
「獄門が?」
真景は、苦虫を噛み潰したような表情で言った。
「駿河家に二振り伝わるうちの一本、『獄門刀・七番』だ」
そう。五年前、スルガ式抜刀術究極奥義「極一文字」専用の武器である獄門刀の一本は、まだ小学生だった霧崎蓮十郎によって持ち去られたのだった。
続く




