厳しい? トナカイ・レッスン!
郡 遠弥。
あと1週間で、めでたく1つ年を取る俺は――。
銀貨を交換条件に、リビングの真ん中でトナカイになっていた。
コスズにいつかのトナカイカチューシャを装着させられ、リビングのカーペットに手を付けて四つん這いの体勢になっている。
両手には、トナカイをイメージしたぬいぐるみ素材のグローブ。
足にも同じものを嵌めている。
勿論尻尾も忘れていない。ジャリっという音から、マジックテープでズボンに付けたんだろう。
なんつーか、子供騙しなコスプレだ。
何なら、両手足と頭以外は普段通りの格好だし。
この状態でトナカイがまかり通ったなら、サンタは節穴も良いところだ。
まぁ、当の節穴サンタはここにいるが。
コスズは何やら、しゃがみ込んで袋の中をゴソゴソと漁っている様子。
そして取り出したのは、動物図鑑。
正座の体勢で、膝の上に冊子を置くコスズ。
小さな手でせっせとページを捲っていた。
俺の横から、ペラペラと忙しない音が聞こえる。
「あった……トナカイの、ページ……」
ページを捲る手が止まる。
見ると、トナカイの写真がページの半分を占領していた。
角やら足の蹄やら。部分的な写真も載せられていて、お得なコラムまで完備していた。
「オスの角……大きい……」
そう呟いたかと思えば、カチューシャの角を審査するかのように見つめ。
「もっと……大きくする」
ガムテープと茶色いスポンジの棒を袋から出して、俺のカチューシャにくっつけていった。
スポンジを角の先端に添え、ガムテープでぐるぐる巻きにする。それを繰り返し、立派なオスの角にしたいらしい。
ひとしきり角を伸ばすと、続いてコスズは呟く。
「トナカイの好きなもの……苔、葉っぱ……」
字を指でなぞりながら、コスズは淡々と。
「きのこも……好き」
俺きのこ嫌いなんだが。
「あとは……真っ赤なお鼻……」
本から目線を上げたのは、それが図鑑にない情報……いわば、童謡だからだ。
「…………無い、赤いお鼻……」
袋を漁るコスズの声は、不安げだ。
“サンタとトナカイごっこ”と言うには、切迫しているようにも思えた。
だがコイツは子ども。小さなことに完璧でありたい年頃なんだろう。
「トナカイには……赤いお鼻……」
「別に良いんじゃねーの? トナカイっつっても、所詮遊びなんだし」
――そう、軽い口調で言った途端。
空気が変わった。
言葉通り、空気が――暖房の温かな風が、寒気に上書きされる。
部屋にいるのに、まるで外に出たみたいだ。
そして、“外”と言っても玄関を開けた先の風景じゃない……例えるなら、寒空異変のあった山。
肌を突き刺すような冷たい息吹が、いつかの異常気象を思い出させた。
発生源の人形から、凍てつく空気と同じぐらい、冷たい声がする。
それはさながら、魔女の囁き。
エメラルドグリーンの目は、刃物のように重く鋭い。剥き出しの怒りが、瞳に怪しく灯る。
「…………遊びじゃない」
俺の真上に、鈍色の雲が架かる。
「ワタシは…………本気」
真っ白な雪が、頻りにピチピチと肌を打つ。
逃げねぇと。
本能がせがむのに、脳が危機を訴えるのに、身体が思うように動かない。
ぶるぶると小刻みに震え、皮膚が粟立つだけだ。
それが寒さのせいか、恐怖のせいかは分からない。
「……トナカイ……茶色……」
「うぶっ?!」
そう言って被せて……いや、頭に嵌めたのは、茶色いタイツだった。
コスズのタイツなのか、サイズが小さくキツい。
顔面を蹂躙する布地。ぴっちりと張り付いて、圧迫感と閉塞感に支配される。
たまらず頭を振ると、
「じっとして……」
「ぐえっ!」
タイツのつま先部分を引っ張られ、濁った声が喉を這う。
鼻がひしゃげて、穴2つが前面に突き出した。
顔のパーツが歪んでいるのが、鏡を見ずとも分かる。
引っ張りすぎたのか、今度は顎に向かってタイツをずらし。何回も引っ張っては戻して、タイツの位置を調整する。
布越しの声は、もれなく潰れていた。
「……」
仕上げに、タイツを固定するように例のカチューシャを付けるコスズ。
“真剣”と言えば聞こえこそ良いが、実際の雰囲気は殺気に近い。
なお、出来上がった頭部は無様そのもの。
こんな変顔でトナカイが務まるかよ。
「……もっと茶色にする」
「ちょ?!」
あれよあれよと袖を捲られ、腕や膝にもタイツを嵌められる。
胴体は段ボールで覆われ、ガムテープが茶色の生地を蹂躙していた。
トナカイとして、徹底的に茶色くしたいらしい。段ボールを被せられない箇所やタイツと袖の間に、テープを容赦なく貼り付けてくる。
さらに取り付けたのは、銀色の首輪。
この間ザラメに付けられたヤツだ。氷そのものみたいに冷え切った金属は……そこから伸びる鎖は、俺の命運を物理的に握っていた。
チリンと軽やかに鳴る鈴は、現状とあまりに不釣り合いで。吹雪の中で響く音色は、甘く迎える死神の呼び鈴だ。
手先足先が雪に埋もれ、純白が制圧する。
おまけに頭や背中にも、積もる雪の重みが。
段ボールやタイツの隙間から侵入する凍気が、肌を突き刺す雪の結晶が痛い。
「うぶ……さぶ……」
唇の感覚が無い。
タイツの隙間から漏れる息は、真っ白に染まる。
「ワタシが……」
言いながら跨るコスズは、サンタと書いて悪魔だ。
「ワタシが、デウス様を……お祝い……」
上から、ぽつりと静かで、淡白な……だけど今までで一番、執念を閉じこめた声。
分かった! 分かったから!!
俺が悪かった!!
だから、許してコスズ! サンタ様ぁ!!
逆らえないと悟った俺は、家畜に身を落とし――。
「明日は楽しいクリスマ……何事ぉおお?!?!」
――買い物から帰ってきたザラメが見たものは、リビング中央にできた円状の雪原。
「ぶるぶる……」
猛吹雪が支配する部屋で。
コスズを乗せ、トナカイ擬きの茶色いゲテモノが凍える姿だった。




