↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
病弱な幼馴染の薬代は、六年、私の持参金でした  作者: 歩人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/20

第4話: 離れ

 いつもの応接へ通されかけ、私は敷居の手前で止まった。


「今日は離れの侍女にお取り次ぎをお願いします。マルタという方です」


「若様はお出かけでございますが」


「ギーゼラさまのお見舞いに参りました。お薬についても伺いたいのです」


 薬種店を出たあと、家へ戻って馬車を頼んだ。木曜の侯爵邸に来るのは久しぶりだった。


 女中は私の抱えた書類挟みに目を留めたが、中を見せてとは言わなかった。


「離れへ取り次いで参ります。こちらでお待ちください」


 私は廊下の椅子に腰を下ろした。


 応接の扉は閉じられた。あの中で待たなくても、この家で人を呼べるのだった。


 女中が連れてきたのは、髪をきつくまとめた年配の侍女だった。腰を屈める前から私の手元を見ている。


「マルタでございます。お薬のお話とは」


 私は昨年の請求書の写しを出した。広げる場所を探すと、マルタが廊下の小卓へ寄った。


「ハーゲンの店で頂きました。こちらから届いた瓶を、どれほど飲んでいるのですか」


 私が指を置いたのは、金額でなく届け先の名だった。


 マルタは紙の端を押さえた。店の印まで読むと、そばにいる女中を見た。


「短いお見舞いならお通ししてよいと、奥さまから言われております。ご訪問をお伝えして」


 女中が本館の奥へ下がる。


「その紙は、どなたに頼まれて」


「私が自分で確かめに行きました。持参金の明細にある支払いでしたので」


「お嬢さまに代金の話をなさるのですか」


 マルタの手が紙から離れた。私との間に卓がある。


「いいえ。届いた薬をどう飲んでいるのか伺いたくて。ご本人に伺えるご様子でしょうか」


「お返事はできないかもしれません」


「そのときは、お顔を見るだけにします」


 マルタは写しを私のほうへ戻した。


「薬は私がお預かりしています。お持ち帰りにも、お取り替えにも応じられません」


「承知しました。見せていただくことはできますか」


「私のいるところでなら」


 紙を挟み直して礼をした。頭を上げると、マルタはまだ礼の途中だった。帳場で用件が決まったときの速さが出てしまった。


 私がもう一度頭を下げて待つと、彼女の眉が少し上がった。


「お急ぎでも、お嬢さまのお返事は早くなりませんよ」


「気をつけます」


 マルタは中庭へ向かった。私は今度こそ、その歩調についていった。




 離れの扉が開くと、甘い薬の匂いがした。


 窓のそばの寝台に、ギーゼラさまがいた。背には枕が重ねてあり、肩掛けから細い手が出ている。


「お嬢さま。ヴァイル家のお嬢さまがお見えです」


 マルタの声に瞼が上がった。淡い緑の目が扉を向く。私の顔を通り過ぎ、背後の明るい中庭に止まった。


 私は寝台に近づいた。


「エルネスタ・ヴァイルです。婚約のご挨拶でお会いしました。お見舞いが遅くなりました」


 ギーゼラさまの唇が動く。


 続きを待った。私がもう一度名乗ろうとしたとき、ギーゼラさまのかすれた声が出た。


「……ゼバスティアンは」


「今日はご不在だそうです。私はギーゼラさまに会いに来ました」


 瞼が下がっていく。頬は少女のころより細く、肩掛けの下には大人の体があった。六年前のあの子に何を話せばいいか考えてきたのに、目の前にいるのは今のこの方だった。


 指が掛布をこすった。寝台の縁まで来て、その先に支えを探すように伸びる。


「お手をお借りしても」


 手袋を外し、下から受けた。


 手が、冷たい。


 指を包むと骨の細さまで伝わった。婚約の席で握ったときも、こんなふうに冷えていた。


 あのときは挨拶が済めば離した。今日は、手の置き場所を決めるまで離せなかった。


「寒くありませんか」


「……あけて」


 私が肩掛けを見る間に、ギーゼラさまの指は私の手のひらを抜けて窓のほうへ動いた。


「窓ですか」


 返事の代わりに、唇がわずかに開く。


「花が……」


 窓の向こうに林檎の枝があった。残った花の下を白い花びらが落ちていく。応接から見たのと同じ中庭だった。


 マルタを見ると、彼女は扉のほうを確かめてから窓へ歩いた。


「風が冷たければ、すぐ閉めます」


 窓が細く開いた。枝の揺れる音が部屋に入る。


 ギーゼラさまは顎を上げようとした。私は手を持ったまま立ちかけたが、マルタが枕を支えるのを見て座り直した。


「このままでも見えますよ、お嬢さま」


 マルタが肩掛けを直す。寝台を起こす手つきに迷いはなかった。


 ギーゼラさまの指先が私の手のひらをゆっくりと滑った。


「……しろい」


「林檎の花ですね。まだ枝に残っています」


 それ以上は話しかけなかった。


 目は窓を向いている。花を追っているのかは分からない。それでも窓は、彼女が開けてほしいと言った窓だった。


 マルタが肩の布を押さえたまま、私の隣に椅子を寄せた。


「腕をこちらへ。支えたままでは疲れます」


 肘を載せると、手を低く保てた。


 私は聞くつもりだった問いを思い出した。


「ギーゼラさま。夜は、お眠りになれますか」


「おば様が……」


 口が止まった。私は続きを待つ。待っている間に、顎が胸へ沈んでいった。


 マルタが寝台へ身を寄せる。ギーゼラさまはまぶたを持ち上げようとし、顔を少しこちらへ戻した。


「……ごめんなさい」


「お返事がなくても、会いに来たことは変わりません」


 私は空いた手で書類挟みを膝から下ろした。


「薬のお話はあとにします」


 ギーゼラさまの口元が緩んだ。笑ったのか、力が抜けたのか。眠ってしまうまで見ていても分からなかった。


 窓から来た風が手首を撫でる。私は預かった手を掛布の中へ戻した。冷たい指を包むように、布の端を折る。


 マルタは窓を閉めると、扉まで歩いて廊下を見た。


「少しなら、まだ」


 小声だった。私は椅子を鳴らさないように立った。




 棚にある瓶は、店で見たのと同じ形をしていた。


「栓の印を確かめたいのです。店で教わりました」


 マルタは瓶を持ち上げ、木栓をこちらへ向けた。丸の中に瞼のような弧。その下にハーゲンの名。


 私が差し出した写しの印と一致した。


「この薬をお飲みなのですね」


「私が差し上げています」


「量は、何に従って」


「屋敷からの指示どおりです。詳しいことは奥さまにお尋ねください」


 返事が硬くなった。瓶を戻す手が私から遠ざかる。


 私は写しを閉じた。


「無理に見せていただこうとは思っていません。ただ、お会いすれば飲み方を伺えると思っていました」


「若さまも、お話が済まないままお帰りになることがございます」


 マルタは寝台を振り向いた。ギーゼラさまの頬に髪がかかっている。そばへ戻り、指でそっと払った。


「薬は同じものです。でも、起きていらっしゃる時間は短くなりました」


「それは、お屋敷へ伝えましたか」


「家令には伝えました。奥さまのご指示だと言われました」


 マルタが扉へ目をやった。私は近くへ寄り、声を落とした。


「あなたからは、変えられないのですね」


「逆らえば別の者を付けると言われました」


 掛布から出かけた手を、マルタが戻した。


「別の者に替われば、お嬢さまが窓を開けてほしいと仰っても、気づく者はおりません」


 私は寝台を見た。さっきまで私が受けていた手は、布の下にある。


 薬が必要なのか。なぜこれほど眠るのか。紙に書かれた九瓶がどう使われているのか。確かめたいことは残った。


 けれど、答えをこの方から取り立てることはできない。


「奥さまに伺います。今日お見せした請求書のことも、私からお話しします」


「私がお通ししたことは、もう伝わっております」


 マルタが私を見た。


「今日はお見舞いです。それだけで、お願いいたします」


「お会いできてよかったです。また伺えるようにお願いします」


 マルタは、すぐには約束してくれなかった。


 私は寝台へ向き直り、眠っているギーゼラさまに帰る挨拶をした。返事を待って立ち止まることは、もうしなかった。




 本館へ戻ると、取り次いでくれた女中が待っていた。


「奥様からお伝えするようにと。明日、薬代のお話をなさりたいそうです」


「今日の訪問をお伝えくださったのですね」


「はい。お持ちになった請求書も、ご持参くださいとのことです」


「明日、伺いますとお伝えください」


 薬代の話なら、紙を見ればできる。誰の指示で飲ませているのかは、その人に訊かなければならない。


 明日は、処方を書いた紙を見せてもらう。


 渡り廊下の窓から、中庭の向こうの離れが見えた。さっき細く開けた窓は、マルタが閉めたときのまま閉じていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。