↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
病弱な幼馴染の薬代は、六年、私の持参金でした  作者: 歩人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
22/24

第22話: 謹慎

「ブランデスは、今朝から謹慎です」


 後見院の階段を下りてきた審査官が、踊り場でそう言った。


 私は石の手すりに手を置いていた。冷たさが手のひらから肘まで上ってくる。もう片方の腕にはギーゼラの手が掛かっていた。


 相談の間の戸口から、あの卓が見えていた。座っていたのは白髪の監督官で、知らない顔だった。私は中へ入らずに門番へ審査官の部屋を訊いた。門番は先に階段を駆け上がっていった。


 階段は一度に十段まで、とベルトラム先生は言った。ギーゼラは九段目で息をついた。十段目に足を載せたところで上から審査官が下りてきた。


「謹慎、ですか」


「本審査の日まで、出仕に及ばず。決めたのは私です」


 型どおりの声だった。昨夜、広間で後見の仮停止を告げたときと同じ声だ。


「訴状の、二つめのことですか」


「副本をご覧になりましたか」


「今朝、届きました」


「訴えられた監督官を、その訴えの綴りに触らせるわけにはまいりません」


 審査官は外套の隠しから、小さな布の袋を出した。口が紐で縛ってある。


「ブランデスの印です。本審査まで、私が預かります」


 袋は審査官の手のひらに載ったままだった。院の引き出しに入れておけば済むものだ。この人はそれを身につけて歩いている。


 ギーゼラの報告に二度押された印が、あの袋の中にある。三つ目は押さないとあの人は約束した。押すための印ごと、取り上げられた。


「侯爵家から、何か言ってきたのですか」


「訴状が届きました。院には、それで足ります」


「足りるのですか」


 審査官は袋の紐を、指に一巻きした。


「……謹慎で済むうちに、謹慎にしました」


 済まなかった場合のことを、審査官は言わなかった。




 腕に掛かったギーゼラの手に力がこもった。


「わたし、さらわれてません」


 ギーゼラが審査官を見上げていた。息はまだ上がっている。


「自分で、あるいて出ました。ゆうべも、けさも。この階段も、自分で」


「伺いました」


 審査官は一礼した。


「ですが、記録の席で伺った言葉でなければ綴りには入りません。本審査の席で、ご本人からもう一度伺います」


「……いつ」


「今日から、三十日後の朝です」


 審査官は外套の内側から、封をした紙を一通出した。宛名はハルデン嬢。本審査の呼出しだった。


「院の使いがお届けするものですが。ご本人がおいでになりましたので」


 ギーゼラは両手で受け取った。母親の寸法の袖が手首の先で余り、封の上に被さった。


「……わたしの、なまえ」


「被後見人として、ご本人をお呼びします。歩いてこられるならお一人で」


 ギーゼラは封を胸に当てた。袖が、その上でもう一度余った。


「審査官どの。四つめの条は」


 私は訊いた。


「本審査の日まで、離れへ戻せと書いてありました」


「変更届を院が預かっているあいだ、ご本人をどこかへ移す書式は院にございません。戻せとも留めろとも申せません」


「では、今夜も私の家で眠ります」


「眠る場所を書く欄は、院の書式にございません」


 昨夜と同じ答えだった。審査官は一礼して階段を上へ戻っていった。布の袋は、まだ手の中にあった。




「通用口なら、裏庭へ下りる段が三つしかございません」


 門番がそう教えてくれた。正面の石段は十二ある。院の中の十段で、ギーゼラの膝はもう使い切っていた。


 裏口から出ると縁起が悪い。うちでは祖母の代からそう言う。私は迷信より三つの段のほうを取った。


 通用口の戸を押すと、裏庭に人がいた。


 色の褪せた外套。脇に、紐で十字にくくった本の束を抱えている。院の灰色の制服は着ていなかった。


「……ヴァイル嬢」


 監督官どのは、戸から二歩のところにいた。それより近くへは来なかった。


「ハルデン嬢も。……息が、上がっておいでですね」


「階段、上った。十段」


 ギーゼラが答えた。


「ゆうべは、いち、だった」


「は」


「自分で決めた場所で眠った日です」


 私が言い添えた。


「ゆうべが一日目でした」


 監督官どのは、少しだけ考える顔をした。


「では、今夜で二ですね」


 今日は、追いつくのが速かった。


「審査官どのに、伺いました。謹慎のことを」


「でしょうね。印のことも、お聞きになりましたか」


「はい」


「写しも、夜会の席も、私が頼みました」


「写しは、私が自分で作りました」


 彼は本の束を抱え直した。


「目録の写しは、被後見人の閲覧の書式どおりです。夜会の予約は取次の欄に私が名を書いて、審査官が受けた。どちらも、書式は正しかった」


 彼は通用口の上の院の壁を見上げた。


「正しい書式で謹慎になるのは、書式の側が間違っている」


 言い終えて、短い息を吐いた。


「……失礼。院の庭で言うことでは、ありませんでした」


 どこかで井戸の滑車が一度きしんだ。あとは足もとに沈黙が溜まった。


「私が頼まなければ」


「頼まれなくても、写しは作りました。……ヴァイル嬢。本審査が済むまで、私はあなたにお会いしません」


「なぜですか」


「訴状は、私がヴァイル家の側に立ったと言っています。謹慎中の監督官が訴えられた方と院の裏で話していた。それだけで、二つめの条に一行足せます」


「今、話しています」


「ですから、短くします」


 鞄の中で薄い帳面の角が指に当たった。ただで受けた親切を日付と相手の名で書いておく帳面だ。この人の行は一つしかない。書式の教えを一回。


 彼の目も、私の鞄に来ていた。


「その帳面の、私の行に。線を引いておいていただけますか」


「線は、返したときに引くものです」


「返していただいた、ということに」


「まだ、何も返していません」


 自分の声が硬いのが分かった。


「監督官の名が、訴えられた家の帳面に載っている。訴状を書いた方が見たら喜ぶ行です」


 喜ぶ人の顔は、一人しか浮かばなかった。


「では本審査が済むまで、この帳面は院へ持ってきません。鞄の底に入れておきます」


「……それで、結構です」


 彼はギーゼラのほうへ、浅く頭を下げた。


「ハルデン嬢。三十日後の席には、私も呼ばれます。訴えられた側の長椅子ですが」


「あなたも、さらわれたの」


「いいえ。私は、少し出しゃばりました」


 ギーゼラが、鼻から短く息を抜いた。


 彼は本の束を抱えたまま裏門のほうへ歩き出した。私はその背中を見送らなかった。ギーゼラの腕を取り直し、三つの段を数えて下りた。


 あの人の行の下に、足せるものがなかった。受けた親切の欄に、受けた謹慎とは書けない。




 帳場では父が明細の綴りを広げていた。家政と利払いの行にクラウスが細い紙片を挟んでいく。


「三十日か」


「はい。今日から数えて、三十日後の朝です」


「八千四百八十四の行き先を洗うには、足りる」


 父は綴りを閉じなかった。


「払った金は、払った先の帳面に名を残す。明日から、そっちの帳面を当たる」


 東の客間に戻ると、ギーゼラは寝台で呼出しの封を眺めていた。封は母の外套と並べて小卓に置いてある。


「エルネスタ。さんじゅうにち。また、へるほうを数えるの」


「減るほうは、もう数えません」


 私は帳面を開いた。昨夜の行の頭には一と書いてある。その下の行に二と書いた。


「ゆうべが一。今夜が二。審査の前の晩で、三十一です」


「さんじゅういち」


「数えられますか」


「……かぞえる」


 ギーゼラは掛布を顎まで引き上げた。燭台の蝋燭が一段細くなるまで、二人とも黙っていた。


「院のひと。さんじゅうにち、なにしてるの」


 その答えを私は持っていなかった。あの人の下宿がどの通りにあるのかも知らない。十字にくくった本の束を、三十日どこの卓でほどくのか。


「知りません」


 ギーゼラは目を閉じた。


「じゃあ、さんじゅういちの朝にきく」



最後まで読んでいただきありがとうございました。


ヘルトリングが印を布の袋に入れて持ち歩いている理由は、本文では書いていません。院の引き出しに入れておけば、誰かが勝手に押すかもしれないからか。それとも、自分が取り上げたものの重さを手から離したくなかったのか。エルネスタにも分からないので、私も決めずにおきました。「謹慎で済むうちに」という一言も、書いた本人がいちばん長く眺めていた台詞です。


レナルトの「書式の側が間違っている」は、実は第三アークの設計を作った日にいちばん最初に書いた台詞でした。ただ、言わせたあとで必ず「失礼」と付けさせると決めていました。彼は正しいことを言ったときほど、言いすぎたと思う人なので。


借りの帳面に線を引いてくれと頼まれて、エルネスタが断る場面。商家の娘としての理屈で断っていますが、たぶん理屈だけではありません。その「だけではない」ほうは、まだ彼女自身にも見えていないところです。


次回、第二十三話「六百と四百と二百」。父の言った「払った先の帳面」を、ヴァイル家の帳場が追いかけます。


ブックマークや評価をいただけると、三十一の朝まで、ギーゼラと一緒に数えに戻ってこられます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。