07話 ふつう1
——それから、数ヶ月。
季節は、春から夏へと変わっていた。
結論から言えば。
この結婚生活は、驚くほど、うまくいっていた。
お互いの事が分からないからこそ、よく話し合う。
尊敬と尊重。
何か行き違いがあった時は、譲り合った。
そして。
大地は、御曹司(仮)ではなかった。
いわゆるハイスぺ男子。
大手造船メーカー勤務。
27歳で経理部長についてもう2年になる。
人望も厚い。
父とは会社同士の繋がりから、個人的な繋がりになったそうだ。
それに、仕事ばかりの人間でもない。
休日は一緒に過ごし、咲との時間をすすんで作った。
家事も難なくこなす。
結婚してからは無理のない範囲で分担制にしたが…
大抵の事は、大地が進んで動いてくれる。
優しく、頼れる。
そんな旦那様だった。
何より
一緒にいて、楽しい。
咲だけではなく、大地もそう感じていた。
見るものや、聞くもの。物事の感じ方。
2人はフィーリングが合った。
咲は、元婚約者の希望で結婚式の3ヶ月前に退社していた。
都内にある、商社に勤めていた。
あらゆる”食”を手掛けていて、咲は、そこで企画を担当していた。
新卒で就職し3年。
ようやく任されることが多くなってやりがいを感じている時期だった。
このままキャリアを積むつもりだったが。
太一は、仕事のことを話すと、なぜか不機嫌になった。
特に企画が大詰めで、メッセージの返信が遅くなってしまうと、特に。
婚約が決まったときは、
『結婚したら俺の帰る時間には家にいて欲しい』
と話していた。
太一の母からも、
”結婚したら、太一を支える側ね”
と、度々言われる。
これが、この家族の方針。
そう察することができた。
結婚するのだから。
自分の意見ばかり通しても、波風が立つだけだ。
そう感じ、咲はキャリアを諦めた。
結婚後。
状況が変わったので、再就職に動き出していた。
大地も『咲さんならきっと大丈夫』
そう、後押ししてくれていた。
しかし、思うようには行かず、苦戦。
魅力的なオファーはあったが、条件が合わない。
『時短』を希望していたからだ。
大地から、
”もう少し条件を広げてみては”
と、アドバイスを貰ったことがあったけど…
ほぼ定時に帰宅する大地を出迎えたい。
咲にとって、この条件は譲れないものになっていた。
思うように行かず焦る咲に、
『焦らなくてもいい』
『きっと見つかる』
大地にそう励まされ、引き続き頑張ることにした。
押し付けるでもなく、否定するでもなく。
ただ、咲の選択を尊重する。
(大地さんは、本当に優しいんだな…)
そう思うたびに、胸があたたかくなった。
たった数ヶ月だが、積み上げたものは2人にとって、かけがえのないものになっていた。
決して壊すようなことは、したくはない。
そう思い過ぎるせいか、現状維持バイアスがかかっていた。
生活は“うまくいって”いた。
が。
“甘い新婚生活”とは到底呼べるものではなかった。
どちらかと言うと"共同生活"のようだ。
恋人っぽさや新婚っぽさが、イマイチ足りていなかった。
出掛ける先は、主に
公園。
美術館。
科学館。
水族館に、生き物展や、映画館…
こういった場所に出かけて行っては、2人で意見交換をする。
ものの"しくみ"
生き物の"ふしぎ"
制作側の"意図"
この話し合いが、とても楽しかった。
それに。
大地が少年のように目をキラキラさせて、展示物を見ている姿が、咲はとても好きだった。
2度目のデートで、咲から手を繋ぐようになった。
咲は、大地の大きな手が好きだった。
結婚式の時に少し触れた、スラリとした大きな手。
できれば手を繋ぎたい。
毎回。
どこかのタイミングで、少しだけ勇気をだして、そっと手を繋いだ。
ただ。
手を繋ぐ度、大地の動きが、少々おかしくなる時があった。
嫌なのかな?
そう思い、聞いても『嫌じゃない』との返事。
やっぱり無理しているのではないかと、手を放そうとしたら、ギュッと掴んではなさない。
しばらくすると、いつもの大地に戻る。
不思議に思ったが、咲は気に留めないようにした。
とても満足だ。
この関係が心地いい。
これが“ふつう“
“ふつう”でいい。
そう思っていた。
——あの日までは。




