第17章 影が近づく音
その日は、いつもと変わらない午後のはずだった。
柊と凪は打ち合わせのため外出し、オフィスには環ひとり。
静かな空間に、キーボードの音だけが響いている。
——少しだけ、郵便局に行くだけ。
そう思ったのが、間違いだったのかもしれない。
環は鍵をかけ、通りへ出た。
ビルの向かい側にある郵便局は、歩いて数分の距離だ。
(すぐ戻るし……大丈夫)
信号が青に変わり、横断歩道を渡ろうとした、その瞬間だった。
背後から、強く腕を掴まれる。
「……っ!」
反射的に振り返ると、見知らぬ男の顔があった。
「おい、高杉湊……」
低く、粘つくような声。
その瞬間、環の中で何かが凍りついた。
(……違う。私じゃない)
けれど声は出なかった。
男の手が、さらに強くなる。
「来い。話がある」
次の瞬間——
「離してください!」
鋭い声と同時に、男の腕が強く引き剥がされた。
警備員だった。
「何してるんですか!
警察呼びますよ!」
男は舌打ちをし、舌打ちひとつ残して人混みに紛れて消えた。
環はその場に立ち尽くし、膝が震えるのを必死でこらえた。
「大丈夫ですか?」
声をかけられて、ようやく我に返る。
「……はい」
だが、その声は震えていた。
そこへ、息を切らして駆け寄ってくる足音。
「環!」
柊だった。
その後ろに、凪の姿もある。
「環!大丈夫か!?」
柊は迷わず環を抱き寄せる。
「……柊……」
震えが、止まらない。
「何があった?」
凪が周囲を警戒しながら問いかける。
「……男の人に、声をかけられて……“高杉湊”って……」
その言葉に、空気が凍りつく。
柊の腕に力がこもった。
「……また、か」
凪が唇を噛む。
「間違いない。狙われてるのは……」
「……湊さんだ」
柊が低く言った。
環は小さく頷く。
「たぶん……前と同じ人です。私を、湊さんだと思って……」
柊は深く息を吸い、静かに言った。
「……もう、1人にはしない」
その声には、怒りよりも強い決意が滲んでいた。
遠くでサイレンの音が鳴る。
それは、事態が次の段階へ進んだことを告げる合図だった。




