2-3.影響を受けた楽曲〜ショスタコとストラヴィンスキー〜
作品を仕上げるにあたってどんな曲が流れていたか、その三。
ドヴォルザークとブラームスを熱く語り過ぎました……。
さて、『戦犯の孫』を2015年に書き始めたはいいものの、途中で止まってしまい続きを書くのに十年近く掛かってしまいました。
改めて見直し、今回【新改訂版】として出したわけですが、十年前の自分では書ききれなかっただろうなと思います。
もちろんこの更新停止期間で世の中的にも色々あったし、私も色々経験したわけですが、音楽という面でも十年前ではイメージしきれないものが沢山ありました。
今回は、新しく書き直すにあたって影響を受けた二作品を紹介します。
◆ショスタコーヴィチ 交響曲十三番『バビ・ヤール』
ショスタコーヴィチというと、スターリン時代のソ連を代表する作曲家です。
ソ連の国家繫栄を称えるような曲を沢山書いていました。でも、本当は生きるために書かざるを得なかった、という話もあります。
共産党派だったのか、反体制派なのか、今でも諸説分かれます。
ショスタコーヴィチの交響曲は、ほぼ戦争ものです。
それもそのはず。
彼が生きた時代は、1906年から1975年のロシア・ソ連。
物心ついたときにはロシア帝国は崩壊寸前と第一次世界大戦、11歳でロシア革命、その後はレーニンからスターリン体制、独ソ戦を経てフルシチョフの冷戦期まで、激動の時代を生きた作曲家の一人でもあります。
当然、曲にも影響は出ますよね。
交響曲五番から十三番をずらっと並べてみましょう。
・交響曲第5番(1937年):日本では通称「革命」、スターリンの大粛清時代に絶賛された。
・交響曲第6番(1939年):第二次世界大戦が始まった年。独ソ不可侵条約の平和の偽善を表わしているとの説も
・交響曲第7番「レニングラード」(1941年):レニングラード包囲戦の中、書かれた。
・交響曲第8番(1943年):スターリングラード攻防戦犠牲者への墓碑。
・交響曲第9番(1945年):大祖国戦争の勝利を祝うため。でも当局からは批判された。
・交響曲第10番(1953年):スターリン逝去に伴い、スターリン時代を書いたもの。
・交響曲第11番「1905年」(1957年):「血の日曜日事件」を題材。
・交響曲第12番「1917年」(1961年):十月革命を題材。
・交響曲第13番 「バビ・ヤール」(1962年):ウクライナのバビ・ヤール峡谷でのナチスのユダヤ人大量殺戮を題材
ほぼ戦争です。
しかもロシア・ソ連内外での戦争なので、体制とは何か、寒空の下で戦争に耐える生活はどんなか、暴力とは何か、みたいなのがショスタコの曲にはあるんですよね。
私がショスタコの曲に触れるようになったのは実はここ数年なんですが、この数年の間にショスタコの曲を何曲か演奏するうちに、戦争がもたらす空気と、それでもじわじわ這いあがる生への熱や執念を、ほんの少しですけど理解できた気がしています。
これは十年前の自分には分からなかった部分ですし、『戦犯の孫』を書ききる上で必要だったと思います。
私が演奏したショスタコの曲は交響曲10番、12番、13番なんですが、その中でも今回は13番『バビ・ヤール』を紹介したいと思います。
題材は、ウクライナのキーウ近郊にあるバビ・ヤール峡谷でのナチスのユダヤ大量殺戮。
この事件、ソ連によって長らく隠蔽され続けていました。
というのも当時のソ連は表向き、「ソ連に人種・民族問題は存在しない」という建前でいたのですが、実際には反ユダヤ主義などがあったんですね。
その偽善性を揶揄し告発しているような曲になっています。
しかもこの曲、合唱・独唱付きなんです。つまり歌詞にもそういう表現が入っているんです。
数年前にプロオケを聴いて、更に同じ年に自分でも演奏しましたけど、なかなか真に迫るものがありました。
なお、『戦犯の孫』の着想となったカティンの森事件(1940年ポーランド)がありますが、これはナチスではなくソ連の犯罪なんです。でも当時のソ連は、ナチスに濡れ衣を着せて隠蔽工作をしようとしていました。
ショスタコきっかけではありますが『バビ・ヤール』という史実を知って、また考えさせられるものがありました。
◆ストラヴィンスキー 『ペトルーシュカ』(1911年版)
数年前、ストラヴィンスキーバレエ三部作を一挙演奏する機会がありました。
なかなかハードでした。
ストラヴィンスキーって、20世紀初頭を代表するバレエ音楽の作曲家ですが、当時の人からするとかなり前衛的すぎて評価が二分する作曲家でもありました。
ちなみに、ストラヴィンスキーの曲というと『火の鳥』が有名だと思います。
今年(2026年)のミラノ・コルティナ冬季五輪で、フィギュアスケートの佐藤駿選手がフリーで使っていましたね。
『火の鳥』はいいんですよ。
あれは結構分かりやすい。だってロシア民話ですから。
『ペトルーシュカ』は、一般的にグロテスクとよく言われます。
曲を表現するのにグロテスクって何やねん、ってなりますよね。
いやでも確かにグロテスクなんです。
何だろう。
ストラヴィンスキーって、19世紀までのチャイコフスキーとかみたいな旋律を歌わせるために楽器を使う、みたいな感じでは全くないんですよね。
弦楽器も木管楽器も、ダッダッダッダ、カッカッカッカッカ、みたいな、効果音のリズム打ちみたいなのがすっごく多いんです。でも何故か曲になっていく。
もちろんちゃんと旋律っぽいのもあるんですけどね。
『ペトルーシュカ』は、この効果音を変拍子や不規則なリズムでやらせる上に、交わり切らない不協和音を重ねるんです。だからゆったり曲に乗れる感覚がほぼない。
かつ、ペトルーシュカってパペットの話なんですが、不規則に操られている感というのを、重いけど軽いという矛盾に満ちた世界観で作っている。
これがストラヴィンスキーの『ペトルーシュカ』のグロさなんではないかと思います。
それまでのクラシック音楽って、人間味があったり神の世界があったり、神も結局は人間的なわけですけど、ストラヴィンスキーの『ペトルーシュカ』は機械的・無機質という言葉が合う曲だと思います。
弾く上では機械的にも無機質にもなれないんですけどね。
この『ペトルーシュカ』が『戦犯の孫』にどう影響しているか。
これは読み進めて頂くと分かるかと思います。




