2-2.影響を受けた楽曲〜ドボコンとブラ3〜
作品を仕上げるにあたってどんな曲が流れていたか、その二。
なお、ここまでクラシックを熱く語っていますが、別に普及させたいわけではないんです。
ただ、溢れた思いを語りたいだけです。
◆ドヴォルザーク チェロ協奏曲 第三楽章
通称ドボコン。チェロ曲の総代表ですね。
ちなみに私はまだ弾けません。
チェロ弾きみんなの憧れの曲です。
ある程度クラシック好きの人からは、有名な曲ばっかり挙げてんじゃねーよと言われるかもしれません。
いやいやいや、やっぱり名作には名作所以の良さがあるんです。
ドヴォルザークを簡単に説明すると、チェコ出身で、イギリスを挟んだ後アメリカに渡り、アメリカで音楽学校の先生を務め、最終的にチェコに戻ってきます。ちなみにかなりの鉄オタ。
彼の曲って、田舎臭いというか土臭いというか(悪口じゃないです)、RPGのBGMに使われてそう感の曲が多いんです。ジブリっぽい感じ。
でも、イギリス~アメリカと行くにつれ、世界観というか人生観というか、海と空と大地と人、を地上から見ている感じの曲が増えていくんですよね。
それの最たる例が、交響曲第九番「新世界より」にあたります。
では、このドボコンに関してですが、この曲は「新世界より」よりも後に書かれました。
晩年に近い曲になります。
ドボコンって、きっと色んな曲解説があると思いますが、私がこの曲を聞いて思い浮かぶのは、一人の男の人生なんです。
色んな苦境、見つけた安息地と新たなる試練。
人生って思い通りに行かない、けれど悪いことばかりではない。
みたいなのが、1楽章から3楽章の中盤にかけて、チェロ独奏によって奏でられます。
そうして最後に到達するのが人生の振り返りなんですよね。
この曲の三楽章の後半は、まさにそういう旋律になっているんです。
もうね、共感と戦慄しかないです。
……熱いドヴォルザーク語りになってしまいました。
この作品が『戦犯の孫』にどう影響しているか、ですよね。
ここまで語っておいてなんなんですが、どう影響しているかはお伝え出来ません(陳謝)
ドボコン3楽章を最後まで聴いて頂くと、もしかして……となるかもしれません。
ただ、全編通して大事にしている素朴さは、割とドヴォルザークの影響が強いかと思います。
◆ブラームス 交響曲第三番
ブラームスの交響曲は、クラシックの交響曲の中でも良く演奏されていて、ブラームスファンのクラシック好きも多いです。
実は『戦犯の孫』を書き始めた2015年当時は、私はブラームスをあんまり好きではありませんでした。
ちなみにめっちゃ余談ですけど、若かりし頃のブラームスをどこかで検索してみてください。めっちゃイケメンですよ。例えるならば、「オペラ座の怪人」のラウル子爵みたいな。
(てかクラシックの有名な作曲家は、大体昔イケメン系多いです)
ブラームスの曲って、聴く分には熱くてかっこいいなと思う曲が多いんですが、弾き手からすると、表現の仕方が難しいんですよね。
例えばこれまで例に挙げたチャイコフスキーとかドヴォルザークとか、弾き手目線でも結構分かりやすいんです。譜面通りに弾いていくと大体平均的にはなれる、あとはどう色を付けていくか、みたいな。
ブラームスの曲って、譜面通りに弾くと、実は面白みに欠けるんです。
余談ですけど、ブラームスはドヴォルザークと交流があったらしく、メロディをぽんぽん生み出せるドヴォルザークに対し、ブラームスはキャッチーなメロディを書くのが苦手だったそうです。で、ドヴォルザークがごみ箱に捨てたメロディ案をブラームスが拾ってた、なんて嘘か本当か分からない逸話もあったりします。
じゃあブラームスの音楽って何か。
ラフマニノフの例で挙げた群像構造、これを言語化しにくいレベルで仕上げているのがブラームスなんです。
ブラームスは特に、演奏次第でいい音楽になるか、ただうるさい音楽になるか、が分かれやすい難しさがあるんです。
いい演奏の場合、コンサートホールを包み込む空気が凄く濃くなるんですよね。ハーモニーの濃さだったり、フレーズの重なり合いの濃さだったり。
例えるなら、下から熱が上がってきて空間自体を充満する感じ。しかも物理の熱ではなく、人から溢れ出る言語化出来ない熱。
でもブラームスの音楽って、最終的には柔らかさと温かみを持って終わることが多いんです。
『戦犯の孫』に影響を受けた作品として、交響曲第三番を挙げました。
やはりこの曲も、下から這い上がる感じがすごく強いんですよね。
あと圧。下からの圧。
でも最後にはコラールと呼ばれるプロテスタントの讃美歌を伴って、優しい音楽へと収束していくんです。
ドヴォルザークもなんですが、散々泥臭さとか熱苦しさとかを表現した後に来る落ち着きが、歳を重ねるごとに沁みるなと思います。




