第37話 終息という答え
処理場の封鎖から五日が経った。
王都の空気は明らかに変わっていた。
かつて、街のあちこちで聞こえていた呻き声はもう、ほとんど聞こえない。
代わりに聞こえるのは人の声だった。
普通の日常の声だった。
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「……確認しました」
王宮の一室。
セリアが紙を手に言った。
その表情は、静かだった。
だが、わずかに震えていた。
「本日の新規患者数」
一拍。
「ゼロです」
沈黙。
誰も、すぐには言葉を出せなかった。
「死亡者数も」
紙をめくる。
「三日連続で、ゼロ」
レオンが息を吐いた。
長く。
深く。
「……終わった」
小さく言う。
それは心の底から出た声だった。
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俺は紙を見る。
数字が並んでいる。
患者数。
死亡数。
回復数。
すべてが。
一つの事実を示していた。
「ええ」
俺は言った。
「終息です」
その言葉で。
空気が、完全に変わった。
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扉が開く。
「失礼する」
入ってきたのは。
この国の王族だった。
以前、治療の場にも現れた男。
今回、すべての決断を下した人物。
彼は部屋の中央まで歩き。
静かに言った。
「報告は受けている」
一拍。
「……見事だ」
短い言葉だった。
だが。
重みがあった。
「あなたがいなければ」
彼は続ける。
「この国は、多くの命を失っていた」
その声は。
真剣だった。
誇張でも。
社交辞令でもない。
本物の言葉だった。
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王族は頭を下げた。
深くはない。
だが。
確かに。
頭を下げた。
その場にいた全員が息を止めた。
王族が医師に。
頭を下げた。
それはこの国では極めて重い意味を持つ行為だった。
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「仕事です」
俺は答えた。
それだけだった。
だがそれで十分だった。
王族は、小さく笑った。
「そうか」
一拍。
「ならば」
静かに言う。
「この国は、あなたの医療を決して忘れない」
その言葉は。
命令ではなかった。
誓いだった。
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その日の夕方。
王都の中央広場。
人が集まっていた。
多くの人が。
そこにいた。
子供。
老人。
兵士。
商人。
誰もが。
同じ方向を見ていた。
こちらを。
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「先生!」
誰かが叫んだ。
一人ではない。
二人でもない。
何十人も。
何百人も。
声が上がる。
「助けてくれて、ありがとう!」
「息子が助かった!」
「妻が助かった!」
「本当に……ありがとう!」
声が重なる。
波のように。
広がっていく。
レオンが、小さく言った。
「……すごい」
声が震えていた。
「こんな光景、初めて見ました」
「ええ」
セリアが答える。
その声は。
いつもより、少し柔らかかった。
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人々が、頭を下げる。
一人。
また一人。
次々と。
広場が。
静まり返る。
そして。
深く。
頭が下げられる。
それは。
祈りではなかった。
感謝だった。
本物の。
人への感謝だった。
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「……先生」
セリアが言った。
ゆっくりとこちらを向く。
その表情はもう迷いがなかった。
完全に決まっていた。
「お願いがあります」
「何でしょう」
一拍。
彼女は言った。
「私を」
視線が真っ直ぐ向く。
「あなたの弟子にしてください」
沈黙。
完全な沈黙だった。
「私は」
続ける。
「薬を学びました。知識もあります。技術もあります」
一拍。
「ですが」
少しだけ、声が震えた。
「あなたの医療には届いていない」
その言葉には。
悔しさと。
敬意と。
覚悟があった。
「……学びたい」
小さく言う。
「本当の医療を」
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俺は少し考えた。
そして。
頷いた。
「分かりました」
セリアの目が、わずかに揺れた。
「しかし条件があります」
「何でしょう」
「一人でも多くの命を救うこと」
一拍。
「それが目的です」
セリアは、深く頷いた。
「はい」
迷いはなかった。
完全に。
決まっていた。
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夜。
王都は、静かだった。
あの恐怖は。
もうない。
水は煮られ。
流れは整えられ。
人々は、生きている。
助かった。
多くの命が。
確かに。
助かった。
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だが。
机の上に置かれた紙。
あの命令書。
そこに押された印。
神官長ではない。
もっと上。
その存在が。
まだ残っている。
「……終わっていないな」
俺は、小さく呟いた。
疫病は終わった。
だが。
戦いは。
まだ始まったばかりだった。
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そして。
その夜。
王族から届いた報告書。
そこに記されていた名。
この大陸最大の宗教国家。
すべての神殿の頂点に立つ国。
――神聖国アストラディア。
その名を見た瞬間。
俺は、確信した。
本当の敵は。
まだ、姿すら見せていない。




