第36話 流れを断つ
「……まだ終わっていないな」
そう呟いたあと。
しばらく誰も口を開かなかった。
風が吹く。
腐敗の臭いが、ゆっくりと流れていく。
目の前には。
水路へ流れ込む汚水。
そして。
積み上げられた死骸。
「……止めましょう」
最初に口を開いたのは、セリアだった。
声は冷静だった。
だが。
迷いはなかった。
「ええ」
俺は頷く。
「今、この場で止めます」
⸻
「兵を呼びます」
エレインが短く言う。
すでに動いていた。
手際が早い。
さすが軍を預かる立場だ。
数刻も経たないうちに。
騎兵が到着した。
数十名。
完全武装。
状況を見て、すぐに理解した顔だった。
「この処理場を封鎖する」
エレインが命じる。
「今この瞬間から、水路への排出を禁止」
兵たちが一斉に動いた。
柵を設置。
排水口を塞ぐ。
流れを止める。
現場が、一気に変わっていく。
⸻
「先生」
レオンが言う。
「これで……」
「ええ」
俺は水路を見る。
濁りが、ゆっくりと弱まっていく。
完全ではない。
だが。
流れは、確実に変わった。
「これで、新しい毒は入らない」
それが、何より大きい。
⸻
「……間に合いますか」
セリアが聞く。
声は冷静だった。
だが。
わずかに緊張している。
「間に合います」
俺は答える。
「すでに水の煮沸は広がっています。新しい汚染が止まれば」
一拍。
「流れは完全に変わります」
セリアは、小さく息を吐いた。
「……本当に」
小さく言う。
「ここまで、見抜いていたんですね」
「最初からではありません」
俺は答える。
「繋がっていっただけです」
水。
患者。
数字。
そして。
この場所。
すべてが、一つに繋がった。
⸻
その時。
ルカが低く言った。
「……これ」
彼が指差したのは。
さっきの木箱だった。
神官の印が刻まれた箱。
それを、兵が持ち上げていた。
「中、見ますか?」
「ええ」
俺は頷く。
兵が蓋を開ける。
中には。
帳簿が入っていた。
紙束。
数枚ではない。
明らかに、管理記録。
「……読む」
セリアがそれを受け取る。
ページをめくる。
そして。
止まった。
「……これは」
声が変わった。
完全に。
意味を理解した声だった。
「移設の命令書」
レオンが息を呑む。
「命令書……?」
「ええ」
セリアが言う。
「正式な指示書です」
一拍。
「神官の印付きの」
空気が凍る。
完全に。
偶然ではなくなった。
⸻
「……神官が」
レオンが呟く。
声が低くなる。
「やったってことですか」
誰も、すぐには答えなかった。
だが。
答えは、明らかだった。
⸻
「……一つ、違和感があります」
セリアが言った。
ゆっくりと。
紙を指でなぞる。
「この印」
一拍。
「あなた方の国にいたような、神官長のものではありません」
空気が止まる。
「違う?」
レオンが言う。
「ええ」
セリアは頷いた。
その顔は、完全に冷静だった。
だが。
目の奥だけが、鋭くなっている。
「もっと上位の印です」
沈黙。
それは。
重かった。
⸻
風が吹いた。
臭いが、少し弱まる。
水路の流れが、ゆっくりと変わっていく。
目の前の問題は。
確かに、止まり始めている。
だが。
もっと大きな問題が。
浮かび上がってきていた。
⸻
「先生」
レオンが言う。
「これ……」
「どうするんですか」
俺は、しばらく答えなかった。
水を見る。
流れを見る。
そして。
手の中の紙を見る。
これは。
事故ではない。
災害でもない。
作られた流れだ。
意図された流れだ。
「……王宮へ戻ります」
俺は言った。
「すべて報告する」
セリアが頷く。
「ええ」
一拍。
「これは」
低く言う。
「一国の問題ではありません」
その言葉が。
すべてを物語っていた。
⸻
流れは、断たれた。
疫病は、止まり始める。
だが。
戦いは。
終わっていなかった。
むしろ。
ここからが、本当の始まりだった。




