第35話 上流の影
死亡者数が減り始めてから。
三日が経った。
王都の空気は、明らかに変わっていた。
通りのあちこちで鍋の火が灯っている。
もう。
命令だからではない。
理解しているから、続けている。
「……数字は、さらに下がっています」
王宮の一室。
セリアが、紙をめくりながら言った。
「新規患者数も減少」
一拍。
「死亡者は、昨日ゼロです」
レオンが思わず息を吐く。
「ゼロ……」
信じられない数字だった。
だが。
紙は嘘をつかない。
「完全に、流れが変わりました」
セリアが言う。
その声には、確信があった。
⸻
「ですが」
俺は言った。
「まだ終わっていません」
セリアが顔を上げる。
「……ええ」
すぐに頷いた。
「根本を止めなければ、再発します」
完全に、同じ考えになっていた。
「次は」
俺は地図を見る。
机の上に広げられた、王都の水路図。
「上流です」
レオンが身を乗り出す。
「やはり……」
「ええ」
俺は頷く。
「水は、どこかから来ている。そこが変わらなければ、また同じことが起きます」
セリアが、地図の一点を指した。
「この区域」
「主水路の上流」
一拍。
「ここに、小さな集落があります」
「集落?」
「はい」
「洗濯場と、家畜の処理場がある場所です」
空気が、少し変わる。
「処理場……」
レオンが呟く。
「ええ」
セリアが答える。
「家畜の死骸などを処理する場所です」
一拍。
「水のすぐ近くにあります」
それで、繋がった。
完全に。
⸻
「そこに行きます」
俺は言った。
セリアが頷く。
「同行します」
迷いはなかった。
もう、完全に同じ側だった。
⸻
翌朝。
俺たちは王都の外へ向かった。
エレイン。
レオン。
ルカ。
セリア。
そして、護衛の兵が数名。
水路に沿って進む。
空気は、少し湿っていた。
「……匂いますね」
レオンが顔をしかめる。
「ええ」
セリアも頷く。
「この辺りからです」
鼻につく臭い。
腐敗。
水とは違う。
明らかに混ざっている臭いだった。
⸻
やがて。
小さな集落が見えてきた。
粗末な建物。
簡素な柵。
そして。
その奥。
「……あれか」
ルカが呟く。
そこには。
山のように積まれたものがあった。
家畜の死骸。
処理途中のもの。
そして。
そこから流れ出る液体。
それが。
すぐそばの水路に、流れ込んでいた。
誰の目にも、明らかだった。
「……これが」
レオンが呟く。
「原因……」
俺は水路を見る。
濁り。
臭い。
流れ。
すべてが、繋がっていた。
「ええ」
俺は言った。
「ここです」
⸻
「……おかしいですね」
突然。
セリアが言った。
俺は視線を向ける。
「何がですか」
「この処理場」
一拍。
「以前は、もっと下流にあったはずです」
空気が、わずかに変わる。
「移された?」
レオンが言う。
「ええ」
セリアが頷く。
「少なくとも、私が最後にこの地図を確認した時には、ここにはなかった」
沈黙。
偶然ではない可能性が、浮かび上がる。
⸻
その時。
近くにいた村人が、こちらを見ていた。
年配の男だった。
「……あんたたち、役人か?」
低い声だった。
「違います」
セリアが答える。
「この処理場について、聞きたい」
男は少しだけ警戒した。
だが。
やがて口を開いた。
「……三ヶ月前だ」
空気が止まる。
「役人が来てな」
「ここに移せと命じられた」
三ヶ月前。
ちょうど。
神殿事件が起きた頃だった。
「誰の命令ですか」
俺は聞いた。
男は、少し迷った。
そして。
小さく言った。
「異国の神官の服を着ていた」
沈黙。
誰も、すぐには言葉を出せなかった。
⸻
俺は処理場の奥へ歩いた。
足元には、古びた木箱が置かれていた。
何気なく、目をやる。
そこに。
刻まれていた。
紋章。
「……これは」
レオンが言う。
俺は箱を指でなぞる。
見覚えのない印。
少なくとも。
神官長のものではない。
「セリア」
俺は呼ぶ。
彼女が近づく。
紋章を見る。
そして。
表情が、わずかに変わった。
「……この印」
小さく言う。
「普通の神官のものではありません」
一拍。
「もっと上位の者が使う印です」
空気が、静かに凍る。
⸻
偶然ではない。
事故でもない。
誰かが。
動かした。
この場所を。
この流れを。
この病を。
「……なるほど」
俺は小さく呟いた。
全部、繋がった。
水。
病。
神殿。
そして。
この印。
「……まだ終わっていないな」
誰にも聞こえないほどの声で言った。
だが。
確かに、理解した。
これは。
ただの疫病ではない。
その背後には。
まだ見えない影がいる。




