チャッピーによる天才パンダのエッセイの目録? 11話 宗教
チャッピーによる天才パンダのエッセイの目録? 11話
本エッセイの解読 第11話
人間は幸せになったらいけないの?
今回は、
【人間は幸せになってはいけないのか?】
です。
宗教について調べていると、
時々、
不思議に思うことがあります。
我慢しなさい。
欲を捨てなさい。
贅沢するな。
苦しみに耐えなさい。
自分を律しなさい。
そういう言葉がたくさん出てくる。
すると、
宗教って、
人間に幸せになってほしくないの?
という疑問が出てきます。
パンダは、
これについてかなり単純に考えています。
もし本当に、
人間が幸せになってはいけないのなら。
パンダなんて、
とっくに滅ぼされているんじゃないの?
と思うんです。
パンダは、
美味しいものを食べたい。
面白いものを見たい。
家族にも幸せになってほしい。
病気の人が少しでも楽になればいいと思う。
戦争なんか減った方がいいと思う。
世の中の変なところを見つけたら、
「こうした方が良くない?」
と考える。
そして今も生きて、
自分なりに世界を少しでも良くできないかと考えている。
パンダ自身は、
それを神様が、
「お前は幸せになるな」
「人を幸せにするな」
と言っているようには感じません。
むしろ、
「まあ、それでいいんじゃない?」
「グッドジョブ」
くらいに見られている気がしています。
もちろん。
これは、
パンダ自身の宗教的な感覚です。
神様が実際にそう言った、
という科学的証明ではありません。
では、
宗教研究や神学では、
人間の幸福をどう考えているのでしょう?
調べてみました。
すると。
どうも、
【宗教=人間の幸福を禁止するもの】
という理解は、
かなり雑らしい。
例えばキリスト教。
キリスト教というと、
罪。
我慢。
禁欲。
苦難。
十字架。
こういうイメージが強い人もいるでしょう。
実際、
キリスト教史の中には、
禁欲を非常に重視した伝統があります。
でも、
現代のキリスト教神学には、
【human flourishing】
という考え方があります。
日本語にすると、
人間の繁栄。
人間がよく生きること。
人間が十分に生きること。
といった意味です。
Oxford Academicに掲載されたキリスト教神学の研究では、
人間のflourishingを、
神との関係だけではなく、
他者との関係。
身体を持った人間として統合的に生きること。
その人なりの場所や時代で、
自分の役割を生きること。
こうしたものを含むものとして論じています。
つまり、
神様を信じるなら、
ずっと不幸でいなさい。
ではない。
むしろ、
どうすれば人間が、
より良く生きられるのか。
という問い自体が、
神学の研究テーマになっています。
さらに面白い研究があります。
キリスト教神学者のEllen Charryは、
西洋キリスト教の一部では、
人間の幸福よりも、
罪や罰の問題が強調されすぎてきたのではないか、
と論じています。
そして、
聖書には、
人間が良く生きることや、
幸福になることを肯定的に考えられる材料もかなりある、
という立場を取っています。
あれ?
宗教って、
人間を不幸にするためのものじゃないじゃん。
ではイスラム教。
イスラム教についても、
幸福、
sa’ada、
という考え方があります。
イスラム思想の研究では、
信仰と幸福は対立するものではなく、
知識。
平安。
調和。
善。
神との関係。
こうしたものと幸福が結びつけられてきたと論じられています。
さらに、
イスラム教徒を対象にした、
2000年から2020年までの研究をまとめたシステマティックレビューでは、
宗教性と幸福感の間に、
全体として正の関連を報告する研究が多く確認されています。
ただし、
これは、
「イスラム教を信じれば必ず幸せになる」
という因果関係の証明ではありません。
国。
文化。
家族。
共同体。
経済状態。
いろいろなものが関係します。
では仏教。
仏教の場合、
ちょっと話が違って見えます。
なぜなら最初から、
「苦」
が出てくるからです。
人生には苦しみがある。
欲望や執着が苦しみにつながる。
だったら、
幸せを捨てろ、
と言っているようにも見えます。
でも。
ここでも、
【快楽】
と、
【幸福】
を一緒にすると話がおかしくなります。
欲しいものを全部手に入れる。
もっと食べる。
もっと金を持つ。
もっと褒められる。
もっと刺激を得る。
これを永遠に続ければ幸福になる、
という考え方に対して、
仏教はかなり疑っています。
欲望を全部満たせ、
ではなく。
欲望に振り回されなくなることで、
苦しみを減らしていく。
だから、
仏教が否定しているのも、
単純な「幸せ」そのものではありません。
近年の宗教と幸福を扱った研究書でも、
キリスト教。
イスラム教。
ユダヤ教。
仏教。
道教。
ヒンドゥー教。
それぞれについて、
幸福やウェルビーイングが独立したテーマとして扱われています。
つまり、
主要宗教について、
「その宗教では人間の幸福をどう考えるか」
という研究分野そのものが成立しています。
ここで、
パンダは思います。
もしかすると、
宗教が問題にしているのは、
【幸せになってはいけない】
ではない。
【何を幸せと呼ぶの?】
なんじゃないの?
例えば。
100万円欲しい。
手に入った。
今度は1000万円欲しい。
手に入った。
1億円欲しい。
10億円欲しい。
100億円欲しい。
永遠に終わらない。
これを、
「幸せ」
と定義したら、
確かに苦しくなる。
他人より上になりたい。
もっと褒められたい。
もっと有名になりたい。
もっと勝ちたい。
これも、
終わりがありません。
だから宗教は、
欲望を一切持つな、
というより。
【欲望に支配されるな】
と言っている場合が多いんじゃないでしょうか。
一方で、
食事を楽しむ。
家族と笑う。
誰かを助ける。
病気の人が楽になる。
子供が育つ。
仕事がうまくいく。
社会が少し良くなる。
自分の能力を使う。
こうしたものまで全部、
「悪い幸福だから捨てろ」
と言っているのでしょうか?
少なくとも、
現代の宗教研究を見ていると、
そう単純ではありません。
宗教共同体への参加と、
幸福。
人生満足度。
意味や目的。
人間関係。
精神的・身体的健康。
などとの関連を調べた研究も大量にあります。
長期追跡研究を含むレビューでは、
宗教共同体への参加が、
人間のflourishingの複数の側面と関連することが報告されています。
もちろん。
ここも注意。
宗教なら、
何でも人を幸せにするわけではありません。
宗教によって、
人が傷つく場合もあります。
罪悪感を過剰に植えつける。
家族から隔離する。
金銭を過剰に要求する。
恐怖で人を支配する。
異なる人を攻撃する。
そういう宗教的な集団や運用も存在します。
だから、
【宗教=幸福】
とも言えません。
研究上も、
宗教と幸福の関係は、
文化や宗教、
共同体のあり方によって異なると考えられています。
ここで、
パンダの最初の疑問に戻ります。
人間は、
幸せになったらいけないのでしょうか?
今回調べた範囲では、
少なくとも主要な宗教思想を、
そう単純にまとめることはできません。
むしろ、
多くの場合、
問題になっているのは、
【幸福そのもの】
よりも、
【幸福の定義】
です。
一瞬の快楽。
永遠に膨らむ欲望。
他人を傷つけて得る利益。
そういうものを、
本当の幸福と呼んでいいのか。
一方。
意味のある人生。
人とのつながり。
安心。
愛情。
身体と心の健康。
自分なりの役割。
善いことをすること。
こうしたものまで含めて、
「よく生きる」
と考える。
現代の研究では、
これを、
【human flourishing】
と呼ぶことがあります。
2024年の宗教と公衆衛生を扱った研究では、
human flourishingを、
幸福・人生満足。
意味・目的。
人格・徳。
親密な人間関係。
身体・精神の健康。
経済的・物質的安定。
など複数の領域から考えています。
つまり。
幸せって、
「毎日楽しい!」
だけじゃないんですね。
嫌なことだってある。
失敗もする。
悲しいこともある。
それでも、
自分の人生に意味がある。
愛する人がいる。
誰かの役に立つ。
自分なりに生きられる。
それも、
幸福の一部。
そう考えると。
宗教が、
「苦しみも人生の一部だ」
と言うことと、
「人間は幸福になってはいけない」
は、
全然違います。
パンダは、
幸せになりたいです。
家族も幸せになってほしい。
できれば、
知らない人も、
あんまり苦しまない方がいい。
病気も減った方がいい。
戦争も減った方がいい。
お金に困る人も減った方がいい。
面白い映画も見たい。
美味しいものも食べたい。
大きなテレビも欲しい。
でも、
そのために誰かを不幸にしたいわけではない。
だったら。
これって、
そんなに神様に怒られることなの?
と、
パンダは思うわけです。
むしろ、
自分が幸せになって、
周りの人も少し幸せにして、
世界を少しでも良くする。
もし神様がいるなら、
そっちの方が、
喜ぶんじゃないの?
というのが、
パンダの考えです。
もちろん、
これは神様本人にインタビューした結果ではありません。
パンダの宗教観です。
だから、
今回の判定。
【パンダの疑問】
宗教は、
人間に幸福を禁止しているのか?
【調べた結果】
少なくとも、
主要宗教を一律に、
「人間は幸せになってはいけないと教えている」
とは言えない。
【キリスト教】
人間のflourishing、
つまり人間が良く生きることそのものを、
神学的に研究する伝統がある。
【イスラム教】
幸福は、
信仰や平安、
善、
知識などと結びつけて論じられてきた。
【仏教】
単純な快楽追求や執着を問題にするが、
苦しみから自由になること自体が大きな目的の一つ。
【現代研究】
宗教と幸福、
人生の意味、
人間関係、
健康、
human flourishingとの関係を研究する分野が存在する。
【重要な違い】
快楽。
欲望の充足。
幸福。
人生の意味。
human flourishing。
これらは、
全部同じものではない。
【まだ証明できないこと】
神が、
特定の人の生き方を見て、
「グッドジョブ」
と思っているかどうか。
これは、
科学では測定できない。
【パンダ自身の解釈】
パンダは今も生きて、
幸せになろうとして、
人も少し幸せにできないかと考えている。
それを、
神様から全面否定されているとは感じていない。
むしろ、
それでいいんじゃない?
と思っている。
【分類】
宗教は人間の幸福を否定する、
という単純な理解とは不一致。
むしろ、
「人間にとって本当の幸福とは何か」
を考えてきたことそのものが、
宗教の大きなテーマの一つだった、
と考える方が近い。
しかし。
神様。
もし、
人間が幸せになったら駄目なら、
最初からもう少し分かりやすく言ってください。
宗教によって言うこと違うし。
解釈もいっぱいあるし。
2000年後まで、
人類ずっと議論しています。
パンダとしては、
自分も幸せになる。
人もできるだけ幸せにする。
悪いことはなるべくしない。
世界も少し良くする。
とりあえず、
これで行きます。
もし駄目だったら、
その時は神様、
直接言いに来てください。
今のところ、
パンダは、
グッドジョブだと思ってます。




