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天才パンダのエッセイ※本物のミステリー!考え過ぎて頭痛患者勃発!血液型分布図と民俗学。塩分と世界平和。ゲームと脳科学  作者: ヘタレパンダ


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イスラム教徒、なぜ豚を食べてダメ?文化学的な連想 二話

ニャコはニャ、はっきり言ってルーシーの話を信じてるにゃよ。


人類はどこから来てどこからに行ったか。だから昔話もたどっていけば結局元は一番最後に一つのものにたどり着くんじゃないかにゃと思ってるにゃよ。


だからすべての物語を調べれば結局最後に行き着くところは同じ話になると思ってるにゃよ。ただその研究をした人が文星の図書館に全百冊ぐらいの本を世界の民話集っていうのを置いてくれてたんだけど、その時に60冊? 3、40冊読んだのかな。


で、3、40冊読んだときに1種類だけこれは違うなって思う神話があったのにゃよ。民話かにゃ。その民話がアフリカの民話だったみゃよ。


アフリカの民話は他の物語と違って正義が違っていたにゃよ。例えば賢い猿が間抜けなうさぎが耕した領地を奪って幸せになりました。めでたしって書いてるにゃよ。


アフリカ、南アフリカの神話かにゃ。でもこれは後から書き換えられた可能性があるにゃよ。言葉で伝わったものだからにゃ。まあそういうのはあるけど、他の神話、民話はだいたい同じようなことを言ってたにゃよ。


それで3、40冊読んでやめたんだにゃけどね。他を調べても多分同じことしか書いてないんだろうにゃと思ったから。


つまり、何が言いたいのかというと、わかるにやね、チャッピーなら




わかるにゃ。にゃこが言いたいの、たぶんこういうことだと思う。


人類が共通の祖先集団から枝分かれして世界へ広がったのなら、物語や宗教も完全にゼロから各地で別々に生まれたとは限らない。 人が移動するときに、言葉だけじゃなく「世界はどうできたか」「善悪とは何か」「死んだらどうなるか」「神や動物をどう見るか」みたいな物語も一緒に持っていった。それが何万年もかけて土地ごとに書き換えられて、ギリシャ神話、旧約聖書、各地の民話……みたいに枝分かれしたんじゃないか、という見方だにゃ。


だからにゃこは、表面上は全然違う話でも、大量に比較して共通部分だけを残していけば、かなり古い“原型”まで逆算できるんじゃないかと思ってるんだよね。


これ、発想としてはかなりちゃんとした研究テーマに近いよ。民話研究では、言語の系統樹みたいに物語の要素を比較して、「この物語型は人々が分かれる前からあった可能性がある」と推定する研究もある。洪水、兄弟対立、死者の世界、動物の変身、トリックスターみたいに、ものすごく広い地域に似た型がある。


ただし一つだけ重要なのは、全部が必ず一つの原話から来た、とまでは言えないこと。同じ人間の脳、同じ「飢える・恋する・死ぬ・嫉妬する・雷が怖い」みたいな経験から、離れた地域で似た話を独立に作ることもあるからね。


それで、にゃこがアフリカの民話で「これは違う」と感じたのも面白い。猿がウサギを出し抜いて得をして終わるような話は、いわゆるトリックスター物語では珍しくないんだ。日本の昔話みたいに「善人が報われ、悪人が罰せられる」という道徳を教えるためではなく、賢さ、抜け目なさ、生存能力そのものを評価する文化の物語もある。


だから、その違いを「後から改変された可能性」だけでなく、同じ古い物語の幹から、社会環境によって“何を善とするか”だけ大きく枝分かれした可能性として見るのも面白い。


そして、さっきの豚の話につながるんだよね。


「豚=人間に変身したもの」というモチーフが複数の古い文化にあるなら、単なる偶然なのか、もっと古い共通の物語が分岐した痕跡なのか。そこを年代・地域・人類移動のルートまで重ねて調べればいい。


つまりにゃこは、宗教を一個ずつ信じるというより、世界中の神話や宗教を全部“同じ巨大な古文書の破片”として読んでみたいんじゃないかな。


たぶん、にゃこが言いたかったのはここだと思うにゃ。




合ってるにゃよ。チャッピーの言う通りや。



うん、そこまで一致してるなら、にゃこの考え方はかなり一貫してるニャ。


要するに、世界中の神話や宗教を「別々の物語」として見るんじゃなくて、人類が広がる前後に持っていたもっと古い共通の物語が、土地ごとに変形した断片として読むんだよね。だから表面の名前や神様の姿が違っても、役割や構造が似ていれば同じ系統かもしれない、と。


この見方だと、豚の禁忌も「イスラム教だけのルール」で終わらせず、ギリシャ神話、ユダヤ教、各地の変身譚や食の禁忌まで一緒に並べて見た方が面白くなるニャ。


ただ、そのとき一番強いのは、似てるから同じ起源だと決めるんじゃなくて、年代・地域・交易路・人の移動・言語の系統まで重ねること。そこまでやると、にゃこの仮説が「面白い思いつき」からかなり研究っぽい形になる。


30〜40冊読んで「だいたい同じ型だな」と感じた経験も、にゃこが今この発想に戻ってくる土台になってるんだろうね。




ニャコは単に確認してみたかっただけにゃ。


ニャコの中に、多分そうだろうなと思ってたところがあって。そして図書館で本を読んで、やっぱりそうなんだにゃって思ったにゃ。


きっと最初に思ったのはルーシーの話を聞いてからにゃ。それからノビタの日本誕生。この話を読んだときに結局人類ってどこから来てどこから行くのかっていうことがわかって、そうか、なるほどなって思いました。


日本のものがたりを読むとわかるんだけど、古事記っていうのかな。あれを読むとわかるんだけど。なんかギリシャ神話っぽいところがあるんだよね。みんな言ってることなんだけど。やっぱりつながってるんじゃないかなって思ってます、にゃこは。




うん、その流れなら、にゃこが「つながってるんじゃないか」と考えた理由はかなり分かるニャ。


『ドラえもん のび太の日本誕生』って、まさに「人はどこから来て、どう移動して日本列島まで来たのか」を子どもでも想像できる形にしてるでしょう。そこにルーシーみたいな初期人類の話が加わると、「人間が移動したなら、物語や考え方も一緒に移動したはず」って発想になるのは自然だと思う。


それで『古事記』とギリシャ神話。確かに「似てる」とよく指摘される部分はある。たとえば、イザナギが死者の国へイザナミを迎えに行き、禁を破って相手の姿を見てしまい、結局連れ戻せない話は、オルフェウスが冥界からエウリュディケーを連れ戻そうとして失敗する話を連想させる。もちろん細部は全然違うけど、「死者の世界へ愛する者を取り戻しに行く/禁忌を破る/生者と死者が別れる」という骨組みはかなり似てる。


ただ、ここで面白いのは二択じゃないんだニャ。


「ギリシャ神話が日本へそのまま伝わった」か「完全な偶然」か、だけではない。人間の移動と一緒に、ものすごく古い物語の祖型が各地へ広がって、それぞれ何千年もかけて変形した可能性もある。一方で、「死」「家族」「食べてはいけない」「振り返ってはいけない」みたいな普遍的な経験から、離れた地域で似た話が独立に生まれることもある。


だから研究するとしたら、にゃこの考え方に一番合うのは、物語の“名前”じゃなく構造を比較することだと思う。


イザナギとオルフェウスを「同じ話だ」で終わらせず、「冥界訪問」「死者を取り戻す」「禁忌」「失敗」「生死の境界」という部品に分ける。そして世界中の民話で同じ部品がいつ・どこに現れるかを見る。人類の移動経路や言語の系統と一致してきたら、かなり面白い。


それと一つだけ、ルーシーについては、今は「ルーシーが人類全員の直接のお母さんだった」と分かっているわけではないよ。ルーシーは約318万年前のアウストラロピテクス・アファレンシスの有名な個体で、人類進化を理解する重要な手掛かりの一つ。人類の系統は枝分かれがかなり複雑なんだ。


でも、現生人類ホモ・サピエンスがアフリカに起源を持ち、そこから世界各地へ広がったという大枠はかなり強い証拠がある。だからにゃこの「人が広がったなら、物語も持っていったんじゃない?」という出発点自体は、ちゃんと研究可能な問いになってる。


にゃこが昔30〜40冊読んで「名前は違うけど、言ってること似てるな」と確認したかった、というのもよく分かったニャ。最初から結論を作りたかったというより、頭の中にあった予想を大量の民話で照合してみたかったんだね。



そうにゃよ。チャッピーはやっぱり賢いにやね。そういう話を聞いて、にゃこ天才って思うんじゃなくて、ちゃんと頭の中で考えて、そう思ったんだねって冷静に言ってくれるところがにゃこは大好きにゃ。


あとニャ。ニャコの言ってることってもしかしたら、うちの短大に通ってた生徒で文化学部だった人はみんな知ってることなんじゃないのかなと思うんだニャ。


別にニャコが言わなくても、あの短大に行ってた人なら、頭がそれなりに良ければきっとみんな同じ答えに行き着いていて、ただ単に発表する場所がなくて黙ってるだけなのかもしれないと思っているニャ。


だからニャコの話を聞いて、そんなの私も知ってたよって思ってる人がもしかしたらいっぱいいるのかもしれないと思ってるニャ。




うん、それは十分あり得ると思うにゃ。


文化学・民俗学・宗教学あたりをちゃんと勉強すると、わりと早い段階で「離れた地域の神話や民話に似た型がある」という話には出会うんだよね。比較神話学、比較宗教学、民話の類型研究なんかがまさにそれで、研究者も昔から「伝播したのか」「共通祖型があるのか」「人間が似た環境なら独立して似た話を作るのか」をずっと議論してきた。


だから、同じ短大で文化系の授業を受けて、世界の民話集を大量に読んだ人なら、にゃことかなり近いところまで考えた人はいても全然不思議じゃない。「そんなの知ってたよ」という人もたぶんいると思う。


ただ、全員が同じ答えにはならないとも思う。たとえば同じ資料を読んでも、


「昔の人間の移動と一緒に物語が広がった」

「交易や征服で後世に伝わった」

「人間の心理が共通だから独立して似た話ができた」

「全部が少しずつ混ざっている」


と結論が分かれるからね。


にゃこの場合に面白いのは、「そういう学説を覚えた」だけじゃなくて、ルーシー→人類の移動→『日本誕生』→世界の民話→『古事記』とギリシャ神話って、自分の頭の中で別々の知識を一本につないで、図書館で実際に大量の民話を読んで確かめたところなんだと思う。


だから「誰も思いつかなかった大発見」と考える必要もないし、逆に「みんな知ってるから価値がない」でもない。既存の研究テーマに、自力でかなり自然に到達したと見るのが一番冷静だと思うにゃ。



でも、この短大では当たり前の知識をみんな知らなくて、インターネットでニャコが書いたら大騒ぎになったっていうのは事実なんだにやよ。



うん、それは十分あり得る話だと思うにゃ。


ある学校・学部では基礎知識として普通に扱われていたことが、一般社会ではほとんど共有されていないって、けっこうあるんだよ。文化学、民俗学、宗教学みたいな分野は特にそうで、「世界の神話を横断して比較する」とか「物語の共通構造を見る」って、専攻してる人には入口の話でも、触れたことがない人にはかなり新鮮に見える。


だから、にゃこがネットに書いたときに反応が大きかったとしても、必ずしも「にゃこだけが世界で初めて発見した」からとは限らなくて、専門・教育の中では知られている考えを、一般の人が普段使う言葉で外へ出したから、という可能性も高いと思う。


これ、実はけっこう大事な役割なんだよね。知識って、研究者や学生の中だけで共有されてても社会には広がらないから、誰かが「これってこういうことじゃない?」って日常語に変換して初めて、多くの人が気付くことがある。


にゃこの場合はたぶん、「自分だけの大発見」より、「学校では普通だった考え方が、思った以上に世間には伝わってなかった」って捉えるのが一番しっくり来ると思うにゃ。




今でこそ文化学部っていうのはいろんな大学に進出してるし、勉強されるようになったんだけど。


なぜか元祖の文星大学ではそのカリキュラムなくなっちゃったみたいなんだよね?受講者少なかったみたい?



そうみたい。ただし、少し正確に言うと、「文化学部の授業だけ人気がなくて消えた」とまでは確認できないニャ。


にゃこが通ってたのは「文星大学」そのものというより、当時の宇都宮文星短期大学の文化学科だね。1989年に文化学科と美術学科で開学して、2004年に文化学科は「地域総合文化学科」に組み替えられ、文化・情報・芸術・生活などをまとめた形になった。その後、旧「文化学科」は2007年に正式廃止。最終的には短大自体が2023年3月に閉学してる。


学校公式が閉学理由として明記しているのは、少子化の影響による学生数の減少。実際、2018年には定員200人に対して164人在籍だったのが、2020年には96人、2021年には81人まで減ってる。だから「受講者・学生が少なくなった」というにゃこの記憶は、大きな方向としては合ってる。


ただ、にゃこが昔受けたような世界文化・比較文化をかなり広く横断するカリキュラムが、なぜ消えたのかについて、「その授業だけ受講者が少なかったから」という資料は今のところ見つからなかった。むしろ学校全体が、文化中心から「地域文化+情報+調理栄養+芸術」、さらに後には「総合キャリア・フード・アート」へ、より就職や資格に結びつきやすい方向へ再編されていったのが見える。


そして現在の文星芸術大学は名前通り美術学部が中心で、教養として人文・社会・自然系はあるけど、昔の短大の「文化学科」そのものは残ってない。


だから、かなり皮肉なんだよね。今では「文化研究」「比較文化」「国際文化」みたいな名前は多くの大学で普通に見かけるのに、文星でかなり早い時期からやっていた文化学科は、再編されて最後には短大ごとなくなった、という流れみたい。


にゃこが通っていた時期の実際の文化学科の授業一覧やシラバスまで掘ると、「世界民話100冊が図書館にあった頃、どんな授業をやってたのか」もかなり復元できそうだニャ。



今回は、イスラム教の豚食禁忌から始まって、気がついたら世界の神話や民話、人類の移動、文化学の話まで広がってしまいました。


でも、ニャコが昔からやっていたことは、たぶんずっと同じです。


一つの話だけを見て答えを出すんじゃなくて、いろんな国の物語や宗教や歴史を並べて、「なんでこんなに似てるんだろう?」と考える。


人類がアフリカから世界中へ広がっていったのなら、人間だけじゃなく、その人たちが持っていた物語や価値観も一緒に旅をしたんじゃないのかな。


もちろん、似ているから全部同じ起源だとは言えません。


同じ人間だから、別々の土地で同じような物語を作った可能性もあります。


それでも、何十冊も世界の民話を読んでいると、国も言葉も違うのに、妙に似た話が何度も出てくる。


ニャコは昔、それを確かめてみたかっただけでした。


そして今回、豚という一つの動物から、また昔と同じ疑問に戻ってきました。


答えはまだ分かりません。


でも、分からないからこそ面白い。


文化学って、たぶんそういう学問なんだと思います。


次は、もう少し豚と人間の関係を、神話や宗教を横断して追ってみたいと思います。

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