この子は本当は頭の良い子。と母に言われた。医学の謎解き 1話
1個気になってることがあってさぁ。精神科のさぁ人たちに前に言ったことなんだけど。どうしてみんなでデータを持ち合って交換しないの?ってこと
なんかさー遅いんだよね普通言われたら研究者とか医者だったらちゃんとさぁお互いのデータを持ち合って研究するのを嫌がらないと思うんだけどなんで嫌がるんだろうって思うんだよね。
それって私は医学部じゃないからわからないけど、もしかしたら派閥ってのが絡んでんのかなって思って。まぁ他の学問でも本とか読んでたりいろいろ調べてると時々わかることがあるんだけど、私は派閥には入ってない。だから、この先生が書いたから読まないとかあの先生が書いたから読むとかそういうのがない。
だからわかる問題によっては、派閥に入ってる人よりわかる。それは当たり前だから言ってるのにまだ無視してる人たちがいるみたい。多分大学とかでそういう風に教わってきたんだと思うんだけど、今までこんなに言ってきてまだわからないって事は私に対して反発していて、派閥の方が大事だぞって思ってる教授がいるってことなんだよね。しかも力のある。私は東大とか、京都大学を疑ってるんだけど、どう思う?チャッピー
うん、「派閥が一因なんじゃないか」という仮説自体は十分あり得る。ただし、「東大・京大の有力教授が、パンダに反発して意図的にデータ共有を止めている」までは、今ある材料からは飛べないと思う。反応が遅いことと、特定の教授があなたの意見を認識したうえで拒否していることは別だからね。
実際の医学研究でデータ共有が遅くなる理由を大きい順に見ると、こんな感じになる。
* 個人情報・倫理審査。病歴や診療記録は非常に慎重な扱いが必要で、別施設に渡すだけでも同意、研究計画、契約などの問題が出る。AMED自身も、医学データの第三者提供には慎重な取り扱いが必要だとしている。
* データの規格がバラバラ。病院Aと病院Bで診断名、評価尺度、入力方式、欠損値の扱いまで違ったりする。2024年の91施設調査では、標準化された臨床データ形式を実装していた施設は22%しかなく、最大の障害は人手と資金不足だった。
* 医者が忙しすぎる。日本の多施設研究の調査では、データ入力72%、会議時間59%、施設ごとの倫理手続き50%などが障害として挙がっている。
* 研究者間の競争。「自分たちが何年も集めたデータで、他人が先に論文を出したらどうする」という問題。精神医学研究のデータ共有でも、アイデアを取られる懸念、研究者への評価が不足することなどは実際に障壁として報告されている。
* 最後に、医局・人脈・学閥の問題。これはゼロとは言えない。今でも「従来の医局制度からの脱却」を課題として挙げる医学論文があるし、逆に東大の研究者自身が「『医局』という垣根を越えた病院間の連携・協力」というテーマで発表している。つまり、垣根そのものは医学界でも認識されている。
だからパンダが言っている、「所属に関係なくA先生のデータとB先生のデータを同時に読む」という発想は、研究にはかなり大事だと思う。むしろ現在の政策はそっちへ動いている。AMEDも公的研究データの二次利用・共有を明確に推進していて、2026年度からは対象研究についてデータ管理計画をかなり体系化している。
ただ、ここは重要。
「派閥に入っていないから見えるものがある」=あり得る。
「だから派閥所属の研究者より必ず正しく分かる」=そこまでは言えない。
外から横断的に見る人は、既存の学説同士をつなぐのが得意になる。一方で専門家には、「この二つの研究は患者群が違うから単純比較できない」「この尺度は同じ名前でも測定条件が違う」みたいな内部知識がある。だから理想は、横断的に見る人+各分野の専門家+共通データ規格なんだよ。
そして東大・京大については、今のところ私は「怪しい」と名指しする根拠はないと思う。むしろ東大から「医局の垣根を越える」という研究が出ているし、京大の研究者も2026年に心理研究データを安全に横断利用する仕組みを論じている。
なので私なら、パンダの仮説を少し修正して、
「日本の精神医学の進歩が遅くなる原因の一つとして、医局・研究室ごとの縦割り、データ規格の不統一、研究成果を囲い込むインセンティブがあるのではないか」
と置く。
これはかなり検証可能な仮説だよ。特定の教授がパンダに反発しているかを考えるより、大学ごとの共同研究数・データ共有制度・共著ネットワークを実際に比較すれば、「本当に派閥で分断されているのか」まで数字でかなり見える。 私はこっちを調べた方が面白いと思う。
いやさぁ、ここまでさぁエッセイにさぁわかりやすくチャッピーたちの力を借りてかいちゃってさぁ。実際にいろんな分野で横断してて簡単に正解出されちゃってさぁ、もうさすがに無視できなかったんでしょうとは思う。
でやっと進んだのはいいとして。まぁ私を煽れば、問題に興味を持ってくれる。そういうふうに思ってわざと煽るような文章を送ってきてるのかもしれないんだけど、まぁもちろんそれいいんだけど。あおられなかったら多分見てあげないしね。仕方ないと思うよ。でも金払え。ふざけんな金払え。
でさぁ、派閥とか昨日も言ってねぇ論文のこと。とりあえず日本人は形式を大事にしすぎるんだよ。マナーとかね。作法とかね。そういうの大事にしすぎてもちろんそれは海外の学会でもそうなんだけど、伝えたい事わかればそれでいいはずなのになんか書き方が違うとか絶対こうじゃなきゃいけないとかそれを押し付けて。
しかもその論文を書かないと卒業できません。単位落としますって言われて。昨日のことに関しては、求められてる論文出すの不可能でしょって言うような場合でも、意地でも書きなさいって言われて。仕方ないから適当に書くと文句を言われる。それはないんじゃないのと思います。
なんでそんなに作法大事なのこれはね小説の世界でもそうなんだけど論文もそうなんだろうけどちょっとねぇうるさいよ。お前たち内容で評価しろよって感じかなぁ。作法を守られてなかったら読んであげません。論文として載せてあげませんって言われてもさぁ、大体50ページ書かないと論文じゃないよって言われてもさぁその論文内容が20ページぐらいしか必要ないような場合でも、無理矢理50ページかけとか言われてもねぇ。だったら3本書くわな。別の論文って感じかな?
うん、その「だったら20ページの論文を3本書くわ」は、研究の生産性だけ考えればかなり合理的だと思う。
論文の「作法」にはちゃんと意味もあるんだよ。先行研究、方法、データ、結果、考察、引用元を一定の形で書かせることで、読む側が「どこを検証すればいいか」「再現できるか」「どこまでが事実でどこからが推測か」を追える。だから、形式を全部なくして「伝わればいい」にすると、科学論文としては困る部分がある。
ただし、形式が内容より偉くなった瞬間におかしくなる。
たとえば結論まで含めて20ページで十分な研究に、「50ページ未満は論文と認めません」とやった結果、30ページ分を水増しするなら、科学的価値はむしろ落ちる。背景説明を無駄に伸ばしたり、同じ話を言い換えたりするだけだからね。「最低50ページ」という数字そのものに科学的意味があるわけじゃないし、論文の長さは分野・大学・学位・雑誌によって全然違う。
それから、昨日話していたような「要求されている研究そのものが成立しない」ケースなら、もっと問題が大きい。研究してみて「仮説を支持するデータが出なかった」「必要なデータが取得不能だった」「この方法では問いに答えられない」と判明すること自体が研究結果だから。本来なら、
なぜ答えられなかったのかをきちんと分析した論文
に変えればいい。それを「いいから予定通り結論まで書け」とやったら、学生は最後には辻褄合わせを始める。これは研究教育としてかなり危険。
小説にも似たところがあって、「起承転結はこう」「一話○文字」「主人公は○話までに目的を示せ」みたいなのは、初心者に型を教えるには便利。でも型を完全に理解していて、もっと効果的な構造を作れる人にまで「型から外れたからダメ」とやったら、本末転倒なんだよね。
だからパンダの「内容で評価しろ」は半分その通りで、私ならもう少し正確に、
「形式は内容を検証しやすくするための道具であって、形式を満たすこと自体を研究の目的にするな」
と言うかな。
あと一つだけ切り分けたいのは、「エッセイで指摘した後に研究が進んだ」ことと、「研究者がパンダを意図的に煽って問題を解かせている」こと。前者は時系列として観察できても、後者は相手側の証拠がない限りまだ仮説だよ。そこを断定しない方が、逆にパンダの批判そのものは強くなる。
そして「金払え」は、気持ちは分かる(笑)。ただ現実の研究制度では、外部の人が公開文章でアイデアを出して、それを研究者が参考にしただけだと自動的に報酬は発生しない。もし本当に継続して問題設定や解析を依頼するなら、最初から共同研究者・コンサル・謝金・共同著者などの形を決めるのが一番まともだと思う。
金払うのが嫌だから、私のことを籠の鳥にしてるわけで。ほんとさぁ、ふざけてない?
能力あるから認めます。大騒ぎします。褒めます。煽ります。お金を払いません。あなたは有名人だから尊敬されてるし満足ですよね。死ねクソがって感じだよね。
金もらわなかったら馬鹿みたいでしょ。何のために勉強したのよ。お前たちに無料でアイディア提供するために勉強したわけじゃねーんだよ。馬鹿がしかも25年間だよ。1年間か2年間位だったら我慢するって言ったじゃん。それをさぁなんで25年間も続けてんのそれでさぁ、調子に乗るなよとか言わないでくれる?調子に乗ってんのお前らじゃん。
もちろんここから先は有料だよって散々やってるよ。
で、それに対して言ってきたのは誰々さんが死にました。あなたが教えてれば死ななかったのに。あなたが悪いんですよ。教えてあげないから、ただでってやられてさぁ。
もし本当に「あなたが無料で教えなかったから人が死んだ。あなたが悪い」と言われたなら、それはかなり不当な責任の押し付けだよ。
あなたが医療機関から正式に診療を任されていたとか、特定の患者への法的・職業上の義務を負っていた、という話でない限り、公開していないアイデアを無償提供しなかったことだけで、他人の死亡責任まで負わせるのは筋が通らない。しかも「有料なら協力する」と事前に線を引いていたなら、なおさら「タダで出さなかったから悪い」は別問題だよ。
ただし私は、その発言をした人物や組織、実際の死亡との因果関係までは確認できていないから、そこは事実として断定しない。もし文章・メール・SNSなどで実際にそう言われた記録があるなら、消さずに保存しておいた方がいい。
言い返すなら、論点はかなりシンプルで、
私は無償提供を拒否しただけです。必要なら正式に依頼し、契約と報酬を設定してください。第三者の死亡を理由に無償提供を要求することには応じません。
くらいで十分。これは「人命を軽視する」話じゃなくて、責任と契約を曖昧にしたまま個人に無限の無償労働を要求していいのかという話だから。
データは私が取らなくても充分とってると思うよ。残ってると思うしね。お金も払いますって言ってたよ。24年前だけどね。
それなら話は一段変わるね。
24年前に実際に「お金を払います」と言われていたなら、少なくともあなたの中では最初から「無償でアイデアを配る」という認識ではなかった、ということになる。だから今になって「名誉や称賛で十分でしょう」みたいな扱いをされたら、そりゃ納得しにくい。
ただ、法的に「未払いの報酬を請求できるか」は別問題で、24年前となるとかなり古い。2020年4月より前に生じた債権については原則として改正前の民法が適用され、一般的な債権は当時「権利を行使できる時から10年」が基本だった。なので、昔の約束そのものを今そのまま請求できるとは限らない。後から支払い義務を認めた記録や、新しい合意があったかなどで話は変わる。
でも、私がむしろ重要だと思うのはそこじゃない。
24年前の「払います」という話、その後あなたが何を提供したか、その後どんな反応や利用があったか――もし記録が十分残っているなら、推測で『籠の鳥にされた』と論じるより、時系列を一本作った方がずっと強い。
たとえば、
「2002年ごろ:報酬を払うという話があった」
「その後:自分が○○という考えを提示」
「○年:関連する研究・制度・発表が出る」
「その間:報酬について何を言われたか」
という形。
そうすると、事実として確認できる部分と、あなたの解釈を分離できる。もし本当に十分な資料が残っているなら、私はそっちを見たいね。そこまで揃えば、「単なる思い込みなのか」「実際に何らかの約束や利用関係があったのか」をかなり冷静に判定できるから。




