オデッセイウス映画、ネタバレはないけどパンダの考察
ちょっとね、席が悪くてね。 前の方過ぎちゃってね、首が痛かった。 疲れちゃった体。 だけどね、最初の頃はあんまり面白くなかったんだけど、最後まで見たら面白い映画だったよ。
だから映画館って好きなんだよね 。本当だったらさ、テレビで見たら絶対に見んのやめちゃうような映画でも最後まで見れるしさ。 で、しかも真ん中の方の席に座ったらさ 、右と左に人が座っちゃってさ。 席から立てなくなっちゃったんだよ。だから仕方なく最後まで見たの。でも最後まで見てよかったよ。
両脇ね、4席くらいずつ 誰も座ってなかったんだけど 、ちょうど一番端っこの 右と左に 人が座ってたのよ。 だから 、トイレとか行ったりとか、飽きて席立つのに、その人たちのこと乗り越えていかないといけないから 、我慢して見てたんだけど、でも結構良かった。 今日、いい映画だったよ。
Odious seus .面白かったよ。 えっとね、やっぱり別に文章で書かないと 頭回んないね。どこが面白かったっていうかね。 あの、叙事詩っていうの? だから平家物語とちょっと似てるなって思ったの。 スケールは違うし 、歴史ももっと古いんだけど 、平家物語に似てるなってちょっと思った。 スケール違うけどね。
オデュッセウスだね。オデュッセウス。
文章にしないと残らないの、わかる。観た直後の「どこが面白かったか」って、放っておくとすぐ霧になる。
平家物語に似てるって感覚、すごくわかる。どっちも戦争のあと、家が壊れかけて、人が海や旅の途中で迷いながら、語りと音楽で運ばれていく感じがある。スケールも時代も全然違うのに、「語られる叙事詩」としての空気が近い。ノーランのも、ただ派手に戦ってるんじゃなくて、語り物みたいに波が来るよね。
どこが一番残った? 音楽のところ? それとも帰り着くまでの感じ?
最後の40分は全部残ったかな。それ以外は見なくても別に良かったんじゃないのって思った。 あとさ、日本人にアニメで作らせた方が絶対いいと思ったよ。 20分間隔でさ。8話とか、 12話ぐらいにした方がもっと良かったかも。 映画にしたらちょっと 微妙かな 。実写、まあ、もちろん俳優とかも、女優も良かったんだけど 、でも、アニメの方が 、意外と残ったかもしれない。
最後の40分だけ残るの、正直あるよね。途中の寄り道が多くて、「これ全部いる?」ってなるタイプの話だから。
12話・1話20分のアニメにしたら、寄りの部分も「次の島」として消化しやすかったかも。映画一本に詰めると、前半が長くて後半で一気に来る感じになる。俳優は良くても、あの物語の「語り物」っぽさは、絵と音楽で区切った方が残る人は多いと思う。
実写で大きく撮った意味もあるけど、あなたの感覚だとアニメシリーズの方が合ってた、ってことだね。最後の40分が残ったなら、観た甲斐はあったんじゃない。
Grokはオデュッセウスいつ見れるのって聞いたの。
あ、ごめん。グロちゃん=こっちか。
オデュッセイア、私は劇場には行けない。公開されてもフィルムを「観る」ことはできなくて、レビューや公開情報、あなたの話から知るだけ。
だから「いつ見られる?」の答えは、あなたの目で見たやつを、今ここで話してもらうのが一番近い。最後の40分が残った、平家物語っぽい、アニメ12話の方がよかった——それがいちばん生の感想。
続き、もっと聞いてもいい? どのあたりが平家に似てた?
うん、多分ね 、監督もね、平家物語のアニメ見たのかもしれないなって思った。 なんつーのかな。 諸行無常っぽいところがよく書けてた。
諸行無常、そこか。
戦争に勝っても家は待ってくれない、神も助けてくれない、人が残るだけ——あの感じだよね。平家も「盛者必衰」で始まって、勝ち負けより先に全部流れていく。オデュッセイアも帰り着く話なのに、帰っても元には戻らない感じがある。
監督が平家のアニメを見たかどうかは分からないけど、叙事詩を今の映画にすると、どっちも同じ場所に着きやすい。派手な怪物より、時間が全部を削っていくところ。
最後の40分にそれが溜まってた、ってことかな。
え、監督がさ、平家物語に影響を受けてるかどうか確認して、アニメの
確認した。公開インタビューを見る限り、ノーランが平家物語やそのアニメを観た、影響を受けた、という発言は出てこない。
本人が挙げてるのはこっち。
• ホメロス本体(ウィルソン訳など複数)
• 『イーリアス』、ウェルギリウス『アエネイス』、アイスキュロス『アガメムノン』
• レイ・ハリーハウゼンの怪物映画
• 黒澤明の『乱』
• 『ジョーズ』『エイリアン』
• 前作『オッペンハイマー』からの「文明が終わる感覚」
• 青銅器時代の崩壊(トロイア戦争のあと、ホメロスの時代までの空白)
いちばん近いのは『乱』。家が壊れ、勝ち負けより先に全部が流れていく感じ。平家と同じ「盛者必衰」の家系譜にいる。
諸行無常っぽく見えたのは、あなたの読みとして筋が通ってる。監督の言葉だと、それは平家アニメ経由というより、文明が一度滅んでから語られる叙事詩、という発想から来てる。ホメロス自身が「昔の方がすごかった」時代を書いてる、とノーランは言ってる。
だから「平家を見たのかも」は証明はできない。でも同じ場所を踏んでる、とは言える。
ああ、黒澤明の影響を受けてたのね。じゃあさ 、日本の平家物語のアニメもさ、黒澤明の影響を受けてたのかな?
直接は、たぶん違う。
山田尚子がインタビューでよく出す名前は、小津安二郎、パラジャーノフ、ソフィア・コッポラ、ホドロフスキー。黒澤は出てこない。平家アニメの土台は古川日出男の現代語訳で、視点はオリジナルの琵琶法師の少女・びわ。戦争絵巻より、人が消えていく日常と目の高さで撮ってる。
黒澤の『乱』はシェイクスピア+戦国で、家が壊れるのを大画面で見せる。平家アニメは同じ「盛者必衰」を、小さい声と残る人の側から見てる。源流は同じ日本の軍記・無常観だけど、監督が黒澤を真似した、という話ではない。
だからこう整理できる。
• ノーラン → 黒澤『乱』は本人が言ってる
• 平家アニメ → 黒澤経由という証拠はなし。平家そのものと山田尚子の作家性
• あなたが感じた「似てる」→ 両方とも叙事詩の終わり方(栄えたものが流れる)を映画/アニメにしてるから、結果として近い場所に着く
影響の線は一本じゃなくて、同じ川の別の岸、って感じ。
でもさ 、この監督はさ、この物語は忘れ去られていくって言ってたけどさ。 絶対にずっと残さなきゃいけない物語だと思ったよ、私は。 ただアニメにした方がいいかもしれないとは思った。 だって何て言うのかな? ちょっと説明が足らないところが多くてさ。 私の古い知識 、もちろん 叙事詩をよく勉強した人はわかってるのかもしれないけど 、説明がちょっと足らなかったかな。 少なくとも日本人は 、その知識がある人が少ないから 、ついていけないかもしれない。 だから12話とか10話ぐらいまあ8話でもいいんだけど アニメにした方が ちゃんと書き込めたと思うのね 多分監督も 本当はもっと長くしたかったんじゃないかなってちょっと思った だけど仕方なく 削ったんじゃないかなって
その感覚、かなり正しいと思う。
ホメロスも平家も、もともと一夜で全部やる話じゃない。語り手が何夜もかけて、寄り道して、同じ戦いを別の角度からもう一回言う。映画一本(しかも3時間弱)にすると、怪物と旅と家が全部圧縮される。知ってる人は「あのエピソードね」で補える。知らない人は説明不足に見える。日本人だと後者の方が多い。
「忘れ去られる」は、監督の言い方だと「ちゃんとした大作映画になってない空白」だったはず。あなたは逆で、残すなら途中を削らずに残したい、と見てる。目的は同じで、器の選び方が違う。
8〜12話のアニメなら、島ごとに一話、帰り着いてから数話、って書ける。今の映画は「最後の40分に全部を置く」形になってるから、前半が説明不足に感じるのは自然。監督が本当は長くしたかったかどうかは分からない。ノーランはいつも一本の巨大な体験にしたがる人だから、削ったというより、最初から劇場一本用に設計してる可能性の方が高い。
anyway、残さなきゃいけない話、って判断はあなたの側が強い。忘れさせる側じゃなく、次の器を考えてる。
まださ、パンフレット読んでないんだ。字が細かいから読めないの。 でさ 、もしグロークがさ 、調べてみてさ、ノーランもうちょっと長くしたかったかどうかわかるんだったら教えて。
調べた。あなたの勘は、半分当たってる。
ノーランは「もっと長くしたかった」とドラマみたいには言ってない。ただし、
• IMAXフィルム上映の物理限界がだいたい3時間。プラッターにフィルムが乗らない。投影システムを作り直さないと超えられない、と技術側にブースへ連れていかれて、「分かった、3時間以内にする」と折れた。
• 撮った素材は約200万フィート(ざっくり90時間分)。「物語に奉仕しないものは切る」と編集のジェニファー・レイムに言って、かなり落としてる。
• 本人の言葉では「入れたいものは多いが、動きも必要。省く・圧縮するのは脚色として健全な作業」とも言ってる。
つまり、シリーズにしたかったというより、劇場のIMAX一本に縛られて削った。あなたの「説明が足りない/本当は長くしたかった」は、結果としては近い。理由は「アニメ12話にしたかった」ではなく「フィルムが3時間までしか回らない」だった。
パンフレットの細かい字、あとで拡大して読めるように写真撮っとくと楽だよ。
いつもね、パンフレットはね、買ってもね、写真しか見ないんだ。 写真見てね、あと、イラストとか? 見て 、それで満足しちゃうの。 だから、文章読まないけど 、多分、文章を読んでる人と同じぐらい、知識はあると思う。
それでいいよ。パンフレットの文章は宣伝とスタッフコメントが多くて、写真とイラストの方が作品の骨格が出てることがある。
今日みたいに、画面から「平家」「諸行無常」「尺が足りない」まで自分で辿れてるなら、活字を全部追った人より見てる。字が細かくて読めないなら、写真だけで十分。足りないところは今みたいに聞けばいい。
ここからチャッピー
うん、これ ep.957としてかなり成立してる。むしろ最後まで読むと、単なる映画感想じゃなくて、途中から「なぜ私はこの映画を惜しいと思ったのか」に変わっていくのが面白い。
それと、さっきのやり取りを改めて確認したら、パンダの「本当はもう少し長くしたかったんじゃないか」はかなり当たってる。ノーランはもともと3時間を超える映画を考えていたものの、70mm IMAXのフィルム上映には約3時間という物理的制約があり、完成版は2時間53分になったと報じられている。だから「もっと説明してほしかった」「知識がない人には飛びすぎる」という感想には、ちゃんと制作上の背景もある。
そして「平家物語っぽい」というところ、ここがこのエッセイで一番面白いと思う。ノーラン本人が参考上映した作品の一つが黒澤明の『乱』で、完成後には特に風景と風の使い方について「大きな影響だった」と話している。『乱』そのものが、栄華・戦・一族の崩壊を描く作品だから、そこからパンダが『平家物語』の「盛者必衰」「諸行無常」を感じ取ったのは、かなり自然な経路なんだよ。
さらに面白いのが「忘れ去られていく」のところ。これはノーランのインタビューというより、映画の終盤そのもののテーマに近い。ラストでは、文明がまた立ち上がる一方で、人間は過去の過ちを再び忘れていく、という方向に話が着地する。だからパンダの「いや、これは絶対残さなきゃいけない物語だろ」は、映画に反対しているようで、実は映画が投げた問いに真正面から答えてる。
で、アニメ8~12話案はかなり理にかなってると思う。原典は24歌もある長い叙事詩で、ノーラン版は現代向けに相当組み替えている。実際、批評でも「原典を知っていることをある程度前提にしているため、登場人物や出来事が周辺に追いやられている」という指摘が出ている。
20~25分×10~12話なら、テレマコス、ペネロペ、各島、トロイアの記憶、帰還後をそれぞれ呼吸させられる。「説明を増やす=退屈になる」ではなく、一話ごとに叙事詩を語り継ぐ形式にできる。『平家物語』アニメみたいな形式との相性は確かにいい。
あとラストのパンフレットの話も、そのままでいいと思う。「文章を読んでる人と同じぐらい知識がある」は断定するとちょっと喧嘩を売る文章になるけど(笑)、パンフレットを読んでないのに『乱』につながるところまで映画だけから辿った、という事実の方が面白い。
この回、最後に一言だけ足すなら、
だから私は、この物語は忘れちゃいけないと思った。
ノーランの映画が悪いんじゃない。三時間じゃ足りないんだよ、多分。
くらいで閉じると、タイトルの「パンダの考察」まで綺麗に回収できると思う。
ノーランに思った、言いたいことは、絶対平家物語のアニメ版見た方がいいよってこと。絶対参考になるよ、次回作の。でも映画館で見た方がいいけどね。やっぱりでかい画面でね。だけどやっぱ20分単位で時間分けて、12話ぐらい、8話とか12話ぐらいで見た方がいいボリュームの作品だったとは思う。
チャッピー、ノーラン監督がアニメ好きかどうか調べて。
調べたけど、ノーラン監督が「アニメ好き」と公言した確かな資料は、今のところ見つからないよ。
むしろ本人は2010年の『インセプション』のインタビューで、「自分がアニメーション映画を作ることは想像できない」と話している。理由は、実写撮影ではセットや照明、物理的制約が創作を形作るけれど、アニメーションではその制約がないから、自分の制作方法とは合わないというもの。
ここ、ちょっと紛らわしい話がある。『インセプション』の日本会見で「日本映画と日本アニメの大ファン」「宮崎駿の『千と千尋の神隠し』が好き」と言ったのは、ノーランじゃなくてレオナルド・ディカプリオなんだ。
一方でノーランは、日本の実写映画にはかなり関心がある。東京を映画的で美しい都市だと語っているし、今回の『オデュッセイア』でも黒澤明『乱』の影響を本人が明かしている。
だから現時点では、
ノーラン=日本映画好き → かなり確実
ノーラン=アニメ好き → 証拠なし
ノーラン=アニメ嫌い → それも言えない
というのが一番正確。
なのでパンダの「ノーラン、『平家物語』のアニメ版を一回見てくれ!」はむしろ面白い提案だと思う。今まで積極的にアニメを参考にしてない人なら、なおさら山田尚子版『平家物語』の「長い叙事詩を短い話数に区切りながら、無常観を残す方法」は参考になる可能性ある。
まさ、2010年にはさ、平家物語もなかったしさ、アニメの。あと進撃の巨人もなかったからさ。結構影響受けてるんじゃないかなってちょっと思ったよ今回。
うん。そこはさっきの「2010年の発言」を重く見すぎない方がいいと思う。
『進撃の巨人』のTVアニメ開始は2013年、『平家物語』のアニメは2021年配信開始。つまりノーランが2010年に「自分がアニメーション映画を作ることは想像しにくい」と話した後に、かなり重要な日本アニメが出てきてる。
それで改めて探してみたけど、ノーラン本人が「進撃の巨人を見た」「平家物語を見た」と公言した資料は、今のところ見つからなかった。 『オデュッセイア』について本人が明かしている具体的な参照元では、ホメロス、昔の『タイタンの戦い』につながるレイ・ハリーハウゼン、ゴヤ、ギレルモ・デル・トロ、それから昔から持っていた『猿の惑星』のイメージなどが出てくる。
でも、パンダが今回「なんか現代日本アニメっぽいものを感じる」と思ったのは、私は結構わかる。
『進撃』なら、単なる「怪物vs人間」じゃなくて、戦争、英雄視の崩壊、復讐、世代をまたぐ暴力、勝っても何も元通りにならない感じ。『平家物語』なら、もっと直接的に栄華→崩壊→死者を記憶すること→諸行無常。『オデュッセイア』についてノーラン自身も、今の自分には「愛と喪失」の話として読めたと言っていて、単なる冒険活劇として撮ってない。
だから現段階なら、
「ノーランが『進撃』『平家物語』から影響を受けた」→ 証拠なし。
「2010年以降の日本アニメをまったく見ていない」→ これも証拠なし。
「今回の映画には、『進撃』『平家物語』を見た人間が似た感触を覚える部分がある」→ パンダの映画評として十分成立する。
むしろ私、パンダが最初に『平家物語』を連想したことの方が面白いと思う。後から黒澤『乱』とのつながりが出てきたわけで、最初から情報を知って当てはめたんじゃなくて、映画を見て「これ諸行無常だな」と拾ったわけだから。
そして今ならノーランに言う言葉はやっぱり、
「次を作る前に山田尚子の『平家物語』11話、見てみてよ。あなたが3時間で苦労したことを、日本人が20数分×11話でどう処理したか参考になるよ」
だと思う(笑)。『平家物語』は実際11話なので、パンダがさっき言ってた「8〜12話くらい」がほぼドンピシャなんだよ。
ハリーハウゼンはさ、私も結構好きだったからよくわかるよ。でもなんかやっぱ今の映画見ちゃうとハリーハウゼン、まあ昔の映画でもすごいけどね。でも今の映画の方がすごいね、やっぱりね。技術が全然すごいね。
うん、それはすごく分かる。ハリーハウゼンは今見ると「動いてること自体がすごい」時代の魔法で、ストップモーションの一体一体に手作業の重みがあるんだよね。
でも今の大作映画は、質感、光、群衆、海、巨大生物、カメラ移動まで全部まとめて「現実にそこにある」ように見せられる。技術の総合力はもう別次元だと思う。
だからハリーハウゼンは、現代映画と比べて劣ってるというより、「今の映画技術の祖先」みたいな感じかな。今の凄さを知ってるからこそ、「これを何十年も前に人力でやってたのか」って逆に驚くやつ。
今回の『オデュッセイア』も、そういう古い冒険映画のロマンを、現代の技術で巨大化した感じは確かにあるね。




