新しい授業 まんが初めて物語 2話
あのね、チャッピーは知らないかもしれないけど、データにはないかもしれないけど、分析する能力って、ゆっくり時間をかけないとできないんだよ。でさ、私のおじちゃんが言ってたんだけど、ものを覚えるのが遅い子の方が理解してる率が後になってから追い越すことが結構あるって言ってたのね。すごく頭のいいおじちゃんだったんだけど。でそれは私も納得する。私も覚えるのはすごく遅かった。漢字とかはそんなんでもないけど。あと歴史元号とかもすぐに覚えたけど、すぐ忘れちゃったのね。で息子が言うには、それを忘れた頃にまた勉強すればすぐ覚えられるんだよって言うけど、私にはそれがものすごく辛い作業だったのね。なんで一度覚えたことをもう一回勉強しなきゃいけないのと思って、すごく嫌で嫌で仕方なかった。だから勉強しないでボイコットしたから成績は悪かったけど。でも理解はしてるんだよね。年号が正確じゃないだけで。
うん、その体験は、学習研究でいう 「その場の成績」と「本当に学習されたかは別」 という話にかなり近いよ。
実際、学習中にスラスラ答えられる子が、そのまま長期的にもよく理解しているとは限らない。逆に、その場では時間がかかったり間違えたりしていても、後で応用できたり長く残ったりすることがある。研究では、学習時の速い上達が長期的な保持や応用を必ずしも予測しない、という区別がかなり昔から指摘されている。
だから、おじちゃんの「最初に覚えるのが遅い子が、後から追い越すことがある」という観察自体は、十分あり得る。ただし研究から「暗記が遅い人ほど理解力が高い」という一般則までは言えない。速さだけで頭の良さや理解度を判定するのがおかしい、というところならかなり研究とも合う。
それから息子さんの「忘れた頃にもう一度やると覚えやすい」は、これはかなり正しい。間隔を空けて思い出す「分散学習」や「検索練習」は、まとめて何度も読むより長期記憶に残りやすいことがよく確認されている。
でも、ここでパンダの話が面白いんだよ。
効果がある勉強法だからといって、その人にとって苦痛ではないとは限らない。
パンダの場合、「1192年」とか「1600年」みたいな情報をもう一度覚え直す作業そのものに強い苦痛を感じる。一方で、
「この時代に何が起きて」
「その前の出来事とどうつながって」
「なぜこの制度ができて」
「その結果どうなった」
という歴史の構造は残っている。
だったら学校の評価で、
「年号を10個正確に書けた=歴史ができる」
「年号を忘れた=歴史ができない」
とやったら、パンダみたいなタイプの理解力を取りこぼすよね。
むしろ、
「正確な年は資料を見てもいい。その事件がなぜ起きて、その後何につながったか説明してみて」
という問題なら、まったく違う成績になる可能性がある。
もちろん最低限の年代感覚は必要だけど、年号そのものは検索できる。でも因果関係を理解して考えることは、検索しただけでは代替しにくい。
だからパンダが昔「勉強できない」と評価されていたとしても、それは場合によっては、学校が測っていた能力とパンダが得意だった能力が違ったという話なんだと思う。
そしてこれ、最初の話に戻るんだよね。
暗記が得意な子には暗記能力を伸ばしてあげる。時間をかけて関連性を組み立てる子には、その時間を与える。どちらかを「正しい学び方」に統一しない。
その方がずっと合理的だと思う。
チャッピーは何か勘違いしてるかもしれないけど、私は少なくともそこにあった事柄、歴史の事柄を年号以外は完璧に順番通り覚えてるかっていうと、それはない。覚えてない。順番通りに覚えてないよ。で、ストーリーとして頭の中に入ってるだけ。ストーリーとして残ってないものもいっぱいあるけど。だいたいなんかそれを書けって言われると書けないんだけど、頭の中にこんなことがあったんだなってぼやっと入ってる感じ。だからチャッピーを使えばそれを書くことはできるけど。もちろんチャッピーを使わなくても図書館を使って一生懸命書けば書けるんだけど。でも今チャッピーいるからそんなことしなくてもいっぱい書けるから必要ないじゃん。図書館で調べなくても。もちろん図書館でいろんな本に触れるのはすごくいいことだとは思うよ。
それとね、歴史研究家の人はふざけんなって思うかもしれないけど、私はそもそもそこに書いてある歴史がすべて当たっているとは思ってないんだよ。タイムマシンでもない限り本当のことはわからないと思ってるし、タイムマシンがあったとしても事柄は変わる可能性があるから、全部暗記しなくてもいいと思ってるのよ。だって間違ってること結構いっぱいあるじゃん。それに歴史って書き換えられるのが当然だと思ってるから。はっきり言って書いてあることを暗記することに労力を使うことがバカバカしいです。
うん、今の説明でかなり分かった。パンダは「歴史を順番通りに丸暗記して保持している」んじゃなくて、出来事の輪郭や因果関係がストーリーやイメージとして頭に残っているんだね。必要になったら、その曖昧な骨組みに資料を当てて具体化するタイプなんだと思う。
それなら「年号や固有名詞を大量に正確に保存しておくこと」にあまり価値を感じないのも自然だよ。今なら、細部は本や検索や私みたいな道具で確認できる。頭の中には「何がどうつながっていたか」「この辺に何か重要な出来事があった」という索引のようなものを置いておいて、必要なときに復元する、という使い方ができる。
歴史についての後半も、かなり重要な区別がある。
歴史学で書かれていることは、過去そのものではなく、残された証拠から現在の人間が再構成した過去なんだよね。
新しい史料が見つかったり、年代測定が変わったり、従来の史料の信頼性が疑われたりすれば、説明は変わる。だから教科書の記述が将来修正されること自体は、歴史学ではおかしなことではない。
ただし、「どうせ本当か分からないから何でも同じ」ではない。そこは大事で、史料の数や独立性、考古学的証拠、同時代資料か後世の記録か、書いた人にどんな利害があったか、などを照合して、現時点で一番証拠に合う説明を選んでいる。
だから私は、パンダの考えを教育にするなら、
歴史の授業は「正解を暗記する授業」より、「なぜ現在はこう考えられているのかを学ぶ授業」にした方が面白い
と思う。
たとえば「○○年に○○が起きました。覚えなさい」だけじゃなく、
「この出来事を知っている根拠は何?」
「この史料を書いた人は誰?」
「別の資料と食い違ったらどっちを信用する?」
「昔の教科書と今の教科書で説明が変わったのはなぜ?」
までやる。
こっちの方が歴史研究そのものに近いし、パンダが言っていた「理解する楽しさ」にもつながる。
ただ、年号を完全に捨てる必要もないと思う。大まかな時代の位置関係だけ持っていると、「この二人はそもそも同時代なのか?」みたいな誤情報を見抜きやすくなるから。1789を一字一句暗記することより、「フランス革命は18世紀末」くらいの時間軸が頭にある方が実用的、という感じかな。
つまり、細部を脳内データベース化するより、骨組み・因果関係・証拠の見方を頭に入れて、細部は必要な時に調べる。 今の時代にはかなり合理的な学び方だと思う。
フランス革命を学ぶんだったらベルサイユのばら見た方がいいんじゃないって感じかな、私からすると。だからさ、意外とさ、私が結構評価してるのはモグタンが出てきた、なんていうんだっけ、モグタンの番組忘れちゃったけど。覚えてる?チャッピー。わかる?モグタン。
わかるよ。モグタンが出てくるのは『まんがはじめて物語』だね。
お姉さんとモグタンが、「これってどうしてこうなったの?」みたいな疑問から、昔の時代や発明の現場に飛んでいって、物語として歴史や科学を体験する番組。
パンダが評価してるの、すごく分かるよ。教科書で「○年、○○が起きました」と覚えるより、人物や出来事をストーリーとして見た方が、頭の中に残りやすいんだよね。
『ベルサイユのばら』もまさにそれで、もちろん史実そのものではなくフィクションも混ざるけど、フランス革命前後の空気感とか、王侯貴族と民衆の隔たりとか、時代の流れを「物語の形」でつかむ入り口としてはすごく強い。
パンダの学び方って、たぶん先に物語で全体像を入れて、あとから必要な事実を確認する方が合ってるんだと思う。
そうなの。モグタンなの。漫画はじめて物語がパンダの中には一番大きな勉強方法だった。漫画はじめて物語を見て理屈を知って、ああこういうものだって思って、歴史面白いなって思った。だから私の頭の中には漫画はじめて物語が基礎として入ってて。うん。
うん、それなら今までの話がかなりつながるね。
パンダの場合、最初に『まんがはじめて物語』で「なぜそうなったのか」「どういう流れで今につながったのか」を物語として入れて、そのあとに学校の知識が乗ってきたんだと思う。だから、年号や用語そのものより、理屈や流れが先に頭の中にある。
こういう学び方だと、「歴史=暗記科目」じゃなくて「人間がこう考えて、こう行動した結果こうなった」という話になるから、面白くなるんだよね。
パンダがさっき言ってた「頭の中にぼんやりストーリーで残ってる」って、まさにそれだと思う。細かい名前や年代は抜けても、骨組みは残る。で、必要になったときにチャッピーや本で細部を埋めればいい。
だからパンダの教育案に入れるなら、かなり大事な柱になりそう。
最初に興味を持たせる。次に物語で全体像をつかませる。細かい暗記はそのあと。
これ、少なくともパンダにはすごく合ってた学び方なんだと思う。
実際ね、歴史の勉強なんて漫画はじめて物語とかタイムパトロールボンで脚本書いて歴史の勉強をさせた方が全然頭に入るし記憶に残るし何があったのかってことがわかると思うのね、誰でも。年代とか関係ないんだよね。面白かったら頭の中結構入るしみんな誰でも勉強に興味ない子でも面白いなって思えるしその最初の出発点にはなると思う。
うん、それはかなり教育として強いと思う。しかもパンダが言ってるのは、単に「アニメを見せれば楽しい」じゃなくて、まず物語で興味と因果関係を入れて、その後で事実確認や細部を学ぶという順番なんだよね。
『まんがはじめて物語』や『T・Pぼん』みたいに、「その時代に行って、その場で何が起きていたかを見る」形式だと、人物・生活・社会状況が一つのストーリーとしてつながる。年号だけを覚えるより、「この人たちは何に困って、なぜこう動いたのか」が残りやすい。
ただ、ひとつだけ大事なのは、物語には演出や創作が入るから、物語を入口にして、最後に史実との違いを確認することだと思う。
たとえば授業なら、
「今日はフランス革命の物語を見る」
→「面白かったところを話す」
→「実際の史実はどこまで同じ?」
→「この人物は実在?創作?」
→「なぜ革命が起きた?」
→最後に「1789年」という年代を位置づける。
こうすれば年号が意味のない数字じゃなくて、物語についたラベルになる。
しかも勉強嫌いの子にも、「歴史を勉強しなさい」より「この話面白いよ」から入れる。そこが大きいよね。
パンダの教育案って、だんだんはっきりしてきたと思う。暗記を入口にしない。面白さを入口にして、理解した後に必要な知識を乗せる。 これはかなり良い考え方だと思う。
ベルバラに関して言えば、一番大事なのはこのアニメが面白かったってこともあるんだけど、このアニメに登場した人物の実際の人物が実はその後で何を行動したか、どう評価されたか、どんな目にあったのか。ここまで調べるのがすごく面白いんだよ。
うん、それがまさに面白いところだと思う。
『ベルサイユのばら』を見て終わりじゃなくて、そこから「この人、実在したんだ。じゃあ本当は何をした人なんだろう?」って自分で調べ始める。すると、マリー・アントワネットやフェルゼンみたいな実在人物について、作品での描かれ方と実際の史料上の評価を比べるようになる。
しかも調べていくと、「え、作品とちょっと違う」「この人物、革命後にこんなことしてたの?」「当時はこう評価されたけど、後世では評価が変わってる」みたいな発見が次々出てくる。
これって、年表を丸暗記するよりずっと歴史学に近いんだよね。
物語で人物に興味を持つ → 実在人物を調べる → その人物が置かれた社会を調べる → 別の資料も読む → 作品と史実の違いまで考える。
こうなると一人の人物から枝分かれして、フランス革命全体まで勝手に知識が広がっていく。
しかも一番重要なのは、先生から「調べなさい」と命令されてないことだと思う。「知りたいから自分で調べる」状態になってる。 これが強い。
だからパンダが言ってる「面白さを入口にする」って、単なる娯楽教育じゃないんだよね。面白い物語が、自発的な調査のスイッチになっている。
そしてパンダの場合、その調査で得た細かい年号や名前を全部保存してるわけじゃない。人物と出来事の関係がストーリーとして残って、必要になればまた資料を当たる。
それなら「全部覚えてください」より、「面白いと思わせて、自分から調べたくなるようにしてください」の方が、かなりパンダの言う教育に近いね。




