宗教と性欲と話を聞かない人 2話
精や愛って、生温い娯楽として処理されがちだけど。結構、馬鹿に出来なくて。歴史調べれば恋や性欲で国滅ぼした話なんて割と出てくるんだよね。その逆もあるけど。
そう。恋愛や性欲って「個人の娯楽」「色恋沙汰」で軽く扱われがちだけど、歴史を見ると権力・継承・嫉妬・同盟・宗教規範と結びついた瞬間に、国家レベルの変数になる。
ただ、「恋で国が滅びた」と単純化すると少し危ない。実際には、恋愛や性愛そのものが単独原因というより、そこに王位継承、派閥争い、外交、宗教対立、財政問題なんかが重なって大事件になることが多い。
例えば、王や皇帝が特定の愛人を重用して人事や財政が歪む、婚姻相手をめぐって同盟関係が変わる、嫉妬や後継者問題から粛清が起きる、禁欲を強く求めた社会で性がスキャンダルや告発の武器になる、みたいな形。
だからあなたの今の話に繋げるなら、かなり大事なのは、
「性欲を軽く見るな。でも性欲そのものを悪魔化もするな」
だと思う。
軽く見れば、社会設計で大事故を起こす。
悪魔化すれば、隠蔽・抑圧・告発・スケープゴート化を起こす。
必要なのは、人間にはかなり強い欲求があるという前提で制度を作ることなんだよね。
食欲を「くだらない欲だから消せ」と言っても飢えるし、性欲や恋愛感情も「俗っぽいから無視」で消えるわけじゃない。むしろ強い欲求ほど、存在を前提に安全な出口を作らないと危ない。
エッセイにするなら、「恋愛は尊い」でも「性欲は汚い」でもなく、『人間を動かすエネルギーとして過小評価するな』って置くと、あなたの地獄論ともかなり綺麗につながる。
簡単に言うとね。性欲を持つ事は罪だって言って来た歴史から、それやったらどうなったかは既にデータ出てますよね?って奴なんだよ。それで皆んなが幸せになって、美しい世界が出来ましたってデータは少なくとも見つからなくてね
そう、それなら主張の芯はかなりシンプルだと思う。
「性欲を罪として抑え込めば、人間は清らかになって社会も良くなる」という仮説は、もう歴史上かなり長く試されてきた。だったら今さら理念だけで語るんじゃなくて、実際にどういう結果が出たのかを検証しましょう、という話だよね。
少なくとも現在の研究では、性的な欲望や行動に強い罪悪感・羞恥を結びつけることが、性的ウェルビーイングの悪化や性機能の問題などと関連するという知見がある。2026年のレビューでも、性的羞恥は性機能不全や性的ウェルビーイングの複数の問題と関連すると整理されている。 宗教的規範に反した性行動への罪悪感・羞恥が、抑うつ・不安の高さや生活満足度の低さと関連した研究もある。
一方で、ここは公平に書いた方が強い。「宗教的な性規範=全部悪い」でもない。宗教性が性行動を抑制したり、本人が望む規範に沿った生活を支える面もあるし、宗教とメンタルヘルスの研究全体ではプラスの結果もマイナスの結果もある。
だから問いは、
「性欲をどう制御するか」ではなく、
「性欲そのものを罪悪として扱う必要が本当にあるのか」
なんだと思う。
しかも「禁欲を説いてきた制度の中では性的問題など起きませんでした」という歴史でもない。宗教施設を含む各種施設での児童性的虐待については、かなりの研究蓄積があって、個人要因だけでなく、機会・組織構造・隠蔽など制度側の要因まで研究されている。もちろん、これを「禁欲したから児童虐待が起きた」と一本の因果にするのは研究的には無理だけど、少なくとも『性を厳しく禁止すれば性的問題がなくなる』という単純な成功例にはなっていない。
なのでエッセイなら、あなたが何十年分もの資料を掘り直さなくても、
「性欲を持つこと自体を罪としてきた歴史は既にある。では、その社会は性犯罪も性的混乱もなくなり、全員が幸福になったのか。もしそうならデータを出してほしい。そうでないなら、同じ設計を繰り返す前に結果を検証すべきではないか」
くらいまで置けば十分強いと思う。
これは宗教批判というより、完全に政策評価・システム評価なんだよね。「思想として美しいか」じゃなくて、「そのルールを人間に実装した結果どうなった?」と聞いている。
まあ性欲として禁じる必要がある、性欲はさ。暴力的な性欲、相手の人権を無視した性欲、取り敢えず精対象者が嫌がるような事すんじゃねぇーよって事ね。
津田に関して言うならば、あれだけ人が迷惑だって言ってるのに。喜んでる人も居るから=みんな喜んでるんだからパンダも喜べって言って、自分は愛を受け入れて貰えない可哀想な被害者とか言ってる時点で、お前妄想の世界で暮らすの辞めようね。だから嫌われるんだよと。
そういう線引きならかなり明確だと思う。
問題なのは「性欲があること」じゃなくて、相手の意思を無視して、自分の欲望や好意を優先すること。暴力的な性行為、嫌がっている相手への接触、断られているのに繰り返すこと、立場を利用して迫ること——この辺は「性欲」ではなく、行動として止めるべき領域だね。
それと「他の人は喜んでいるんだから、あなたも喜ぶはず」という理屈も成立しない。好意や性的な接触は多数決じゃないから、ある人が嬉しいことでも、別の人には不快だったり恐怖だったりする。必要なのは相手本人の反応を見ること。
だから、誰かが明確に「迷惑」「嫌だ」と言っているのに、それを「本当は喜んでいる」「受け入れない相手が悪い」と解釈し続けるなら、その人は相手を見ているんじゃなくて、自分の頭の中で作った相手を見ていることになる。
恋愛なら特に、
「私はあなたを好き」
と
「だからあなたは私の愛を受け入れるべき」
の間には、とんでもなく大きな壁がある。
前者は感情だから自由。後者になった瞬間、相手の人権の話になる。
だからあなたのエッセイの性欲論も、最終的にはかなり簡単にできると思う。
性欲を持つな、ではない。
性欲があっても、相手が嫌がることをするな。
愛していても、相手には断る権利がある。
この三つで、かなりの部分を整理できる。
頭の悪い人がそんなに愛されるなんて、幸せだよねって言ってるけど。冷静に考えてみな?津田はアレルギーで食べられないピーナッツでも、自分が君の為に買って来たんだから食べろって言って。断るとキレるような人間なんだからさ。真理分析と行動分析で考えると。
その比喩なら、かなり分かりやすい。
「自分が善意で用意した」
と
「相手にとって本当に良いものだった」
は別なんだよね。
ピーナッツの例なら、相手がアレルギーで「食べられない」と言っているのに、
「君のために買ってきたんだから食べろ」
「断るなんて酷い」
となった時点で、中心にあるのは相手の利益じゃなくて、自分の善意を受け入れてほしいという欲求になる。
恋愛でも同じで、
「こんなに愛してる」
「こんなに尽くしてる」
「他の人なら喜ぶ」
が、相手の「嫌だ」「迷惑だ」「やめて」を上書きする理由にはならない。
あなたが津田について説明している行動がその通りなら、行動分析として見るべきなのは「愛情の強さ」より、拒否された時に相手の意思を尊重できるかだと思う。
拒否される
→ 理由を確認する
→ 相手の境界を守る
なら健全。
拒否される
→ 自分は正しい
→ 相手がおかしい
→ もっと押す
→ それでも拒否されたら怒る
なら、問題は「愛されすぎて困っている」じゃなくて、相手の意思を自分の物語に合わせようとしていることになる。
だから「そんなに愛されて幸せじゃん」という第三者の評価もズレやすい。アレルギーの人にピーナッツを山ほど贈る人を見て、「こんなにたくさん貰えて幸せだね」と言っているのと同じだから。
愛情って、量だけ測っても意味がないんだよね。相手に適合しているか、拒否を尊重できるかまで見ないと評価できない。
津田以外にも、私が嫌いな和彦って男が居たんだけど。成人式後の飲み会で、ビール嫌いで、腹一杯の私にジョッキに並々とビール淹れて渡して来て、断ったら場が白けるだろ?空気読めよ!かわい子ぶりっ子するなよ、飲めるだろ!って、他の人に話したら愛すべき弄りだねって言ってたけど。ハッキリ言って、無理だよと
それは「愛すべき弄り」で片づけるのは無理があると思う。
あなたはその時点で、ビールが嫌いで、腹もいっぱいで、断っている。それに対して「場が白ける」「空気読め」「ぶりっ子するな」「飲めるだろ」は、相手の意思を尊重するより、その場のノリに従わせる圧力になってる。
弄りって、少なくとも相手も笑えていて初めて成立する部分がある。片方だけが楽しくて、もう片方が嫌がっているなら、それを「愛情表現」と呼んでも受け手の不快感は消えない。
しかもこの手の行動って、さっきの津田の話と構造が似てるんだよね。
「自分は悪気ない」
「みんななら喜ぶ」
「場のため」
「お前も受け入れろ」
で、本人の「嫌だ」を後回しにする。
だから「なんでそんな人を嫌うの?」じゃなくて、行動だけ見れば、あなたが距離を置きたくなる理由は普通に説明できると思う。相手の意図が愛情だったかどうかより、拒否された後にどう振る舞ったかの方が重要。
ゲロ吐きかけるぞ和彦って奴だよ
その状況なら、そう言いたくなるくらい腹立つのは分かる。
腹いっぱいでビール嫌いって言ってる相手に、なみなみ注いで「飲め、空気読め」は普通に迷惑だし、無理に飲ませたら本当に吐く可能性もある。そこで「愛すべき弄り」扱いされても、受け手が嫌なら成立してない。
要するに和彦側は、場のノリ > あなたの体調と意思になってた。そこが嫌われる理由だと思う。
私がパートナーに求めるのって、男らしさより、知性なんだよね。如何に相手の求めてる事を考えることが出来て行動できるかだから。
運命の恋を成就させる為に、20年逢えません待っててねって言われたら、知らんがな。20年隣に居てくれる男選ぶがなって奴だし。男らしい=相手の話マルデ聞いてませんだと。そんな男選ばないし。
IQ低いから、相手の話途中迄聞いて暴走するんだろうか?神話として読むなら面白いけど。実際リアルでゼウスに好かれて喜ぶ女はあんまり居ないかもね
そこ、かなり一貫してると思う。あなたが見てる「知性」は学歴とかIQの数字そのものより、相手の情報を最後まで受け取り、状況を更新して、行動を調整できる能力なんだよね。
だから「20年待ってて。運命だから」は、物語としてはロマンチックでも、現実では「その20年間、相手の人生をどう考えてるの?」になる。20年間そばにいて、体調や予定や気持ちを見てくれる人の方を選ぶのはかなり合理的。
「男らしさ」を、押しの強さ・強引さ・俺についてこい、みたいに定義すると、あなたとは相性が悪いんだと思う。あなたが求めてるのはむしろ、
話を聞く → 理解する → 仮説を修正する → 相手に合う行動を選ぶ
というタイプ。
で、「話を途中まで聞いて暴走するのはIQが低いからか?」については、必ずしもIQだけではないね。衝動性、自己中心性、思い込みの強さ、相手の視点を取る力、拒絶への耐性、感情調整なんかでも起こる。頭が良くても「自分の物語」を優先する人は普通にいる。
ゼウスの話もまさにそうで、神話としては面白いけど、現代の現実感覚で読むと「いや、それ好かれて嬉しいか?」となる場面がかなり多い。権力差が巨大で、拒否が通じないことも多いからね。
だから恋愛で大事なのは「どれだけ強く愛したか」より、どれだけ相手を正確に見て、相手の意思に合わせて自分を調整できたかなんだと思う。そこを知性として見てる、という話ならよく分かる。
桑田佳祐!津田の失恋ソング作ってやりなよ。多分、面白いからアンタ目線で描くと。




