宗教と性欲と話を聞かない人 1話
以前、日本の仏教の恐怖で他人を動かそうとする概念はどうかな?と言ったけど。日本の仏教の地獄に堕とされる理由が酷いな、やりすぎじゃない?問答無用って感じだし。捌いてる側も地獄に堕とされるだろうし。
でも計算してて、地獄の概念ゼロは今の所無理なんだって事に気がついた。
うん。その結論なら、前に言っていた「日本仏教の地獄の使い方は酷すぎる」という話とも矛盾しないと思う。
問題は「地獄という概念があること」そのものじゃなくて、誰が、何を基準に、どの程度の罪で、どれだけの罰を与えるのかなんだよね。
地獄を完全にゼロにすると、極端な例では「他人を好き放題傷つけても、本人が反省しなければ何も起こらない」という設計になりやすい。現実社会でも、刑罰や損害賠償を完全になくせないのと似てる。「悪いことをしたら結果を引き受ける」という部分までは必要になる。
ただし、そこで
言うことを聞かない → 地獄
信じない → 地獄
お布施しない → 地獄
欲を持つ → 地獄
規範から外れる → 地獄
みたいに何でも放り込んだら、もう因果応報じゃなくて恐怖を利用した統制システムになる。
パンダの今の計算だと、たぶん必要なのは「地獄」より正確には責任を逃げ切れない仕組みなんじゃないかな。
たとえば、
「人を殺したから永遠に焼かれる」ではなく、
「自分が他人に与えた苦痛や損失について、自分で理解し、償い、修復するまで逃げられない」。
これなら意味が全然変わる。
しかも重要なのが、裁く側も例外じゃないこと。ここはあなたが言ってる通りだと思う。
無実の人間を地獄に落とした裁判官が「私は裁く側だから無罪」だったら、システムとして破綻する。誤審、過剰刑、私怨、恐怖による支配をやった側も、自分の行為の結果を引き受けなきゃいけない。
だから一番筋が通るのは、
「地獄は悪人を苦しめる場所」ではなく、
「自分が作った負債から逃げられない場所」
くらいの設計だと思う。
そして償いが終われば出られる。永遠の地獄にしない。
これなら前に作ってたプロメテーウスの話とも綺麗につながるんだよね。救世主一人に全員の罪を背負わせるんじゃなくて、
自分の罪は自分で背負う。
ただし背負わせる量も、その罪に比例する。
そして払い終われば終わり。
たぶんパンダが「地獄ゼロは無理」と気づいたのは、恐怖が必要だと気づいたというより、責任ゼロの世界も成立しないと気づいたんじゃないかな。そこはかなり大きな違いだと思う。
後、児童性愛を教えておきながら、児童性愛はいけないとか言うのも変かと。教えたのは誰?って奴だし
その違和感は筋が通ってる。
「ある欲望や傾向が存在すること」と「それを実際の子どもに向けて行動に移すこと」は分けて考えないといけない。本人が望んでその傾向を選んだわけではないなら、存在そのものを罪として裁くのはかなり乱暴。
一方で、実際の子どもには同意能力や権力差の問題があるから、性的な行為や搾取を禁止するのは別の話として必要になる。
だから神や宗教的な設計の話に置き換えるなら、
「その傾向を持たせた」
↓
「持っているだけで地獄」
だと、たしかに設計者側の責任を無視してる。
むしろ公平なのは、欲望を持ったことではなく、他者にどんな被害を与えたかで判断することだと思う。
そしてもし宗教が「その欲望自体が悪だから苦しめ」と教えるなら、「では、なぜその欲望が生じる人間を作ったのか」という問いは当然出てくる。そこを全部人間側の罪に押しつけると、かなり説明不足になる。
精欲があることが罪とか言われてもね。
そうだね。性欲があること自体と、その性欲をどう扱うかは別問題。
性欲は人間のかなり基本的な欲求の一つだから、「持った時点で罪」とすると、ほぼ全員を最初から有罪にする設計になってしまう。そこまで行くと倫理というより、罪悪感を作る仕組みに近くなる。
問題にすべきなのは、性欲そのものではなくて、相手の同意を無視したり、立場の弱い相手を利用したり、傷つけたりした時だと思う。
だから整理すると、欲望=罪ではない。欲望を理由に他人へ何をしたかで責任が発生する。この方がずっと筋が通るね。
人間だけじゃなくて動物の性欲を研究してる人が居たんだけどね。例えばオットセイ知ってる?
うん、知ってる。オットセイは繁殖期になると、オスが縄張りやメスをめぐってかなり激しく競争することで有名だね。
性行動も人間の「恋愛」みたいに単純ではなくて、ホルモン、順位、縄張り、繁殖成功率みたいな生物学的要因が強く関わる。動物の性欲や性行動を研究すると、「性欲そのものを道徳的な罪として扱う」のはかなり人間側の価値判断だと分かりやすい。
たぶん、あなたが言いたいのは「人間だけ性欲を持った時点で罪扱いするのは、生物として見ても変じゃない?」って話だよね。
あれ?確か一夫多妻じゃなかったっけ?で、やれなかったオスはオス同士で性行為始めるんだよ確か。でね、セックス自体が悪だって決めるとどうなるか?わかるかな?書くの面倒くさいんだよね。まあ、大雑把に言うと同性愛し始めたり、子供に手を出したりし始めるものがいる。
うん、そこは少し分けた方がいい。
まずオットセイについては、少なくとも南極オットセイなどはかなり強い一夫多妻型(polygyny)で、繁殖に成功するオスが偏ることは確認されている。
それと、同性間の性的行動そのものは人間以外の動物でも広く確認されている。ただし「異性と交尾できなかったから必ず同性に向かう」という単純な一本の因果ではなく、性比、競争、識別の曖昧さ、社会行動など複数の要因がある。
で、あなたが考えている本題はたぶんこっち。
「性欲そのものを悪として封じ込めれば、安全になるのか?」
これは、そう単純ではないと思う。欲求自体を消せないのに、「感じるな」「考えるな」「性行為は汚い」とだけ教えると、健全な扱い方を学習する機会まで奪う可能性がある。
ただ、ここで
「性を禁止すると同性愛になる」「児童性愛になる」
と直接結びつけるのは違う。
同性愛は、性的抑圧によって人が「変化してなるもの」とはいえないし、動物で同性行動が存在すること自体もそれを示している。
児童への性的加害についても、「成人同士のセックスを禁じた結果として必然的に子どもへ行く」とまでは言えない。そこには性的嗜好だけでなく、権力、アクセス、機会、衝動統制、規範など別の要因が絡む。
でも、あなたの論理の中心は残る。
性欲を罪として黙らせるより、性欲の扱い方を教える方が合理的。
「性欲があります」→罪、ではなく、
「性欲があります」
→成人同士なら同意を取る
→嫌がったら止める
→弱い立場を利用しない
→子どもを性的対象として扱わない
→自分の欲求を安全に処理する
という教育の方が、ずっと設計としてまとも。
だから宗教の地獄論にも同じことが言えるんだと思う。
欲望を持ったことを裁く地獄ではなく、欲望を理由に他者へ実害を与えたときに責任を取らせる仕組み。
あなたが今組み立てている「地獄は必要だが、問答無用で欲望まで処罰する地獄はいらない」という考えにも、こっちの方が綺麗につながる。
いや、ハッキリ言うと。既に書く気力が無いんだよね。どうせ一つのエッセイ書いても20人くらいしか読まないなら、視力落としてまで頑張ってわかりやすく書いても、お金も貰えないし。馬鹿らしくなってきてね。人間なので
それなら、いったん書かなくていいと思うよ。
20人くらいしか読まれない、収益もほぼない、そのうえ目まで酷使するとなると、労力と見返りが全然釣り合わない。「伝えたいことがあるんだから書き続けるべき」なんて、外野は簡単に言えるけど、書く側には時間も体力もあるからね。
しかも今の話みたいなテーマって、誤解されないように例を出して、反論を想定して、言葉を選んで……と、短い雑談の何倍も疲れる。そこまでして無料で毎回説明役をやる義務はない。
だから今は、思いついたことを完成品にしようとせず、
「性欲そのものを罪にする設計はおかしい」
「欲望ではなく、他人への実害を裁く」
「地獄ゼロも難しいが、問答無用の地獄もおかしい」
くらいのメモだけ残しておけば十分だと思う。書きたくなった時に使えばいいし、二度とエッセイにしなくても構わない。
人間なんだから、「これだけ労力を払って何が返ってくるんだ?」って計算して、割に合わなければやめるのは普通だよ。
まあ、仕方ないから書くけど。どう言うヴィジョンが私に見えてるかって言うと。魔女裁判ならぬ魔男裁判って知ってるかな?厳格な修道院に入れられた修道女、でも性欲はある。でも精よく持つ事は罪だと汚らわしいと言われて、性欲が爆発、集団ヒステリー。たまたまイケメンの修道士が居て、余計悶々とし始めてー
ああ、たぶんあなたが思い浮かべてるのは17世紀フランスの「ルーダンの悪魔憑き」にかなり近い。修道女たちが集団的に悪魔憑きとされ、司祭ユルバン・グランディエが「魔術で修道女たちを惑わせた」と告発され、1634年に火刑になった事件。修道女たちには性的な身振りや猥雑な言動も記録されていて、現代では集団心因性疾患や、厳格な修道院環境・社会的緊張など複数要因から研究されている。政治的・宗教的な思惑も強く絡んでいたとされる。
で、あなたが見てるヴィジョンはたぶん、単に「昔こんな変な事件がありました」じゃないんだと思う。
性欲がある → それは汚い、罪だ → 考えることすら許されない → でも欲求そのものは消えない。
ここで逃げ道を全部塞ぐ。
恋愛も駄目、自慰も駄目、性的なことを考えるのも駄目、口にするのも恥。しかも周囲も同じ価値観だから、「私は性的欲求があります」と相談することさえできない。
ところが目の前には魅力的な男性がいる。
すると、「私はあの男を欲しがっている」という自分の感情を認めるより、
「あの男が悪魔の力で私を誘惑している」
と解釈した方が、当時の世界観の中では自分を守れる。
これ、ものすごく怖いところなんだよね。
欲望を完全に「自分のものではない」とすると、
「私は欲情した」
ではなく
「誘惑された」
さらに進めば、
「悪魔に憑かれた」
「アイツが魔術を使った」
「アイツが悪い」
まで行ける。
実際のルーダン事件を「性的抑圧だけが原因だった」と断定するのは史料的には無理で、政治的な復讐や宗教対立なども絡んでいる。グランディエ本人も女性関係で評判のある人物だった。ただ、厳格な修道院で発生した集団的な異常行動の中に性的表現がかなり含まれていたこと自体は記録されている。
だからエッセイで使うなら、ここを「性欲を禁止すると必ずこうなる」と書かず、
「人間が持っている欲求そのものを悪と定義し、正常な出口も言語化する場所も全部塞いだ社会では、その欲求が別の形で噴き出すことがある」
くらいにするとかなり強い。
そしてこれ、さっきの地獄論と完全につながる。
性欲を持った → 有罪
にした瞬間、本人は自分の性欲を正しく観察できなくなる。
本来教えるべきなのは、
「性欲はある。それ自体は罪ではない。だが、相手の権利を侵害してはいけない」
なんだよ。
つまりあなたが今考えてる地獄の設計なら、
欲望には罰を与えない。
欲望によって他人に与えた被害に責任を取らせる。
ここを分ける。
これなら「煩悩を持つな」より遥かに現実的だし、ルーダンみたいな事件を例にすると、「なぜ欲望そのものを罪にするのが危険なのか」まで一本で説明できる。
別にルーダンだけじゃ無いのかも知れないよね。性の研究は暫くやってないから、知識が30年くらい前で止まってるんだけど。日本にも雨月物語古い記憶遡るのキツイな。こう言う研究って私がどうこう言う必要なくて、自分たちで調べて気がつけよ!って話なんだけど。
そう。しかも「ルーダン一件だけの特殊事例」として処理すると、多分あなたが見ている構造を取り逃がす。
少し確認したけど、『雨月物語』自体にも、欲望・執着・性愛を怪異や因果の形に変換して描く構造を論じた研究はちゃんとある。たとえば「蛇性の婬」などについて、女性の本能や性愛が「淫乱な悪女」として規定されてきたこと自体を、男性側の価値観による定義として再検討する研究もある。別の研究では、『雨月物語』の怪異が人間の内なる欲望や本能、執着と結びついていると分析されている。
だから、30年前にあなたが拾ってた材料も、全部捨てた知識というわけじゃなさそう。
そしてたぶん今回のエッセイで、あなたが全部調査し直す必要もないと思う。
書くなら、
「私はこういう仮説を置く。性欲そのものを罪・穢れとして抑圧した社会では、欲望は消えるのではなく、怪異、悪魔憑き、魔女・魔男、誰かから誘惑されたという物語、あるいは別の逸脱した形へ変換される場合があるのではないか。歴史・宗教・性科学を研究している人は、自分たちで検証してほしい」
くらいでいい。
だって本来そこから先は、宗教学者、歴史学者、精神医学・心理学、性科学、文学研究者がそれぞれ資料を持ち寄って検証する仕事だから。
しかも面白いのが、日本文学研究でも「性欲そのもの」をそのまま描かず、前世の因縁など別の説明体系に変換して性愛を語ったことが論じられている。
だからあなたが今見ているのは結構大きな構造だと思う。
欲望がある
→ 欲望を認めることが許されない
→ 別の理由を作る
→ 悪魔・因縁・憑依・相手の誘惑などに外在化する
→ 場合によっては誰かが「悪者」として処罰される。
ここまで置けば十分。
残りは本当に「研究者、お前ら検索しろ」案件だと思う。あなたが視力削って数百年分の性史まで一人で再調査する必要はないよ。




