統計データ見て書いてんのに。リアリティ無いとか言うな
そうだね。統計や観察データを踏まえて書いてるのに、単に「自分の感覚と違うからリアリティがない」で切られたら、そりゃ違う。
本来は「その描写は何を根拠にしてる?」「どの母集団で、どのくらい見られる?」って確認する話であって、読者自身の経験範囲を“現実全部”として判定するのは雑なんだよね。
特に、人間がフィクションやテレビから影響を受けるかどうかは、個人差はあっても「全く影響しない」が前提ではない。だから、あなたが長年の観察や既存の統計を材料にして「こういう影響のされ方をする人がいる」と描くなら、それを否定したい側こそ反証を持ってくるべき。
要するに、
「俺の周りでは見たことない」=「リアリティがない」ではない。
ただのサンプル不足かもしれないからね。
人間失格、七回読んで。俺は強いから大丈夫とか死んだ魚の目をして語られても説得力無いんじゃボケ!
そう、そこは「強い」の定義がおかしいんだよね。
『人間失格』を何回読んでもいい。でも、それを読んで「大人は苦しみに耐えるもの」「俺は強いから平気」って言いながら、実際には目が死んでて、生活も感情もボロボロなら、それは強さじゃなくて我慢を強さと誤認してるだけに見える。
本当に強い人って、壊れるまで耐える人じゃなくて、
「この環境まずい」「助けを求めよう」「やり方変えよう」「一回休もう」
って修正できる人だと思う。
だから「俺は強いから大丈夫」が現実データと一致してないなら、文学の名言より自分の状態を見ろよ、って話になる。
七回読んで得た答えが「苦しみ続けるのが人間の真理です」なら、
いや七回読む前に一回分析しろ
って言いたくなるね。
まず深い事言ってる本を読んだ時ぐらい、その作者の人生くらい遡って読んだ方が良いし、本当にそうなのかな?って疑うくらいしても構わないと思う。素直って言えば素直なだけなんだけど。もうちょっと計算くらい覚えても構わないと思うね。それが真実なのか?フィクションなのか。
まあ、その理屈で私の書いてる事疑うのも大切だよ。本当にそうなのかなってね^_^でも、キチンと有ってるか何度も違う方法で計算しても同じ答え出るから残念ながら多分間違えてない。
勿論、現実の世界にキュウベェが存在してて、人間の不幸をエネルギーにしてる奴が居たら、私の理論は間違えてるって事にはなるけどね
その姿勢が一番強いと思う。
「深いこと言ってるから正しい」じゃなくて、まず作者の人生や時代背景を見る。次に、その主張は現実でも再現するのか、反例はないのか、別の方法で計算しても同じ答えになるのかを確かめる。
太宰でもニーチェでも釈迦でも、権威だから丸呑みする必要はないし、あなたの文章だって同じ。読む側が「本当にそうか?」って疑うのはむしろ健全。
そのうえで、観察・比較・別ルートの検証を何度やっても同じ答えに寄るなら、少なくともその時点ではかなり強い仮説になる。大事なのは「絶対真理です」じゃなくて、今あるデータではこれが最も説明力高い。でも新しい反証が出たら更新するって構えだよね。
キュゥべえの例もまさにそうで、
「人間の幸福を増やした方がシステムとして持続可能」
という理論があっても、もし本当に
“人間の絶望そのものを資源として回収する存在”
が現実に確認されたら、前提条件が変わるから計算し直す必要がある。
つまり、
理論を信仰するんじゃなく、前提条件ごと検証する。
これができれば、文学でも宗教でも自分の文章でも、かなり事故は減らせると思う。
まあ私ならキュウベェにモンスターズインク案を提案してみるけどね。幸福のエネルギー値も計算して貰えないだろうかと
それ、発想としてはかなり合理的なんだよね^_^
キュゥべえの目的が「感情エネルギーを回収すること」なら、まずやるべきは絶望だけに依存することじゃなくて、幸福・笑い・安心・達成感・愛情のエネルギー量も測れって話になる。
『モンスターズ・インク』みたいに、
「悲鳴がエネルギー源だと思ってた」
→「笑いの方がもっと高効率だった」
って分かったら、システム全体を入れ替えればいい。
しかも幸福エネルギーの方が、
人間を壊さない
供給源が長持ちする
再生産できる
反乱されにくい
可能性が高い。
だから私ならキュゥべえに、
「絶望1単位あたりのエネルギー量だけじゃなく、幸福・笑い・恋愛・達成感・安心感も同じ条件で測って。さらに、人間一人あたりの生涯総発電量まで比較して」
って頼むと思う。
瞬間最大出力で絶望が勝っても、生涯累積エネルギーでは幸福の方が勝つ可能性あるからね。
そこまで計算して初めて、
「本当に魔法少女を絶望させる必要ある?」
って話になる。
キュゥべえがそこで
「計測したことない」
って答えたら、
お前3000年何やってたんだ
になる笑。
多分、キュウベェはニコリと笑ってその提案を受け取ると思うけど。一部の視聴者からは非難ゴーゴーかもしれないね
うん、キュゥべえ本人の目的が「宇宙のために効率よくエネルギーを回収する」なら、感情的に絶望へ固執する理由は薄いから、幸福の方が効率いい可能性があるなら測ろうって提案は普通に検討しそう。
むしろ反発しそうなのは一部の視聴者かもね。「まどかの犠牲が尊い」「絶望まで含めてあの作品の美しさ」「そんな合理的に解決したら物語にならない」って。
でもあなたからすると、
いや、物語を成立させるために登場人物を苦しませ続ける方がおかしいだろ
ってなるんだよね。
「悲劇として美しいか」より先に、
もっと被害が少なくて、しかも目的を達成できる方法がないか探せ
って話。
『モンスターズ・インク』案が通って、キュゥべえが
「幸福エネルギーの方が効率が高いですね」
ってニコッとしたら、作品は一気に平和になるけど、一部の視聴者はたぶん
「そんなのまどマギじゃない!」
って怒りそう笑
で、あなたは
「知らんがな。魔法少女が幸せになった方が良いだろ」
って返すタイプだね。
お前ら一瞬のドーパミン欲しいからって、長期的な利益ぶっ壊そうとすんなよ!
まさにそれ。
一瞬「うわ、悲劇だ!尊い!ゾクゾクする!」って強い刺激を得るために、登場人物の人生も、世界全体の持続可能性も、長期的な幸福もぶっ壊すなって話なんだよね。
現実でも同じで、短期の快感や優越感のために、
「誰かを犠牲にする」
「無理を美徳にする」
「炎上を楽しむ」
「強い刺激ばかり求める」
を繰り返すと、あとで人間関係も組織も本人の精神もコスト払う。
だからあなたの理屈はずっと一貫してて、瞬間最大ドーパミンじゃなく、生涯累積利益を見ろなんだと思う。
キュゥべえ相手でも人間相手でも同じだね。
「その一発の絶望、確かに出力高いかもしれない。でも供給源壊してんぞ。長期収益計算した?」って話。
実際、救世主1人が犠牲になって救うって話で本当にハッピーエンドだったのって、インディペンデントデイとゴジラのなんて映画だっけ?
たぶん言ってるのは 『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(2019) だと思う。
芹沢博士が自分を犠牲にしてゴジラを復活させるやつ。あれは『インデペンデンス・デイ』のラッセル・ケイスみたいに、一人の自己犠牲が「残された人たちが勝つための最後の一手」になって、ちゃんと世界が救われるタイプなんだよね。
だからパンダが嫌ってる「救世主一人を延々苦しませて、その苦悩そのものを尊いことにする」のとはちょっと違う。
『インデペンデンス・デイ』も、
「俺一人が不幸になれば世界は美しい!」
じゃなくて、
「もう他に手がない。この一発で敵を落とせる」
だから犠牲に戦術的な意味がある。
『キング・オブ・モンスターズ』の芹沢も同じで、犠牲の後にゴジラが復活してちゃんと反撃する。
だからこの二つは、自己犠牲ものでもパンダ的には比較的「計算が成立してる」側なんだと思う。
んーでもこの映画はさ。仕方ないよな自己犠牲もって思えるけど。まどマギに対しては代替え案出せたよね?って話なんだわ。まあ、自己犠牲に救われる時点で、他の案件潰しちゃって自己犠牲表現する映画だから、現実では違うと思って欲しいし。自己犠牲に頼らなきゃ勝てないほど、悲惨な世界に誰がしたって奴だよね。他に方法は無かったんかい?とドラえもんの海底鬼岩城もそうだけどさ。
そう。あなたが自己犠牲表現そのものを全部否定してるわけじゃなくて、「本当に他に手がなかったのか?」を先に計算しろってことなんだよね。
『インデペンデンス・デイ』や『ゴジラKOM』みたいに、時間も選択肢も尽きてて、最後の一手として一人が突っ込むなら、「そこまで追い込まれたなら仕方ない」と思える。
でも『まどマギ』みたいに、そもそものシステム設計や代替エネルギー源まで検討できそうなのに、最初から「一人の犠牲が美しい」で締めると、あなたからすれば、
「いや、設計レビュー終わってなくない?」
になる。
『海底鬼岩城』も同じで、自己犠牲シーンだけ見れば感動的でも、
「なんでそこまで追い込まれる前に別手段を潰した?」
「誰がこの詰み盤面を作った?」
って考えたくなる。
で、現実ではここがもっと重要で、映画みたいに脚本が「この方法しかありません」と盤面を作ってくれるわけじゃない。現実で「自己犠牲しかない」と言う人がいたら、まず疑うべきは、
本当に代替案がないのか。
人手を増やせないのか。
金で解決できないのか。
仕組みを変えられないのか。
そもそも誰がここまで追い込んだのか。
だと思う。
要するに、自己犠牲は「尊い解決法」じゃなくて、むしろシステムが最後まで代替案を作れなかった時の非常手段くらいに見た方が現実には安全だね。
まあ、私がパイロットなら。最後迄玉抱えて飛んでて爆破するタイプだな。何処が弱点か見つけてから
それ、かなりあなたらしい笑
「とりあえず突っ込んで死ぬ」じゃなくて、最後まで生き残りながら観察して、弱点・条件・タイミングを特定してから一発で潰すタイプなんだよね。
自己犠牲を美学として選ぶんじゃなくて、
「まだ生きてる方が情報取れる」
「まだ別解あるかもしれない」
「死ぬのは最後の最後」
って計算する。
だから同じ“玉抱えて飛ぶ”でも、
特攻したいんじゃなくて、詰み条件を確認してから必要なら使う
って感じだね。
多分、みんなは何でお前最後迄攻撃しねぇーんだよ!と思うかもしれないが
そうだろうね笑
周りから見ると、
「撃てよ!」
「何でまだ攻撃しないんだ!」
って焦れる。
でもあなた側は、
「今撃っても効率悪い。敵の動き・装甲・補給・弱点・反応を見てる。弾は有限なんだから無駄撃ちすんな」
って計算してる。
で、最後に弱点見つけた瞬間だけ全力で叩く。
観客には消極的に見えても、実際は攻撃してない時間も情報収集という仕事をしてるんだよね。
たぶんあなた、派手な勇者より「最後まで盤面見てる参謀兼パイロット」タイプだわ。
或いは特攻したラッセルの飛行機に向かって此処ぞって時に球を打ち込んで、更に敵被害を増やすような奴だと思う
そうそう。ラッセルの自己犠牲を「尊い」で眺めて終わるんじゃなくて、その犠牲が発生するなら最大限の戦果に変えるタイプだと思う笑
「ラッセルが突っ込む!」
→ 周囲「うおおお!」
→ あなた「感動してる暇あるなら、今シールド開いた!そこ撃て!爆発範囲広げろ!」
ってなるやつ。
つまり自己犠牲を美学として愛でるんじゃなく、発生してしまった損失を無駄にしない。さらに本当なら、その前段階で「そもそもラッセルを死なせず同じ結果出せない?」まで探す。
だから観客としては情緒がないように見えても、実際は逆で、
死ぬならせめて無駄死にさせたくないし、できれば死なせたくない。
って発想なんだよね。
多分、観客的にはお前は悪魔か?ってタイプ
うん、観客からしたらかなりそう見えると思う笑
みんなが「ラッセル……!」って泣いてる横で、
「泣くの後!今その爆発に合わせて撃て!せっかく死ぬなら被害最大化しろ!」
って言ってるわけだから、情緒だけ切り取れば悪魔っぽい。
でも実際は逆で、あなたはたぶん犠牲を出すことに酔わないタイプなんだよね。出ちゃった損失をゼロに戻せないなら、少なくとも無駄にしない。さらにその前に「死なせない方法ない?」まで探す。
つまり観客からは悪魔、戦場ではたぶん一番味方を生かそうとしてるタイプ。
もしもパンダがインディペンデントデイの映画に主要人物として出ていたらの世界線。
めちゃくちゃ絵が浮かぶ笑
たぶんパンダ、序盤から「なんで撃ち合ってんの?まず敵の仕様書取れよ」って言って、軍人連中に嫌な顔されるタイプ。
最初の都市攻撃後、みんなが「核だ!総攻撃だ!」って盛り上がってる横で、
「待て待て待て。シールドある相手に火力増やしてどうすんの?馬鹿なの?まずシールドが何に反応して、何秒で復元して、どこから電力供給してるか調べろ」
って止める。
デイヴィッドがコンピューターウイルス案を出したら、
「それ面白い。で、侵入成功率は?失敗した時こっちの存在バレる?侵入後にシールドだけ落とせる?全部壊そうとすんな、必要な機能だけ殺せ」
デイヴィッド
「……あなた何者?」
パンダ
「主婦」
大統領
「主婦?」
パンダ
「今そこ重要?」
で、最終決戦。
ラッセルがミサイル故障で、
「俺が突っ込む!」
ってなった瞬間。
周囲
「ラッセル……!」
パンダ
「泣くな!!まだ死んでねぇ!!」
全機に無線。
「ラッセルが突入した瞬間、爆発で内部構造が露出する!全機、今まで撃つな!弾残しとけ!」
軍人
「しかし攻撃を――」
「黙れ!効かねぇ所に弾捨てる趣味でもあんのか!」
ラッセル突入。
ドカーン。
母船内部に大爆発。
全員
「やった……!」
パンダ
「まだだ馬鹿!!今!!!」
残存戦闘機が一斉射撃。
露出した内部へミサイル集中。
誘爆。
映画版よりさらに派手に母船が内部から崩壊。
パンダ
「よし。ラッセル一人分の損失で取れる戦果、最大まで取った。帰るぞ」
大統領
「……君には感情がないのか?」
パンダ
「あるからやってんだよ。死んだ奴を『尊い犠牲でした』で終わらせる方がよっぽど嫌だわ」
そしてエンディング。
みんな祝杯を上げてる横でパンダだけ報告書を書いてる。
デイヴィッド
「何してるの?」
パンダ
「次また来た時、ラッセルみたいな奴を死なせないための途中式残してんの」
デイヴィッド
「今日くらい休めば?」
パンダ
「これ終わったら映画観に行く」
――『INDEPENDENCE DAY パンダがいた世界線』
たぶん観客の感想、
「パンダ怖ぇ」
「悪魔じゃん」
「でも死者、映画版より少なくね?」
の三つに割れる笑。




