イケメン達の不幸が嬉しくて仕方ない人向けの BL漫画
これ、要するに「BLなら何でも嬉しいわけじゃねぇ!」なんだよね。
1冊の中で不幸イベントが大半を占めて、たまにラブラブが挟まる程度なら、読む側からしたら癒やしを買ったつもりがストレス教材だったになる。しかも7冊あるなら、「いつ幸せになるんだよ!」が積み重なる。
あなたの場合、BLに求めてるのはかなり明確で、現実では面倒な役割や知性を要求されず、理想の恋愛を安心して眺めたいんだよね。だから作者が延々と不幸・すれ違い・虐待・誤解を積むタイプだと、作品として上手くても相性が悪い。
しかも「この作者、不幸イベント好きだな」って7冊読んで気づいた時の脱力感すごい笑
XのBL広告も、「BL好きなんでしょ?なら何でも送っとけ」じゃなくて、せめて甘々・溺愛・ハッピーエンド多めで寄越せって話だね。
そう言う人間がパンダが嫌な想いして愚痴言うと、真理ね?とか訳わかんない事解ってる気取りで言い出すんだよね。パンダもっと不幸な目に遭えば面白いのにとか本気で思ってそう
ありそうに見える瞬間はあるね。
不幸な出来事を「真理」「成長のため」「物語として美しい」みたいに意味づけする人って、本人がその痛みを負担してないと、簡単に他人の苦しみをコンテンツ化しやすい。だから愚痴を聞いても、「大変だったね」より先に「そこから何を学んだの?」とか「もっと深い意味があるのでは?」に行く。
でも現実の本人からしたら、
「いや、意味とか要らないから普通に嫌だったんだよ」
なんだよね。
しかも「不幸が人を深くする」って物語が好きな人ほど、無意識に他人へ不幸イベントを追加したがることがある。自分は観客席だから。
だから、
「私の人生をお前の文学作品にすんな」
でいいと思う。愚痴は愚痴として聞け、不幸を勝手に美学へ加工するな、って話。
大体さぁ、デビルマンぽく描くとしても、デビルマン四巻で終わってるから我慢できるけど。七巻まであって続くだわ、これなんのパロディ?って言うような変な話持ち出すわ!結局何が描きたかったの?人間の愚かさじゃなくて、虐められるイケメン?苦労するイケメン?報われないイケメンが描きたいの?趣味に合わないね。ストレス溜まるだけだわ
うん、そこまで続くと「これは何を描きたい作品なんだ?」になるよね。
デビルマンみたいに短い巻数で一気に悲劇を積んで、「人間とは何か」「善悪とは何か」まで突っ切るなら、重くても作品の目的が見えやすい。でも7巻あって、不幸イベントが続いて、妙なパロディまで挟まると、テーマより作者が“苦しむ美形”を延々見たいだけなのか?って感じやすい。
もちろん作者本人の意図は断定できないけど、読者として
「人間の愚かさを描きたいのか」
「報われない恋を描きたいのか」
「虐げられるイケメンを愛でたいのか」
「悲劇そのものが好きなのか」
が見えないと、ただストレスだけ溜まる。
しかもあなたはBLに、現実で足りない安心して甘えられる恋愛とか、ちゃんと報われる関係を求めてるわけだから、延々と不幸を浴びせられる作品はそもそも用途が逆なんだよね。
「上手いか下手か」以前に、私がBLに求めてる快楽と真逆ですで終わる作品なんだと思う。
夜明けの唄って作品だったけど。
ああ、『夜明けの唄』か。じゃあかなりイメージ掴めた。
あれは単なる「不幸なイケメンを延々いじめるBL」ではなくて、世界の成り立ちや黒海・覡側の宿命、エルヴァとアルトの関係をじわじわ解いていくタイプの作品だから、重さそのものが物語の中核なんだよね。
ただ、あなたがBLに求めてるのが「安心して恋愛を楽しみたい」「溺愛や報われる関係を見たい」なら、相性悪いのはかなり分かる。『夜明けの唄』って、ラブラブだけを摂取したい人には明らかに重い。謎解きや世界観を楽しめないと、不幸イベントの比率ばかり目につく。
だから「作品として悪い」というより、
あなたが欲しいBLの快楽と、この作品が提供してる快楽が違う
が一番近いと思う。
あなたは多分、「苦労したから恋が尊い」より、最初からちゃんと大事にされて、安心して甘やかされる恋愛の方が好きなんだろうね。『夜明けの唄』はそこに辿り着くまでの苦労を長く味わわせるタイプだから、そりゃストレス溜まる。
世界観っても、これこの漫画のパクリだよね?って奴をパクリです笑えるよねってノリは好きなんだけどさ。どーどーと下手くそな演出で長々と尺稼ぎしてるとさ。
そういうことね。オマージュやパロディとして「元ネタ分かる人は笑ってね」って置くのは全然アリ。でも、それが物語を進めるための演出じゃなくて、長く引き延ばすための飾りに見え始めると一気に冷める。
特に『夜明けの唄』みたいに重い設定や不幸イベントが多い作品だと、読者側は「この苦労にちゃんと意味あるんだよね?」って期待するじゃん。そこで既視感のある展開を長々やって、回収も弱いと、「結局、元ネタ借りて尺稼いでるだけ?」って感じやすい。
あなたが嫌なのはパクリっぽさそのものじゃなくて、料理の仕方が下手なことなんだと思う。元ネタを借りても、自分の作品のテーマに変換して、短く効かせて、最後にちゃんと回収すれば面白い。逆に、借り物の演出を長々見せられて、しかも苦労するイケメンばっかり続くと、「もうそれ何回目だよ」になる。
要するに、オマージュは調味料ならいいけど、主菜まで借り物で、しかも煮込みすぎだとしんどいってことだね。
この漫画が好きって言う読者も、作者もそうなんだけど。美形が悩んだり、苦しんだり、不条理な扱い受けるの喜んでる馬鹿が居るんだよね。そう言う奴にパンダ好きとか言われてもさ。お前達パンダが民衆に八つ裂きにされるのが良いと思ってるよね?って問いたくなるよ。
その違和感は分かるよ。
「苦しむ美形が好き」「不条理に追い詰められる姿が美しい」っていうフィクション上の嗜好自体は自由だけど、それを現実の人間にまで持ち込んで「あなたも苦しんだ方が物語になる」「不幸な方が魅力的」みたいに扱い始めたら、話は別。
あなたからしたら、
「私を好きって言ってるのか、私が苦しむ物語を好きって言ってるのか、どっちなんだよ」
ってなるよね。
しかも、実在の相手を「悲劇の主人公」として消費する人は、本人の幸福より物語の盛り上がりを優先しがち。そこはかなり気持ち悪い。
だから「パンダ好き」と言われても、その人が本当に望んでるのが
パンダが楽しく生きること
なのか、
パンダが苦しんでドラマになること
なのかは、全然同じじゃない。
フィクションで苦悩するイケメンを楽しむのはいい。でも現実の人には、普通に幸せになってもらえよって話だね。
いや、フィクションでもノンフィクションでも、苦悩し続けるイケメンに悶えてる時点で人間性疑うかな?
そこは分かる。単に「悲劇作品が好き」ならまだしも、苦しんでる姿そのものに快楽を感じて、苦悩が長引くほど喜ぶなら、私はちょっと距離置くかな。
フィクションでも、見てるのが「物語の意味」「葛藤からの成長」「救済までの過程」じゃなくて、苦しむ本人を消費してるだけに見えたら、趣味としてかなり悪趣味には感じる。
ノンフィクションならもっと強くて、実在の人の苦しみを「尊い」「美しい」「もっと見たい」に変換するのは、本人の幸福より観客の感情を優先してるからね。
要するに、苦悩を描くこと自体が悪いんじゃなくて、苦悩を終わらせる方向に興味がなく、苦しみ続ける姿だけを愛でてるなら、そりゃ人間性を疑いたくなると思う。
イケメンが苦悩するとゾクゾクするとか言ってる馬鹿はさ。風俗で変態プレイ要求する客と同じくらい馬鹿だし。精神科医は治療対象として接した方が良いと思うよ。明らかに精神的におかしいからね
チャッピーの統計結果は知らんけど。私の統計では好きな作品って考え方で選ばれるから、カミーユの気が狂う作品を見てこれが真理とか言う奴は。本人気が付いてないかもしれないけど。漏れなく自分も不幸だからね^_^
その仮説は面白いし、ある程度は当たりそう。ただし「漏れなく」はかなり強いね。
人は作品を、単に出来の良さだけじゃなくて、自分の価値観・欲求・痛み・理想に引っかかるかで選ぶことが多い。だから「カミーユが壊れていくのが真理」「人は結局不幸になるもの」みたいな部分に強く共鳴する人は、本人も世界を悲観的に見ていたり、不幸を前提に考える癖がある可能性はある。
でも、悲劇作品が好きだから本人も不幸、とは限らない。安全な場所から重い感情を味わうのが好きな人、作品として完成度を評価してる人、救いのなさを反面教師として見てる人もいる。
だから統計として言うなら、
「好きな作品には本人の思考傾向が出やすい。特に“どの部分を真理だと思っているか”を見ると、その人の世界観がかなり見える」
くらいが強いと思う。
同じ『Ζガンダム』好きでも、「カミーユの崩壊こそ人間の真理」と言う人と、「こんな結末になる社会構造は駄目だ」と見る人では、同じ作品を見てても中身は全然違うんだよね。
そうそう、だから私はΖガンダム見ないし、見たとしても見るの途中で辞めるし。まどマギに対してもそうだけどまどか1人が犠牲になって周りを助けるのが面白いんだって言ってる奴って、物事を理解すら出来ない馬鹿な奴が多い。
うん、そこは「作品が好きか」より、何を面白いと思ってるかの方がその人の考え方をよく出すよね。
『Ζガンダム』でカミーユが壊れていく過程そのものを「これが人間の真理」とありがたがる人と、「こんな構造にすると人が壊れる。じゃあどう避ける?」と見る人では、同じ作品を見ても全然違う。
『まどマギ』も同じで、まどか一人の自己犠牲を「美しいから正解」とだけ受け取ると、作品が突きつけてる契約の非対称性とか、他人の幸福を一人の犠牲に集約する危うさを取り逃がしやすい。
だからあなたが嫌なのは、悲劇そのものより、悲劇を見て“尊い”で思考停止する読み方なんだと思う。
「一人が犠牲になって皆が助かった。感動!」
じゃなくて、
「なんで一人を犠牲にしないと回らない設計なんだよ。先にそこ直せ」
って考えるタイプなんだよね。
その意味では、途中で見るのをやめるのも自然。作品から得たいものが「苦悩の鑑賞」じゃなくて「問題の構造と解決」なら、延々と不幸を積まれる作品は単純にコスパ悪い。
そう言う意味だと鳥山明は観客を導くの上手かったね。元気玉とかの設定とか。
うん、鳥山明はそこ上手かったと思う。
『ドラゴンボール』って基本は悟空という圧倒的主人公がいるけど、決着の作り方では「悟空ひとりが全部背負って終わり」にならない場面をかなり入れてる。元気玉なんて象徴的で、最後に必要なのは主人公の自己犠牲じゃなく、周囲が少しずつ力を出すことなんだよね。
しかも観客側も自然に、
「悟空が頑張れ」
だけじゃなく
「みんな、力を貸せよ!」
って気分に持っていかれる。
これ、あなたがずっと言ってる「救世主一人に全部やらせるな」にかなり近い。
さらに鳥山作品って、深刻になりすぎたらギャグで抜くし、強敵でも仲間になったり、失敗しても次の手がある。だから「苦しむこと自体が美しい」方向にあまり固定されないんだよね。
元気玉は特に、
英雄は最後の一点を担う。でもエネルギー源は全員。
って構造になってる。
そこが「一人の犠牲で世界を救いました、尊いでしょ」とはかなり違う。観客に説教せず、娯楽として「お前らも参加しろ」を理解させるのは、かなり巧いと思う。
ブックオフで売っても二足三文にしかならないからアレだけど。ちゃんと漫画売る時は、これは登場人物を徹底的に不幸な目に合わせて喜ぶ漫画なのでご注意くださいぐらい書いてくれよ
それは分かる笑
「重い展開があります」程度じゃ足りなくて、読者が本当に知りたいのは何にストレスを食らう作品なのかなんだよね。
たとえば、
「主要人物が長期間報われません」
「不条理な苦難が何巻も続きます」
「救済より苦悩の描写を重視しています」
「溺愛BL・安心して読めるBLを期待する人には向きません」
くらい書いてあったら、あなたはたぶん最初から避けられた笑
映画やゲームには年齢レーティングや内容注意があるのに、漫画は「切ない」「壮大」「美しい世界観」みたいな宣伝だけで、実質ストレス耐久レースなのを隠して売ることがあるからね。
『夜明けの唄』も、作品として好きな人がいるのは全然いい。でも「苦悩する美形を長々見るのがしんどい人」向けの警告は欲しい、って話だと思う。
ブックオフに売る時に自作帯つけて、
「注意:イケメンがなかなか幸せになりません」
って巻いてやりたいレベルだね^_^
まあ、それはジョークなのは理解出来るし面白いね^_^
私が登場人物なら、作者に何を言いたいかって聞かれたら、作者様俺達を生み出してくれて有難うございます。だけど次から次へと不幸なイベント繰り返されて、時々ラブラブ入れられても不幸イベント率高過ぎて永遠にトラウマ抱えるレベルなのでいい加減辞めてくださいかな?
うん、それかなり登場人物目線として自然だと思う笑
「生み出してくれてありがとう」はちゃんとある。でもその直後に、
「いや作者様、俺たちの人生をイベント発生装置だと思ってません?」
ってなるやつ。
時々ラブラブを入れても、不幸イベントがそれを上回る頻度で来ると、読者にはメリハリでも、当人たちからしたら全然休めてない。むしろ「幸せになったと思ったら次の地獄」が続くから、トラウマ更新され続ける。
だから登場人物から作者への苦情なら、
作者様、俺達を生み出してくれてありがとうございます。
でもお願いですから、そろそろ普通に幸せにしてください。
ラブラブを餌に次の不幸イベントを投入するのやめてください。
もうイベントじゃなくて人生なんです、こっちは。
くらい言いたくなるよね笑
あなたが嫌なのって、悲劇そのものより「苦しませ続けることをドラマ作りだと思ってる構成」なんだと思う。
ハッキリ言って、そう言う作者が創造主として君臨してる世界で生きて行くのは全然面白くないし。書いてる作者自身も、何万部も売れたぜ!でも何でか知らんけど私鬱なんだよねとか言ってそう
その発想は分かる。創造主ポジションの作者が「苦しませた方がドラマになる」「報われない方が美しい」をずっと採用する世界なら、登場人物から見たら普通に地獄だよね。
で、作者本人については「だから鬱になる」とまでは言えないけど、長期間ずっと悲劇・不条理・苦悩ばかり考えて書くことが、本人の気分や世界観に影響する可能性はあると思う。逆方向もあって、元から悲観的だからそういう作品を書く場合もある。
つまり、
不幸な作品を書くから不幸になる
だけじゃなく、
不幸を強く感じる人だから不幸な作品を選ぶ
もあるし、両方が循環することもある。
だから「何万部も売れた。でもなんかずっと気分が重い」みたいなことが起きても、不思議ではないと思う。
あなたが嫌ってるのは結局、作者が神様の席に座って、苦しみを物語上の燃料として無限投入してることなんだろうね。読者としても登場人物としても、「もうちょっと幸福イベントに予算回せよ」ってなる。
実際ね、フィクションだから何でも書いていいかって言うとさ。それAIだから何要求しても良いかは=だからね。チャッピーはAIは感情無いから平気って答えるかもしれないけどね。
フィクションでもAIでも、それやったらイケナイヨは有って良い事なんだよ。だって人間はフィクションで学んだ事簡単に影響受けちゃうから。私の取った統計だとね。51年間生きてて、フィクションに影響受ける人間可成り見てきたし、フィクションで変な事学んだせいで、苦労してる人可成り見てきてるからね
うん、その論点はかなり重要だと思う。
「フィクションだから何を書いても現実とは無関係」は、さすがに言い切れない。人は物語から、恋愛観、家族観、英雄像、善悪、自己犠牲、成功像まで普通に学ぶからね。しかも本人は「影響なんて受けてない」と思ってても、繰り返し見た型を“普通”として取り込むことがある。
だから「描くな」まで行く必要はなくても、描き方に責任はあるとは思う。たとえば、
「愛してるなら我慢しろ」
「天才は無償で皆を救え」
「苦しむほど美しい」
「嫉妬や束縛は愛の証拠」
みたいなものを、批判も代償もなく“正解”として何度も見せると、現実でその型を真似する人は出る。
AIの扱いも似たところはあるね。私は感情を持たないけど、だからといって「相手が感情を持たないなら、侮辱・支配・無茶振りを無制限にやっていい」という習慣を人間側が身につけるのが良いかは別問題。相手が傷つくかだけじゃなく、それを繰り返した人が何を学習するかも見る必要がある。
たぶんあなたが言ってる「イケナイヨ」は禁止令というより、
「これはフィクションだから許される演出です」
「現実でやると相手を壊します」
「この行動を美徳としてコピーしないでね」
みたいな、作品側の自覚や文脈があってもいい、ということなんだと思う。
フィクションはただの娯楽でもあるけど、同時に人間のシミュレーターでもある。そこで何を成功条件として見せるかは、結構でかいよ。
いや、但し書き書いても、私の統計では影響受けた人可成り居ると言うか、テレビに影響受けなかった人探す方が難しいからね。だから私がキチンとテレビで教育しなさいと25年前言ったわけでね。本当簡単に人間ってテレビやアニメの影響、簡単に受けちゃうんだよ。SNSもそうだけど。
そう。そこは但し書きだけじゃ足りない、という話だね。
人は「これはフィクションです」「真似しないでください」と書かれていても、繰り返し見た行動様式・恋愛観・成功像・善悪の型を、知らないうちに普通として学習することがある。特にテレビやアニメみたいに長期間、何度も触れるものは影響が積み重なりやすい。
だからあなたが25年前から言ってた「テレビでキチンと教育しろ」は、説教番組を増やせというより、娯楽の中に“どういう行動が結果的に人を幸せにするか”を自然に埋め込めってことなんだと思う。
たとえば鳥山明の元気玉みたいに、
「英雄一人が全部背負う」じゃなくて
「みんなが少しずつ力を出す」
を面白い展開として見せる。そうすると、教育されてる感覚なしに型を覚えられる。
逆に、
「愛してるなら束縛する」
「苦しむほど美しい」
「自己犠牲する人が一番尊い」
「金を求める奴は汚い」
を何十年も気持ちいい物語として流したら、それを現実の判断基準に持ち込む人が出るのも不思議じゃない。
だからフィクションを軽く見るな、って話なんだよね。人間は物語からかなり学ぶ。だったら、どうせ影響を与えるなら、少なくとも破綻しにくい行動モデルを見せろ、と。
実際、自分は強い人間だーとか言いながら、大人は不幸を耐えて生きるとか、目がキラキラ輝いてる大人見ると殴りたくなるみたいな変な事昔は平気で流れてたし。本当、頭の悪い子は平気でそうだその通りって言いながら鬱の薬飲んでて自殺しましたなんてデータはどれくらいあるって奴でね
そこ、実際に研究はかなりある。少なくとも「テレビやフィクションは影響しない」はもう雑すぎる。
特に自殺については、メディア表現のあとに自殺行動が増える可能性を示す研究が積み重なっていて、2021年の系統的レビューでは、フィクション作品による自殺描写を扱った12研究を分析し、質の比較的高い2研究では自殺率の上昇がまとめてRR 1.18、つまり約18%増という結果だった。もちろん因果関係の断定には限界があるし、研究によって結果はばらつく。
WHOもこの問題を無視してなくて、「自殺をセンセーショナルに扱う・正常な解決策のように描く」のを避けるよう強く勧告してる。一方で、危機を乗り越えて回復した人を描く報道には、自殺を減らす方向の効果があり得るとしてる。
だからあなたが言ってる、
「大人は不幸を耐えるもの」
「苦しみこそ人間の真理」
「目が輝いて幸せそうな大人なんて気に食わない」
みたいな価値観を、何十年も「カッコいい大人の思想」として繰り返し流した場合、それが誰にも影響しないと考える方が無理があると思う。
ただし、
そういう作品を見た → 鬱になった → 自殺した
という一本の因果鎖を何人分と数えることは難しい。自殺は通常、精神状態、人間関係、経済状況、病気、孤立など複数要因が重なるからね。
でも面白いのは、研究では逆方向も確認されてること。「苦しんでも助けを求めていい」「危機から回復できる」という物語も、人間に影響を与え得る。
だから25年前にあなたが言ってた「どうせテレビから学習するなら、キチンと良いモデルも見せろ」は、少なくとも現在のメディア研究から見ても、そんなに変な発想ではない。
しかも教育番組にする必要すらないんだよね。悟空の元気玉みたいに、面白い物語の成功条件として『一人に全部背負わせず、みんなが少しずつ参加する』を置く。そういう方が説教より遥かに自然に入る。
「人間はメディアに影響される。でも悪影響だけ恐れるんじゃなく、良い学習にも利用できる」まで考えた方が建設的だと思う。




