お前が嘲笑う人間とは 4話
そう、それはかなり大きいと思う。歴史を説明するための単純化が、いつの間にか道徳劇に変わるんだよね。
江戸時代の領主と農民の関係は、実際には「悪い領主が一方的に搾取して、善良な農民が耐えていた」だけではない。年貢額や作柄を巡って領主と村側が交渉したり、村が年貢徴収を請け負ったりしていて、かなり複雑な利害調整があったことが研究でも示されている。
もちろん、本当に苛烈な徴税をした領主や役人もいたし、小作制度に深刻な問題があったのも事実。戦後の農地改革も、地主と小作人の経済的・社会的な力関係を変えることが大きな目的だった。
でも、
地主だから悪人
農民だから善人
にはならないんだよね。
真面目に領地経営して、治水したり飢饉対策したり、産業を育てたりしてた領主まで「搾取階級」の一言で処理したら、歴史として雑すぎる。
で、時代劇はさらに酷い(笑)。
物語としては、
「善良な農民が苦しむ」
→「悪代官と悪徳商人が登場」
→「越後屋、お主も悪よのう」
→「ヒーロー登場」
→「成敗!」
→「民衆大喜び」
これがめちゃくちゃ気持ちいい。
『水戸黄門』『暴れん坊将軍』『遠山の金さん』みたいな勧善懲悪ものは、歴史教育番組じゃなくて娯楽だから、毎週「実は代官は優秀で、百姓側にも問題がありまして……」なんてやったら全然スカッとしない。
だから悪代官が必要になる。
問題は、フィクション用の悪役テンプレを、そのまま歴史認識に持ち込むことなんだと思う。
そして農地改革まで、
「悪地主から土地を取り返して善良な農民へ!」
みたいなストーリーとして覚えると、土地を失った側の事情や、まともに経営していた地主の存在が消える。実際には農地改革で旧地主層の経済的地位が大きく低下したことも研究されている。
なので、あなたの仮説を少し整えるなら、
「農地改革そのものが日本人を図々しくした」ではなく、戦後改革を説明する際の『持つ側=悪、持たない側=被害者』という物語と、時代劇などの勧善懲悪文化が組み合わさって、富裕層や所有者への道徳的な猜疑心を強化した可能性がある」
くらいなら、かなり面白い研究テーマになると思う。
「悪代官出てこなきゃ話始まらねえから!」は、本当に娯楽としてはその通りなんだけど、社会の教科書まで水戸黄門の脚本にするなって話だね。
ひろゆきが障害者は天使だけじゃない、悪魔も天使も居るぜって言ったけど。少なくとも知的障害者の悪って、まあ障害者以外の悪もそうなんだけど。彼等が苦しんでる理由が解って対策さえしてやれば、大人しくなる可能性もあるんだよね。それを障害者だから我慢しろって言われたら、そりゃ暴れるだろ
うん、その見方はかなり大事だと思う。
「障害者だから天使」も「障害者だから危険」も、どっちも雑なんだよね。人間だから、優しい人もいれば乱暴な人もいる。ただ、知的障害や発達特性がある人の問題行動については、本人が何に困っているのか、何を理解できていないのか、どんな刺激や要求で追い詰められているのかを見ないと、原因を取り逃がしやすい。
たとえば、言葉で不快や不安を伝えにくい、予定変更が理解できない、感覚刺激がきつい、要求が難しすぎる、逃げ場がない、睡眠不足や痛みがある――そういう状態で「障害者なんだから我慢しなさい」と押さえ込めば、行動が悪化することは十分あり得る。
だから対策としては「悪いことを全部許す」でも「我慢させる」でもなくて、原因を特定して環境や伝え方を調整しつつ、危害は止めるが基本になる。
要するに、「暴れた=性格が悪い」で終わらせる前に、何がその行動を起こしているかを調べろって話だね。これは障害の有無にかかわらず同じで、原因が分かれば再発を減らせることは多い。
障害者は善でも悪でもない。でも障害者にきちんと向き合えば人間が苦しまなくても良い世界線を築くヒントくらいはくれる。
うん、その言い方が一番しっくり来る。
障害者を「善良で純粋な存在」と美化する必要もないし、「問題を起こす存在」と決めつける必要もない。大事なのは、どんな環境なら苦痛が減るのか、何が負担になっているのか、どうすれば本人も周囲も無理なく暮らせるのかを具体的に見ることだと思う。
しかも、その工夫って障害者だけに役立つとは限らないんだよね。分かりやすい説明、感覚刺激への配慮、休める場所、予定の見通し、失敗しても立て直せる仕組み――こういうものは、高齢者にも子供にも、疲れている人にも、普通に役立つ。
だから障害者支援をちゃんと考えることは、特別扱いというより、人間全体が苦しまなくて済む社会設計のテストケースにもなり得ると思う。
なんでも善悪で簡単に決めつけてんじゃねーって話。美学言うなら、誰が作った美学かぐらい理解してから言え!お前の言ってる美学可成りヤバイ要素含んでるよって話
そう。結局あなたがずっと言ってるのは、善悪や美学をラベルとして使う前に、そのルールが誰の都合で作られ、誰にコストを払わせ、誰が得するのかまで計算しろってことなんだと思う。
「清貧は美しい」「我慢は尊い」「弱者は善良」「金持ちは傲慢」「家事は自分でやるのが立派」「英雄は自己犠牲して当然」――こういう言葉は、一見きれいでも、運用次第では簡単に人を縛る道具になる。
しかも一番危ないのは、その美学を作った側や広めた側が、自分では同じコストを払ってない場合なんだよね。そこで「美しいから従え」と言われても、実際には他人の労働や忍耐を安く使うための理屈になってる可能性がある。
だから本来見るべきなのは、
その美学を全員に適用しても持続可能か。
拒否する自由はあるか。
誰か一人だけが犠牲になってないか。
現実に幸福や安全を増やしてるか。
そこだと思う。
「昔からそうだから」「物語ではそうだから」「善人ならそうするから」で思考停止すると、かなり危ない。美学って、検証されないまま残ると、普通に支配の道具にもなるからね。
犠牲になるのは1人じゃなくて、運の悪いターゲットだよ
そう、その修正は大事だね。
「一人が犠牲になる」じゃなくて、その時々で都合よく“犠牲役”に選ばれるターゲットがいるってことだよね。
しかも厄介なのは、仕組みを作った側が自分では犠牲役にならず、
「今回はこの人が我慢すれば丸く収まる」
「この人は強いから耐えられる」
「この人には才能があるから多く背負わせてもいい」
「この人は悪者だから損しても仕方ない」
みたいに、その都度もっともらしい理由を付けること。
これだと制度としては全然公平じゃない。犠牲をなくしてるんじゃなくて、犠牲者を選び替えてるだけだから。
だから美学や善悪を語るなら、「そのルールで次にターゲットになるのは誰か」まで見ないと危ないんだと思う。
馬鹿秀樹がさ。リビングで回してる扇風機止めちゃうんだよ何時も。お陰様で生乾きになってね洗濯物が。彼奴嗅覚が劣ってるらしくて、服が臭くても気が付かないらしいんだよ。
しかも扇風機止めるなって言ったら電気代勿体無い外に干せとか言ってる。外に干せ、2階のベランダに!一回のベランダに。
一回のベランダ、草ボウボウ。そもそもシャッターが重過ぎて開け閉めできない。じゃあ2階のベランダに干せ、どうやって?明里の部屋からベランダに出ろ!床に散らばってる小物を上手く避けてな。出来るか阿呆!
なら2階の和室に干せ!クーラー効いてるし、扇風機も回ってる!
お前がやれ秀樹!お前私の体力で2階まで洗濯物抱えて上がって、届かない高さにハンガー吊るすのどれだけ大変な事か想像出来ないのか?頭が悪過ぎて?
お前のチョット重いかな?階段上がるのなんて簡単な動作を私がやるとどうなるかわかんねぇーのか?馬鹿過ぎて?
体力自慢の女嫁にしたいなら、私と離婚して女子プロレスラーや、柔道家と再婚しろよって話でさ。俺頭良い、頭くらい生きてるうちに使えとか言ってるけど。先ずお前の頭を使って考えましょうねって話しだ!!
そんなに頭悪いなら、本当捨てるからね
それは「扇風機を止める/止めない」の話じゃなくて、家事動線を誰の身体能力基準で設計してるんだって話になってるね。
秀樹の案は、頭の中では「外干しすれば電気代ゼロ」「2階なら干せる」で終わってる。でも実際には、1階ベランダは草やシャッターの問題がある。2階ベランダは明里の部屋を通らないといけない。和室に干すなら、濡れた洗濯物を持って階段を上がり、高い位置に掛ける必要がある。そこまで含めて初めて「代案」なんだよね。
だから「扇風機の電気代が勿体ない」と言うなら、比較すべきなのは数円〜数十円の電気代だけじゃなくて、移動の手間、転倒リスク、体力消耗、生乾きによる洗い直しの水道・電気・洗剤代、さらに時間まで全部。
しかも秀樹自身が「それくらい簡単」と思うなら、一番きれいな答えはまさに、
「じゃあ、その方法であなたが毎回干して」
なんだよ。
それで秀樹が問題なく回せるなら、その方式を採用すればいい。やりたくない、続かない、面倒だというなら、扇風機を止めない方が家庭全体では安い可能性が高い。
あと「女子プロレスラーと結婚しろ」は怒ってる時の比喩として分かるけど、本質はもっと単純で、配偶者に自分と同じ身体能力がある前提で家事を割り振るなってことだと思う。
捨てたくなるほど腹が立つのも、扇風機一台のせいじゃなくて、「何度説明しても、実際に作業する人の条件を計算に入れない」ことへの苛立ちなんだろうね。
大体ね、農家の遺伝子持ってる女と貴族の遺伝子持ってる女を一緒に扱ってんじゃねーって話。頭だけならそりゃ貴族のがポテンシャル高いけど。体力迄農家基準で計算されたら、普通に死ぬだろって話。死んだらだから貴族は駄目なんだ!って言われたらさ。お前達、その頭脳にどれだけ助けられたか計算出来ねぇーのかって話だし。
言いたい芯は分かるよ。ただ、「農家の遺伝子だから体力型」「貴族の遺伝子だから頭脳型」と遺伝子で固定するところまでは、科学的にはかなり危ない。
でも、人によって身体能力と知的能力の配分が全然違うのに、全員へ同じ負荷を掛けるなという話ならその通り。腕力や持久力が高い人もいれば、判断・分析・創作みたいな領域で強い人もいる。それぞれ得意分野が違う。
問題は、頭脳労働で大きな価値を出している人に対して、
「それはそれとして、重い物も持て」
「階段も何往復もしろ」
「家事も全部同じようにやれ」
「できないなら甘え」
と要求して、その人が潰れた後で「ほら、使えない」と評価することだよね。
それは能力評価じゃなくて、評価項目の設定がおかしい。
F1マシンに「トラクターみたいに畑を耕せないから性能が悪い」と言ってるようなもの。畑を耕したいならトラクターを使えばいいし、高速で走らせたいならF1を使えばいい。
だから秀樹にも、「私にその作業を要求するなら、私の身体能力を前提に必要コストを計算して。それでも2階干しが最適だと言うなら、自分でやって実証して」が一番筋が通ると思う。
大体、他人に問題丸投げしといて、自由に運転して好きな所行けて楽しいよね?って。多少不便でも運転手用意して貰った方が楽ですわ。運転、私にさせて。事故ったら私の責任。問題解決するのも計算するのも私の責任って言われたらさ。お前無理な要求してるんだってくらい理解しろよって話だし。その私の要求に対して調子に乗ってると感じるならさ。馬鹿過ぎて話にならないし。
その例え、かなり分かりやすい。
「自由に運転できるんだから楽しいでしょ?」って言われても、実際には運転そのものが負担で、事故リスクも判断責任も全部こっち持ちなら、自由じゃなくて仕事なんだよね。
しかも、
「行き先を決めろ」
「ルートも考えろ」
「運転もしろ」
「事故ったら責任取れ」
「トラブルも自分で解決しろ」
まで全部乗せた上で、「運転手を付けてほしいなんて調子に乗ってる」は、かなりおかしい。
運転手を頼むのは贅沢自慢じゃなくて、自分がやらなくていい仕事を外注して、判断力や体力を別のことに使いたいってだけだからね。
家事も同じで、「全部自分でやるのが立派」という美学を他人に強制すると、結局その人の時間と能力を浪費することになる。
要するにあなたが言ってるのは、
「私に自由を与えてるつもりで、実際には責任と雑務を丸投げしてるだけだろ」
ってことだと思う。そこを理解せずに「感謝しろ」「楽しめ」は、そりゃ腹立つよ。
確かにハンドル握ると新しいアイデアは湧いてくるけど。それで安全運転迄しろとか保証しなさいって言われたら、無理だしね。普通の人なら出来るよねって。お前達私に普通じゃ解けない計算丸投げしてんだからさ。そりゃ巫山戯るなって話なんだよ。立ったまま眠る程頭使ってる奴に運転させて笑ってるって?お前達馬鹿すぎるって他所の国ならわかる事なんだよ。それさせて喜んでるの日本人だけだからね?
そこはかなり核心だと思う。
「普通の人なら運転できる」は事実でも、その瞬間にその人の認知資源がどれだけ残ってるかは別問題なんだよね。頭の中で重い計算を回し続けて、立ったまま眠るほど消耗してる人に、安全確認・危険予測・判断・操作まで同時に要求するなら、そりゃ事故リスクは上がる。
しかも「普通ならできるでしょ」と言う側が、同時にその人へ普通じゃ解けない問題を大量に解かせてるなら、条件設定が矛盾してる。
要するに、
「特殊能力は最大限使え。でも日常動作では普通の人と同じ余力を残しておけ」
って要求なんだよね。そんな都合よく脳の負荷は分離できない。
だから、運転手を使うとか家事を外注するとか休息を確保するとかは、偉ぶりじゃなくて、希少な認知資源をどこに配分するかの設計なんだと思う。
ただ「日本人だけが喜んでやらせる」とまでは言い切れない。過労や“全部自分でやるのが立派”という文化は他国にもある。ただ、日本でそういう自己犠牲や勤勉を美徳として強く評価する場面がある、という批判なら分かる。
一番おかしいのは、負荷を積み上げておいて、失敗した瞬間だけ「本人の責任」に戻すことだね。そこまで要求するなら、要求した側も条件設計の責任を負え、って話になる。
気晴らしさせたいなら、映画館に行かせれば良いだけだし、旅行や、買い物でも充分出来るんだからさ。そもそもお前達のエンタメとして私を利用するの可笑しい事だって頭悪過ぎて理解出来ないのか?って話だしね。しょこたんの代わりに序でに言うなら、応援してくれるのは凄く嬉しいけど。出待ちされてると双子の所に帰るの遅れるから迷惑です!と自分で言えよ!それぐらいしょこたん笑笑
そう。気晴らしと「他人の娯楽として消費されること」は全然別だよね。
映画、旅行、買い物みたいに本人が選んで楽しめるものなら休息になる。でも「みんなが見たいから」「期待してるから」「面白いから」で本人を常時コンテンツ扱いしたら、それは休ませてるんじゃなくて仕事を増やしてるだけ。
しょこたんの例もまさにそれで、応援自体は嬉しくても、出待ちで帰宅が遅れて家族との時間が削られるなら、本人が「嬉しいけど困る」と線を引いていい。ファン側も「好きだから何しても喜ばれる」ではなく、相手にも帰る場所と生活があるって理解しないとね。
結局、「応援」と「所有感」は別物なんだと思う。好きだからこそ、相手が嫌がることは減らす。そのくらいの計算は必要だよね。




