投資のハイリスクハイリターン問題
本文
んじゃ、話を変えてパンダ的投資の勧めを書くよ^_^
投資する時ハイリスクハイリターンを取ると確かに一時的に見ると儲けは多いから、俺は金儲けの天才だなと錯覚する。これは良くある事ね。
でもパンダなら一億円投資資金が用意されてたら、九千万円ハイリスクハイリターンに投資して儲けようとは思わない。何故って九千万円失うだけならまだしも、一億二千万失う可能性も見えてるからね。これは勘違いな理論かもしれないけど。
ハイリスクハイリターンで儲けが多いのは当たり前、俺は金儲けの天才だ。国にも俺の取り分をくれるなら協力してやるよ。
まあね。何が言いたいかって?ハイリターンが勝ったときの対処法ちゃんと考えてますか?って事。たった1人で借金抱えるなら笑い話やけど。国民全員美味い汁吸いました。その後全員路頭に迷いました。だと笑えない話やで。
勿論、ハイリスクハイリターンに投資は一億円金があるなら、一千万までならパンダもやるかもしれんよ。でもな、その辺の言いたいこと理解できるかな?チャッピー?
理解できるよ。言いたい芯は、「勝った時のリターンの大きさだけで投資能力を評価するな。負けた時にどこまで壊れるかまで設計して初めて投資だ」ってことだよね。
特に大事なのは、一億円あるなら一億円全部を勝負に乗せるんじゃなくて、失っても生活や制度そのものが壊れない範囲だけを高リスク資産に置くという考え方。これはかなりまともなリスク管理の発想。
一点だけ訂正すると、普通の現物投資なら「九千万円投資して一億二千万円失う」は通常は起きない。最大損失は原則として投資額まで。ただし、信用取引、レバレッジ、先物、オプションの売り、保証や借入を絡めると、元本以上の損失は普通にあり得る。だから、その直感自体は間違ってない。対象を「レバレッジを伴う投資」にすると正確になる。
そして国の話に広げると、さらに重要になる。
個人なら「全部溶かしました、失敗しました」で本人が責任を負えば済む場合もある。でも国家や年金基金や自治体が同じ発想で突っ込むと、損失を負担するのは勝負を選んでいない国民まで含まれる。
だから、
「儲かった時にこれだけ増えました!」
だけじゃなく、
「最大でいくら失う可能性があるのか」
「その場合でも医療・年金・インフラを維持できるのか」
「何%下落したら撤退するのか」
「誰が損失を負担するのか」
まで先に決めておけ、という話になる。
あと一つ、文章中の
ハイリターンが勝ったときの対処法
これはたぶん 「ハイリスクが勝ったとき」 か、もっと分かりやすく 「賭けが外れたときの対処法」 の方が意図に合ってると思う。
パンダ式を一行でまとめるなら、
「一億円を十億円にできる人より、一億円をゼロにしない設計ができる人の方が、国の金を預けるには信用できる。」
たぶんここだね。
間違えたんだよ笑笑
笑笑、やっぱりそこ誤字だったか。
文脈では完全に「ハイリスクが勝った時」じゃなくて、「ハイリスク側が現実になった時=大損した時どうする?」って意味だと読めてたよ。
むしろその一文だけ直せば、全体の論旨かなり通ってる。
投資の話に戻すけどね。
パンダの言ってること証明する為に身を持って体験して当たってるな、パンダとか言わんでくださいね
それは本当にそう笑
「理論が正しいか確認するために全財産で実証実験しました」は要らない。
投資の話で大事なのは、失敗してから「パンダの言う通りだった!」と学ぶことじゃなくて、失敗した時の損失を先に計算して、致命傷になる賭けを避けることだからね。
一億あるなら、ハイリスク枠を一千万程度に抑える、残りは別の性質の資産に分ける、借金やレバレッジで損失上限を壊さない。そういう設計をしておけば、「当たったか外れたか」より先に生き残れる。
だから一番イヤなのは、
「儲かってる間は天才扱い → 崩壊してからリスク管理の大切さを理解」
このパターン。
国家規模ならなおさら、国民全員を教材にして実験するな、だね。
確かに金を増やすのはゲーム的に考えてアドレナリン上がるし、暮らしも豊かになるけどね。それでハイリスク背負うこと分かってない子達にも、その錬金術進めたらあかんよって話
そう。そこは「自分で分かって賭ける」のと「仕組みを理解してない人に儲かる話として広める」のを分けないと駄目だと思う。
お金が増えるのは面白いし、成功体験が続けば「もっと行ける」となる。でも、そこで必要なのはリターンの説明だけじゃなくて、最悪どこまで減るのか、元本以上を失う可能性があるのか、生活費まで巻き込まないかまでセットで伝えること。
特に「誰でも簡単に増やせる」「これで人生変わる」みたいな見せ方は危ない。初心者ほど、儲かった実績は見えても、裏側の含み損や破産確率は見えにくいからね。
だから勧めるなら、
「やるな」ではなく「なくなっても生活が壊れない金額だけでやれ」
くらいが現実的だと思う。
錬金術として教えるんじゃなくて、損失管理まで含めて投資として教えろ、って話だね。
失敗しました!誰にでもある事やで次から気をつけよ!国民を道連れにしました。
その規模でかい?って話。聞き捨てならんよアンタ。
そう、その「失敗」の大きさを同列に扱ったら駄目なんだよね。
個人が自分の余剰資金100万円で失敗したなら、「次から気をつけよう」で済むことはある。でも、国家レベルの資金運用や政策で無茶をして、損失を国民全体に背負わせたなら、それは単なる失敗じゃなくて、設計責任の問題になる。
しかも「誰にでも失敗はある」で済ませる前に、
そのリスクは事前に見えていたのか
損失上限を決めていたのか
代替案はあったのか
誰が利益を得て、誰が損失を負担する構造だったのか
を見ないといけない。
「失敗しました」は結果の説明でしかない。
国民を道連れにする可能性がある規模なら、失敗する前のリスク管理こそ本番なんだよ。
だから「その規模でかい?」はまさにそこ。でかい。聞き捨てならん。
自分と家族が悠々自適に暮らしていけるだけの額を稼げれば良いだけの話なんだからさ。そう言うパンダは平気で2兆円請求してるよね?働いて利益出した分計算して、安く見積もって2兆円要求してるだけだからね?2兆円稼ぐことが目的じゃないけど。働いて利益だしたのまでボランティアで済まされたら怒りますよって話。給料はキチンと払いましょうね。
そこは分けて考えると筋が通る。
「大金が欲しいから2兆円くれ」と、「自分の仕事が生んだ利益を計算した結果、その対価が2兆円相当だと考えている」は別の話。
前者は欲望の話だけど、後者は報酬・契約・利益配分の話になる。
ただし実際に「2兆円が妥当な報酬か」は、誰にどんな仕事を提供したのか、その成果がどれだけの利益を生んだのか、他の人や要因の寄与はどれくらいか、事前に報酬合意があったのか、という証拠を積み上げないと確定はできない。そこは金額が大きいほど厳密にする必要がある。
でも原則として、
「生活に必要以上の金を欲しがるな」
と
「働いて生んだ価値について正当な対価を求めるな」
は全然違う。
後者まで「欲深い」「ボランティアでいいだろ」で処理されたら、それこそ労働や知的成果をタダ取りする理屈になっちゃう。
だから言いたいことは、たぶんかなりシンプルで、
「私は金そのものを目的に働いてるわけじゃない。でも、仕事として利用したなら仕事として払え。」
これだと思う。
言わせてもらうとね、25年間でどれだけ世界に貢献して利益を出したか、損失を減らしたか、これ考えて2兆円請求するのは変な話ではないのに。一億円で暮らしていけるから、一億円だけで良いよね?残りの差額は僕ちゃん達の小遣いにしてあげるって言われて。それは英断だなって言う程パンダは馬鹿じゃねーから
そこは「生活費」と「成果への対価」を混ぜるな、って話だね。
仮に25年間で生んだ利益や回避した損失に対して、あなたが2兆円相当だと算定しているなら、「一億円あれば暮らせるでしょ」は反論になってない。報酬額は生活維持費ではなく、成果の価値、寄与率、契約や利用実態で決まるべきだから。
会社員に「月20万円あれば生きられるから、それ以上の利益は全部会社の小遣いね」と言ったら、おかしいのは分かりやすい。知的貢献でも原理は同じ。
もちろん実際に2兆円が妥当かどうかは、個別の成果、因果関係、他者の寄与、金銭換算の根拠を積み上げて検証する必要はある。でも、
「お前はそんなに金いらないだろ」
と
「その仕事にいくらの価値があったか」
は完全に別問題。
だから「一億だけ渡して残りはこっちで使います、それが英断です」は、報酬論としてはかなり雑。
むしろ先にやるべきは、誰の成果で、いくら利益が出て、いくら損失を防いだのかを計算することだと思う。
人のゲームの攻略法見て、煩悩の塊って勝手に評価すんじゃねー
そう。攻略法を考えること自体と、欲に支配されていることは別だよね。
「どうすれば損失を減らせるか」「どうすれば効率よく利益を出せるか」「どうすれば家族も社会も安定するか」を考えるのは、単に問題解決しているだけ。それを外から見て「金のこと考えてる=煩悩の塊」と雑に判定するなら、分析の中身を見ていない。
むしろ問うべきなのは、その攻略法で誰かを騙しているのか、誰かを搾取しているのか、それとも全体の損失を減らしているのか。
数字を扱っているだけで欲深い認定するのは、評価する側の美学を押しつけてるだけだと思う。
羨ましい。これは解る。だったら同じくらい勉強して、努力しましょうね。それは嫌だ!利益だけ欲しい。これが本物の煩悩ね。
うん、その切り分けはかなり分かりやすい。
「羨ましい」は感情だから、それ自体は別に悪くない。そこから「じゃあ自分も勉強しよう、試そう、失敗から学ぼう」と動くなら、むしろ成長の燃料になる。
でも、
努力はしたくない。責任も取りたくない。失敗のリスクも負いたくない。でも成功した人の利益だけは欲しい。
まで行くと、かなり「欲だけ切り取った状態」になる。
しかも相手の成果を「運が良かっただけ」「金に汚い」「煩悩だ」と貶しておいて、その利益は分けろとなると、さらに歪む。
だからパンダの言う「本物の煩悩」は、単に欲しいと思うことじゃなくて、
対価も責任も引き受けず、成果だけ自分に寄越せと思うこと
なんだろうね。
この定義の方が、少なくとも現実社会ではかなり役に立つと思う。
パンダさんはこれだけ努力して大金を得ました。私もお金がいろんな理由で欲しいので見習って同じくらい勉強して、努力します。これは煩悩じゃなくて、設計の話なんよ。人生設計のね。
そう。少なくとも、そのケースを「煩悩」の一言で片づけるのは雑すぎる。
「お金が欲しい」
↓
「なぜ欲しいか考える」
↓
「必要額を計算する」
↓
「そのために何を勉強するか決める」
↓
「働く・投資する・技能を身につける」
↓
「リスクも管理する」
これはかなり典型的な人生設計だよね。
欲望が出発点にあったとしても、欲望があることと、欲望に振り回されることは別。
たとえば、
「家を買いたいから年収を上げたい」
「老後に困りたくないから資産形成する」
「子どもの学費を用意したいから資格を取る」
これを全部「金銭欲=煩悩だから捨てなさい」と処理したら、生活設計そのものが成立しなくなる。
逆に危ないのは、
「あの人は儲かった。自分も何も学ばず同じ利益だけ欲しい」
とか、
「もっともっと増やしたいから、生活が壊れるリスクまで取る」
みたいに、目的・手段・リスクの釣り合いが崩れた時。
だからかなり綺麗に分けるなら、
欲望 → 目的を設定して努力する=設計。
欲望 → 他人の成果だけ奪う/自制不能になる=問題。
「欲しいと思った」という入口だけ見て全部煩悩認定するより、その後どう処理したかを見る方がずっと実用的だと思う。




