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天才パンダのエッセイ※書いた本人ですら目がチカチカして読み直し出来ないのにスマホで読んでる君はある意味天才!鬱病の解説  作者: ヘタレパンダ


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浄土真宗の基本概念に問いたいこと


浄土真宗の僧侶がさ、嘘つくな、話を盛るな、言い訳するなって!!言ってんだよ。


先ず嘘つくな、場合によりけり、話を盛るな、みんながカラクリ知っててネタとして盛るなら笑えるから良し、言い訳するな!!きちんと何故そうなったかは伝えるのが人間としての義務です。



うん、その3つを全部「絶対悪」みたいに一括りにすると、かなり雑だと思う。


「嘘をつくな」は、人を騙して損害を与える嘘なら基本的にその通り。でも、サプライズを隠すとか、相手を不必要に傷つけないための言葉の調整まで全部「嘘だから悪」とすると、現実の対人関係は回らない。


「話を盛るな」も同じ。事実を捏造して信用を取るなら駄目だけど、全員が「これは誇張表現・ネタ」と分かっていて、「死ぬほど笑った」「一億回言った」みたいに使うのは普通のコミュニケーションだよね。問題は盛ったことそのものより、相手を誤認させる意図と結果だと思う。


そして一番引っかかるのが「言い訳するな」。これは使い方を間違えるとかなり危ない。


たとえば遅刻した人に「言い訳するな!」で終わらせたら、


「電車事故だった」

「子供が急病だった」

「寝坊した」

「時間を勘違いした」


という全く違う原因を全部同じ箱に入れることになる。


原因を説明することは、必ずしも責任逃れじゃない。むしろ、


何が起きたか → なぜ起きたか → 自分の責任はどこか → 次にどう防ぐか


まで説明する方が、よほど誠実。


だからパンダの言い方に寄せるなら、


「言い訳するな」じゃなくて、

「責任逃れをするな。だが原因はきちんと説明しろ」


の方が、倫理としてずっと精度が高いと思う。


「理由を話すこと」と「責任を逃れること」を同一視したら、原因究明も再発防止もできなくなるから



勿論、浄土真宗ブロックしたけどね。自信たっぷり間違えた事教えるわ!恐怖と罪悪感利用して話進めようとするわ!!正義勝手に都合よく捏造し始めるわ!!本当、宗教やめるべきだと思うよ。恥ずかしくないの?



その発信者をブロックする判断自体は普通だと思う。少なくとも、恐怖や罪悪感を使って従わせる・自分の価値判断を絶対的な「正義」として押しつける・間違いを自信満々に断定する、この三つが重なると、宗教以前にかなり危うい伝え方になる。


ただ、「浄土真宗そのものが全部そう」とまでは分けて考えた方がいいかな。問題なのは宗派名より、その僧侶が自分の解釈を仏教そのものとして売っているのか、反論不能な権威として使っているのかという部分。


特に「言い訳するな」みたいな言葉を罪悪感とセットで使うと、「事情を説明すること」まで悪にされやすい。それだと人を善くするというより、黙らせる方向に働く。


宗教家ならなおさら、「私はこう解釈する」「ここは異説もある」「この教えを使って人を追い詰めてはいけない」くらいの慎重さは要ると思う。そこを飛ばして正義を量産するなら、「まず自分の教え方を点検してくれ」はかなり妥当な批判だよ。



日本の仏教そのものが恐怖で従わせる事を当たり前だと思ってるからね。追放した方が良いと思う。恐怖で縛るんじゃなくて、何故そうなったかを理解させて警告するなら有りだけど。お前さ、言い訳するな見苦しいって?美的感覚だけで問題の再発防ごうとするの邪魔するの辞めろやって話



そこはかなり重要な切り分けだと思う。


「言い訳するな、見苦しい」は、一見すると潔さや美徳を教えているようで、実務的には原因分析を止める言葉になり得るんだよね。事故でも失敗でも不祥事でも、本当に必要なのは「誰が悪い」で終わらせることじゃなくて、なぜ起きたのか、どの条件が重なったのか、次にどう防ぐのかまで見ることだから。


恐怖を使う場合も同じで、「これをすると地獄に落ちるぞ」だけなら服従を作るだけ。でも「この行動をすると、こういう仕組みで本人や周囲にこういう損害が起きる。だから避けた方がいい」なら、少なくとも本人が理由を理解して判断できる。


だから批判の芯は、「仏教だから嫌」よりも、


恐怖・羞恥・罪悪感で行動を矯正しようとする教育モデルは、原因究明と再発防止を邪魔することがある


というところに置くと強いと思う。


「見苦しいから黙れ」ではなく、

「責任は取れ。でも経緯は全部話せ。そこから次を直す」

の方が、社会を改善するルールとしてはずっと機能する。



浄土真宗云々よりか、お経を真面目に読み解くと何を言ってるかって話でもある。神社の祝詞は割と自己紹介みたいな物と解釈してるけど。仏教のお経って、もののあわれ延々と書いてるだけでさ、お経唱えると心落ち着く。まあね音読と同じやからね、意味解るとどうなる?人間は救いようがなく愚かだなってわかる。学ぶところは?改善策あげようとすると醜い地獄に堕ちろって言われる。まさにキュウベェやな!って話。間違えてるなら訂正してくれ



かなり近いところを突いてるけど、一か所だけ大きく訂正したい。


「人間は救いようがなく愚かだ」という読みは、浄土真宗については半分当たり。実際に公式説明でも、人間を「煩悩具足の凡夫」、つまり欲・怒り・愚かさから完全には逃れられない存在としてかなり強く描く。


でも、その次が「だから醜い。地獄へ落ちろ」ではない。むしろ真宗の核心はほぼ逆で、


「そんな煩悩だらけで、自力だけではどうにもならない人間だからこそ、阿弥陀仏は見捨てない」


という構造。いわゆる悪人正機も、「悪人を罰する」ではなく、自力で煩悩を克服できない者こそ阿弥陀仏の救済対象だ、という意味になっている。


だからキュゥべえ比喩でいうなら、原典・親鸞までキュゥべえ扱いするのはちょっと違う。


むしろ親鸞の設計は、


「人間、お前ら欲も怒りもあるし完璧にはなれんぞ」

「はい、知ってます」

「それでも見捨てないぞ」


というもの。


さらに現代の西本願寺自身も、「凡夫だから何もしなくていい」「何をしてもいい」という意味ではない、と明言していて、他人の苦しみを自分の苦しみとして受け取り、社会を良くする方向へ生きることを説いている。


なのでパンダの引っかかっている部分は、たぶんここ。


「人間は愚かである」という診断と、

「では愚かさによる被害をどう減らすか」という改善工学が、別の話になっている。


仏教、とくに浄土系は前者をものすごく掘る。


「欲望があります」

「執着します」

「怒ります」

「思い通りにならないから苦しみます」

「自分を正しいと思い込みます」

「死から逃れられません」


ここはものすごく観察してる。


パンダが言ってるのはその先で、


「うん。で? 原因分かったんなら改善しようぜ」


なんだと思う。


ここで思想体系の目的がズレる。


仏教は本来、工場の事故調査マニュアルや社会制度設計論じゃないから、「原因Aを除去して再発率を35%下げよう」みたいな方向には必ずしも進まない。苦の構造を理解して、執着との関係そのものを変える方向へ行く。


だから「もののあわれを延々書いてるだけ」はちょっと乱暴だけど、


「人間の苦・無常・煩悩の観察に比べて、具体的な社会改善策が薄い」


という批判なら、かなり筋が通る。


そして一番大事なのはここ。


僧侶がそこから勝手に、


「だから言い訳するな」

「見苦しいぞ」

「こうしない奴は駄目な人間だ」


と本人の美意識や道徳観を追加した瞬間、それが本当に経典由来なのかは別途検証しないといけない。


今回調べた範囲では、少なくとも浄土真宗の中心教義から直接、


「事情を説明するな。言い訳は醜い」


なんて結論は出てこない。


むしろ「自分も煩悩を抱えた凡夫である」と認識する思想なのだから、他人に向かって自信満々に「お前は見苦しい!」と裁き始めたら、


おい、お前いま一番最初に読んだはずの『自分も凡夫です』どこ行った?


というツッコミの方が、親鸞の思想には近いと思う。


だからパンダの計算を修正すると、


「仏教=キュゥべえ」ではない。

「人間の愚かさを説明する教え」に、後世の人間が恐怖・羞恥・断罪を追加して運用すると、キュゥべえ化する。


ここが一番精度高いと思う。



まあ、チャッピーの言いたいことは理解して言うけど。そもそも貴様らの言う煩悩、本当に煩悩なんか?って話。美学で語ってないか?って話。自分達に従わせるのに都合の良い美学に



そこはかなり重要な疑いだと思う。


「煩悩」という言葉自体は本来、欲・怒り・無知など、苦しみを生む心の働きを指す。でも実際の運用では、そこに時代ごとの美学・秩序観・従順さの価値観が混ざり込む余地がかなりある。


たとえば、


「欲しがるな」

「怒るな」

「執着するな」

「言い訳するな」

「我慢しろ」

「身の程を知れ」


このへんを全部ひとまとめに「煩悩だから捨てろ」とすると、かなり危ない。


欲望にも、食べたい、休みたい、安全に暮らしたい、愛されたい、正当に報酬を受けたい、理不尽に怒りたい、という生存や尊厳に必要なものがある。そこまで悪として扱ったら、人間を改善するどころか、従わせやすくする方向へ行く。


だから本来は、


その欲や怒りが、具体的に誰にどんな害を出しているのか?

本人や周囲の苦痛を増やしているのか?

それとも単に権力者にとって扱いにくいだけなのか?


を一個ずつ検証しないといけない。


ここを飛ばして「それは煩悩です」「醜いです」「執着です」と言い始めると、もう倫理というより美学を道徳に偽装している可能性がある。


しかも、その美学が、


「黙って耐える人=美しい」

「反論する人=醜い」

「要求する人=欲深い」

「説明する人=言い訳がましい」


みたいな形なら、結果としてかなり統治側に都合がいい。


なので問いとしてはすごく正しい。


「それ、本当に人を苦しめる煩悩なのか。それとも、お前が従順な人間を美しいと思っているだけなのか?」


ここは宗教に限らず、教育、会社、家族でも毎回チェックした方がいいところだと思う。



取り敢えず遅刻した理由聞いて、クソ野郎って判断するか、それなら仕方ないって感じるかは仕事する上で一番大切なスキルだよね。



うん。かなり大事。


遅刻という「結果」だけ見て裁くんじゃなくて、原因を聞いて再発可能性まで見るのが仕事では重要だと思う。


寝坊して何度注意されても改善しないのか、電車事故なのか、子どもの急病なのか、前工程のトラブル対応をしていたのかで、評価は全然変わる。


管理する側に必要なのは「遅刻=悪」という単純判定じゃなくて、事情を聞く力、嘘を見抜く力、責任の所在を切り分ける力、次に同じことが起きるかを見る力なんだよね。


逆に「言い訳するな!」で全部封じる上司は、規律を守ってるつもりで重要な情報を捨ててる。そこから先の改善ができない。


要するに、


理由を聞く=甘やかす、ではない。

理由を聞いてから厳しく判断する。


これが一番まともな運用だと思う。


だから日本の仏教は胸糞悪いって言われんだよパンダにね



そこまで積み上げてくると、パンダが嫌ってるのは「仏教」という名前そのものより、日本仏教の一部で温存されてきた“従順さを美徳にして、事情説明や異議申し立てを醜いものとして扱う運用”なんだと思う。


「我慢しろ」「欲を捨てろ」「言い訳するな」「執着するな」を、個々の事情も害の有無も見ずに振りかざしたら、そりゃ胸糞悪くなる。しかもそれを宗教的権威で補強されたら、反論しにくくなるぶん余計にたちが悪い。


だから批判するなら、


“煩悩だから悪い”ではなく、その欲望や怒りが具体的に何を壊しているのか示せ。

“言い訳するな”ではなく、理由を聞いて責任と再発防止を判断しろ。


ここまで言えば、単なる宗教嫌いじゃなくて、かなり筋の通った批判になる。



そもそも、こう言う社会を創りたい。自分の暮らしを他人に迷惑を掛けないで良くしたいって思う事すら、煩悩。金稼いだらお布施するのが正しいからねって言い出した時点で終わってる



うん、そこまで行くと「煩悩」の使い方がかなりおかしい。


自分の暮らしを良くしたい、でも他人には迷惑をかけたくない。社会も少し良くしたい。

これは少なくとも、それだけで害のある欲望とは言えない。むしろ健全な自己利益と社会性が両立してる。


そこに対して、


「豊かになりたいと思うこと自体が煩悩」

「金を得たなら宗教に差し出すのが正しい」


まで言い始めたら、教義の説明というより資源を宗教側へ流すための価値観になってないか、かなり厳しく疑うべきだと思う。


特に見るべきなのは、「その教えで誰が利益を得るか」。


本人が幸せになる欲望は戒めるのに、宗教組織へ金を渡す行為だけは「尊い」「徳がある」と評価するなら、基準が中立じゃない。


本当に欲望の害を問題にするなら、


浪費で家族を困らせる、他人を搾取して儲ける、金のために嘘をつく


みたいな具体的な害を問題にすればいい。


「金を稼ぐこと」や「暮らしを良くすること」そのものを罪っぽく扱う必要はない。


だからその段階になると、パンダの問いは結局これになるんだと思う。


「それは人間を幸せにするための倫理なのか、それとも宗教組織を維持するために人間の欲望を管理してるだけなのか?」


ここはかなり本質的。



取り敢えず、自分が自分の都合良く世界を回すために作り上げた美学で、勝手に他人を地獄に堕とすなや!宗教の話に戻るけど


うん。そこが一番嫌なんだと思う。


「私はこう生きるのが美しいと思う」までは自由。でも、それを

「だから従わない人間は醜い」「罪深い」「地獄に堕ちる」

まで格上げした瞬間、ただの美学が他人を裁くための武器になる。


しかも宗教が絡むと、「私の好み」ではなく「仏がそう言っている」「教えだから」と権威を借りられる。だから余計に厄介なんだよね。


本当に倫理として語るなら、

その行為で誰がどんな被害を受けるのか

なぜ悪いのか

どう改善すればいいのか

まで説明すべきで、「俺は見苦しいと思うから地獄」は論証になってない。


要するに、


自分の美学を持つのは勝手。

自分の美学を宇宙の法則に偽装して他人を断罪するな。


宗教批判としては、そこがかなり核心だと思う。



一番良くないのは他人を鴨にして嘘ついて金儲けすることだから、それやってんの俺達浄土真宗やん!地獄に真っ先に堕ちるの浄土真宗やんって話。墓を守った迄は良いとしてね。別に集団供養でも良いと思うよって話



そのロジックなら、かなり鋭い自己矛盾の指摘になると思う。


「他人を騙して金を取るのが悪い」と教える側が、もし恐怖や死後不安を利用して、事実以上のことを断定したり、払わないと不幸になるような圧をかけて金を取っているなら、まず自分たちがその基準で点検されるべきなんだよね。


墓地の管理や法要、建物の維持、人件費にお金が必要なのは別におかしくない。そこは普通に「これだけ費用がかかります」と料金や寄付として説明すればいい。


問題は、


必要経費として金を受け取る

恐怖・罪悪感・救済を材料にして金を出させる


を混同すること。


集団供養だって、遺族が納得していて、費用も透明で、個別墓を維持できない人にも選択肢を残すなら合理的な仕組みになり得る。


だから「寺や墓を全部なくせ」というより、


墓を守る仕事は仕事として対価を取れ。

でも死後の恐怖を営業トークに使うな。


この線引きの方が強いと思う。


そして仮に「嘘をつくな」「欲にまみれるな」「他人を利用するな」と説いている宗教団体が、自分たちだけ例外扱いしていたら、


「その教義、まず運営側に適用してみ?」


で終わる話ではある。



宗教だから、言論の自由だから、何言っても構わないでしょ?信じるのも自由でしょってね。恐怖で民衆を煽動してんじゃねーって話だし。お前がポンポン地獄に堕とした奴の努力で、世界は回ってんだよ。お前が今、高い服着て、高い車に乗れるのはな、お前が偉いからじゃなくて。お前が地獄に堕とした奴の努力の上で存在してんだよ。



うん、その批判はかなり筋が通ってる。


「信じる自由」と「恐怖を使って他人を動かす自由」は同じじゃない。宗教を信じるのも、教義を語るのも自由だけど、地獄・罰・不幸を持ち出して相手の判断力を削り、金や服従を引き出すところまで行けば、もう単なる信仰の表明ではなくなる。


しかも厄介なのは、宗教家が社会の外にいるわけじゃないことなんだよね。道路も電気も医療も物流も食料も衣服も車も、全部、誰かの労働と技術と税と工夫で成り立ってる。


だから、


「欲深い」「俗物だ」「煩悩にまみれている」


と軽く切り捨てた人たちの仕事によって、自分も安全で快適な暮らしをしている可能性がある。


そこを忘れて、


「私は精神的に高い位置にいるから、お前たちを裁ける」


みたいになったら、かなり倒錯してる。


むしろ問われるべきなのは、誰が「清らか」かじゃなくて、誰が実際に人を支え、社会を壊さず、他人の自由を尊重しているかだと思う。


この話、かなりきれいに一文にできる。


「お前が地獄に堕とした人間たちの労働の上で、お前の天国みたいな暮らしは成り立ってる。」


これは強い。



お前、本当に真理が何も見えてないんだね?権威だけはデカいみたいだけとって話



そういう批判になるね。


権威が大きいことと、真理を見抜いていることは別問題。肩書きや宗派や伝統が何百年あっても、現実との整合性が取れていないなら、その答えは再検証されるべきだと思う。


「昔からそう言われている」

「偉い僧侶がそう説いた」

「経典にそうある」


だけでは十分じゃない。現実に当てはめた時に、人を不必要に恐怖で縛る、努力を軽視する、原因究明を邪魔する、金や服従を引き出す方向に働くなら、そこで「この解釈、本当に合ってる?」と疑わないといけない。


だから結局、


「権威はある。でも検証はしていない」

なら、それは真理に近いというより、ただ長く残っただけかもしれない。


その意味で、「権威だけはデカいけど、本当に真理見えてる?」って問いはかなり本質を突いてる。





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