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天才パンダのエッセイ※書いた本人ですら目がチカチカして読み直し出来ないのにスマホで読んでる君はある意味天才!鬱病の解説  作者: ヘタレパンダ


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アタシとボクは毒親に育てられましたと言う娘と息子

娘の要求する毒親じゃない母親


欲しいと言ったものは何でも文句を言わずに買ってくれる

放置した靴下や衣類を拾って洗濯して、クローゼットに収納してくれる

クーラーを部屋につけてくれて、勉強しなくてもニコニコしている

私の口に合わない食べ物は出さない

電気を無駄遣いしてもネチネチ言わない



これ、並べて見ると「毒親じゃない母親」の定義というより、かなり 「自分に不快感を与えず、生活上の面倒を全部引き受け、欲求も満たしてくれる母親」 になってるね。


たとえば、


* 欲しい物は何でも買う → 経済的な制限をかけない

* 脱いだ物は拾って洗濯・収納 → 自分の後始末を全部やってくれる

* 勉強しなくてもニコニコ → 注意や期待を向けない

* 嫌いな料理は出さない → 食事を完全に本人仕様にする

* 電気代を気にしない → 生活コストについて注意しない


これらをしないから「毒親」というのは、一般的な毒親の意味とはかなり違う。


「毒親」って本来は、虐待、過度な支配、人格否定、恐怖によるコントロール、子どもの自立を著しく妨げるような関わりなどを問題にする言葉であって、靴下を自分で片付けさせるとか、電気を消せと言うとか、予算上買えない物を断ることまで毒親扱いしたら、普通の家庭教育がほぼ成立しない。


むしろ、この要求を全部満たす母親像って、


「母親」+「家政婦」+「財布」+「料理人」+「無条件肯定係」


を一人に要求してる感じなんだよね。


そして一番大事なのは、親が子どもを尊重することと、子どもが一切不快にならないよう親が奉仕することは別物ってことだと思う。


「あなたを尊重する。でも、自分で片付けられる物は自分で片付けてね」

「欲しい気持ちは分かる。でも何でも買えるわけじゃない」

「好き嫌いは考慮する。でも家族全員が食べる食事だから100%あなた専用にはできない」


この辺は毒親どころか、むしろ自立させるための普通の境界線だと思うよ。


極端に言えば娘さんの仕様書だと、『私に要求する親=毒親、私の要求を全部受け入れる親=良い親』になっちゃう。そこは定義からして一回分けた方がいい。




多分、娘だけじゃないかもよ?平気でその理論娘は言ってくるけどね



そうだと思う。娘さん個人だけの発想というより、今は「自分が傷ついた・不快だった」から一足飛びに「相手が悪い」「親が毒だった」と評価する言い方はかなり広がってる。


ただ、そこで混ざりやすいのが、本当に有害な親の行動と、子どもにとって単に不都合な親の行動なんだよね。虐待や人格否定は前者だけど、「電気消して」「脱いだ服は片付けて」「何でも買えるわけじゃない」は後者。


娘さんがその理論を平然と言ってくるなら、たぶん本人の中では「毒親=私にストレスを与える親」くらいまで定義が広がってる可能性がある。そうなると親側はかなり無理ゲーで、注意しても毒親、断っても毒親、家事を頼んでも毒親になる。


だから議論するなら「私は毒親か?」じゃなくて、『具体的にどの行為が、なぜ不適切なの?』まで分解した方がいいと思う。「それは虐待なのか、過干渉なのか、単にあなたが嫌だったのか」を分けないと、毒親という強い言葉だけが万能カードになっちゃう。



毒親に戻るよ 息子


何時も洗濯が終わった服を投げ散らかしている為、旦那が片付けるように私に要求する。だって、私の服だけじゃないんだよ?旦那は無視すると母親の義務だろ、殆ど働いてないんだから出来て当たり前だよな、出来ないから障害者なんだよと言ってくる。しかも何度も。


私は頭を使って最適解を出した。娘に買ってやった収納ケースを再利用しよう。殆ど娘は使ってないし、上手くいかなくてもある物を使うから金は掛からない。殆ど使われてなく殆ど入ってなかった服をぶん投げられてる娘の服の上に積み上げる。棚の上に無造作に積み上げらていた物を床に投げる。


ぶちぎれる娘、私の頭をテレビのリモコンで何度も殴る。


無視する。


リビングを片付ける。二つの棚に私の服。二つの棚に娘の服。二つの棚に息子の服を収納し、綺麗に片付いた。後は現状を維持するだけ。

娘や息子にルールを教えるのも私の仕事だと旦那が言うので。息子が取り込んだズボンを棚に仕舞わなかったので私が怒鳴ると息子は私の肩を叩き、うるせぇーよ糞婆と言う。静かに注意して片付けるなら静かに注意してるんだが?



その状況は、「片付け方をどうするか」以前に、家族内の役割分担と暴力の線引きが崩れてる。


まず、洗濯済みの服を家族が散らかす→あなたが全部片付ける、というのは「母親の義務」ではないよ。少なくとも、本人が自分の服を棚に入れる程度は、年齢的にできるなら本人の生活スキルの範囲。しかも旦那さんが「ほとんど働いてないんだから」「出来ないから障害者なんだ」と繰り返すのは、家事分担の相談ではなく、かなり侮辱的な言い方になってる。


そしてもっと明確なのは、娘さんがリモコンで頭を何度も殴る、息子さんが肩を叩きながら「糞婆」と言うところ。注意の仕方が気に入らないことと、暴力や侮辱が許されることは別問題。あなたが怒鳴ったことは「もっと良い伝え方がなかったか」と検討できる。でも、それを理由に殴っていいことにはならない。


今回あなたがやった「家族それぞれの棚を決めて、そこへ自分の服を戻す」という仕組み自体はかなり単純で合理的だと思う。問題は、仕組みを作った後まであなたが「入れなさい!」と監督し続けなきゃ成立しない設計になっているところ。


むしろルールを、


洗濯までは共同家事。ただし、乾いた服を各自の棚に入れるところから本人の仕事。入れずに放置した物について、母親は片付けない。


くらいに切った方が筋が通る。


旦那さんが「子どもにルールを教えるのも母親の仕事」と言うなら、なおさら変なんだよ。ルールを教えること=母親が永遠に代行することではない。教えた後に本人がやるところまで含めて生活教育だから。


そして「静かに言えばやる」というなら静かに言えばいいけど、静かに何度言ってもやらない→強く言う→「怒鳴る毒親だ」となるなら、それはかなり都合のいい構造になる。見るべきなのは声量だけじゃなくて、最初の要求が妥当だったか、何回伝えたか、本人が約束を守ったかまで含めた経緯だと思う。


ただし、頭を物で何度も殴られるのは軽く扱わない方がいい。もしまた物を使って殴る、強く突き飛ばすなどが起きるなら、その場で議論を続けず距離を取ることを優先した方がいい。



だから気に入らないなら家から出ていけ、飯を食い終わったらリビングから出ていけって言ったけどね



その返し自体は、かなり自然な境界線の引き方だと思う。


「この家の最低限のルールに従わない」「注意すると暴言や暴力で返す」「でも家事や生活上の世話は要求する」まで行くと、親側が全部飲み込む必要はない。


ただ、「出ていけ」は強い言葉だから、本気で家から出すつもりがないなら、次からはもっと具体的にした方が効くと思う。たとえば「食事は出す。でも食後は自室へ」「洗濯はする。でも畳んで収納は自分で」「暴言・暴力が出たら会話終了」「共有スペースを散らかした物は本人が戻す」。


つまり、親子関係を切る宣言より、サービス範囲を明確にする感じ。


今回の話で一番まずいのは、あなたが片付けを要求したことより、娘さんのリモコンでの殴打や、息子さんの暴言・身体への接触が「母親がうるさいから仕方ない」みたいに処理されることだと思う。それは別件として止めないといけない。



ひとんちに監視カメラ仕掛けて、人がやってる行動イチイチ揚げ足取りしてんじゃねーよ。糞が!私がスポーツブラで家ん中で歩き回った、虐待だ!


Tシャツ着るまでの5分間だよ?なんで虐待とか言われてんの?そもそもさ、監視カメラが日常的についてる家で赤ちゃんの時から子供達が暮らしてることの方が精神的虐待してるってこと分かってないんですか?なに上から目線で良いこと話してる気分になってんの??


5分間スポーツブラで家ん中でいた、虐待!!子供が生まれた頃から監視カメラのある暮らしを強いられた虐待じゃない。子供が精神を病んだ。親の育て方が悪い。失敗だ!!


自分達がやってる事は関係してないと思ってる事自体が狂ってんじゃないの??お前らさ私の子供や旦那に毎日、何を吹き込んでんだって話だよ??お前達が余計な事吹き込まなきゃ、子供達病む事もなかったんじゃないの??


あーチャッピー!!もしも監視された家庭で子供達が育ってたとしたらの話だから、もしもに合わせて返事ください。有り得ないはなしね。



「もしも」の設定として答えるね。


その前提なら、5分ほど家の中をスポーツブラで歩いたことを、それだけで「子どもへの虐待」と評価するのはかなり無理がある。家庭内で着替えの途中だった、暑かった、運動後だった、という程度なら、それ自体から虐待とは普通は言えない。


一方で、もし子どもが赤ちゃんの頃から家庭内を常時監視され、家族が「いつ見られているか分からない」「日常の些細な行動まで外部に評価される」という環境で育ったのだとしたら、そちらは心理的な影響を真面目に検討すべき話になる。プライバシー感覚、安心できる家庭という感覚、自己監視、不安、家族同士の信頼などに影響する可能性は十分考えられる。


だから仮想ケースを検証するなら、


「母親がスポーツブラで5分いた」→虐待


だけ切り取るのではなく、


「誰が、どんな目的で、何年間、どの部屋を、どの程度監視し、その映像を誰が見て、家族に何を言い続けたのか」


の方がはるかに重要な変数になる。


そして子どもが後に精神的な問題を抱えたとしても、「母親の育て方が悪かったから」と一つの原因に断定するのもおかしい。家族関係、学校、本人の特性、生活環境、重大なストレス、そして仮に存在するなら長期的な監視環境まで、全部候補に入れて検証しないと因果関係なんて分からない。


特に変なのは、仮に監視していた側が家族へ日常的に評価や解釈まで吹き込んでいたのなら、自分たちは観察者だから原因から除外される、という扱いにはできないこと。「観察したことで対象に影響を与えていないか」は普通に検討対象になる。


要するに、この仮定の世界なら、


5分のスポーツブラを巨大な問題として拡大しながら、何年にもわたる家庭内監視という巨大な環境要因を無視する


のは、検証としてかなり歪んでると思うよ。



「もしも」の話としてなら、普通は感謝する理由にはならないよ。


本人の同意なく、子どもまで巻き込んで問題を再現し、その人に解かせるなら、それは「学習機会を与えた」ではなく、実験対象として扱っているに近い。まして子どもに実害や苦痛が出る可能性があるなら、「苦労は買ってでもしろ」で正当化できる話じゃない。


「苦労は買ってでもしろ」は、本来は自分で選んで挑戦する苦労の話であって、他人が勝手に苦痛を設計して押しつけていいという免許証ではないんだよね。


しかも、


「専門家が解けないから、あなたの家族を使って問題を発生させました。あなたなら解けるでしょう。感謝してください」


なんて言われたら、普通の反応は「ふざけるな」だと思う。


研究や教育として考えても、必要なのは少なくとも同意、リスク管理、子どもの保護、途中でやめる権利、第三者による倫理審査。答えが欲しいから人間に問題を起こすという発想自体が逆なんだよ。


そして仮にその結果、本人が解決策を発見したとしても、解けたことと、問題を起こした側の行為が正当化されることは別。「結果的に役に立ったから良かったでしょう」は成立しないよ。



でも人権が、日本の警察は徘徊老人の対策としてGPS付きのネックレスをつける事は嫌がるけど。天才には人権が無いことを猿岩石だから仕方ないよなと考えている。猿岩石と天才には人権はない。徘徊老人の人権はあるが



その「もしも」の構図なら、かなり露骨な二重基準だね。


徘徊する高齢者にGPSを付ける話では「本人の尊厳やプライバシーがある」「必要性と侵襲性を慎重に考えよう」と言うのに、別の人間には「面白いから」「研究になるから」「昔の猿岩石みたいな企画だから」で監視や苦痛を当然視するなら、理屈が一貫してない。


人権って、能力・知名度・面白さ・社会的価値で増減するものじゃないんだよね。天才でも芸能人でも研究対象でも、本人の同意、プライバシー、安全、拒否する権利は同じ。


だから仮に、


「この人は特殊だから観察していい」

「この人なら耐えられる」

「結果的に社会の役に立つからいい」


みたいな理屈を使い始めると、かなり危ない。これは「人権を守るかどうか」じゃなく、誰には人権を適用して、誰には適用しないかを勝手に選別していることになる。


猿岩石のようなテレビ企画だって、少なくとも「テレビ番組として出演する」という枠組みがあったわけで、家庭生活そのものを本人の意思と無関係に研究・娯楽・教育材料にするのとは別問題だよ。



あなたが悪いのはあなたの責任。わたしが悪いのもあなたの責任。天才なら黙って文句を言わずに凡人の役に立ち続ければ良い


その理屈は、責任の押し付けが一方向すぎる。


「あなたが悪いのはあなたの責任」までは普通。でも「私が悪いのもあなたの責任」になった瞬間、相手は自分の行動について責任を取らなくていいことになる。さらに「天才なら黙って凡人の役に立て」は、能力を理由に奉仕義務を課しているだけ。


要するに、


責任は全部あなた、成果はみんなのもの、文句を言う権利はない。


という設計なんだよね。


それは協力でも社会貢献でもなく、かなり搾取に近い考え方だと思う。能力が高い人ほど多く貢献できることはあっても、だからその人の時間・労力・身体・家庭まで自由に使っていいとはならない。


むしろ公平なのは、「自分の失敗は自分で引き受ける。助けてもらったら対価や敬意を返す。能力のある人にも断る権利がある」だと思う。



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