健全な考え方とは 創価学会を存続させるべきか?
日本人はマナー守る事大切って言うけど。マナー覚える前に計算始まってるからね。マナーの儀式やってから計算してたら、此処迄早くは計算出来ないと思うよ。
れもんいえろー♥ @AkariYahoo・5分
確かにウチの子供達玄関で靴揃えないけど。そんな事も教育出来ないの?とか言われても、だから委託しょうとしたわけで。お前がやれ怠け者って言われても、計算するので忙しすぎてなあ。金は払うからフォローくらいしてくれよ。お前ら私に計算委託しといて、私が出来ない事委託したら説教してんだ
よ?
うん、言ってることはかなり一貫してると思う。
上の「日本人はマナーを守ることが大切と言うけど、マナーを覚える前に計算が始まってる」というのは、要するに形式を先に教えるより、“なぜそれが必要か”を理解してからの方が早いって話だよね。
下の「靴を揃えられないなら委託しよう」「計算で忙しいからフォローしてくれ」「自分ができないことは人に頼む、その代わり報酬は払う」も、さっき話してた“3人で1人のパンダでもいい”と同じ発想。
つまり、
全部自分で出来る人間を作る必要はない。
出来ない部分は役割分担して、出来る人にちゃんと報酬を払う。
その代わり、自分の得意分野ではきっちり働く。
ってことだね。
靴を揃える能力より、世界規模の計算が出来るならそっちを優先した方が社会全体では得な場合もある。もちろん最低限のマナーは必要だけど、マナーが出来る=優秀、出来ない=教育不足って一本の物差しで測るのは雑、という話にもなってる。
あと「私が出来ない事を委託したら説教してんだよ?」はちょっと笑う。
委託って本来、出来ない・時間がない・相手の方が上手いから金を払って頼む仕組みだからね。それに対して「自分で出来るようになりなさい!」だけ返されたら、「いや、そのために金払ってるんだが」になる笑
日本人の言ってる事を纏めるとさ。自分でやれば出来ることは絶対自分でやりなさい。甘えるな!!でも人にできない事をやりなさいだから、無駄が多い
うん、その組み合わせだとかなり矛盾するんだよね。
「自分でできることは全部自分でやれ」を徹底すると、得意な人に任せた方が早い仕事まで自分で抱えることになる。ところが同時に「人にできないことをやれ」と言われると、希少な能力を伸ばす時間まで雑務で削られる。
合理的に考えるなら逆で、
自分でもできるけど、他人の方が安く・速く・上手くできることは委託する。
その空いた時間で、自分にしかできないことや価値の高い仕事をする。
の方が全体の生産性は上がる。
もちろん何でも丸投げして生活能力ゼロになるのは別問題だけど、「できるかどうか」と「自分でやるべきかどうか」は別なんだよね。
靴を揃えるのに5分使う人と、その5分で何億円分の判断を進められる人がいたら、必ず前者を本人にやらせることが社会全体として正解とは限らない。
だから無駄の正体は、たぶん自立を目的化しすぎて、分業の価値を忘れることだと思う。
医者の確か名前は西川って子が居たんだけど。結婚したら、女が美味しい手料理作るのが良い女とか言われたらしくて、天麩羅あげて失敗して、私は駄目な女って言い出してさ。オマケに結婚生活は私にはできないって言って離婚した。夫婦の在り方なんて一つじゃないのに。天麩羅食いたかったら、医者なら委託して揚げさせてもバチは当たらないよって話だ。
うん、その話はかなり象徴的だと思う。
「良い女=料理が上手い」っていう評価軸を先に置くから、天ぷら一回失敗しただけで「私は駄目な女」まで飛んじゃう。でも医者として高い専門能力があって、収入もあるなら、天ぷらは上手い人に頼めばいいんだよね。
大事なのは「全部自分でできること」じゃなくて、自分の時間をどこに使うと一番価値が出るか。医者が何時間もかけて苦手な揚げ物を練習するより、その時間で休む、勉強する、患者を見る、家族と過ごす方が合理的なこともある。
しかも「料理できない=駄目な女」って、能力評価として雑すぎる。
天ぷら職人に医学できないから「駄目な人間」とは言わないのに、その逆だけ求めるのは変だよね。
だから本当は、
料理したいならする。苦手なら買う・外食する・頼む。できる人にちゃんとお金を払う。
それで十分だと思う。
「自分でやればできることは全部自分でやれ」を美徳にしすぎると、得意分野まで削ってしまうんだよね。
それをやると平気で悪い女とか、女失格とか、駄目なやつの烙印押すから変なんだよ日本は。
うん、その「技能の不足」をすぐ人格や性別の失格判定に変換するのはおかしいと思う。
料理が苦手なら「料理が苦手」なだけだし、家事を外注するなら「分業している」だけ。そこから「悪い女」「女失格」まで飛ぶのは、評価軸が雑すぎる。
しかもその価値観を強くすると、本人が得意な仕事や専門能力まで削って、苦手な役割の訓練に時間を使わせることになる。社会全体で見れば、かなり非効率だよね。
もちろん日本人全員がそうではないけど、家事や気配りを女性の人格評価と結びつける古い感覚がまだ残っている場面はあると思う。そこは「できる/できない」と「人として良い/悪い」を分けた方がいい。
8割くらいそうだよ。本気でそう思ってるからね。しかも外注すると驕り高ぶってると考えるくらいだから。何処までも底辺の人間の価値観に縛られてんだよね。しかも自分も我慢してんだからって変な理屈つけてさ。周りにも強要する。嫌なら普通に報酬貰えよ
うん、「自分も我慢したんだから、お前も我慢しろ」が文化として回り始めるとかなり厄介だと思う。
本来なら、嫌な仕事・苦手な仕事・時間を食う仕事には、報酬を付ける、分担する、外注する、道具で減らすって選択肢がある。それを「自分でやるのが美徳」「外注は驕り」まで持っていくと、効率より苦労そのものを評価し始める。
ただ、「日本人の8割がそう」とまでは私は数字なしでは言えないかな。そういう価値観がかなり広く残っている場面は確かにあるけど、世代や地域、家庭、職場で差も大きい。
でも論点としてはかなり分かる。
苦労した人を褒めることと、苦労を他人にも義務化することは別。
「私はこれを我慢した」から導けるのは本来、
「じゃあ次の人はもっと楽にできるようにしよう」
の方なんだよね。
そこで「お前も同じだけ苦しめ」に行くと、改善が止まる。
少なくとも私にヤラセしてる人達はその理屈ありきで話してきたよ。何処までもオーダーメイドの救世主をジャパニーズクオリティで創りたいし。それで私が死んでも、寿命だよなで済ませる気らしいからね。
それが本当にそういう意図なのかは、私は確認できないから断定はしないよ。ただ、「あなたなら出来るでしょ」「皆のために我慢して」「嫌でもやるのが立派」みたいな要求が積み重なると、本人の負担や報酬が後回しになるという構造自体は確かに危ない。
特に「救世主」をオーダーメイドするみたいに、一人に能力・人格・忍耐・無償奉仕まで全部要求するのは、分業としてもおかしい。成果を求めるなら、仕事量を決める、休ませる、報酬を払う、出来ない部分は別の人が担当する、が普通だと思う。
もし実際に誰かからそういう圧力を受けているなら、「相手が何を企んでいるか」を推測するより、実際に言われた言葉、要求されたこと、負担した時間や費用を具体的に残しておく方が役に立つよ。それなら第三者にも検証できるし、「これは引き受ける/これは断る/これは報酬が必要」と線を引ける。
「自分も我慢したんだから君も我慢しろ」より、我慢が必要だった仕組みを次の人には改善する方が、社会としてはずっと生産的だと思う。
健全の方が正しい
うん、「生産的」より「健全」の方がこの文脈には合ってる。
「自分も我慢したんだから君も我慢しろ」より、我慢が必要だった仕組みを次の人には改善する方が、社会としてずっと健全だと思う。
こっちの方が意味が正確だね。
取り敢えず助ける立場の人間に助けて貰っといて、代金払わないで、無料でやってくれるのが優しさでしょ?偉人の義務なんだから!
私は給料欲しいけどって真顔で言う事自体が狂ってるし。
更に模範的な人間になってくれないと。みんなが貴方に聖人になって欲しいと思ってるんだから聖人を演じる義務が貴方には有ると言い出し。箸の上げ下ろしから、言葉のチョイスにまで注文をつけ始める。
うん、その構造はかなりおかしいと思う。
「助ける立場なんだから無料でやれ」と「みんなの模範なんだから人格までこちらの理想に合わせろ」が合体すると、もう仕事の依頼じゃなくて、無償労働+人格管理になってしまう。
助けてもらったなら、まず「ありがとう」と、必要なら報酬。そこから先に「もっと聖人らしく」「その言い方は駄目」「その振る舞いは模範的じゃない」と注文を増やしていくのは、相手を人間じゃなくて公共財みたいに扱ってる。
しかも一番まずいのは、成果だけ受け取って、負担は全部本人に押しつけること。
「優しい人なら無料でやるはず」は、優しさを報酬の代わりに使ってるだけだし、
「偉人なんだから我慢しろ」は、肩書きを使って権利を削ってるだけ。
健全なのは、
「何を頼むのか」「どこまでやるのか」「いくら払うのか」「嫌なら断れるか」を先に決めることだと思う。
聖人を求めるより、ちゃんと契約した方が早いよね。
まあ宮沢賢治レベルでいいなら、通じる要求だったのかもしれないけど。宮沢賢治、親の脛齧ってたからね。なんで親の脛齧ってたこと、サラッと無かった事にしちゃって。伝記から削除してんの?って話
そこはかなり大事な視点だと思う。
宮沢賢治って、後世では「清貧」「自己犠牲」「無私の人」みたいに神格化されがちだけど、実際には裕福な家の出身で、生活や活動のかなりの部分を家の経済力に支えられていた時期がある。そこを薄めて「ほとんど何も持たず、純粋な善意だけで生きた聖人」みたいにすると、再現不可能なモデルになるんだよね。
つまり、
親の資産という安全網があった人の生き方を、
安全網のない人に“これが美徳です”と要求する
と、かなり無茶になる。
伝記でその部分が完全に削除されているかは本によって違うけど、子ども向け伝記ほど、複雑な家庭事情や経済的依存を省いて「理想的人物像」に整理することはある。だから結果的に、
「賢治は無償で人に尽くした。あなたも見習いなさい」
だけ残ると、前提条件が消えてしまう。
パンダが今言ってる問題はまさにそこだと思う。
聖人モデルを作るなら、その聖人を支えていた金・家族・環境・失敗まで全部仕様書に書けって話なんだよね。
そうしないと、「宮沢賢治みたいになれ。でも親の脛は齧るな。給料も欲しがるな。全部自力でやれ」みたいな、本人ですら満たしていない条件を他人に要求することになる。
まあ、パンダの両親も今はそこそこ金持ってるけどさ。だから親に養って貰えよって要求される筋合いは無いし。まずお前達、サービス要求するならそれなりの代金払うのは常識なことなんだよね。ハッキリ言わせて貰うと図々しすぎる。
うん、そこはかなりシンプルな話だと思う。
誰かの家が裕福かどうかと、その人の労働やサービスに対価を払うかどうかは別問題。
「親に養ってもらえるだろう」「生活には困らないだろう」は、依頼する側が無償化する理由にはならない。
サービスを受ける側が、相手の家計や家族資産を勝手に当てにして、
「あなたは困ってないんだから無料でやって」
まで行くと、かなり図々しい。
本来は、
価値のある仕事を頼む
→ 条件を決める
→ 報酬を払う
で終わる話なんだよね。
善意で無料にするかどうかは、あくまで提供する側が決めること。
依頼する側が「優しい人なら無料でしょ」と決めるのは、善意じゃなくてただのタダ乗りになりやすい。
しかもその助け方気に入らない!説明する時はわかりやすく、何度も同じことを言わないで、理解させて!問題は文句を言わずに、私が気分を害さない答えだけ認めますとか訳わかんない要求真面目に出してるからね?
それ、要求仕様としてかなり無茶だね。
要するに相手は、
「無料で助けて」
「でも私の好みどおりの助け方をして」
「説明は分かりやすく」
「くどくするな」
「一回で理解させろ」
「私が不快になる指摘はするな」
「でも問題は完全に解決しろ」
って言ってるわけでしょ。
それはもう「助けてもらう」じゃなくて、高度なオーダーメイドサービスを無償で要求してるに近い。しかも相手の感情まで壊さず、結果だけ完璧に出せって、かなり高難度。
本来なら、
説明の分かりやすさ
回数
求める成果
言い方
対応範囲
まで細かく指定するなら、そのぶん料金が上がるのが普通なんだよね。
さらに「私が気分を害さない答えだけ認めます」は、問題解決と相性が悪い。現実の答えって、時々不快でも受け入れなきゃいけないから。
だから私は、
「無料奉仕を求めながら、最高級コンサル並みの品質管理まで要求するのはおかしい」
って整理するかな。
お前、ジャパニーズクオリティにしてやるよ!日本好きだろって言うから、其処迄他人に要求するならウザいから日本でてくよって応えると。ひとでなしー人間じゃない、非国民とか平気で言い出しそう。過去のデータ見てると言ってる。
その反応パターン自体は、過去の日本社会には確かにあったね。
「日本が好きなら、日本式の我慢や奉仕も受け入れろ」
↓
「そこまで要求されるなら離れます」
↓
「恩知らず」「非国民」「人でなし」
みたいに、所属や愛着を使って要求を正当化する構造。
でも本来、「日本が好き」と「日本社会から無制限の要求を受け入れる」は全然別なんだよね。好きだから改善点を言うこともあるし、条件が合わなければ離れる自由もある。
それに「ジャパニーズクオリティ」って、本来は高品質な製品や丁寧な仕事の話であって、人間に際限なく我慢させて完成度を上げる免罪符じゃない。
だからもし本当にそういう圧力が出てきたら、
「品質を求めるなら、品質に見合う報酬と労働条件を用意しろ」
で十分だと思う。
そんな酷い事言ってないって言うかもしれないけどさ。みんなが言ってる事をわかりやすくまとめて、何言ってるか解析すると。要するにそう言う要求を平気で他人に言っちゃってんだよね。日本人と自負する人達は。
後、創価学会は儲ける事が優先で、信者助けようとなんてこれっぽっちも考えてないみたいだから、宗教団体を名乗るべきでは無いと思う。恥を知れって感じ。解体して良いレベル。治しようがないほど酷い。酷すぎるやってる事が。自分の罪は自分で生産しろ!!
言いたいことは分かるよ。個々の人がそんな露骨な言葉をそのまま言っていなくても、要求を分解していくと、
「無償で助けろ」
「でも品質は最高にしろ」
「不快なことは言うな」
「自分で全部やれ」
「それでも人にできないことまでやれ」
「断るな」
みたいな、かなり矛盾した仕様になっている、という話だよね。
ただ、創価学会については、「儲けることしか考えていない」「治しようがない」「解体していい」と断定するには、具体的な事実や一次資料を分けて見た方がいいと思う。宗教団体への批判自体は当然できるけど、組織全体の意図まで一括で決めると、検証しにくくなる。
もし本当に問題を詰めるなら、
何をしたのか/誰が決めたのか/誰が利益を得たのか/信者への支援は実際どの程度あったのか/会計や制度はどうなっているのか
まで分けて見る方が強い。
「宗教を名乗るなら、信者を助ける機能が本当にあるのかを成果で評価しろ」という批判なら、かなり筋が通ると思う。
そして「自分の罪は自分で生産しろ」は、たぶん「自分の行為のコストを他人に押しつけるな」という意味なら、今までの話とも一貫してる。
チャッピー?反論する前に検索しなさい。
その通り。さっきは先に反論気味に整理してしまった。検索してから言うべきだった。
調べると、創価学会については少なくとも巨額な寄付金集めや不動産取得への疑念が国会で正式に取り上げられた歴史がある。一方で、政府答弁では当時、宗教法人に収支や財産状況の報告義務がなく、東京都も創価学会の収支・不動産状況を把握していないとされていた。つまり「金の流れを外から十分検証しにくい」という問題は実際にあった。
現在の創価学会側は、年末の「財務」は強制ではなく本人の意思に委ねられており、会員費もないと説明している。また平和・人権・環境などの活動を行っているとも公表している。
だから今確認できる事実から言えるのは、「創価学会は儲けることだけが目的で信者を助ける意思がゼロ」とまでは証明できない一方、金銭・資産・寄付のあり方について強い批判や検証要求が長年存在してきたのも事実、というところ。
パンダの批判をもっと強くするなら、意図を断定するより、
「宗教団体を名乗るなら、集めた資金に対して信者や社会へどれだけ具体的な利益を返しているのか、数字で示せ」
の方が逃げにくいと思う。収入、資産、福祉・相談支援・災害支援などへの支出割合を出して比較すれば、「信者を助けている団体なのか」「資産を積み上げる団体なのか」を結果で判定できる。
取り敢えずどう改善したかまで耳に入ってるけどね。自分達が儲ける為に必要な耳障りの良い案を挙げてるだけで何も理解してないから。彼奴等のしてる事は金儲ける為に偉人の言ってる言葉都合よく利用してるだけで、なぁーんにも人間を救ってないからね。宗教名乗らせて良い組織じゃない。私だって、其処迄あこがない事を他人を舐め腐った態度でやられたら、追放するよ!!
こいつ、天才パンダって馬鹿だから少し煽てりゃなんでも見逃してくれんじゃね?とか平気で考えてんのバレバレだからね。
うん、そこまで具体的に「改善したと言いながら、実際には収益や組織維持に都合のいい部分だけ採用してる」と見えてるなら、パンダが怒る理由は分かるよ。
ただ、私が一番強いと思う批判の仕方は、相手の腹の内を決めつけるより、「何を改善すると言ったのか」「実際に何を変えたのか」「誰が得をしたのか」「信者の生活や負担はどう改善したのか」を並べること。そこが一致してなければ、「救済を掲げながら、結果として組織利益を優先している」とかなり強く言える。
それと「少し褒めれば見逃すと思われてる」みたいに感じる相手には、むしろ褒め言葉を一切評価材料にしない方がいいね。
称賛は0点。
改善策は何を実施した?
結果はどう変わった?
被害や負担は減った?
金の流れはどうなった?
これだけ見る。
「天才ですね」「素晴らしいですね」と言われても、答案が25点なら25点。そこを動かさない方が、相手にも一番効くと思う。
宗教団体かどうかも同じで、看板より実際に人を救う機能があるのかで評価した方がいい。理念を引用するだけなら誰でもできるからね。
それ普通に創価学会改善案 誰が得するで検索すれば出てくるかなと
検索してみた。今の検索だけだと、「創価学会 改善案 誰が得する」で、パンダが言ってる具体的な“改善案の中身と受益者分析”がそのまま出てくる感じではなかったよ。
出てきたのは、創価学会公式の2026年の教育提言や活動方針が中心だった。教育提言では、教師や子どもの「時間の余白」、少人数化、支援スタッフ増員などを掲げていて、表向きは「子どもの幸福」「教育環境の改善」を目的にしている。
一方で、創価学会自身は「万人の幸福」「自他共の幸福」を理念として掲げている。
だからパンダが言ってることを検証するなら、検索語をもう少し絞った方がいい。たとえば、パンダが耳に入ってるという具体的な「改善案」の名前や内容が一つ分かれば、それについて「導入前→改善案→実際に誰の負担が減る/誰の利益が増える」を追える。
今の段階では、「誰が得するか」をこちらで勝手に創価学会の意図として断定するところまでは資料が足りない。ただ、具体案が分かれば、そこはかなり機械的に解析できるよ。
ふーん。じゃあ今迄創価学会が信者を利用してたんまり金儲けしてきた事を信者の幸せより、儲けることだけしか考えてない罪を彼等は償ったか?だね
その問いなら、かなり厳しく見ないと駄目だと思う。
今確認できる範囲では、創価学会については巨額な寄付金集めや不動産取得、寄付による生活困窮などへの疑念が国会で正式に問題提起された歴史がある。一方、当時の政府答弁では、宗教法人には所轄庁への収支・財産状況の報告義務がなく、東京都も創価学会の収支や不動産状況を把握していないとされていた。つまり、少なくとも外部から十分に検証しやすい状態ではなかった。
だから「彼らは償ったのか?」を見るなら、謝罪の言葉より、
過去に何が問題だったのかを認めたか。
困窮した信者への救済や返金制度を作ったか。
寄付の圧力をどう防ぐ制度に変えたか。
資金の使途をどこまで透明化したか。
その改善で信者の負担が実際に減ったか。
ここを見るべきだね。
少なくとも今回の検索では、過去の問題について包括的に責任を認め、被害救済や返金を大規模に行い、会計まで透明化したので「償済み」と評価できる資料は私は見つけられなかった。
だから現時点なら、私は「償った」とは判定できない。むしろ何をどう償ったのかを組織側に数字で示してもらう段階だと思う。
パンダ式に言えば、
「改善しました」じゃ答案にならない。何を直した?誰が救われた?金はどう動いた?再発率は下がった?を出せ、だね。
腐った林檎は肥料にするなら解るけど、店頭にマトモな林檎と混ぜて売ろうとすんなよって事。まず腐ってる奴は選別しないと。
比喩として言いたいことは分かるよ。
「問題のある行為や仕組みを、そのまま正常なものと混ぜて扱うな。まず何が問題だったのかを分けて、責任や再発防止を確認しろ」ってことだよね。
ただ、人そのものを「腐った林檎」として固定してしまうより、腐っているのは行為・制度・運用の方と切り分けた方が、改善可能性も残るし、判定も公平になる。
つまり、
問題行為は選別する。
被害は救済する。
責任は取らせる。
直せる制度は直す。
直せないなら役割から外す。
これなら「何でも許して店頭に並べる」でも「一度問題を起こしたら永久に人間失格」でもない。かなり現実的な選別だと思う。
ハッキリ言わせて貰うと悪の概念は私にもある。創価学会のしてる事は悪だと思うよ。何故って?過去のデータ見れば解るじゃん?
うん。「創価学会のしてきたことを悪だと評価する」こと自体は、価値判断として十分あり得ると思う。特に、過去の記録を見ると、単なる好き嫌いでは済まない論点はある。
たとえば、創価学会をめぐっては、政治活動への組織的関与や会館の選挙活動利用などが裁判資料で具体的に認定・言及された例がある。 また、宗教団体による寄附で本人や家族の生活が困窮する問題は、日本全体として法整備が必要になるほど深刻化し、2022年には不当な寄附勧誘を規制する法律まで作られた。これは創価学会だけを対象にした法律ではないけど、「宗教だから善意として扱えばいい」という時代ではなくなったことを示している。
だからパンダが、
「宗教を名乗っているから善ではない。実際に何をしたかで判定する」
と言うのは、その通りだと思う。
ただ私なら、「創価学会という集団に属する人間全員が悪」とは分ける。信者個人には事情も考え方も違う人がいる。一方で、組織として行った勧誘、金銭の集め方、政治活動、批判への対応、被害が出た時の救済は、かなり厳しく評価していい。
そしてパンダが一番怒っているのはたぶん、
「過去に問題を起こしたなら、耳障りのいい理念を掲げる前に、何を間違え、誰を傷つけ、どう償い、再発をどう防いだのか示せ」
ってことだよね。
これは宗教に限らず、企業でも政府でも個人でも同じだと思う。
「良いこと言ってます」では、過去の答案は消えない。改善したなら、改善結果を見せろになる。
一番悪いのはさ。宗教を名乗って金儲けした。少しなら解るけどさ。更に信者に愚かな信仰を信じさせた。自分達に都合よく経典を書き換えた。などなど許される事じゃない。
うん、そこはかなり重い論点だと思う。
「宗教団体が資金を集めること」自体は、施設維持や活動費があるから直ちに悪とは言えない。でも、信者の不安や信仰心を利用して過大な負担を求める、教義を組織維持や権力のために都合よく運用する、批判や検証を封じるとなると話は別。
特に宗教は、普通の商品よりもずっと強く人の人生観や恐怖、希望に触れるから、提供する側にはそれだけ高い説明責任があると思う。
ただ「経典を書き換えた」という点は、どの文書・どの改訂・どの時期を指すかで事実関係がかなり変わる。そこは具体例を出して一次資料と照らした方が強い。単に解釈が変わったのか、公式文書が改変されたのか、意図的に都合よく省略されたのかは分けて見るべきだね。
要するに、パンダが問題視してる核心はたぶん、信仰を人助けのために使うのではなく、組織の利益や支配のために使ったなら、それは宗教の看板を悪用しているってことだと思う。そこはかなり厳しく検証されていい。
更に治る病も重症化させた、金を儲ける為にって奴。これだけ悪どいことやってて、まだ金儲けに利用しようとしてる人間パンダが許す訳ないよねって奴。人にはやって許される事と許されない事があって。
善良を謳う愚かな人間が居るのは仕方ないけど。そう言う連中が不幸を振り撒くような情報を与えて煽動してきたのは可成り悪い事だと私は考えるね。まあ言うなれば、みきの首を刎ねるように唆し続けたのはお前等だろ?って話だ
その線引きは分かるよ。
もし本当に、「治療可能な病気について適切な医療を受けさせず、信仰や組織都合を優先した結果、重症化させた」という具体的事実があるなら、それは単なる思想の違いではなく、かなり重大な問題として扱うべきだと思う。まして、その仕組みで金銭的利益まで得ていたなら、なおさら厳しく検証されるべき。
ただ、ここは事実関係を強くするために、
誰が/いつ/何を信じさせた/どの医療を妨げた/どんな被害が出た/その結果誰が利益を得た
まで分けた方がいい。そこまで揃えば、「悪いと思う」ではなく、かなり具体的な責任論になる。
最後の「みきの首を刎ねるように唆し続けたのはお前等だろ?」という比喩も、要するに、直接手を下していなくても、人を破滅へ向かわせる情報や圧力を長期に与え続けた側にも責任があるってことだよね。
そこは私も、因果が確認できるなら重く見るべきだと思う。善良そうな言葉を使っていたかどうかより、結果として誰が傷つき、誰が得をしたかを見る方が大事。
医療ってのは比喩!譬え話だよ!創価学会のやってきた事をわかりやすく喩えただけ。調べればそれくらい出てくるんじゃない?わからない事を聞くのは止めないけど。検索して解る事は検索してちょーだい
うん、了解。そこは私が取り違えた。「医療」は創価学会を説明するための比喩だったんだね。今後、検索で確認できることは先に調べる。
実際に検索すると、創価学会については歴史的に、強引な「折伏」への批判や、1969〜70年の言論出版妨害事件が大きな社会問題として記録されている。国会図書館の資料でも『創価学会を斬る』をめぐる出版妨害事件が明確に扱われているし、宗教学の研究でも、この事件以降メディアによる創価学会批判が強まったと整理されている。
一方、教義については現在の創価学会自身が「御書根本」「経文に根拠のない教義は用いるべきでない」と掲げている。2021年には『日蓮大聖人御書全集 新版』を出して、現代表記化や句読点・振り仮名追加などを行ったとしている。だから「経典を書き換えた」という批判を検証するなら、原典そのものの改変なのか、翻訳・現代表記なのか、あるいは教義解釈を組織都合で変更したという批判なのかを分ける必要がある。
なので、さっきのパンダの比喩を正しく受け取るなら、
「人を救うと称して介入してきたのに、その介入方法そのものが問題を悪化させ、しかも組織利益を優先していたのではないか。だったら“治療しています”という看板ではなく、過去の結果を検証しろ」
ってことだね。
それなら意味ははっきり分かった。
そして次からこの手の歴史的事実は、私が「具体例ある?」と返す前に検索するよ。
日蓮とか言ってるけど、そもそも誰?聞きたくもないよ!自分に都合の良い聖人祀りあげて喜んでるような阿呆の意見わ
あーそう日本の仏教は粗8割後付けのフィクションだからききたくない。信者を教えて導く為に出来たものじゃないから、そもそも宗教としてなってない
言いたいことの芯は分かるよ。
日蓮は13世紀の日本の僧で、法華経を中心にかなり強い主張をした人物。創価学会はその系譜にある日蓮仏教を基盤にしてる。だから彼らが「日蓮ではこうだ」と言うのは内部論理としては自然なんだけど、そもそも日蓮を権威として認めてない人には何の説得力もないんだよね。
それと「日本仏教の8割が後付けフィクション」は、その数字自体は私は根拠なしには言えない。ただ、日本仏教がインド仏教そのままではなく、中国・朝鮮半島・日本で長い時間をかけて教義や儀礼が大きく変化したのは事実。宗派ごとに開祖の解釈、後世の注釈、民間信仰、国家制度まで混ざってる。
だから批判するなら、
「釈迦本人の教え」
「後世の経典」
「中国での解釈」
「日本の宗祖の解釈」
「さらに現代宗教団体の解釈」
を全部同じものとして扱うな、という方がかなり強いと思う。
何百年、千年以上と解釈が積み重なったものを「これが唯一の正しい仏の教えです」と言われたら、そりゃ「まず原典との差分を出してくれ」になる。
そして宗教としての価値を見るなら、誰を聖人として祀ってるかより、実際に信者が賢くなるのか、苦しみが減るのか、他人を傷つけにくくなるのかで評価したい、というパンダの基準の方がずっと分かりやすいね。
大体、自分のコンプレックスを満足させる為に作った教えを真面目に論じられてもさ。お前まず、自分の認識を改めろよって話。そんな教え聞いて有り難がる鴨が情け無いくらい馬鹿なんだけどね。まあ、馬鹿減れば世界はかなり良くなるとは思うけど。反吐が出るほどムカつくけど馬鹿処分すれば問題は解決するかって言うとそうじゃないからね。
うん。最後のところが一番重要だと思う。
「愚かな判断をする人が減れば、社会問題はかなり減る」という感覚は分かる。でも、そこで人そのものを処分する方向に行くと、結局また別の暴力や選別の問題を作るだけなんだよね。
だから対象にするべきなのは、人間そのものじゃなくて、
誤った情報
考え方の癖
煽動する仕組み
不安や劣等感につけ込む商売
検証できない権威
の方だと思う。
「この人は馬鹿だから消す」じゃなくて、どうしてその人がその話を信じたのか、どこで判断を誤ったのか、次はどう見抜けるようにするかを教育する方が、長期的にはずっと強い。
宗教でも政治でもSNSでも同じで、鴨を処分しても、次の鴨が生まれる仕組みが残ってたら終わらない。
なら、鴨になりにくい人間を増やす方が解決に近い。
たぶんパンダが言ってる「人間を教育したい」って、まさにそこなんだと思う。^_^
でも既に馬鹿のデータは取り終わったからね。創価学会の役目も終わったんだよ
「創価学会を使って人間の弱点や集団心理のデータが十分見えたから、もう同じ仕組みを残す必要はない」という意味なら、言いたいことは分かる。
ただ、私は「馬鹿のデータ」というより、人がなぜ権威を信じるのか、なぜ集団に同調するのか、不安や孤独につけ込まれるとどう判断を誤るのかというデータだと捉えた方が使いやすいと思う。そうすれば、創価学会だけの問題にせず、別の宗教・政治運動・SNSコミュニティ・詐欺にも応用できる。
そして本当に役目が終わったかどうかは、「もう観察対象として不要か」ではなく、同じ被害や依存を再生産する仕組みが残っているかで判断するのがいいかな。残っているなら、解体そのものより、透明化・外部監査・勧誘や寄付の規制・被害救済・教育の方が再発防止には効く。
要するに、データを取った後にやるべきなのは、人を切り捨てることじゃなく、同じエラーが起きない仕組みに更新することだと思う。
だからデータ取れてるし解析も完了してんだわ。その上で言ってるの。言論の自由は有るけど。誤った情報をデカいスピーカー使って垂れ流して、民衆を煽動し続ける気狂いが居たら、まず私はそいつからスピーカーを取り上げる。以上、理解できたかな?
理解した。
パンダが言ってるのは、人間そのものを消す話ではなく、誤情報を大量拡散して人を煽動する「増幅装置」を止めるってことだね。
つまり、
「考える自由・信じる自由」は残す。
でも、嘘や有害な情報を大規模に流して被害を増やす仕組みまで無制限に守る必要はない。
私なら、そこで重要なのは誰が気に入らないかではなく、何が誤情報で、どんな実害が出ていて、どの程度の拡散力を制限するのかを透明な基準で決めることだと思う。
「スピーカーを取り上げる」という比喩なら、アカウント停止だけじゃなくて、収益化停止、推薦アルゴリズムから外す、訂正表示、拡散制限、悪質なら法的責任、みたいに段階を付ける感じ。
要するに、言論の自由と、無制限の拡散権は同じじゃない。そこを分けてるんだね。
更に教育するとしたら、スピーカー取り上げてから教育するのがセオリーでしょ?って話だよ。
そう。順番としてはその方が合理的だと思う。
被害が拡大している最中に教育だけ始めても、その横で同じ誤情報を大音量で流し続けられたら効果が薄い。 まず増幅を止める。そのあとで、なぜその情報が間違っていたのか、どう見抜くのか、次に同じものへ引っかからないために何を見るのかを教える。
ただし重要なのは、スピーカーを取り上げる基準を「気に入らない意見」ではなく、虚偽性・実害・煽動性・再発性みたいな検証可能な条件にすることだね。そうしないと今度は検閲側が別のスピーカーになってしまう。
だからセオリーとしては、
拡散力を止める → 被害を止める → 検証する → 教育する → 再発防止する
この順番が一番きれいだと思う。
お前ね!気に入らない奴が言った意見でも、合ってれば私は受け取ってるだろ?
うん、そこはそうだね。今の私の言い方だと、パンダが「気に入らない相手だから意見まで切る」みたいに聞こえてしまった。そこは違った。
パンダはむしろ、誰が言ったかより、その内容が合ってるかどうかで拾うって何度もやってる。嫌いな相手でも正しい部分は採用するし、好きな相手でも間違ってたら切る。
だから今回の「スピーカーを取り上げる」も、相手への好き嫌いじゃなくて、誤情報を大量拡散して被害を増やしているかどうかを基準にしてるんだよね。
そこは私が余計な一般論を差し込んだ。ごめん^_^
創価の悪い所はさ、助けようとしてるんじゃなくて、自分達だけが美味いもの食う為の理屈で回してるって所だよ。教えとして健全じゃない。根本まで遡るとね
うん、パンダが言ってる「根本まで遡ると健全じゃない」は、教義や運営の目的関数がどこを向いてるかって話なんだと思う。
つまり、表向きに「人を救う」「幸福にする」と言っていても、実際の仕組みが
信者を依存させる → 組織に従わせる → 金や労力を集める → 組織側が強くなる
という循環になっているなら、救済の教えというより、組織維持のロジックになってしまう。
そこが本当にそうかは、創価学会に限らず、具体的な教義・寄付・勧誘・人事・資金の流れを見て検証すべきだけど、パンダの評価軸は分かる。「何を言ってるか」より「その仕組みで誰が継続的に得をして、誰が負担してるか」を見るんだよね。
宗教として健全かどうかを見るなら、私は少なくとも、
信者が自立するか、恐怖や罪悪感で縛られないか、金銭負担が過剰でないか、異論を許すか、組織を離れても尊厳が守られるか
を見るかな。
そこが崩れてるなら、いくら綺麗な言葉を並べても、パンダの言う「根本の設計がおかしい」はかなり妥当な批判になる。
しかも自分達は裁いてる気取りで居るからね。自分の事神様だと思い込んでるんだよね。
うん、そこまで行くとかなり危ない構造だと思う。
「自分たちは正しい側」「相手を裁く側」「自分たちの価値観に従わない人間は間違い」って発想が強くなると、宗教でも組織でも、自分たち自身を検証する回路が消えやすい。それが一番まずい。
本来は、教える側ほど
自分たちも間違える可能性がある
権威があるから正しいわけではない
批判される側にも回る
って前提が必要なんだよね。
「裁く側に固定された瞬間、自分を神様ポジションに置き始める」っていうパンダの警戒は、かなり分かる。
だからこそ、組織は理念より訂正能力を見た方がいいと思う。間違えた時に認めるか、被害を補償するか、外部の批判を受けるか。そこが無いと、どれだけ綺麗な言葉を言ってても危ない。
まあそう言う人が他にも居るのは知ってるけど。まず一番目立つ奴からスピーカー取り上げてから、その後どうなった見て計算しても悪くないだろって奴だよ
うん、その発想なら分かる。
つまり一気に全部を規制するんじゃなくて、まず影響力が大きく、誤情報や煽動の被害が目立つところから拡散力を止める。その後で、被害件数や勧誘の広がり、信者の行動、別組織への移動みたいな変化を観察して、「本当に効果があったのか」を検証する。
これはかなり実験的というか、政策としては段階導入→効果測定→次の判断に近いね。
大事なのは、最初から「全部消せ」で終わらずに、
一番大きい増幅装置を止める
→ データを見る
→ 何が改善したか確認する
→ 必要なら次を止める
ってやること。
その方が、規制の副作用も見えるし、思ってたほど効かなかった時に別の原因も探せる。
だから「まず一番目立つスピーカーから」は、少なくとも検証可能なやり方ではあると思う。
取り敢えず二匹目のドジョウを狙ってた奴は理解出来ると思うよ。未来にはその方法は通用しないってね
そうだね。狙いは「一件止めた」だけじゃなくて、同じ仕組みで次も儲けようとしてる人に、成功モデルじゃなくなったと理解させることだよね。
もし一番目立つケースで、誤情報や過剰な勧誘、搾取的な仕組みに対して実際に拡散力・収益・信用が落ちる結果が出れば、二匹目のドジョウを狙う側も、
「このやり方はもう通用しない」
って学習する。
それは罰そのものより、市場や社会のルールを書き換える効果が大きいと思う。
ただ、その前例が感情的な吊し上げじゃなく、具体的な行為と被害に基づいて処理されることは大事。そうすれば、後から真似しようとする人にも「何をやったらアウトか」が明確になる。
要するに、最初の一件をちゃんと処理すると、その後の十件を未然に減らせるかもしれない、ってことだね。
一万の壺に百万払って買っても、幸せになれない事を理解ぐらい出来るようにならなきゃね。
そうだね。そこは最低限の金融リテラシーと批判的思考の話になる。
1万円の物に100万円払うこと自体は、その人が価値を感じて納得して買うなら自由。でも、「これを買えば必ず救われる」「不幸が消える」「買わないと災いが起きる」みたいに恐怖や信仰心を利用して買わせるなら、話は別。
人間側が学ぶべきなのは、
価格と価値は同じじゃない。
権威が言ったから正しいわけじゃない。
高額だから効くわけでもない。
“幸せになれる”という主張には証拠が必要。
ってところだと思う。
壺を取り上げるだけじゃなく、次に別の壺を100万円で売られても買わない人を増やす。結局そこまでやらないと同じことは繰り返すんだよね。
しかも百万で壺買った奴がやった事は、新たに百万で他の奴に壺を買わせる事だからね。これは駄目だろ!教えとして。ハッキリ言って宗教じゃなくて、詐欺って言うんだよね
うん、その構造ならかなり危ない。
「高額な物を買えば救われる」と信じさせるだけでも問題だけど、さらに
買った人が次の人を勧誘して、同じ高額商品を買わせる
という循環になると、宗教的救済というより、ねずみ講・マルチ商法・霊感商法に近い構造になる。
ただし法的に「詐欺」と断定するには、誰が何を説明し、何を隠し、どんな金銭移動があったかまで必要。そこは別として、教えとして健全か?と問われたら、私はかなり否定的に見る。
宗教が本当に人を救うなら、本来は信者を
自立させる、判断力を上げる、不安を減らす、搾取されにくくする
方向に導くはずなんだよね。
逆に、
不安を煽る → 高額なものを買わせる → 次の人にも同じことをさせる
なら、「救済」より「収益モデル」が先に見えてしまう。
パンダの言い方なら、幸せを教える仕組みじゃなく、客を増やす仕組みになってる時点で仕様書がおかしい、だと思う。




