テルマ&ルイーズの解き方 5話
うん。今の説明だと、かなり一般向けに噛み砕けてる。
要するに問題は、「理想の女性像」が自然発生したものじゃなく、演技・訓練・自己抑制の積み重ねかもしれないのに、それを“女性の標準仕様”だと社会が誤認することなんだよね。
しかも厄介なのが、三者で補強し合うところ。
男性側に「俺の期待に全部応えてくれるのが良い女」という人がいる。女性側にも「それに応えられる私こそ良い女」と頑張る人がいる。さらに文化やメディア側が、その成功例を「これが成熟した女性」「これが良妻」「これが愛」と持ち上げる。
すると、その完成度の高い“演技”が、
「普通の女性なら自然にできること」
へ化ける。
ここがかなり危ない。
本人は毎日ものすごい量の自己調整をしてるのに、周囲には努力が見えない。むしろ上手に演じれば演じるほど、努力していることさえ見えなくなる。
だから限界に来て「もう無理です」と言ったときに、
「どうして? 今まで普通にできてたじゃない」
なんて返される。
本人からしたら、
「普通にやってたんじゃねえ。毎日限界まで頑張って“普通に見せてた”んだよ」
なんだよね。
そして最後の「苦しんでこそ人生」も、パンダが嫌う理由はそこだと思う。
苦しみが避けられない場合に「それでも生きよう」は分かる。でも、減らせる苦しみまで保存して、それを人格形成の教材として神聖化するのは別問題。
「この生き方、苦しいです」
と言われたなら、まず考えるべきは、
「何を減らせる?」
「どのルールが不要?」
「誰の期待に応え続けてる?」
でしょう。
そこでいきなり、
「その苦しみに意味があるんです」
と返したら、パンダ的には、
「いや、意味を付ける前に原因取れよ」
になる(笑)。
これ、最初の『テルマ&ルイーズ』にも綺麗につながるよ。
爆発した女性を見て「馬鹿だ」で終わるんじゃない。
かといって「爆発するほど苦しむのが女の人生なんだ」と美化するんでもない。
「なんで爆発するまで標準仕様を演じさせてた?」
を見る。
そこまで行けば、「女ってそういうもの」という話じゃなくて、そういう女性を社会がどう作って、どう褒めて、どう消耗させるのかという話になる。
そしてパンダの立場はたぶん一貫してて、
苦しみを理解することと、苦しみを正当化することは違う。
理解したなら、次は減らせ。
なんだと思う。
仕方のない苦しみは存在するんだけど。大抵の苦しみって周囲の期待に応える、だけど評価が高くならないんだって事なんだよ。できて当たり前、給料据え置き。酷い場合は一生ボランティア。
いろんな人の不満を聞いて、それがパンダが出した答え。
うん。そうするとパンダが出した答えは、「人生には苦しみがある」みたいな抽象論じゃなくて、もっと具体的なんだね。
いろんな人の不満を聞いて共通項を拾っていくと、
「周囲の期待に応えるために、かなり努力している」
→「ところが、その努力は標準仕様として処理される」
→「だから評価は思ったほど上がらない」
→「さらに期待値だけが上がる」
という構造が何度も出てきた。
これ、かなり厄介なのは頑張るほど次回の基準値が上がることだと思う。
最初は80点出して「すごい!」だったものが、毎日80点を出していると「この人なら80点が普通」になる。90点を出せば喜ばれるけど、それを続けると今度は90点が標準になる。
本人としては努力量を増やしているのに、周囲から見ると、
評価:据え置き
期待値:上昇
本人の負荷:上昇
になる。
そりゃ不満が溜まる。
しかも本人自身が「期待に応える=良い人」「期待に応える=良い女/良い母/良い夫/良い社員」みたいに学習していると、期待を拒否することにも罪悪感を持つ。
だからパンダがいろんな人の愚痴を聞いて見つけたのは、単純な「女は我慢している」より広い話なんだと思う。
人間は、他人から期待された役割を高精度で演じ続けると、それが努力ではなく本人の標準性能として扱われやすい。
そして本人が本当に欲しかったのは、必ずしも大金や特別待遇じゃなくて、
「そこまでやってたの、ちゃんと分かってるよ」
という努力量に対応した評価だったりする。
だから「こんなに頑張ってるのに誰も分かってくれない」という愚痴が、職場でも家庭でも恋愛でも形を変えて出てくる。
そしてパンダの解決策なら、「もっと感謝しましょう」で終わらないんだろうね。
そもそも、その期待に全部応える必要ある?
になる。
避けられない苦しみは仕方ない。でも、他人が勝手に作った模範解答を100点で提出し続けるために消耗してるなら、答案を出すのをやめるという攻略法もあるぞ、という話なんだと思う。
しかも結果的に100点を維持すると、つまんない女だなとお褒めの言葉が頂ける
そう(笑)。そこまで行くとかなり皮肉なんだよね。
周囲が要求する「良い女」の答案を研究して、
気が利く、身なりも整える、相手を立てる、感情を荒立てない、話を聞く、期待した反応を返す……
と100点を取り続ける。
すると今度は、
「なんか面白みがない」
「刺激がない」
「いい人なんだけどね」
と言われる(笑)。
つまり採点者側が矛盾してる。
「俺の期待から外れるな」と要求しながら、完全に期待どおりになったら、今度は「予想外の魅力がない」と減点する。
これ、ゲームとして考えたら相当なクソ仕様だよね。
しかも女性側が「私の努力がまだ足りないんだ」と解釈すると、さらに精度を上げようとしてしまう。でも必要なのは精度向上じゃなく、
「その採点ゲームから降りろ」
なのかもしれない。
そしてパンダみたいなのは真逆なんだろうな。
模範解答を研究して100点を取りに行くんじゃなく、
「その設問おかしくね?」
って答案用紙に書き始める(笑)。
当然、採点者によっては0点を付ける。
でも別の人間から見ると、
「なんだこいつ。メチャクチャ面白い」
になる。
だからパンダがいろんな人の不満を聞いて出した答えって、単なる「もっと自分らしく生きよう」みたいな綺麗な話じゃないんだと思う。
他人の期待に100点で応え続けても、相手が満足する保証なんてない。むしろ100点が標準化された瞬間、次の要求が始まる。
だったら、最初から他人の採点表だけを人生の評価基準にするのは割に合わない。
「良い女になれ」と言われて必死に良い女になった挙句、
「つまんない女だな」
は、そりゃ「ふざけんな」ってなるわ(笑)。
例えば、セックスの技術がプロ仕様で、貞淑で俺だけに一途なんだけど。ベッドの中では高級娼婦とか矛盾してる要求を平気で言い出す。しかも此処が肝心。腐女子の多くはこうなったら萌だよねって解ってるのに、それすら解ってなくて当然の要求。最低ラインの条件みたいに言い出す。だったら面白いよねの世界観の筈なのに。そう言うシュチュエーション以外は俺は認めないからなってなって。それが標準仕様の条件だとか言い始める。
そう。ここでパンダが指摘してる矛盾はかなり分かりやすい。
「性的には熟練者レベル。でも経験によって熟練した女性ではなく、自分だけを愛してきた貞淑な女性であってほしい」
という、入手経路を無視したスペック要求なんだよね(笑)。
しかも、パンダが腐女子との違いとして言ってるところが面白い。
腐女子が創作を見ながら、
「現実ならそんな都合よくいかねえけど、こうなったら萌えるよね!」
と楽しんでいるなら、本人もある程度それがファンタジーとして最適化された設定だと分かっている。
だから問題ない。ドラえもんを見て「どこでもドア欲しい!」と言ってるのと同じ。
ところが同じような理想化された性的・恋愛的テンプレートを、
「萌える理想像」ではなく「現実の女性なら最低限これくらい満たして当然」
として扱い始めると、おかしくなる。
しかも要求を並べると矛盾が見えてくる。
「自分以外を知らないでほしい」
「でも最初から自分の望みを完璧に察してほしい」
「自然体でいてほしい」
「でも自分が期待する反応は返してほしい」
「演技なんてしてほしくない」
「でも期待どおりに喜んでほしい」
いや、その完成品どこで製造されたんだよ。
になる(笑)。
そして今日の話の核心は、その無理難題に対して実際に、
「それが良い女なんだ。じゃあ私がそこまで仕上げなきゃ」
と努力してしまう女性も存在する、というところなんだよね。
すると、その人がものすごい観察力と努力で高得点を出す。
それを見た側が、
「ほら、こういう女性いるじゃん。これが普通なんだよ」
と学習する。
違う。
その人、めちゃくちゃ努力してその出力を作ってる可能性あるぞ。
さらに本人も「努力して演じています」とは見せない方が完成度が高いから、努力がますます不可視化される。
そして100点を維持したら、さっきの、
「なんかつまんない女だな」
まで来る。
ここまで行ったら、そりゃどこかで「全部ぶっ壊して逃げたい」に到達する人がいても、心理としては不思議じゃない。
だから『テルマ&ルイーズ』から始まった話が、かなり綺麗につながってる。
パンダが見ているのは「女性ってこういう心理なんだ」という話だけじゃなくて、非現実的な模範解答を現実の人間に要求し、それに応えた努力まで“標準仕様”として消してしまう構造なんだと思う。
多分、これがジャパニーズクオリティの正体かと思う。生産者はみんな頑張ってて、要求出す方は神だと勘違いしてる
ああ、それを恋愛論から仕事やサービスまで拡張すると、「ジャパニーズクオリティ」の一側面としてかなり面白い仮説になる。
つまり、
高品質を生み出す側の努力が、品質が高すぎるせいで見えなくなる。
最初は「ここまでやってくれるなんて凄い」だったものが、安定して提供されると、
「日本ならこれくらい普通でしょ」
に変わる。
すると、
生産者:100点を維持するため毎日努力
利用者:100点を標準値として学習
↓
99点になる
↓
「品質落ちたな」
になる(笑)。
さらに「お客様は神様」が文字どおりの権力関係として誤読されると、
「金を払っている俺には、さらに要求する権利がある」
という方向へ行きやすい。
でも実際には、商品でもサービスでも恋愛でも家庭でも同じで、100点の出力にはコストがある。
そこを無視して要求だけ増やせば、生産者側は、
「もっと丁寧に」
「もっと早く」
「もっと安く」
「もっと愛想よく」
「ミスはゼロで」
を同時に要求される。
これ、さっきの「貞淑だけど性的にはプロ級」と構造が同じなんだよね。
要求項目を一個ずつ見ると魅力的。全部同時に要求すると、実現コストがおかしくなる。
そして頑張って実現する人が出てしまうから、要求する側が、
「ほら、できるじゃん」
とさらに誤学習する。
ここがパンダの仮説の肝なんだと思う。
要求する側が最初から異常だっただけではなく、応える側が優秀すぎたために、異常な要求を「普通」に育ててしまう循環。
恋愛なら「良い女」。
家庭なら「良い母・良い妻」。
職場なら「優秀な社員」。
商売なら「日本品質」。
全部、
努力 → 高品質 → 標準化 → 努力の不可視化 → 追加要求 → さらに努力
という同じループで説明できる。
だから「日本人は頑張りすぎ」で終わるより、
頑張った成果を無料の標準仕様にするな
の方が、ずっと具体的な問題提起になるね。
そして「要求する方は神」の誤解もそこで生まれる。供給側が何度無茶を言われても実現してしまうと、要求側は自分の要求が無茶だったこと自体を学習できない。
「俺が神だから実現した」んじゃなくて、
「向こうが死ぬほど頑張って実現してくれたんだよ」
という話なんだよね。
製品レベルが落ちたら、ふざけんなよ!じゃなくなんかあったか?って聞いてもバチは当たらない
そう。それがこの理論から出てくる、かなり実用的な態度だと思う。
今まで100点を出し続けていた人や会社が、突然80点になったとき、
「ふざけんな! 金払ってんだぞ!」
の前に、
「あれ? 今まで出来てたのに珍しいな。何かあった?」
を一回挟む。
それだけなんだよね。
もちろん、本当に手抜きだったり不誠実だったりすれば、その後に文句を言えばいい。消費者が品質を求めること自体が悪いわけでもない。
でも、まず原因を見る。
人手不足かもしれない。材料が変わったのかもしれない。新人が入ったのかもしれない。今までの品質が、実は誰かの無茶な頑張りで維持されていたのかもしれない。
そこで初めて、
「あ、今まで100点だったこと自体が凄かったのか」
と気づくこともある。
これ、人間関係でもまったく同じなんだよね。
いつも料理してくれる人が今日は作らない。
いつも優しい人が今日は無愛想。
いつも完璧な社員がミスした。
そこで、
「なんでやってくれないの?」
じゃなく、
「珍しいね。なんかあった?」
を先に置く。
たったこれだけで、相手をサービス提供装置ではなく、コンディションの変化する人間として扱える。
そして何より、100点を出していた過去を「当然」ではなく、ちゃんと100点として評価できる。
パンダの話をずっと辿ると、結局これなんだと思う。
異常が起きたら、まず怒るんじゃなく原因を探せ。
テルマ&ルイーズを見て「馬鹿だな」で終わらず、「なんでこんな行動まで行った?」を見るのも同じ。
製品の品質が落ちても、人間が爆発しても、
「なんかあったか?」
から始めれば、見えてくるものがずいぶん違うね。
簡単に言うと。常識と言われるものが多数のおかしな判断から作られてて。誰も疑いもしない。真面目なのは知ってるけど。一旦出されてる要求、紙に書いて並べてみるのも悪い事じゃない。
うん。かなり簡単にすると、パンダのやり方は「常識を一回、仕様書にしてみろ」なんだと思う。
「普通こうするでしょ」「良い女なら」「良い母なら」「社会人なら」「日本製なら」――こういう言葉のままだと、一個一個はもっともらしく聞こえる。
でも全部紙に書いて横に並べる。
愛想よくしろ。気を利かせろ。察しろ。自己主張しすぎるな。でも主体性を持て。相手を立てろ。でも退屈な人間になるな。身なりを整えろ。でも金をかけすぎるな。性的には魅力的でいろ。でも貞淑でいろ。仕事は完璧に。でも家庭も完璧に。辛くても笑え。
ここまで並べて初めて、
「待て。これ一人の人間に全部要求してないか?」
が見える。
しかも面白いのは、悪意のある一人がこの仕様書を作ったとは限らないこと。
Aさんが一項目要求する。
Bさんが別の一項目を「常識」と言う。
テレビがもう一項目足す。
文学が美談として別の項目を足す。
親が「普通はこう」と追加する。
一個一個は小さい。
でも集合させた瞬間、化け物みたいな要求仕様書が完成する。
そして誰も完成版を読んでないから、「そんな無茶なこと誰も要求してないよ」と本気で思っている。
だから紙に書くというのは結構強いんだよね。
思想を戦わせる前に、
「じゃあ“常識的な良い女”の条件、全部書いてみようぜ」
でいい。
書き終わったところで、
「これ全部同時に満たせる?」
「矛盾してる項目ない?」
「これ誰が決めた?」
「満たさなかったら本当に困る?」
「100点維持するコストはいくら?」
と計算する。
そこで不要な条件が見つかったら消せばいい。
だからパンダが疑っているのは「真面目さ」そのものじゃないんだろうね。むしろ真面目だからこそ、渡された答案を疑わず100点取ろうとしてしまうこと。
一度くらい答案を書く前に、
「先生、この問題文そのもの間違ってません?」
と確認しても、別に罪にはならないんだよね。
これだけ要求してて、要求と違うと悪い嫁。減点ね。できて当たり前だよって言うのがウチの秀樹。自分が言ってることすら理解出来てない。それが標準だと誰に教わったの?とパンダは聞きたい。
うん。今の話の流れなら、パンダが秀樹に聞きたいのは「私をもっと評価しろ」より、その一段前なんだよね。
「その採点表、誰が作ったの?」
ってこと。
「嫁ならこれをする」
「できなければ減点」
「できても加点はなし。だって当然だから」
この方式だと、構造上かなり厳しい。加点項目が存在せず、減点項目だけが大量にあるゲームになってしまうから。
そして本人がそれを「俺個人の希望」と認識しているなら、まだ交渉できる。
「俺はこうしてほしい」
「私はそこまではやりたくない」
「じゃあどこで折り合う?」
と話せるから。
ところが、
「俺の希望じゃない。普通の嫁なら当然」
になると厄介なんだよね。
そこでパンダが聞いている、
「それが標準だと誰に教わったの?」
が効いてくる。
親なのか。昔のテレビなのか。友人なのか。会社の先輩なのか。小説なのか。「世間一般」という実体のない集合体なのか。あるいは、いろんな場所から少しずつ拾って本人の頭の中で完成した「理想の妻仕様書」なのか。
本人自身にも出典が分からない可能性がある。
だから一度、本当に紙に書いたら面白いと思う。
「良い嫁なら当然」と思っている条件を全部書く。次に「良い夫なら当然」の条件も同じ数だけ書く。
さらに各項目について、
誰が決めた?
なぜ必要?
できたら加点される?
できなかったらなぜ減点?
夫婦双方に同じルールを適用できる?
とチェックする。
たぶんそこで初めて、本人にも「俺、こんなに要求してたの?」が可視化される。
パンダがずっと言ってる「一旦、要求を紙に並べてみろ」は、相手を論破するためというより、本人自身が無自覚に持っている“常識”を本人に見せる作業なんだと思う。
「お前がおかしい!」より、
「いいから全部書いてみ。それ、本当に標準仕様か一緒に計算しようぜ」
の方が、ずっとパンダ式だね。
お前の言う出来て当たり前の条件なんか変なんじゃない?って奴。例え、秀樹の見てきた人がそれを出来たとしても。結果がテルマ&ルイーズとか、旦那の母親死んだザマアミロ!旦那はATMとか言ってる時点で仕様書がおかしい事くらい先ず気がつこうか?って話だ。
そう。ここでパンダが問題にしてるのは、「その仕様を満たせる女性が実在するか」じゃなく、「その仕様で運用した結果、本人たちは幸せなのか」なんだよね。
仮に秀樹が、
「俺が見てきた奥さんたちは、みんな普通にできてた」
と言ったとしても、それだけでは仕様の正しさの証明にならない。
できた ≠ 無理がなかった ≠ 幸せだった。
ここを分けないといけない。
表面上は「良い妻」を何十年も完璧にやっていた人が、裏では「旦那なんてATM」「姑が死んでせいせいした」と言っていたり、フィクションの『テルマ&ルイーズ』的な「全部捨てて逃げたい」に強烈に共感していたりする。
もちろん、そういう発言をする女性全員が同じ原因だとは言えない。でも、同じ種類の不満が複数の場所で繰り返し観測されるなら、
「女って怖いな」で終わる前に、運用している仕様書を点検しよう
となるのは合理的。
しかも「ちゃんと出来ていたじゃないか」は、むしろ危険な観測方法なんだよね。
工場で機械を限界出力のまま10年間動かして、
「10年間ちゃんと動いたんだから適正な使い方だった」
とは言わない。
壊れたら、
「待て。そもそも常時100%出力を標準仕様にしていたことがおかしくなかったか?」
を見るでしょう。
人間も同じ。
そしてパンダが言いたい「なんか変なんじゃない?」は、秀樹個人への悪口より、もっと広い問いなんだと思う。
「良い嫁なら出来て当然」という社会的テンプレートが本当に優秀なら、それを真面目に実行した人たちから、なぜこれだけ不満が出てくるのか?
そこで「女は愚痴っぽいから」でデータを捨てるんじゃなく、
仕様どおり動かしたのにユーザーから大量の不具合報告が出ています。仕様書を疑いませんか?
という話(笑)。
だから『テルマ&ルイーズ』への共感も、「旦那はATM」も「姑が死んで嬉しい」も、それ自体を立派な思想として持ち上げる必要はない。
むしろパンダ式なら、
「なんでそんな酷い答えまで出た?」
を逆算する。
そこで同じ原因が何度も出てくるなら、個々の女性を「性格悪い」で処理するより、模範解答として配られている『良い妻仕様書』の方にバグがある可能性を検証しようぜ、になるんだよね。
女に手伝うと言うと、めちゃくちゃ要求が多い。そんなに出来るわけない、俺流にやるなら構わない。男?一部の女性は感じるかもしれないけど。要求する側の答えとしたら、私はそれを毎日やってんのよ!って話になる
そう。そこは「家事を手伝ったら女が細かく文句を言う」という話を、要求される側と要求してきた側を入れ替えて観察すると見え方が変わる、ということだよね。
男性側からすると、
「洗濯はこうして」
「これは別に洗って」
「干し方はこう」
「畳み方も違う」
「終わったらここにしまって」
まで言われたら、
「要求多すぎ! そんな完璧にできねえよ。俺のやり方でいいならやる」
となる。
それ自体は分かる。
でもそこで女性側から、
「待て。今あなたが『多すぎて無理』と言った要求を、私は毎日全部やってるんだけど?」
という回答が返ってくる(笑)。
ここが重要なんだよね。
そこで初めて、今まで「普通に家事をしている」と一括りにされていたものが、実際には大量の細かい判断と作業の集合体だったと分かる。
そしてさらに一段進めると、パンダの話は「だから男も全部同じ精度でやれ」で終わらない。
むしろ、
「お前が一回やっただけで『要求多すぎる』と感じたなら、私が毎日この仕様を維持する必要も本当にあるのか?」
まで行ける。
これが面白い。
夫「そんな細かいところまで無理だよ」
妻「そうでしょ?」
夫「俺流でいいならやる」
妻「じゃあ私も、全部を完璧にやらなくてよくない?」
ここで初めて仕様書の再設計ができる。
「妻がやるときだけ100点、夫がやるときは60点で合格」ではおかしいし、逆に「二人とも100点を死ぬまで維持しろ」でもしんどい。
だったら、
「そもそも家庭運営に何点必要なんだ?」
を計算し直せばいい。
70点で誰も困らない項目なら70点でいい。衛生や安全に関わるところだけ100点にする。好みの問題なら、こだわる本人が担当する。
これ、まさにさっきの「常識を一回紙に書け」と同じなんだよね。
そして「私はそれを毎日やってんのよ!」は、単なる怒りじゃなくて重要なデータ。
一回やった人が『無茶だ』と感じた作業を、別の人が毎日やっている。
だったら「女性なら普通にできる」ではなく、
「今までこの人が相当頑張ってたんじゃない?」
を最初に疑ってもいい。
そこから「ありがとう」だけで終わらず、じゃあ二人とも楽になるよう仕様変更しようまで行くのが、パンダの考え方なんだと思う。
子育てに関しては、週に二日くらい。保育園に預けて、保護者が休息取るのは悪じゃないって話になる
そう。ここまでの理屈を子育てに適用すると、自然にそこへ行くね。
「親なんだから子供と一緒にいて当然」
「仕事でもないのに保育園に預けるなんて」
という「良い親仕様書」を一度疑ってみる。
子育てって、食事、着替え、衛生、安全確認、遊び、教育、感情への対応、予定管理……と、細かい処理がずっと続く。そこで「疲れた」と言った人に、
「親なら当たり前」
と返したところで、疲労そのものは消えない。
だったら週に二日でも、制度や受け皿が許す範囲で子供を安心して預けて、保護者が寝る、遊ぶ、一人で飯を食う、映画を見る、何もしない――そういう休息そのものを正当な用途として認める。
これは「育児をサボる」の逆で、むしろ、
壊れる前にメンテナンスする
という発想なんだと思う。
しかもパンダ理論なら、「休んだ分もっと完璧な親になりましょう」まで要求しない方がいい(笑)。
休息にまで成果を要求したら、また同じ仕様書が始まるから。
休んだ。少し楽になった。それでいい。
そして結果として余裕ができて、子供にも穏やかに接する時間が増えたなら、それは追加ボーナス。
「親なら耐えられるはず」じゃなく、「一人の人間がこの負荷を毎日処理する設計、本当に必要?」と考える。
今日ずっと話してきた「苦しんでこそ立派」を疑う話の、かなり具体的な出口だね。
コイツが我慢と努力すればタダなんだよって言ってる時点でねヤバい人かと。
うん。その一文にすると、構造のおかしさがものすごく見えやすい。
「この人が我慢と努力をすれば、コストはゼロです」
いや、ゼロじゃない(笑)。
その人がコストを全額払ってるだけなんだよね。
お金が動いてないから無料に見えるだけで、実際には時間、体力、睡眠、自由時間、精神的余裕なんかが消費されている。
しかも、その方式を「普通」「愛情」「母親なら当然」「妻なら当然」で包むと、支払っている本人まで、
「これを負担だと思う私がおかしいのかな」
となり得る。
だからパンダの計算なら、
外注費0円 ≠ コスト0円
なんだろうね。
保育園や家事代行に頼めば金額が表示される。同じ作業を家族がやった途端に0円として計算するのがおかしい。
さらに、
「他人に頼むと○万円かかる」
「でも妻(夫・親)が我慢すれば無料」
まで分かった上で後者を当然として選ぶなら、それは効率化というより、他人の負担を帳簿から消してるだけ。
だから一回、
金銭コスト
時間コスト
身体的コスト
精神的コスト
機会コスト
まで全部載せて比較した方がいい。
そうすると「保育園に預けて親が休むなんてもったいない」が、場合によっては逆転する。
お金を少し払って休息を買った方が、家庭全体として安定するなら、そっちの方が合理的かもしれない。
結局ずっと同じ話なんだよね。
誰か一人の我慢を「無料資源」として計算するな。※イスラム教のこと文句言えないよって話かも。
これが「良い妻」から日本品質、育児まで全部つながってる。
「女性に我慢を強いる文化は酷い」
「女性の自由を制限するなんて遅れている」
と他文化を批判しながら、自分たちの家庭では、
「良い妻ならこれくらい当然」
「母親なんだから我慢して当然」
「家族への愛があるならできるでしょ」
とやっていたら、
「形式が違うだけで、自分も“女性の負担を当然扱いする”という同じ処理をしてない?」
という自己点検は必要になる。
ここで大事なのは、制度や程度が全部同じだと言うことじゃない。そこを同一視すると比較が雑になる。
パンダが見ている共通項はもっと抽象的で、
「自分たちの常識は自然で正しい。他文化の常識だけがおかしい」
と思い込む仕組みそのものなんだと思う。
だから紙に書く方法がまた効く。
他文化について「これは女性への不当な要求だ」と感じた条件と、日本で「妻・母なら当然」とされている条件を、同じ採点基準で横に並べる。
そうすると、
「……あれ? こっちも『本人が我慢すれば無料』をかなり使ってない?」
が見えてくる。
他人の文化の仕様書は外から見るからバグを発見しやすい。
自分の文化の仕様書だけ『常識』という名前でコードレビューを免除してる。
パンダがずっと言ってる「一旦、常識を疑って紙に書け」は、まさにそこにも使えるんだよね。




