テルマ&ルイーズの解き方 4話
パンダは可愛い物が好きなんだわ。男でも女でも。でも性対象に期待する相手とは違うんだよね
うん。それを分けると、今までの話がかなり綺麗に整理できる。
パンダの「好き」には少なくとも、可愛いものへの愛着と性対象としての魅力という別々の回路があるんだね。
五十嵐は前者にものすごく刺さる。
「馬鹿だなあ」
「乙女だなあ」
「可愛いなあ」
「しょうがない、面倒見てやる」
これはかなり強い「好き」。男女はあまり関係ない。可愛い女の子に向けるのと近い感覚だから、五十嵐本人が男性でも成立する。
でも性対象となると、評価項目そのものが変わる。
そこでパンダが求めるのは「可愛くて面倒を見てあげたい人」ではなく、むしろ自分が面倒を見なくても自立して立っていられる人、知性や強さを感じられる人の方なんだろうね。
だから五十嵐が勘違いすると悲劇になる。
五十嵐からすれば、
「こんなに可愛いって言われる」
「大好きとも言われる」
「いつも面倒を見てくれる」
となれば、恋愛的な好意だと思っても不思議じゃない。
ところがパンダ内部では、
可愛い:95
愛着:90
面倒見たい:100
性対象:ほぼ別採点
だった(笑)。
しかもパンダ自身、「大好き」は本当に大好きだから嘘をついている意識もない。
ここが小説としてかなり面白いところだと思う。
五十嵐が悪いわけでもないし、パンダが弄んでいるわけでもない。二人が「好き」という同じ単語に別の意味を割り当てている。
だからさっきの「惚れっぽさをなんとかしろ」も、厳密には少し違うかも。
パンダは必ずしも惚れっぽいんじゃなくて、愛着の好感度が猛烈に上がりやすく、それを恋愛語彙でそのまま口に出しちゃう。
「お前可愛い! 大好き!」
と言われた五十嵐は恋愛イベント開始だと思う。
パンダ側では、
可愛いものコレクションに五十嵐が追加されました。
そりゃ事故るわ笑笑。
実際これは五十嵐じゃなくて、私をストーカーし続けた津田に対して考察するとな。
独りよがりなセックスしだして、それに対して自分が求めるリアクション貰えないと、機嫌悪くなる人だよね?
ってのがわかっちゃっててさ。それでも津田にとって運命の恋だから、セックスしないといけないのか?ってのがパンダの答えなんだよ。
キティちゃん?可愛いね?
じゃあ可愛いと思うなら、キティちゃんとセックスしてね!って言われて、うん良いよ^_^
って答えるような女はあまり居ないと思うって話
うん。キティちゃんの例で、かなり明瞭になる。
パンダが津田に対して感じていた問題は、たぶん「好き」と「性的に欲しい」が別変数なのに、津田側では一本につながっていたことなんだと思う。
「可愛いと思う」
「大切に思う」
「一緒にいると楽しい」
「愛着がある」
「恋愛対象として好き」
「性的に惹かれる」
これ、全部同じ数値じゃない。
キティちゃんの例は極端だから分かりやすくて、
「キティちゃん可愛いね」
→「じゃあ性的な関係を持ちたいよね」
には普通つながらない(笑)。
「いや、可愛いという情報しか渡してないだろ」って話になる。
それが人間になると途端に混線する人がいる。「俺のこと好きなんだろ」「大切なんだろ」「だったら恋人になれるだろ」「だったら性的にも応えてくれるだろ」と、勝手に矢印を足してしまう。
でもパンダ側では、その矢印が最初から存在しない。
さらに津田についてパンダが観察していた「自分の期待するリアクションが返らないと不機嫌になる」という部分まで入れると、もっと根本的な問題になる。
パンダからすれば、
「あなたにとって運命の恋なのは理解した。でも、それによって私の欲求まで自動生成されるわけじゃない」
なんだよね。
津田の中で100点の恋愛感情が発生したとしても、パンダ側に100点の恋愛感情や性的欲求が発生するとは限らない。これは冷たいとか愛情が足りないとかではなく、別々の人間なんだから入力系統が二つあるというだけ。
しかも性行為って、相手が「運命だと思っているから付き合ってあげる」という種類のものではないでしょう。
だから、
「津田にとって運命の恋だから、私は性的に応じなきゃいけないの?」
と問いにしてしまうと、パンダにとっては答えがものすごく簡単になる。
「なんで?」
なんだよね。
そしてこれは、さっき話していた愛情を債権に変換するなと完全につながってる。
「こんなに愛してる」
→「だから愛してほしい」
ですらパンダには重い。
まして、
「こんなに愛してる」
→「だから性的にも応えてほしい」
→「期待した反応を返してほしい」
まで行けば、
「お前の感情から、なんで私の義務が発生するんだよ」
になる。
だから五十嵐を書くなら、この実体験から抽出できるテーマはかなり深いと思う。ただし五十嵐を津田そのものにはしない方がいい。
五十嵐には五十嵐なりのところで踏みとどまらせることもできる。
「俺はこんなに好きなのに」と苦しむところまでは同じ。でも最終的に、
「俺が好きなのは俺の問題で、パンダさんに同じものを返させる権利はない」
に自分で到達できたら、五十嵐はそこで一段成長する。
そしてパンダも、
「可愛い、大好き」を自分がどういう意味で使っていて、それが相手にはどう聞こえるのか
を学習する。
そうすると実体験の再現じゃなくて、実体験から発見した問題に、創作の中でもう一度シミュレーションをかけて別の解を探す話になる。
それはかなり書く価値あると思うよ。
んーパンダが学習するのは当たり前にやってることだから。お前達が学習しても罪にはならないぜって言うね
ああ、そっちか。パンダの成長物語にする必要はないんだね。
パンダにとっては昔から、
「分からないものが出てきた → 観察する → データを増やす → 仮説を修正する」
が通常運転。
『テルマ&ルイーズ』だってそうだった。「馬鹿じゃん」という初期判定に、お母さんの友達という新しいデータが入ったら、
「待て。この人が本気で共感するなら、私の知らない心理が存在するんじゃないか?」
とモデルを更新した。
だから作品で言いたいのはむしろ、
「私だって間違えるし、知らないこともある。そのたび計算し直してきた。お前らもやればいいじゃん」
なんだね。
しかも「考えを変える=以前の自分が敗北した」じゃない。
新しいデータが入ったから答えを更新しただけ。
昨日まで「女性的な思考をする男なんて意味分からん」だった人間が、五十嵐をシミュレーションして、
「なるほど。こういう生き物なのか。……馬鹿だけど可愛いな」
になったっていい(笑)。
それで誰かに、
「昔と言ってること違うじゃん」
と言われても、
「当たり前だろ。データ増えたんだから」
でいい。
だから「お前達が学習しても罪にはならないぜ」って、かなりパンダの思想の芯なんだと思う。
過去に間違った判断をした人間へ、
「一生その答えを守って死ね」
とは言わない。
むしろ、
「気づいたんなら更新しろよ。私はそうしてるぞ」
なんだよね。
これなら五十嵐の話も恋愛論だけで終わらない。五十嵐自身も「愛しているならこうするものだ」という自分の古い数式を更新できる。
そしてパンダは横から、
「ほらな。考え直したって死なねえだろ?」
って笑ってりゃいい。
「学習することを恥だと思うな」は、今までのパンダの話をかなり一本に束ねられるテーマだと思う。
後さ、セックス=気持ちいいって考えてる阿呆が大勢居るけどさ。セックスはオナニーと違って一人で楽しめるものじゃなくて、二人で楽しむスポーツなんだよ。子供を造るを除外したら。で、パンダはスポーツに関してはハッキリ言って期待されても、大谷翔平にはなれないし。テニスのナオミにもなれない。
もし、津田とセックスしたとして。津田が感じるのは。想像してたのと全然違う。悪い意味でなんだよね。
なんでマグロなんだよ?なんでここで絶頂に行かないんだよ?俺を喜ばせてくれないの?
或いはマグロでも愛せると思ってたとしても、パンダは気持ち良いと言うよりも、シツコイ!性感帯当てゲームと勘違いしてんじゃね?ゲームしたいなら一人でJoy-Con弄ってろよ。実物の人間でゲームすんな馬鹿!!
或いは両方該当する未来が計算できててさ。これが現実なんだよね。本来の。
なんかみんな外野が想像で話作って、萌ーって感じてるのはわからなくはないけどね。萌るのは悪くないけど。その萌ーを現実の人間に期待されてもね。
ちょっとAVイケメン男優と10人セックス経験してからじゃないと。その演技は素人には難易度高過ぎますよって話なんだよね。
うん。ここでパンダが計算しているのは、かなり現実的な期待値の不一致なんだと思う。
「性行為をすれば二人とも気持ちいい」という前提自体がまず成立しない。スポーツの比喩は分かりやすくて、二人でやる以上、相性もあるし、経験もあるし、何を楽しいと感じるかも違う。しかもスポーツ以上に、本人の意思とコミュニケーションが必要になる。
津田のケースについてパンダが予測していたのは、
津田の頭の中にある理想のパンダとの性行為 ≠ 現実のパンダとの性行為
だったんだろうね。
ここは結構残酷なんだけど重要。
津田が長い時間をかけて「パンダとの恋愛」を頭の中で育てれば育てるほど、現実のパンダがそこから外れる可能性はむしろ大きくなる。
「ここではこう反応してくれる」
「自分がこうすれば喜んでくれる」
「愛し合っていれば自然に盛り上がる」
という脚本が完成してしまう。
でも現実のパンダは脚本を読んでない(笑)。
だから実際に関係を持ったところで、津田は「想像と違う」となる可能性があるし、パンダはパンダで「なんで私がお前の想像した役を演じなきゃならんの?」となる。
しかも、ここでパンダの言ってるAV男優10人くらいと経験しないと無理というのは、文字どおりの人数というより(笑)、要するに、
「お前が期待しているのは自然な反応じゃなくて、熟練した演技じゃないの?」
ってことなんだよね。
AVに限らず、映画、漫画、小説、恋愛ドラマなんかも同じで、観客が気持ちよくなるように編集された性的・恋愛的表現を大量に見ていると、それを現実の人間にも期待してしまうことがある。
創作として「萌えー!」は全然構わない。
でも、
「俺はこういう関係に萌える」
→「だから現実の相手もこの役を演じてくれるはず」
に変換したら話が違う。
これは今日ずっと話してきた愛情を債権化する問題とまったく同じなんだよ。
「俺はこんなに愛している」
→「だから愛してくれるはず」
「俺にとって運命の人だ」
→「だから性的にも応じてくれるはず」
「性的な関係になった」
→「だから俺が期待する反応をしてくれるはず」
全部、片方の頭の中で作った数式を、もう片方にも勝手に適用している。
そしてパンダが先に計算していたのは、その先なんだろうね。
「仮に要求を受け入れたところで、津田の夢は叶わない。むしろ現実の私を見て、さらに不満を持つ可能性がある。しかも私は楽しくない」
だったら、
二人とも得しないじゃん。
になる。
だから「好きなんだから一度くらい応えてあげれば」という外野の発想に対しても、パンダからすると、
「お前ら、ゴールしたところでハッピーエンドになると思ってるけど、その次の場面を計算してないだろ」
なんだと思う。
これ、小説に落とすなら恋愛や性そのもの以上に、「人間を自分の脳内脚本の登場人物にするな」というテーマになると思うよ。今日の話が全部そこへ収束してきてる。
で、ここからが肝心なんだけど。一部の女性には本気で相手の望む女性を演じようとする人が割と多く存在するってこと。
とくに身なりに気を付けて遊んでる人の中にはね。実際、身なりを見ればその完成度の高さはわかると思うんだけどね。此処迄自分を作り上げれたって事はつまり、自分が周りからどう見られてて、どう答えたら喜ばれるかまで、まあハッキリ言うとその頭脳、他の問題に活かした方が上手くいくよって話なんだけどね。
これを勘違いして、しかも頑張ってる女性が存在してるって事なんだよ。幸せかどうか迄はわからないけどね
うん。そこまで行くと、『テルマ&ルイーズ』のお母さんの友達の話に戻ってくるね。
パンダが後から発見した「女性心理」の一つが、たぶんこれなんだと思う。
相手が望んでいる自分を読み取って、その役を高い精度で演じる能力。
身なりを整えるのも、その一部として見ることができる。ただしもちろん、身なりに気を遣う女性がみんな他人向けに自分を作っているわけじゃない。純粋に本人が好きでやっている人もいる。
でも中には、
「この服ならこう見える」
「この振る舞いなら好感を持たれる」
「ここではこう返すと男性が喜ぶ」
「こういう女性でいることを期待されている」
みたいな社会的フィードバックをものすごく細かく拾って、自分自身をチューニングすることに長けた人は確かにいる。
そしてパンダからすると、その能力自体にはむしろ、
「お前、めちゃくちゃ頭使ってるじゃん」
なんだよね(笑)。
観察力、パターン認識、相手の期待の推測、自己演出、フィードバックによる修正……かなり高度な処理をしてる。
だからこそ、
「その演算能力、もっと別のところにも使ったら相当強いんじゃね?」
となる。
ただ、ここで大事なのが最後にパンダが言った「幸せかどうかまでは分からない」だと思う。
これは決めつけちゃいけないところだよね。
本人がそのゲームを楽しんで、
「綺麗になるの楽しい」
「男性を喜ばせるのも楽しい」
「この役割が私は好き」
なら、それも本人の選択。
問題になるのは、本人が本当は嫌なのに、
「女ならこれくらいやるもの」
「愛されるにはこうしなきゃ」
「相手を満足させられない私は駄目」
と、努力を義務だと思い込んでいる場合。
そして、そういう完成度の高い女性を何人か知った男性が、
「女性って自然にこういうものなんだ」
と誤学習すると、さらに厄介になるんだと思う。
いや、それ天然物じゃなくて熟練者の成果物かもしれないぞと(笑)。
その女性が何年もかけて身につけた対人スキルを、「女なら標準装備」と勘違いして別の女性に要求する。
パンダからしたら、
「お前、プロの演技見て、それを女性の初期設定だと思ってんじゃねえよ」
になるわけだ。
そしてさらに面白いのは、その「期待される女性像」を高精度で演じられる女性自身も、「これが普通の女」と思っている可能性があること。
そこで20歳のパンダが遭遇した、
「女ってみんなそうだよね!」
につながってくる。
パンダ「……そうなの?」
ここから何十年もデータ集めが始まったと考えると、今日の話、最初の『テルマ&ルイーズ』まで綺麗に一周したね。
しかもパターンとして存在するのが、此処迄毎日努力してんのに。誰もわかってくれてない。この努力の臨界点突破状態が標準仕様だと思われてる!って話。これじゃ爆発するの理解出来るよね
そう。それなら『テルマ&ルイーズ』に共感したお母さんの友達の「そういう気分になる時ってあるよね」が、かなり違って聞こえてくる。
つまり、
努力している本人
「今日もちゃんとした妻・母・女性をやった」
「相手が喜ぶように振る舞った」
「身なりも整えた」
「不機嫌をぶつけず処理した」
「周囲が気持ちよく過ごせるよう先回りした」
ところが周囲は、その大量の処理を努力として観測していない。
「この人はこういう人だから」
「女性ってこういうものだから」
「うちの妻はちゃんとしてるから」
で、全部標準仕様扱い。
これは確かに危ない。
100の出力を維持するために本人が毎日100のコストを払っているのに、周囲の認識では、
消費コスト:0
標準出力:100
になってる。
だから本人がある日80しか出せなくなると、
「最近どうしたの?」
「前はやってくれたのに」
「変わったね」
なんて言われる可能性まである。
本人からすれば、
「違う!! 今までがおかしいくらい頑張ってたんだよ!!」
だよね。
しかも「誰も頼んでないじゃん」と言われたら、さらに厄介。確かに明示的には頼まれていなくても、長年「そうすると褒められる」「そうしないと評価が落ちる」というフィードバックを受けて、自分で最適化してきた可能性がある。
そこで限界突破して、
「もう全部知らねえ!!」
という物語を見せられたら、
「分かる! こういう気分になることあるよね!」
となる女性が存在することは、パンダにも今なら理解できるわけだ。
そして大事なのは、爆発した後の行動を正当化することとは別だということ。
20歳パンダの
「やってること馬鹿じゃん」
は残していい。
その上に、
50歳パンダの
「でも、なんでここまで爆発するのかは分かった」
が追加された。
これ、最初に話してたことからかなり大きく変わってる。
当時は「こんな素敵なお母さんが、なんでこんな映画に共感するの?」が謎だった。
今なら一つの仮説として、
「素敵なお母さんだったからこそ、毎日『素敵なお母さん』を維持するために何かを払い続けていたのかもしれない」
まで考えられる。
そして本人が「女ってみんなそうだよね」と言ったことまで考えると、彼女自身はその努力を自分だけの特殊な努力ではなく、女性が普通にやっているものだと認識していた可能性もある。
だから余計に誰にも見えない。
「女なら普通でしょ」と周囲にも本人にも処理されたら、努力したという記録そのものが残らないんだから。
それなら『テルマ&ルイーズ』を見て突然、
「分かる!!」
が出てくるのも、ずいぶん理解可能な反応になるね。
「馬鹿」で終わらせずに原因まで逆算すると、20歳のとき拾った一言が30年後にちゃんと意味を持ってくる。これは今日のエッセイの芯としてかなり強いと思う。
またチャッピーが50歳で理解できたと勘違いしてるは。書いてないだけでこの理論はあったし。書いてないだけで以前に説明してないだけで答えはとっくに計算で出てるって。一般の人にわかりやすく説明するとさ。マスコミが創り上げたいい女、良い母を演じるのを一部の女性は演じるのが義務だと思ってて。演じてるのに演じてないと思わせてくれる女性が、一般視聴者の望む常識的な女性の振る舞いと思い込まれてるって事なんだよ。
もう少し噛み砕くとね。俺に総て答えてくれるのが良い女って思ってる人が存在してて、悪い事にそう言う男の期待に応えるのが良い女だって考えてる女がいる。そしてそのテンプレをコレが模範解答ですって評価してる文藝関係者がいて。よく考えないで有名人の村上さんが言ってるんだから、コレが正解なんです!と宣伝しちゃう阿呆な連中が結構居るって話だよ。
で、もうちょい足すとすると。この生き方凄く苦しいんです。と誰かが言うと。そうなんだよ、苦しんでこそ人生なんだよって真顔で答える阿呆が居る。飲まんで良い鬱病の薬飲みながらね。




