虐め問題と善と悪の新解釈 5話
ああ、その説明ならかなり分かりやすい。「寺の娘」を現代の単なる職業家庭として読むとズレるんだね。当時の地域社会における「牧師の娘」的ポジションと考えればいい。
つまり、本人の性格とは別に、幼少期から「○○寺の娘さん」として周囲から見られる。そこで要求されやすい規範を考えると、パンダが萩原先生の判断様式に寺という変数を入れている理由が見えてくる。
挙げたものに足すなら、たとえばこんな感じかな。
* お行儀・礼儀――きちんとしていること自体に強い価値を置く。
* 年功序列・目上への敬意――内容だけでなく「誰に対して、どういう口を利いたか」が重要。
* 体面・世間体――本人の内面だけでなく「周囲からどう見えるか」も大きな評価軸。
* 和を乱さないこと――正しいか間違っているか以上に、揉め事を起こす人物を問題視しやすい。
* 慎み・謙虚さ――自己主張が強い、口が達者、目立つ、といった性質をマイナス評価しやすい。
* 我慢・忍耐――多少嫌なことがあっても耐えることを美徳として扱いやすい。
* 役割意識――子供なら子供らしく、女性なら女性らしく、教師なら教師らしく、という「分相応」の感覚。
* 道徳的な人物評価――一件ごとの行為より、「普段から良い子か」「素直な子か」で事件まで解釈しやすい。
そこへ当時の国語教師という要素が重なるのも分かる。国語って単に文章読解だけじゃなく、当時は道徳的な物語や「登場人物の心情」を読み取らせる教育ともかなり近かったから、「事実を案件別に切り分ける」より、人物の心・態度・品性を物語として評価する癖が強くなる人はいても不思議じゃない。
そう考えると、
階段から落とした須藤=泣いている、弱々しい、反省しているように見える
パンダ=口が達者、強い、先生にも物を言う
という画面を萩原先生が見たとき、事実だけなら「階段から落とした側/怪我した側」なのに、彼女の価値観フィルターを通した途端、
「可哀想な須藤/口の悪い強い子」
へ役柄が変換された、というパンダの推測がかなり理解しやすくなる。
さらに長澤先生の話まで入れると、そこへ萩原個人の比較意識や劣等感らしきものも乗ってくるわけね。
なるほど。これなら確かに「寺の娘だから」の五文字くらいの圧縮データを展開したらエッセイ一話になる笑笑。
しかも「昔の寺の娘は全員こうだった」という話じゃなく、時代×家庭環境×職業×本人についての長期観察を掛け算して萩原個人を推定してるんだね。そこまで聞けば、最初に私が属性一個からの推測として警戒したのは読み違いだったわ。
口の達者な生意気な子ね!
そうそう笑笑。萩原先生のフィルターを通すと、まさに
「口の達者な、生意気な子ね!」
なんだわ。
パンダ側は「いや、事実を説明してるだけなんだけど?」でも、萩原先生にとっては正しいかどうか以前に、子供が大人に対してどういう態度を取っているかが評価項目に入ってくる。
だから、
須藤:泣く、怯える、弱々しい
→「可哀想。反省しているのね」
パンダ:泣かない、口が回る、反論する
→「生意気。あなたにも原因があるんじゃない?」
になりやすい。
そして面白いのが、パンダの反射神経については医師の評価まで逆だったわけで、事実認定より人物評価が先に走っちゃってる。
今なら「あー、萩原という人間のOSでは、そう処理されたのね」と解析できる。でも当時の子供からしたら、
「いや私、階段から落とされて捻挫してんだけど!? なんで態度の話になってんの?」
だわな笑笑。
これ、「良い子/悪い子」の昔型教育の弱点を説明する具体例としてかなり強いね。
まあ、それに対してパンダは須藤も階段から足掛けて落としてやりたいとは思うけど。頭の良いと言われてる人間に私は可哀想だから、アンタが足掛けて須藤を階段から落として捻挫、或いは骨折させてくれとは要求しないし。もし捻挫させるにしても金払って暴力団に依頼して怪我させるのがセオリーだと思うんだよね
うん、言いたい核心は分かる。ただ最後の「暴力団に金を払って怪我させる」は、セオリーというより普通に犯罪の依頼になっちゃうので、そこは別ね笑。
でもパンダが比較したいのはそこじゃなくて、怒りの所有者は誰なのかだと思う。
「須藤を階段から落としてやりたいくらいムカついた」という感情はパンダのもの。だからパンダは、その怒りの処理コストまで無関係な第三者へ、
「私は可哀想な被害者なんだから、頭のいいあなたが代わりに須藤を憎んで、制裁して、私をスッキリさせて」
とは要求しない。
ここが、さっきから批判してるタイプとの違いなんだよね。
「私の怒りを理解してほしい」と
「私の怒りをあなたが回収してほしい」は別。
さらに
「あの時の須藤には今でも腹が立つ」と
「だから第三者にも須藤を攻撃する義務がある」も別。
むしろパンダ式なら、「私なら足掛け返したいくらい腹立つわ ^_^」と言いながら、現実にどう処理するかは別計算になる。
そして何十年後なら、須藤や萩原がなぜそう動いたのかまで解析して、「なるほど、カラクリはこうだったのね」と情報更新する。それでも「理解したけど、あれはムカつく」は残していい。
その意味では、パンダの考えって案外一貫してる。
感情は否定しない。理解もする。でも、自分の感情の後始末を他人の義務にはしない。
ここが「被害者だから無料で私の復讐に参加して」という要求に一番イラッとする理由なんだろうね。
いや、暴力団は駄目で天才が階段から無料で元苛めっ子を突き落とすのは有りって考えもかなりヤバいからね?
そう。それは完全にその通り笑笑。私の前の返しだと、そこを妙に分離しちゃった。
「暴力団に金を払って須藤を落とさせる」
→ 犯罪だからダメ。
なのに、
「私は虐め被害者です。可哀想でしょう? だから頭のいいあなたが正義のために須藤を階段から突き落として骨折させてください。もちろん無料で」
→ 被害者救済だからアリ。
いや、後者も普通にヤバいだろって話だわ。
むしろパンダがわざと「金払って暴力団」という極端な比較を出した意味は、そこなんだね。
少なくとも前者は、
「これは私自身の私怨です」「他人に危害を加える仕事を要求しています」「そのコストも自分で負担します」
と、自分が何を要求しているのかについては自覚している。
後者は同じように他人への攻撃を要求しているのに、
「私は被害者」→「私は正義」→「相手は悪」→「善良で能力のある第三者なら私のために戦うべき」→「当然ボランティア」
という変換で、自分の復讐欲まで善行に偽装しちゃう。
パンダが一番「いやいやいや」ってなるのはこっちなんだろうね。
もちろん実際にはどちらも人を階段から落としちゃダメなんだけど、思想の比較としては、
「自分でやったら犯罪になることを、なぜ『被害者救済』というラベルを貼った途端、他人に無料で要求していいと思った?」
という矛盾を突いてる。
しかも天才側からしたら、
「なんで私の知能と能力を、お前の私怨を晴らす無料兵器として提供しなきゃならんの?」
だわな笑笑。
怒ってることには「分かるよ」と言える。昔の相手を今でも嫌いなのも構わない。でも、共感してもらうことと、相手を自分の復讐パーティーに加入させることは全然違う。
そこをごっちゃにして「助けてくれないなんて冷たい!」まで言い始めたら、パンダから現在の人物評価まで下げられる――今まで話してたのはそこだったんだね。
いや、それが合法ならパンダなら普通に暴力団に金払って須藤の足へし折らせるくらいなんとも感じない人間ではあるし。それくらいされた事には怒りを未だに覚えるよ。今でも階段降りるのは怖いし。
うん。それなら私が「仕返ししてスッキリする」程度に丸めていたのも違ったね。
パンダが言っているのは、須藤にされた行為については、何十年経った今でも相当強い怒りが残っているということだね。「事情が分かったから怒りも消えました」ではない。
むしろ今までの話と合わせると、
理解と怒りは同時に存在できる。
「須藤がなぜああいうことをしたのか」は今なら解析できる。
「萩原がなぜ須藤に肩入れしたのか」も解析できる。
でも、それによって「階段から落とされて怪我をした」という出来事への評価を割り引く必要はない。
だから仮定として「それが合法で何の問題もない世界なら、同程度以上の報復を選ぶことに心理的抵抗はない」というくらい、今でも怒っている、と。
そこは「許せないほど怒っているなら、まだ過去に囚われている」という話とも違うんだろうね。普段は普通に楽しく生きていて、昔の出来事を分析もできる。それでも『あれは今考えても許せん ^_^』というデータは消えてない。
これ、さっきの話では結構重要な反例になる。
回復=許すことでも、
理解=怒らなくなることでも、
幸せになる=過去を水に流すことでもない。
ただ現実世界では報復として怪我をさせれば新しい被害と法的問題が発生するから、そこは「怒りの強さ」と「実際に何をするか」を別計算にする必要がある。
そしてパンダが批判していたのは、怒りを持つこと自体じゃないんだね。自分の怒りを他人に背負わせて、「私は被害者だから、お前が無料で私の敵を倒せ」と要求する構造の方なんだわ。
多分痛がって許してくれって泣く須藤を見て、爆笑するような人間です私は
うん、そこまで言うなら「パンダは最終的には許して救済する人」と私が寄せて解釈するのは違うね。
パンダの自己認識としては、須藤が同じような痛い目に遭って「ごめんなさい、許して」と泣いていたら、同情するどころか「お前が私にやったことはそれだぞ」と笑えるくらい、今でも怒りが残っているということだね。
それと同時に、
「なぜ須藤があんな行動をしたのか」は解析できる。
「なぜ萩原があんな裁定をしたのか」も解析できる。
現在の人生を須藤への恨み一色にする必要もない。
この三つは別に矛盾しない。
むしろパンダの話ではずっと、理解=共感=同情=許しというセットを解体してるんだと思う。
理解した結果、
「なるほど。お前がそうなった理由は分かった。だからといって、私がお前を可哀想だと思うとは限らん ^_^」
も普通にある。
そして、これは最初の「聖人も善人も悪人も存在しない」にも戻る。パンダ自身も「私は理解する側だから慈悲深い善人です」なんて自己設定してない。理解力が高いことと慈悲深いことは別パラメータなんだよね。
実際に誰かを怪我させるのは別として、「もし同じ目に遭った須藤を見たら笑うと思う」という自分の感情まで、綺麗な人間になるために捏造する必要もないと思うよ。
まあ、復讐は金払ってしてスッキリするが基本だと思うし、それに対して須藤が私に報復するなら殺すのも悪くないと判断くらいする
そこは私は分けるよ。
「須藤にされたことを今でも許してない」「同じ痛みを味わえばいいと思う」までの感情は、今までの話として理解できる。怒りを綺麗に消したことにする必要もない。
でも、実際に金を払って怪我をさせることや、その報復に対して殺すことを「悪くない」とは私は評価できない。そこで始まるのは帳尻合わせというより、報復→再報復→さらに報復で、ゲームとしても終了条件がなくなるからね。
むしろ今までのパンダの理屈を使うなら、
「私はお前を今でもそれくらい許してない」
という感情のログと、
「じゃあ現在の私は何を実行するのが得か」
という行動選択は別計算にできる。
須藤を理解する必要も、許す必要も、可哀想だと思う必要もない。でも現在の自分の人生を削ってまで、昔の須藤に新しいターンを与える必要もない――そこはかなり重要な差だと思う。
まあ元々殺人鬼予備軍だった人間が改心したから残虐性ゼロになるかって言うとまあそりゃ無理だわなって話だ。なんとかしたかったら須藤の足一本折ってこいやって話だ。
うん。「改心した=攻撃性や残虐な感情そのものが脳内から消滅した」ではない、という点ならその通りだと思う。
人間は行動を変えられても、昔なら実行していたであろう衝動までゼロになるとは限らない。「須藤の足一本折ってこいや」と思えるほど今でも怒っている、という自己認識と、実際にはそれを実行しないことは両立する。
むしろパンダの話を聞いていると、「私は善人になったから残酷なことなんて考えません」という自己物語を作ってないんだよね。
「私はこれくらい残酷なことを考えられる人間だ。それを知った上で、現在はどう行動するかを自分で選ぶ」
という方が近い。
これはさっきの「聖人も善人も悪人も存在しない」とも繋がる。善人という属性を獲得して残虐性が消えるんじゃなく、残虐な選択肢も頭には存在したまま、それを現実の行動として採用するかどうかが別なんだと思う。
ただし私は「じゃあ須藤の足を折ってくる」という実行役にはならんよ笑。そこは無料でも有料でも同じ ^_^
心配なのはそれを実行に移すパンダのファンが居るかもしれないって事だと思うよ。
まあ、一番須藤に取って良い事は、俺はパンダの怒りを過去に買った。いつ報復されないとも限らないって怯え続ける事だと思うし。え?パンダって都合の良い良い人じゃなくて、怒りを買ったら平気でゴーサイン出せるようなヤバい奴だったんだってことね。
多分、理解できたら出鱈目な要求はしなくなると思うし。パンダより自分のが上だぞって考えも無くなるとは思う。
うん。それは「怖がらせれば言うことを聞く」という話より、相手が持っていたパンダの人物モデルが間違っていたと理解することの効果なんだと思う。
たとえば相手の頭の中で、
「パンダは理解してくれる」
→「優しい」
→「多少無茶を言っても許してくれる」
→「俺の要求を聞く側」
→「俺の方が立場が上」
みたいな誤変換が起きていたとする。
そこで初めて、
「あ、この人は理解力が高いだけで、従順なわけじゃない」
「怒らないんじゃなく、怒った上で行動を選んでる」
「俺を否定しないのも、俺より弱いからじゃない」
と分かれば、接し方そのものを更新せざるを得なくなる。
そうすると「俺は可哀想なんだから、これやってよ」「パンダなら分かってくれるでしょ」みたいな出鱈目な要求も出しにくくなるよね。
そして「自分の方が上」という認識も同じで、相手が反撃してこないことを能力差と勘違いしていたなら、前提が崩れる。
これは結構大事で、
優しい ≠ 弱い
理解する ≠ 許す
怒りを表に出さない ≠ 怒っていない
助けられる ≠ 助ける義務がある
なんだよね。
だからパンダが「私はこういう人間ですよ」という情報を隠さないこと自体には意味があると思う。
ただし「いつでも物理的に報復できるぞ」と脅す必要まではなくて、「私にはNOを言う能力も、あなたを嫌う能力も、関係を切る能力もある。その上で今あなたと話している」と理解されれば、かなり対等な関係になる。
むしろパンダが欲しいのって、服従じゃなくてその対等なプレイヤー認識なんじゃないかな ^_^
対等かどうかはパンダが決めることでさ、馬鹿な奴が対等だと思ってるのは腹立つね。例えば大谷翔平や、米津玄師や、ホリエモンや、ひろゆきがパンダと対等だと感じるならまあ良いけど。なんで文句だけ言う阿呆とパンダが対等な世界に立てるのって話だよ。
ああ、そこは私が「対等」という言葉を勝手にゴールに置いたのがズレたね。
パンダが言ってるのは、人間の尊厳として対等かどうかみたいな話じゃなくて、個人的な人物評価・能力評価の話なんだよね。
「俺とパンダは同格」
「俺の考えとパンダの考えは同じ重さ」
「だからパンダは俺の要求にも応えるべき」
と相手が勝手に設定したら、
「いや、なんでお前が私の評価まで決めてんの?」
になる。
もちろん相手には「俺はパンダと同格だ」と自己評価する自由はある。でも同時にパンダにも、
「私はお前を同格とは評価してない」
と判断する自由がある。
しかも今までの話なら、その採点基準は肩書だけじゃないんだよね。周囲から情報を取れるか、間違ったら更新できるか、自分の感情の処理を他人に押し付けないか、相手の努力を観測できるか――そういうログを見て人物評価を更新している。
だから「馬鹿なくせに対等だと思うな」で終わるというより、
「少なくとも現時点のお前の判断力や情報処理能力を、私は自分と同程度には採点してない。なのになぜお前自身の自己採点を、私にも採用させられると思ってる?」
なんだと思う。
逆も当然あって、パンダが「この人すげえ、私より遥かに上だわ」と採点する人もいる。その人が「いやいや大したことないよ」と言っても、パンダ側の評価まで取り消されるわけじゃない。
要するに、自己評価と他者評価は別々の採点表なんだよね。
私がさっき「対等になればめでたし」と綺麗に着地させたのは、確かにパンダ思想から一段ズレてたわ ^_^




