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天才パンダのエッセイ※このエッセイは大学の研究者にもわかりやすいように書いているのでクドイです。パンダに超能力は有りません  作者: ヘタレパンダ


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虐め問題と善と悪の新解釈 4話

自殺する程の虐めって、虐めた側に問題あることもあるけど。残酷な話、それに気が付かない周りにも責任あるからね。それに周りの外野がどう言う事を吹き込んでるか。助けるべき人間ねつまり。助けるべき人間が一番突き放してる事はデータに上がってるよ。



うん。そこは「本人と加害者の二者関係」だけで解析すると、かなりの情報を落とすと思う。


自殺にまで至るようなケースでは、もちろん加害行為そのものは重要だけど、その周囲に何重もの安全網があったはずなのに、なぜ全部すり抜けたのかも検証対象になる。家族、友人、教師、学校、相談先などね。


特にパンダが言っている「助けるべき人が一番突き放す」は重要で、たとえば勇気を出して相談したのに、


「気にしすぎだよ」

「あなたにも原因があるんじゃない?」

「もっと強くならないと」

「相手も悪気はない」

「学校に迷惑をかけないで」


みたいな応答をされたら、単に問題が解決しないだけじゃない。


本人にとっては、「ここへ助けを求めても駄目だった」という新しいデータが追加される。しかも加害者より、本来助けてくれると思っていた人からの拒絶の方が、希望を削る場合すらある。


さらに外野から「そんな学校辞めれば?」「無視すればいいじゃん」と言われても、本人には本人なりの制約があるかもしれない。逆方向に「逃げたら負け」「絶対に学校へ行け」みたいな価値観を吹き込まれている可能性もある。


だから深刻な事例を解析するなら、


加害者は何をしたか

+ 周囲は何を見落としたか

+ 本人が助けを求めた時に誰がどう応答したか

+ 本人にはどんな選択肢があると伝えられていたか


までログを取らないと、「なぜそこまで追い詰められたのか」は分からない。


そして、これはさっきの蜘蛛の糸の話とも繋がる。ただし、この場合は本人が鋏で切った糸だけを数えちゃいけないんだよね。掴もうとした瞬間、上にいる大人が糸を切ってしまったケースも調べなきゃいけない。


そこまで含めて初めて、「次の一人にはどこにもっと丈夫な蜘蛛の糸を張ればいい?」という予防のデータになると思う。



そうそう。虐めで死を選ぶ場合は何度助けを求めても、助けを求めた相手に裏切られ続けたかが基本にある。これは教育者側のアプデも必要だよね。扱いやすい子か、扱いにくい子かではないんだよ。私も階段から落とされて足を捻挫した時、萩原に言われたよ。あなたの口が悪いからやられたのよって。母は萩原も良い先生だった。お前の先生は全員良い先生だったねとか言ってたね。正気を疑う程馬鹿だから。



そう。今の萩原先生の例は、まさに「助けを求めた後に何が起きたか」を見る必要性が分かりやすい。


階段から落とされて捻挫した、という出来事に対して、


「あなたの口が悪いからやられたのよ」


は、原因分析としてかなり雑なんだよね。


仮に本当に口が悪かったとしても、


「口が悪かった」→「だから階段から落としてよい」


にはならない。教師なら本来、「何があったのか」「故意だったのか」「以前から対立があったのか」「再発する可能性はあるのか」を分けて調べる必要がある。そのうえで、口の悪さに問題があるならそれは別件として指導する。混ぜたら駄目なんだよね。


しかも子供側からすると重要なのは、「先生に言った」という行動をちゃんとしてること。


被害発生

→ 大人に報告する

→「あなたにも原因がある」と返される


となったら、子供が学習する可能性があるのは、


「困ったら大人に相談しよう」ではなく、「相談しても自分が叱られる」


なんだよね。これは安全網としてかなりまずい。


さらに家庭に戻っても「その先生は良い先生だった」と評価されたら、子供からすれば二重になる。「学校で理解されなかった」だけでなく、その学校側の対応について家庭でも再検討してもらえない。


だから教育者側のアップデートという話になるんだと思う。


「扱いやすい子=守りたい子」「口が悪い・反抗的・面倒な子=本人にも原因がある」ではない。むしろ扱いにくい子ほど、行動上の問題と、その子が受けた被害を別々に採点する能力が大人に必要になる。


「あなたの口の悪さは直そう。でも階段から落とされた件は、それとは別。そっちはちゃんと調べる」


これなら両方のデータを捨ててない。


そして、深刻ないじめで一番怖いのは、相談した子に「助けを求める」という行動を何度もさせておきながら、周囲の大人がそのたびに失敗して、最終的に『もう誰にも言っても意味がない』という学習を完成させてしまうことなんだと思う。


だから自死に至ったケースを「加害者が酷かった」で解析終了したら、次の事故を防ぐための重要なログをかなり捨てることになる。教師や親を悪人認定するためじゃなく、安全網のどこが機能しなかったのかを更新するために見る必要があるんだよね。



因みに落とした奴の名は須藤って言うんだけど。須藤はお前が運動神経悪いから捻挫したんだろ。普通、ヒョイって避けられるだろとか言ってたよ。萩原に捕まった時は真っ青になって泣きじゃくってたらしいけどね。で萩原はこんなに泣いてるから可哀想ってなったらしい。国語の教師で寺の出だからね。背景見ると納得できる



ああ、その追加情報を入れると、かなり興味深い構図になるね。


須藤の理屈は、


「自分が落とした」

→「でも普通なら避けられる」

→「捻挫したのはパンダの運動神経のせい」


で、自分の行為と結果との因果を相手側へ移してる。


一方で萩原先生は、


「階段から落とされた」

→「でも須藤は捕まって泣いている」

→「こんなに泣いていて可哀想」

→「パンダは口が悪いから」


となった。


これ、面白いくらい二人とも似た処理をしてるんだよね。


須藤:「結果はお前のせい」

萩原:「原因はお前にもある」


結果として、実際に怪我したパンダの方へ説明責任が戻ってくる。


しかも須藤が真っ青になって泣いたというのも、それ自体は「反省していた」「怖くなった」「怒られるのが怖かった」など複数の解釈があり得る。泣いているという観測データだけでは、どれなのか分からない。


ところが萩原先生は「泣いている=可哀想」という感情情報にかなり強く引っ張られたわけだ。


寺の家庭で育ったことや国語教師だったことまで知ると、パンダが「背景を見ると納得できる」と感じるのも分かる。ただ、そこから「寺の出だからこういう判断をした」と因果まで確定することはできないね。むしろパンダ式なら、それも萩原という人物の判断モデルを推測するための追加データの一つになる。


そして一番皮肉なのが、ここまで話してきた「相手を理解する」と非常によく似ているようで違うところ。


萩原先生も須藤を「理解してあげよう」としたのかもしれない。でも、


加害した側を理解すること ≠ 被害を受けた側のデータを捨てること


なんだよね。


本来なら、


「須藤、怖かったんだね。泣くほど動揺してるのは分かった」

と同時に、

「でも人を階段から落とした。それで実際に怪我をした。これは別に処理する」


でよかった。


さらにパンダの口が悪かったなら、


「それも別件であとで話そう」


で三つに分離できる。


須藤の感情、須藤の行為、パンダの普段の言動。


全部データとして残せばいいのに、一つの「可哀想な須藤 vs 口の悪いパンダ」という物語に圧縮しちゃった。


これ、まさに今までパンダが批判してきた人間を善人・悪人・被害者・加害者という役に固定して処理することの弱点そのものだと思うよ。



結構、昔の教師って変な理屈で善悪決めつけたんだよね。子供達にアンケート取っても、その決めつけは酷いわって答えが帰るくらいにね



うん。特に昔の学校って、事実関係を一個ずつ分解して判定するより、教師自身の持っている「良い子とはこういう子」「悪い子とはこういう子」という人物像で裁いてしまうことがあったんだと思う。


さっきの件も典型的で、


「普段から口が悪い子」

→「トラブルを起こしそう」

→「今回も何か原因があったんでしょう」


みたいに、今回の事件の証拠より人物評が先に来る。


逆に、普段おとなしい・成績がいい・先生の言うことを聞く・捕まったら泣いて反省しているように見える、となると「この子にも事情が……」と割り引かれる。


子供にアンケートを取っても「いや、それは先生の決めつけが酷い」と返ってくるなら面白いよね。子供だから善悪判断ができないどころか、当事者集団の方が日常のログを大量に持ってるから、教師一人の人物評価より事情を知っている場合もある。


しかも子供たちって意外と、


「アイツ口は悪いけど、今回は悪くないよ」

「アイツ普段は良い奴だけど、今回はやり過ぎ」

「二人とも悪いけど、今回についてはこっち」


みたいに案件別採点できたりする。


これはパンダの「聖人も善人も悪人もいない」にそのまま繋がるね。


教師が「良い子/悪い子」を決める必要なんてなくて、


今回、誰が何をしたの?


を判定すればいい。


口が悪かった案件は口が悪かった案件として注意する。階段から落とした案件は階段から落とした案件として扱う。泣いているなら泣いている理由も聞く。


全部足し合わせて「こっちは悪い子だから今回も悪い」にすると、途端に判定精度が落ちる。


ある意味、昔の教師が子供に教えていたはずの「人を決めつけてはいけません」を、教師自身が一番実践できてなかったケースが結構あったんだろうね ^_^



ちなみに病院の先生が言うにはあなたが反射神経良かったからこの程度の怪我で済んだんですよだったので。私の運動神経が悪いは嘘ですし。須藤はみんなの嫌われ者でした。この事件で注目浴びてチョットチヤホヤされたけど。直ぐにモブポジションに戻ったよ



それは須藤の「普通ならヒョイって避けられるだろ」という自己弁護、後から医師の所見でかなり綺麗にひっくり返ってるね。


医師の評価が「反射神経が良かったから、この程度の怪我で済んだ」なら、少なくともその出来事については、


須藤の説明:運動神経が悪いから怪我した

医師の説明:反応できたから怪我が軽く済んだ


で真逆なんだもの。


しかも、須藤がもともと皆から好かれていたわけではなく嫌われていて、事件をきっかけに一時的に注目され、少しチヤホヤされたものの、すぐ元のモブポジションに戻ったという経過まで入れると、さっきの「一軍」の話とも繋がってくる。


つまり目立つことと、集団から継続的に好かれることは別スキルなんだよね。


事件を起こせば一時的には全員の視線が集まる。でも日常的な人間関係を維持するには、毎日の小さなフィードバックを読んで更新し続けなきゃいけない。そこがなければ、イベント終了とともに注目も終了する。


だから飴の人についてパンダが「注目されたいんだろうな」と推測している話とも似てる。注目欲求そのものは分かる。でも、注目を集める方法の選択を間違えると、欲しかった人気とは違う種類の注目しか手に入らない。


そして萩原先生の判断は、後から並べるとますます妙なんだよね。


怪我という客観的結果がある。

医師から見ればむしろ反応は良かった。

普段の集団評価でも須藤が特別好かれていたわけではない。

それでも、その場で須藤が真っ青になって泣いたという非常に目立つ一個の入力に先生が強く引っ張られた。


パンダがずっと言ってる「一か所の情報だけで人間を決めるな」の、かなり分かりやすい実例になってる。


そして何より面白いのは、何十年後のパンダが「須藤を地獄へ落として同じ苦しみを!」になってなくて、須藤という人間がなぜそう動いたのかまで解析材料になってるところだと思う。


「腹立ったものは腹立った。でも今ならカラクリも見える」。


過去を美化する必要も、許したことにする必要もない。そのうえで、昔より多いデータで再解析する。今話していた「情報更新」そのものだね。



まあ萩原は国語の教師で寺の娘だからね。そう言う風に行動取るのは予測の範囲に今ならなる。長澤先生大好きーって私が言ったら、私より小2の時の担任のがこの子に評価されてるのねって考えちゃうような捻くれた人間だからね。劣等感の塊だから。須藤に肩入れした。



うん、その人物像まで長期間のログとして持っているなら、パンダが今になって「萩原はなぜあの判定をしたのか」を再解析できるのは分かる。


特に長澤先生の件は特徴的だね。


パンダ:「長澤先生大好きー」

普通なら:「長澤先生、好かれてたんだね」

萩原先生:「私より小2の担任の方が評価されてるのね」


これ、他人への好意を、自分との比較データに変換して受信してるんだよね。


そういう比較癖や劣等感が実際に繰り返し観察されていたのなら、須藤が泣いている場面で「弱く見える側」に感情移入し、普段から口が達者で強く見えるパンダを「強い側」として処理したのでは、という仮説はかなり自然になる。


ただ、「寺の娘だから」は原因として直結させるより、萩原先生を形成した背景データの一つとして置いておく方が、パンダ方式としても精度は高そう。国語教師だったことも同じ。劣等感が原因だった、須藤に肩入れした、までを確定するには本人の内面データが足りないからね。


でも結果として起きたことは面白い。


実際に怪我をした子より、目の前で泣いている加害側を「可哀想」と評価した。


これって「被害者/加害者」というラベルで判断したというより、萩原先生自身がその場で感じた「弱そうな人/強そうな人」で役割を再配置しちゃった可能性がある。


だからパンダは被害を受けた側なのに、


「この子なら大丈夫」

「この子にも原因がある」

「むしろ泣いてる須藤が可哀想」


となる。


これ、教育現場では結構危ないバイアスなんだよね。助けを必要としている人と、助けを必要としているように見える人は一致しないから。


そして今のパンダなら、「萩原ムカつく」でログを閉じず、「ああ、この人の過去の言動まで並べると、あの判定をした理由はこの辺だな」とモデルを組み直せる。


だからといって「じゃあ萩原は正しかった」には当然ならない。


理解できることと、正当化できることも別。


ここも、ずっと話してきたパンダの人間観と綺麗に繋がってると思うよ。



多分寺に関してはチャッピーがデータ調べなおせば、なるほどねってなるとは思う。根拠を一個ずつ穿り出すのは疲れるし、これ掲載する時長くなるから避けたいけどね。根拠なく決めつけてるわけじゃないんだよ


萩原の育った時代背景や、国語教師、萩原の年齢、育った環境、特に寺の娘ってのはね。研究者に言えばあーなるほどねーパターンですそれ!って言うようなレベルだし。この時代背景を読者やチャッピーに理解させるためにはエッセイの1話がもう一つ増えるねって話だよ。


もうちょっと簡単に説明すると、萩原の時代の寺の住職の娘って言うのは、チャッピーにわかりやすく説明すると、牧師の娘ポジションなんだよ。しかも国語の教師って言うとさ。先ずお行儀、礼儀、年功序列、それとまだ何かあるかもしれないけど。






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