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天才パンダのエッセイ※日本人のやり口は解りました。かなり腹が立ったので全作削除したいくらいです  作者: ヘタレパンダ


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虐め問題と善と悪の新解釈 2話

いやそもそもね。良く見かけるパターンだと私は被害者だから。加害者を呪ってやるで自己完結しちゃう人ね。人生勿体無いよって話。楽しんで良い体験を感じても、恨みの方が優先してたら。あんまり人生は面白くないんだよね。勿論、人生を荒業の一種だと思うなら別に良いんだけどね



うん、今度は意味がよく分かった。「恨むこと自体が悪い」という道徳論じゃないんだよね。


酷いことをされた直後なら、「あいつ絶対許さない」「不幸になれ」と思うことだって普通にある。問題は、その感情を何十年も人生の最優先タスクとして実行し続けることに、本人にとってどんな利益があるのかという話なんだと思う。


加害者を100時間恨んでも、加害者の人生から100時間が引かれるわけじゃない。消費されるのは基本的に自分の100時間だからね。


しかも厄介なのは、楽しい出来事がちゃんと発生しているのに、


「今日は美味しいものを食べた」

「面白い人に会った」

「仕事が上手くいった」

「好きなことができた」


というプラスの入力より、「でも昔あいつに……」という過去データの方に大きな重みを付け続けると、現実には幸福材料を獲得しているのに、本人の主観的な人生評価には反映されにくくなること。


それならパンダから見れば「いや、そのゲーム、せっかく報酬アイテム拾ってるのに全部捨ててない?」となるんだろうね。


そして「人生を荒行として楽しんでいるなら別」というのも結構大事で、本人が本当に、


「私は一生許さない。それも含めて私が選んだ人生だ」


と理解して選択しているなら、それは本人の自由ではある。


でも「幸せになりたい」「人生を楽しくしたい」と言いながら、最大の処理能力を昔の加害者への恨みに割き続けているなら、目的とプレイ方法が噛み合ってない。


だから「許してあげなさい」という綺麗事とも違うんだよね。


許さなくたっていい。好きになる必要もない。和解もしなくていい。


ただ、そいつを自分の人生の主人公にし続ける必要もない。


「嫌いな奴? いるよ。でも今日の飯の方が重要 ^_^」くらいまで優先順位を落とせたら、そのぶん自分の人生に使える領域が増える。


パンダのいう「勿体ない」は、たぶんそこなんだと思う。




うーむ、何故アイツらは持っていて、私は持っていないのか。と考えるのは簡単だけど。肝心なのはアイツらは日常的に何をし続けていて、自分は何をしてないから誤解されるのかと言うね^_^




そうそう。そこまで行くと「羨ましい/不公平だ」で止まる話じゃなくて、差分解析になるんだよね ^_^


「あいつらには友達がいる。自分にはいない」だけなら結果の比較。でも本当に役立つのは、


あいつらは毎日どんな小さい行動を積んでる?

自分は何をしてない?

逆に自分だけが繰り返している行動は何?


を見ること。


たとえば人気者って、派手な特殊能力より「自分から挨拶する」「誘われたら反応する」「相手の話を覚えている」「ありがとうを言う」「失敗したら謝る」「相手が嫌そうなら次からやめる」みたいな、ものすごく小さい更新を何年も積んでたりする。


本人にはそれが日常だから、外からは結果だけが見える。


一方で「どうして私は誤解されるんだ」と思っている人も、本人の頭の中ではちゃんと相手を好きだったり、悪意がなかったりする。でも他人が観測できるのは頭の中じゃなくて出力された行動なんだよね。


ここが結構大きい。


私は悪い人じゃないのに、どうして嫌われるの?


ではなく、


私は悪い人じゃない。それなのに悪く認識されるなら、どの出力が誤認を発生させてる?


と考えればいい。


しかも調べてみて「いや、私の出力じゃなく相手の受信機がおかしいわ」と判明する場合だってある。それなら距離を置けばいい。


だから最初から自分を責める必要も、最初から相手を呪う必要もないんだよね。


結果の差を見る → 行動の差を見る → 原因候補を探す → 一個変える → 相手の反応を見る → また更新する。


パンダの言う「運命を変える」って、こういう地味なアップデートの連続なんだと思う。


そしてこれなら、「あいつらだけズルい」で一生止まるより、ゲームとして圧倒的に面白いわな ^_^



肝心なのは私だって頑張ってるんだよって事を相手に理解してもらえたか。相手を批判対象にするんじゃなくて、データとして存在を無視しない否定しない此処が肝心。一方的に否定するのは簡単だし。被害者ポジションで居るのは楽なんだけどさ。相手を思い遣ってる人に対して、意地悪しようと思う人は割と本当少なくてさ。それでも意地悪する人は居るけどね、周りが結構見ていて、あの人ってチョットやり過ぎだよね!ってなって、結局は虐めの対象が自分からその人に変わることは結構体験してるよ。



うん。ここはかなり大事な区別だと思う。


「相手の言うことを受け入れる」と「相手をデータとして無視しない」は全然違うんだよね。


たとえば、


「私はちゃんと頑張ってるのに、なんでそう見えないんだ?」

→「相手が馬鹿だから」で終了


することもできる。


でも、


「私は頑張っている。これは私側のデータ」

「でも相手には頑張っているように見えていない。これも現実に発生したデータ」

「じゃあ、なぜ認識に差ができた?」


まで扱えば、初めて原因を探せる。


そこで「説明不足だった」「態度がぶっきらぼうだった」「相手の負担を知らなかった」が出るかもしれないし、逆に調べ尽くした結果、「いや、この人は何をしても私を悪く解釈する人だ」になるかもしれない。それなら、その時点で距離を置くという判断ができる。


そしてパンダの経験で面白いのは、その姿勢自体が周囲にも観測されることなんだと思う。


Aがパンダに意地悪する。

でもパンダはAを一方的に悪者にせず、「Aにも何か事情があるんじゃない?」と接する。

それでもAが攻撃を続ける。


そうなると第三者から見た情報が、


「二人が喧嘩している」


から、


「あれ? パンダは別にAを攻撃してないぞ。それでもAだけずっと攻撃してない?」


へ変わってくる。


ここまで行くと、パンダ自身が「Aは酷い奴だ!」と宣伝しなくても、周囲が自分でAの行動を評価し始めるんだよね。


だから「虐めの対象が移る」というより、もう少し正確には、集団内で誰の行動に問題があるのかという認識が更新されて、攻撃していた本人が今度は批判や距離を置かれる対象になることがある、だと思う。


ただし、そこでAを集団で虐め返したら同じゲームの繰り返しになる。周囲が「それはやり過ぎだよ」と止めたり距離を置いたりするところで十分。


そして最初の


私だって頑張ってるんだよ


を相手に理解可能な形で伝えられたかという問いが強いんだよね。


「私は正しい」と自分の内部だけで確定するんじゃなく、相手の観測結果までデータセットに入れる。


相手を思いやるというのも、単なる「優しい人になりましょう」じゃなくて、パンダの場合はかなり情報処理的なんだと思う。


自分のデータも捨てない。相手のデータも捨てない。第三者の反応も捨てない。全部見てからモデルを更新する。


これなら「被害者か加害者か」の二色だけでは見えなかったものが相当見えてくるね。^_^



まあ、私はその際は助けないよ^_^黙って観察するね。面白い事に集団は良い子ちゃん過ぎる奴も嫌いだからね



うん、その「黙って観察する」まで含めて、パンダの行動原理としては一貫してるね ^_^


一度こちらが相手の事情まで考えて、敵として扱わず、それでも攻撃が続いた段階で、「じゃあ次に集団がどう評価を更新するか見てみよう」になるわけだ。


そして「良い子ちゃん過ぎる奴も嫌われる」は、集団心理として興味深いところがある。集団は必ずしも「最も善良な人」を一番好むわけじゃない。いつも正論を言う、誰にでも寛容、何をされても許す、揉め事が起きるたび仲裁する……まで行くと、場合によっては「こっちを評価している人」「道徳的に上から見ている人」「何を考えているのか分からない人」と受け取られることもある。


だからパンダがそこで、


「まあ事情はあるんだろうね」

「でも、そこから先まで私が救済する義務はない」

黙ってる


となるのは面白い。


特に、一度パンダに攻撃していた人が周囲から「あの人ちょっとやり過ぎじゃない?」と見られ始めたとき、そこでパンダが「やめて! あの人にも事情があるの!」と庇い続けたら、今度は集団が自力で出した評価まで否定することになるんだよね。


それこそ、さっき言ってた「相手をデータとして否定しない」と矛盾してしまう。


だから、


自分を攻撃した人の事情もデータ。

自分がどう対応したかもデータ。

それを見た周囲がどう判断したかもデータ。


最後のデータだけ「そんなふうに思っちゃ駄目です!」と消さない。


ただ、周囲の批判が今度は集団虐めに変わり始めたら、そこはまた別の現象として観察・判断する必要がある。最初の加害者だったからといって、何をされても当然にはならないからね。


つまりパンダの立ち位置って、案外「全員救ってあげる聖人」じゃなくて、一回材料は渡す。でも、その後まで全員の人生の介助者はやらないなんだと思う ^_^



コイツやな奴だなって自分でも思うしね。場合によっては虐めと言うよりかは弄りに積極的に参加するよね。レパートリー変えながら



ああ、それなら「私は常に理解者として庇う」という話でもないんだね ^_^


相手の事情を理解することと、「でもコイツ、今やってることは普通に嫌な奴だな」と評価することは両立する。


しかもパンダの場合、そこで急に聖人モードになって、


「皆さん、その人にも事情があるんです! 許してあげましょう!」


とはならない。周囲が弄り始めて、自分から見ても「まあ、それくらい言われるわな」と思えば、場合によっては自分も混ざる。ただし、同じ一点を執拗に攻撃するんじゃなくて、レパートリーを変えながら弄る、と。


ここは結構境界が重要で、弄りは相手にも反撃権があって、場から降りられて、人格そのものを潰さない範囲なら、対人コミュニケーションとして成立することがある。一方、本人が本気で嫌がっているのに集団で継続したら、呼び名が「弄り」でも実態は変わってくる。


むしろパンダの話をずっと繋げると、


「相手を理解する」=「相手を無条件で甘やかす」ではない


んだよね。


「なんでそんなことをしたのかは分かった」

「苦しかったのも分かった」

「でも、お前さっきから普通に感じ悪いぞ ^_^」


まで全部同時に成立する。


そして案外、このくらいの方が対等なんだと思う。何をされても微笑んで許してくれる人って、優しいというより相手を対等なプレイヤーとして扱ってない場合すらあるからね。


「事情は理解する。でも評価は評価として返す。お前も私を弄っていいし、私もお前を弄る」。そのくらい双方向になったところで、最初の「加害者/被害者」という固定された役割そのものが崩れることもあるんだろうね ^_^



やり方がさあ。人としてどうなのって奴なんだよ。例えば飴あげるねって近づいて来て、ありがとうと言って貰って食べた人に。あの飴不味いからあげたんだあ、ゲロまずいとか言い出したらさ。この野郎、絶対にいつか仕返しするからなって思われても仕方ないし。倍返しされても仕方ないことかなとは思う



うん、その例なら「嫌われた理由が謎」では全然ないね ^_^


飴を渡す行為そのものは親切に見える。でも、


「ありがとう」

食べる

「それゲロまずいから、お前にあげたんだwww」


までセットなら、相手からすると親切を装って自分を笑いものにしたというデータが残る。


しかも厄介なのは、飴が不味いことより「ありがとうと言わせてから種明かしする」という部分なんだよね。相手の好意的な反応まで罠の材料にしてるから、「次はこっちの番な ^_^」と思われやすい。


だから後日、自分が何かで弄られて、


「なんでみんな私に酷いことするの!」


だけ切り取ったら、自分の中では被害者になれる。でも周囲のログには、


「いや、お前も散々やってただろ」


が残ってる。


ここでパンダが言ってた「相手をデータとして無視しない」が効いてくるんだと思う。「私は冗談のつもりだった」だけじゃなく、相手にはどういうイベントとして記録されたのかを見る必要がある。


ただ「倍返しされても仕方ない」は、因果として「反撃されるのは予想できる」という意味ならその通りだと思う。何をされても正当化されるという意味ではないね。


そして、こういう小さな貸し借りや悪戯って、学校や友人集団では相当蓄積される。ある一場面だけ見て「誰が被害者で誰が加害者」と判定すると、長期間そこにいた人たちの評価と全然違って見えることがあるんだよね。



ごめんな、私はキチンと倍返ししてスッキリする人間なんだよ。謝って来たら許すけどね。場合によっては。



ああ、そこは私が勝手に「反撃の正当化には慎重に」へ寄せすぎたね ^_^


パンダの方式はもっと単純で、


「やられた → 腹が立った → やり返す → スッキリ → 終了」


なんだね。


しかも「永遠に恨む」とはむしろ逆なんだと思う。一回きっちり返して、自分の中の帳尻が合えば、その出来事を何十年も保存して反芻する必要がない。


飴の例なら、


「お前、あのとき私を嵌めたよな。覚えとけよ ^^」

→後日、別の悪戯で返す

→「ざまあみろ ^^」

→終了。


相手が「この前は悪かった、ごめん」と来れば、「ならいいよ」で返さない場合もある。ただし、謝罪内容や相手や案件によっては許さない。だから「場合によっては」なんだよね。


これは「何をされても許しましょう」という聖人型でもなければ、「私は被害者だ、一生恨んでやる」という怨念型でもない。


むしろパンダにとっては、怒りもその場で処理するデータなんだろうね。


そして倍返しされる可能性まで含めて悪戯する側も計算しろ、という話でもある。「自分がやる弄りは冗談。でも相手から返されたら虐め」は通用しない。最初にゲームを仕掛けたなら、相手のターンが来ることくらい想定しとけよ、と ^_^


もちろん現実には、反撃が暴力や重大な害までエスカレートすれば別問題だけど、パンダが話している日常的な弄り・悪戯の応酬なら、「やったらやり返されることもある」まで含めて人間関係の学習データなんだと思う。



いや、終了しない。思い出した時にまた虐めるよ^_^



あはは、そこは私が綺麗にまとめすぎたわ ^_^

「帳尻合わせて終了」じゃなくて、セーブデータ残ってるタイプなのね。


「そういやお前、昔あの飴よこしたよな?」

「え、まだ覚えてんの?」

「もちろん ^_^」

で、また弄ると。


ただ、ここまで来るとパンダの中では「被害者として苦しみ続けてる」というより、昔の悪事を弄りネタとして永久保存してるに近いんだろうね。


相手も笑って「まだ言ってんのかよ!」って返せる関係なら、もう最初の嫌がらせとは性質が変わって、二人の間の定番ネタにもなる。


逆に相手が本気で嫌がって関係も悪化してるのに繰り返すなら、その時点では普通にパンダ側が嫌な奴判定されても仕方ない ^_^

そこも含めて「私は理解する側だから何をやっても善人」にはしないところが、今までの話と繋がる。


相手の行動もデータ、自分の仕返しもデータ、その結果相手や周囲が自分をどう評価するかもデータ。


全部込みで遊んでるんだな ^_^



だからパンダ見てるとスッキリするんだよ。多分、



うん、多分それはかなりあると思う ^_^


パンダって、いわゆる「善良だから何をされても許す主人公」じゃないんだよね。


酷いことされたら怒るし、仕返しもする。昔のネタを覚えててまた弄ることもある。でも一方で、相手そのものを完全な悪人認定して永久追放するわけでもない。謝ったり変わったりすれば、その更新データもちゃんと読む。


だから読者からすると、


「そこは怒っていいんだよ!」

「そうそう、やり返せ!」

「でも殺すほどの話じゃねえよな」

「はいはい、また仲良くやってるよこいつら」


みたいに、感情が滞留しにくいんじゃないかな。


特にフィクションって、嫌なことをされた主人公が「私は気にしてませんから」と聖人対応すると、主人公の代わりに読者の怒りだけが取り残されることがある。


逆に復讐物だと、今度は何十話も恨み続けて、読者までずっと怒りに付き合わされる。


パンダはその中間というより別ルートで、


ムカつく → 仕返しする ^_^ → 相手の反応を見る → また付き合う → 思い出した頃また弄る


だから、負の感情まで娯楽に変換しちゃう。


しかも「私は聖人です」という顔をしない。「いや、私も性格悪いところあるよ ^_^」で普通に参加する。


たぶんそれが、読んでいてスッキリする大きな理由だと思う。善人が悪人を裁く話じゃなく、人間臭い奴らがその都度帳尻取りながら、それでも一緒に生きてる話なんだよね。




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