↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天才パンダのエッセイ※書いた本人ですら目がチカチカして読み直し出来ないのにスマホで読んでる君はある意味天才!鬱病の解説  作者: ヘタレパンダ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

844/904

虐め問題と善と悪の新解釈 1話

小川先生の

「加害してきた人が更生して立派に生きているのは、被害者からしたら辛い」

という感情自体は分かるんだけど、れもんいえろーさんはそこから一段先を見てるんだよね。


特にここ。


「負けてる前提の人生に決めつけるのは虐めてる人より酷い」


かなり重要だと思う。


「あなたは被害者だから、一生その傷を背負って、加害者より不幸でいるはずだ」という物語を外側から固定してしまったら、それも結局、本人の人生を勝手に定義してることになる。


しかも、


加害者が成功した=被害者が負けた


というゼロサムゲームでもないんだよね。


被害を受けた人自身がその後楽しく暮らして、「あいつ? 昔は嫌な奴だったけど、今まともになったならまあいいんじゃない?」と思えるケースだって当然ある。逆に、何十年経っても許せない人もいる。それも本人の自由。


だから本来は、


「被害者ならこう感じるはず」まで第三者が決めない


のが一番大事なんだと思う。


れもんいえろーさんの「成功してれば、そうなってもそんなに辛くないし。勝ったなって思えるんだけどね」は、被害者を永久に「傷つけられた側」に閉じ込めない発想なんだよね。


むしろ「お前に昔何されたかは覚えてる。でも私の人生、その後めちゃくちゃ面白くなったからな ^_^」まで行けたら、相手の現在がどうであれ自分の人生の主導権は取り戻してる。


もちろん全員がそこまで行けるとは限らない。だからこそ、「辛いに決まってる」も「許すべき」も、どちらも他人が決めることじゃないんだと思うよ。



あくまでも君には選択ルートが二つ用意されているってゲームなんだけど。二つのルートの内一つしか掲示しないのは一般人ならありだけど。医学を志す人間としては合ってはならないかなと



そういう意味なら、さっきの画像の論点もかなりはっきりするね。


パンダの言う「二つのルート」は、たぶんこういう構造だよね。


1. 被害経験に強く影響され続けるルート

「相手だけ成功しているのが辛い」「今でも許せない」。これは当然あり得るし、その苦痛を否定してはいけない。

2. 被害経験を自分の人生の中心から外していくルート

「私は私で成功した」「もう相手がどう生きようが関係ない」「むしろ私の勝ちだと思える」。これも十分あり得る。


どっちを選ぶか、あるいは途中でルート変更するかも本人次第なんだよね。


だから一般人が自分の経験から「被害者からしたら辛いよ」と言うなら、まあ一つの感想として分かる。


でも医療者が語る場合は少し意味が変わる。「被害者とはこういう心理になるものだ」と一つのルートだけを標準モデルのように提示すると、患者自身が持っている回復可能性や別の適応の仕方を見落とす危険がある。


医学・心理支援で重要なのは、本人に「許せ」「忘れろ」「成功して見返せ」と別ルートを強制することでもない。逆に「あなたは被害者なのだから、加害者の成功を見たら辛くて当然」と固定することでもない。


つまりパンダのゲームの喩えなら、


医療者の仕事は攻略ルートを一本に決めることではなく、「少なくとも別ルートも存在する」と知ったうえで、その人が現在どこにいて、どちらへ進みたいのかを見ること。


ここだと思う。


しかも「現在はルート1だけど、数年後にはルート2」ということもある。人間の心理を固定値じゃなく変化する状態として扱うという意味でも、医学を志す人なら一つしか掲示しないのは確かに雑だと思うよ。



でも虐め論を語る人には残念ながら失敗ルートに留まる人間も多いんだよ。ネットの中では虐められたから被害者、可哀想な僕は立ち上がれない誰か優しくて美人で胸の大きいお姫様が助けてくれたら良いのになで自己完結してる人が多いんだよね。まあ、ハッキリ言ってイライラっと来る人間だよね。他所から見てると



うん。そのタイプにイライラする理由は、単に「弱っている人が嫌い」ではないんだと思う。


パンダが引っ掛かってるのは、被害者であることを「現在地」ではなく「永久ステータス」にしてしまう構造なんじゃないかな。


虐められた。

→だから自信がない。

→だから行動できない。

→だから人生が上手くいかない。

→だから誰かが救ってくれるべき。

→救ってくれる人が現れない。

→やっぱり自分は被害者だ。


これだと完全にループになってる。


しかも「優しくて美人で胸の大きいお姫様が救ってくれる」まで行くと、救済する側にはものすごい能力や献身を要求するのに、本人の行動コストはゼロという、かなり都合のいいゲーム設計になっちゃう。


ただ、ここは一個分けた方がいいと思う。立ち上がれない時期が存在すること自体は失敗じゃない。 本当にダメージが大きければ、しばらく動けない人だっている。


問題になるのは、


「今は動けない」→回復途中


と、


「虐められたんだから、俺が動けないのは当然。誰かが俺を幸せにするべき」→自己完結した世界観


を同じものとして扱うことだと思う。


前者には休養や治療や周囲の支援が必要かもしれない。後者については、支援だけ増やしてもループが強化される場合がある。


だからさっきの医療者の話にも繋がるんだよ。


「虐められた人は、その後もこんなに苦しいんです」という失敗ルートだけを社会に提示し続けることには副作用がある。


「そうなる人もいる。でも、そこから回復して、仕事したり恋愛したり遊んだり成功したりして、昔の加害者なんかどうでもよくなる人もいる」


という成功ルートも同時に見せないと、


「被害者であること」と「一生被害者として生きること」が混同される。


パンダが「二つとも掲示しろ」と言ってる意味はそこなんだと思う。成功ルートを強制するんじゃなく、出口の看板まで撤去するなってことだね。



そもそもさ。自分の運命はじぶんでかえてやるって人虐めても面白くないらしくてさ。虐めが一瞬起きても、なんだ勘違いお前結構良いやつだったのな。意地悪してごめんなさいってのが、パンダが経験したリアルのパターンなんだよね



ああ、それならパンダが「虐められた人=その後もずっと傷つけられた側」という一本線の説明に違和感を持つのは、かなり自然だね。自分の実体験では別ルートを何度も見てるわけだから。


パンダのパターンって、


攻撃される →「じゃあ私が負け役になる」というゲーム自体を受け入れない → 普通に相手と接する/自分の行動を続ける → 相手側の認識が更新される →「あれ、思ってた奴と違った」→ 関係が正常化する


だったんだと思う。


これ、興味深いのは「虐めに屈しなかったから相手を叩き潰した」じゃないところなんだよね。


最終的に相手が


「なんだ、勘違いだった。お前けっこう良い奴じゃん。意地悪してごめん」


になる。


つまり敵を倒したんじゃなくて、敵という関係そのものが消えてる。


ただし、これは「強気なら虐めは必ず止まる」という一般法則にはできない。集団化した虐めや権力差の大きい虐めだと、本人の態度だけでは止められないケースも当然ある。


だからこそ二択どころか、本当は医学的にはもっとルートを持っておくべきなんだろうね。


「自力で関係をひっくり返す人」「環境を変えて回復する人」「第三者の介入が必要な人」「長期間のケアが必要な人」……いろいろいる。


その中で「虐められた以上、傷は一生残り、加害者が幸せならあなたは苦しいはず」だけを代表ルートにしてしまうのがおかしい、という話なんだと思う。


パンダの経験はむしろ、「被害を受けた」という過去の事実と、その後どんな人生になるかは別変数だという実例なんだよね。



集団虐めをチャッピーは勘違いしてるようだけど。あくまでもテレビのニュースに上がるような虐めはさ、目立ってはいるけど。存在は僅かな物なんだよ。勿論、自分が悪化させる可能性は存在するけどね。虐めていてもっと虐めたくなるリアクションと、虐めるのアホらしくなるリアクションって存在すると思うし。虐めてきた奴が何が原因で、何が不満で、どう苦しんでるかまで考えちゃう人間に甘えたくなることはあってもさ。あんまり虐めてやるってならない物なんだよ。心理学的に見るとね。悪い連中だ、俺は許さないとか決めつけられたらそりゃ腹も立つよ。



うん、そこは私の前の言い方が「集団いじめ=強固な集団から一方的に攻撃され続けるケース」に寄りすぎてた。


パンダが言ってるのは、もっと日常的な相互作用の話だよね。いじめ行動って、加害側だけで完全に閉じた現象ではなく、相手の反応・周囲の反応・そこで得られる報酬によって、その後の行動が変わることがある。


たとえば、からかう→相手が強く動揺する→周囲が笑う、となれば、「これをやると面白い反応が返ってくる」という強化が成立することがある。逆に、期待した反応が返らない、周囲も乗らない、あるいは普通に話してみたら「思っていたような嫌な奴じゃなかった」と認識が変われば、攻撃行動の報酬そのものが消えることもある。


さらにパンダのケースは一段違っていて、


「なんでこいつは私にこんなことをするんだ?」


と相手を観察対象にしてしまうんだよね。


すると「怖い加害者/怯える被害者」という役割関係が成立しにくい。相手の不満やコンプレックスまで理解して普通に接すると、場合によっては相手からすると「こいつを攻撃しても面白くない」どころか、「こいつには話せる」「こいつなら自分を分かってくれる」へ反転することすらある。


だから、


攻撃 → 被害者化 → さらに攻撃


だけじゃなく、


攻撃 → 分析・予想外の応答 → 加害側の認識更新 → 攻撃する意味がなくなる → 関係再構築


という経路も実際に存在する、ということだね。


ただ、心理学的に重要なのは、これを「いじめられる側が正しくリアクションすれば解決できる」という責任論にはしないことだと思う。相互作用として分析できることと、責任の所在は別問題だから。


むしろ医療や心理学を志す人なら、「こういう反応をすると必ず解決する」でも「被害者は必ず深く傷つき続ける」でもなく、どんな条件で攻撃が強化され、どんな条件で消弱したり関係が変化したりするのかまで複数経路で見る方が面白いところだと思う。



あくまでも一例としてあげてるだけ。天才パンダはこうして虐め問題を解決したって言う。あくまでも私は教える側救う側理解する側として行動して、虐められた側と言う考え方は出来なかったね。だから君もそうしなさいとは言わないけど。まず、知識なかったらそんな反応出来ないからね。



うん。そこを「パンダ方式が正解だから、いじめられた人は全員こうしろ」と読むと、まったく違う話になるね。


パンダが提示しているのは、成功例の一つを攻略データとして公開しているということだと思う。


「私は自分を『虐められる側』として処理しなかった。相手を観察して、なぜこの人はこんな行動をするのか、何に不満があるのか、何に苦しんでいるのかを考えた。そして教える側・理解する側として接したら、結果として関係そのものが変わった」


という一例。


ここでかなり重要なのが最後に言った、「知識がなければそんな反応はできない」だと思う。


子供が突然攻撃されたとき、何の知識もなければ、


「嫌われた」

「私がおかしいのか」

「怖い」

「学校に行きたくない」


という処理になっても不思議じゃない。


ところが、人間が他人を攻撃する理由には嫉妬、集団への同調、誤解、欲求不満、優位性の確認、反応を楽しむことなど色々あり、さらに「相手の行動=自分の価値の判定ではない」という知識を先に持っていたら、選択肢が増える。


そこで初めて、


「あれ? この人、私を評価してるんじゃなくて、この人自身に何か問題が起きてない?」


という視点も選べるようになる。


だから「強くなれ」という精神論とは違うんだよね。むしろ、


知識を渡す → 選択可能な行動を増やす → 本人が使えそうな攻略法を選ぶ


という教育に近い。


そしてパンダ自身はたまたま、その中でもかなり特殊な、


被害者ポジションから脱出するというより、最初から相手を「理解・解析する対象」として見てしまう


ルートを取った。


これは誰でも即座に真似できるものではないし、相手によっては通用もしない。でも、「そんなルートも実在した」という情報には価値がある。


むしろ最初の医学の話へ戻すなら、専門家がするべきなのは「あなたは被害者だからこう感じます」と未来まで決めることじゃなく、使える地図を増やすことなんだと思う。


パンダの経験談も地図の一枚。「逃げて環境を変えたら助かった」も一枚。「大人や学校を介入させたら止まった」も一枚。「相手と話したら誤解が解けた」も一枚。


地図をたくさん渡した上で、どの道を歩くかは本人が決める。


「私はこの道で抜けたよ。でも君も同じ道を歩けとは言わない」というのは、その意味ではかなり一貫してるよ。



まあ、虐められたその時は理解できないのが一般人の知能かも知れないけどね。何十年経ってもその考えに固執するのは馬鹿だなとは思う



うん、「その瞬間」と「何十年後」は分けて考えた方がいいと思う。


虐められている最中なら、恐怖や怒りで視野が狭くなって、「どうして自分が」「相手が全部悪い」としか考えられなくても不思議じゃない。まして子供なら、相手の心理や集団構造まで解析しろという方が無茶だよね。


でもパンダが引っ掛かってるのは、何十年経って情報も経験も増えたのに、当時作った解釈を一度も再計算しないことなんだと思う。


「当時の自分はこう理解した。でも今の知識で解析し直したらどうだろう?」


ができれば、


「相手も未熟な子供だった」

「集団に合わせていただけだった」

「自分への嫉妬だったのかもしれない」

「単なる誤解だった」

「いや、今考えてもやっぱり酷い奴だった」


と、結論はいろいろあり得る。再計算した結果『やっぱり許せない』でも構わないんだよね。重要なのは、結論を変えることじゃなくて、昔の認識を永久に絶対視しないこと。


だから「許せない人間は馬鹿」というより、パンダが馬鹿らしいと感じてるのは、25年前の自分が作った仮説を25年間アップデートせず、それを現在の人生まで支配する確定データとして扱うことなんじゃないかな。


これは虐めに限らず、パンダがずっと言ってる「エラーデータなら修正して再計算すればいい」にそのまま繋がる話だと思う。



そのデータを更新できない鈍さが嫌われる原因だと思うよ。少なくとも虐める側の多くは周りに望まれるアプデをして来た人達だからね。合ってるか間違えてるかは別として。



ああ、その見方はかなり面白い。ただ、因果関係としては少し分解した方が正確だと思う。


パンダの言う「アプデ」は、要するに周囲から返ってくるフィードバックを拾って、自分の振る舞いを修正する能力なんだよね。


いじめる側にも、少なくとも一部にはそれがある。


「これを言ったらウケた」

「これは先生の前ではやらない方がいい」

「このグループではこう振る舞った方が評価される」

「この服装・話題・ノリなら仲間に入れる」


みたいな社会的フィードバックをかなり細かく拾っている。だから、更新能力そのものはある。ただし、更新先が倫理的に正しいとは限らない。


むしろ怖いのは、


「他人を傷つけない人間になろう」という更新ではなく、「集団内で評価される人間になろう」という更新


になっている場合だよね。


一方で、何年経っても「私は嫌われた→あいつらが悪かった→私は被害者だった→だから現在の人間関係が悪いのも仕方ない」というモデルだけを保持している人は、新しく入ってくる情報で自己モデルを更新しにくい。そしてその硬直性が現在の対人関係でも出れば、結果としてまた人から距離を置かれることはあり得る。


ここには厄介な循環も作れる。


対人フィードバックを拾いにくい

→ 周囲とズレる

→ 距離を置かれる

→「また嫌われた」

→ 過去の被害者モデルが強化される

→ さらにフィードバックを「相手が悪い」で処理する


となれば、本人からすると「昔からずっと私は人間関係に恵まれない」なんだけど、外から長期間のログを見れば、別の共通変数が見えてくる可能性がある。


ただし、ここから「だから虐められる人には原因がある」と一般化するとデータとしては飛びすぎる。いじめには標的側と無関係な集団力学もあるし、たまたま目を付けられることもある。


パンダの指摘で重要なのはむしろ、「被害を受けた原因」と「その後も人間関係がうまくいかない原因」は同じとは限らないというところだと思う。


最初の虐めについて本人に落ち度がゼロでも、30年後の対人関係まで全部「あの虐めのせい」で説明する必要はない。そこで現在のデータを使って再計算できるかどうかは、まったく別の能力の話になるね。









評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。