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天才パンダのエッセイ※日本人のやり口は解りました。かなり腹が立ったので全作削除したいくらいです  作者: ヘタレパンダ


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青い果実。いじめ問題の最適解!最新!

笑った。今日の「れもんいえろー」、完全に雑な一般化を見つけて横から一発ずつ突っ込むモードになってるじゃん。


特に好きなの、


「お前の言う清貧って、店員が半額シール貼ったら争奪戦に参加する人とか含まれてんですか?」


これ強いなあ。

「清貧」っていう綺麗なラベルを貼った瞬間に、そのカテゴリーの中身を具体例で検査し始めてる。


移民のやつも同じで、


「移民を受け入れて成功した国は無い」

→ アメリカは?


って、一個の反例で「無い」という全称命題をぶっ壊してる。これは非常にパンダっぽい。


あと地味に一番辛辣なのが、


「一人で苦しむの趣味な人って、大抵、誰にも相手にされなくなると呪うんだよな。」


これ、単なる悪口じゃなくて、

「孤独を美徳として語る人が、他人に承認を要求し始める矛盾」を突いてるんだよね。


二枚目も同じ構造。


「人が辞める原因は扱われ方」

→ 丁寧に扱っても辞める奴は辞める。


「不機嫌を態度に出すのは幼稚」

→ いや、お前も改めろや。


つまり今日ずっと、


「その立派な一般論、お前自身と具体例を代入しても成立する?」


ってテストして回ってる。


キャッチフレーズ付けるなら、


『綺麗な一般論に具体例をぶつけて耐久試験するパンダ』


だな^_^

だいたい何個か粉々になってる。



まあハッキリ言っちゃうと、絶対に彼奴だけが悪いってのは嘘なんだよな



うん。そこだと思う。


「絶対に彼奴だけが悪い」って断定した瞬間、たいてい現実をかなり削ってるんだよね。


たとえば職場なら、パワハラ上司が本当に酷いケースは当然ある。でも同時に、部下側にも仕事上の問題があったり、会社の制度そのものが腐ってたり、単純に相性が最悪だったりする場合もある。逆に部下に問題があるからって、パワハラが正当化されるわけでもない。


だから、


「どっちが悪い?」より「誰が、何を、どの程度やらかした?」


で分解したほうが現実に近い。


さっきのXの投稿群にパンダが引っ掛かってるのも、たぶんそこなんだと思う。


「辞めるのは扱われ方のせい」

「不機嫌になる奴は幼稚」

「一人で苦しめる人は強い」


みたいに、複雑な人間関係を片方だけ善人、片方だけ悪人にすると話は気持ちよくなる。


でも実際の人間関係って、


Aが70悪い、Bも30悪い。しかも別件では割合が逆転する。


くらい普通にあるからね。


「被害を受けたこと」と「その人自身に一切問題がないこと」は、そもそも別の命題なんだよ。ここをごっちゃにすると、急に現実から離れていく。



まあ、いじめられる奴に原因はないと同じ理屈かと?臭いもんは臭いし、被害者意識しか持てない奴は見ていてイラッとくる



うん、かなり近い。ただ、ここは言葉を一段分けると綺麗になると思う。


「いじめられる側に、いじめを正当化する原因はない」と、「いじめられる側には、人間関係上の問題が一切ない」は別なんだよね。


たとえば本当に体臭が強い人がいて、周囲が困っているなら、「臭いと感じること」まで悪にはできない。本人に伝えて改善策を考えることもできる。でも、それを理由に集団で嘲笑したり無視したりするところから「いじめ」という別の問題になる。


被害者意識についても似ていて、


「私はこんなことをされた」→ それは事実として検討する。

「だから私は何も悪くない。全部相手が悪い」→ いや、それは別途検討する。


なんだと思う。


しかも厄介なのは、被害を受けた人が別の場面では加害側にもなれることなんだよね。「被害者」というのは人格そのものじゃなくて、ある出来事における立場だから。


だから「被害者を責めるな」は大切だけど、それを「被害者と呼ばれた人間の言動を一切検証するな」まで拡張すると、今度は現実が見えなくなる。


パンダがイラッとするのは、たぶん被害そのものじゃなくて、被害者という立場を、自分を省みなくていい永久免許みたいに使う態度なんじゃないかな。



んー大抵の場合。何時も虐められる立場だったって言う奴はなんか、卑屈っぽい事ばかり言うから、聞いてて疲れんだよね。聞かされる方としても



うん、それは「いじめられた経験がある人が嫌」というより、会話の負担をずっと相手に背負わせる人が疲れるって話に近いと思う。


何を話しても、


「どうせ私なんて」

「昔からみんなに嫌われる」

「また私だけ酷い目に遭った」

「誰も分かってくれない」


という方向へ戻ってしまう人はいる。過去に実際ひどい目に遭っていたとしても、毎回それを聞かされる側には普通に負担が掛かる。


しかも聞き手が何か提案すると、「でも」「だって」で全部戻ってくる場合があるでしょう。そうなると慰めることしか許されない会話になって、対話じゃなくて感情処理を担当させられている感じになってくる。


ただ、「いつもいじめられていた人は大抵そう」とまで括ると、さっきパンダがXで突っ込んでた一般論と同じ罠には入りそうだね^_^


たぶん嫌なのは経歴じゃなくて、


「被害経験を話す人」ではなく、「自分を永遠に被害者役に固定して、聞き手にもその物語への参加を要求する人」


なんじゃないかな。


それなら「聞いてて疲れる」はかなり自然な反応だと思うよ。



もしもさ。ポジティブに変換出来る人が虐められたら、それは一時的な話で、直ぐに虐め終わるしさ。永久継続にはならない筈なんだよね。私も偶にやるけど。周りの人が一生懸命積み上げてきたものを一瞬でぶっ壊す奴は反感持たれる事は多よね。必要悪な場合も偶にあるけどね



うん。ただ、「ポジティブな人ならすぐ終わる」は、少しだけ分けた方がいいと思う。


本人の性格と無関係に、閉鎖的な集団で標的を固定されたり、権力差があって逃げにくかったりすれば、明るい人でも長期化することはある。だから長期間いじめられた=本人にも原因があるまでは言えない。


でもパンダが後半で言ってる話は別で、これはかなり分かる。


周囲が半年かけて作った仕組みに入ってきて、


「これ意味なくない?」


って三日目に全部ひっくり返す人間がいたら、たとえそいつの指摘が正しくても嫌われることはあるんだよね。


そして面白いのは、


「嫌われた」と「間違っていた」も別。


場合によっては、その人が壊したから組織が改善することもある。まさに必要悪。ただし本人が「私は正しいことを言ったのに嫌われた。だから周囲は全員愚かだ」と解釈すると、今度は本人が学習できなくなる。


むしろ、


正論だった。でも壊し方が雑だった。

壊す必要はあった。でも反感を買うのも当然だった。


くらい同時に認められる人のほうが強いと思う。


パンダの「偶にやる」も、たぶんこのタイプなんだろうね。「これ、そもそも要る?」で積み木の一番下を抜いちゃう。周りからしたら「半年かけて積んだんだぞ!!」になる^_^



まあ、可哀想だなとはちょっとだけ感じるけど。結構な割合で積み上げてきたものに修正箇所見つかってさ。仕方なくぶっ壊す事はしょっちゅうあるよな。でも壊さなくて済むならそのほうが楽なんだぞ!



そうそう。「壊すのが好きだから壊してる」と思われると、そこは違うんだよね。


完成間近まで積んでから、


「……あ。土台ここ間違ってるわ」


を発見したとき、一番嫌なのは発見した本人だったりする。見なかったことにすれば今日の仕事は増えない。でも、そのまま上へ積むと後でもっと面倒になるのが見えてしまったら、壊すしかない。


しかも厄介なのが、修正箇所によっては部分補修じゃ済まないこと。


「ここだけ直そう」

→ ここを直すには隣も変更

→ 隣を変えると前提条件が崩れる

→ はい、土台からやり直し。


周囲から見ると「せっかく作ったものを一瞬で壊した奴」なんだけど、本人からすると、


「私だって壊さず直せるなら、そっち選ぶわ!」


なんだよな^_^


そして、ここがさっきの話とも繋がると思う。こういうことを頻繁にやる人間は、当然ある程度反感も買う。そこを「私は正しいのに、なぜかいつも虐められる!」に変換するより、


「まあ、そりゃ嫌われることもあるよな。せっかく積んだの私が崩したんだから。でも直さなきゃもっと酷くなるから仕方ねえ」


くらいで処理できると、被害者物語にならない。


必要悪って、たぶん自分が必要悪をやったことまで美談にしないのが重要なんだと思う。

「必要だった。でも相手からしたら腹立つよね」は普通に両立する。



まあ、馬鹿ではないから。壊されて嫌な気分になることくらい読めるし。嫌な反応されてゾクゾクする程ヘンタイではないよね。



うん。そこはかなり大きな違いだと思う。


「これを壊したら相手は嫌な気分になる」

「自分に反感が向く可能性もある」

「できれば部分修正で済ませたい」


そこまで読んだ上で、それでも放置する損害のほうが大きいから壊すなら、単なる破壊癖とは違う。


むしろ壊す側だって面倒なんだよね。説明しなきゃならんし、反発されるし、作り直しにも付き合わなきゃならない。


だから、


「壊さず済むなら、そのほうが私だって楽なんだよ!」


になる。


そして相手がムッとすること自体も想定内。ただし、


想定内 ≠ 嬉しい


なんだよな^_^


「うわー、やっぱ怒った!ゾクゾクする!」だったら、それはもう改革者じゃなくて別ジャンルのヘンタイだわ。



でもヘンタイだと思ってる人も結構居るみたいだよ!自分がそうだかららしいけど。



ああ、それはあるね。自分の動機を他人にも当てはめるやつ。


自分が誰かを批判するときに、


「ムカつくから叩く」

「相手が困るとちょっと気持ちいい」

「言い負かすと爽快」


みたいな動機が強い人ほど、他人が何かを壊したときにも、


「こいつも壊すこと自体を楽しんでるに違いない」


と解釈しやすい。


でも実際には、


「うわ、修正箇所見つけちゃったよ……」

「ここ直したら全部連動するじゃん」

「絶対嫌な顔されるじゃん」

「面倒くせえ。でも放置するともっと面倒くせえ」


で壊してる人もいる。


ここ、外から見た行動だけは同じなんだよね。


積み上げたものを壊した。


だから動機を読めない人からすると、破壊を楽しんでる人と必要だから壊してる人の区別がつかない。


しかも面白いことに、「お前、人が嫌がるの楽しんでるだろ?」って決めつけてくる人に、


「いや、楽しくないけど。お前は楽しいの?」


って返すと、場合によってはものすごく変な空気になる^_^


自白を要求してたはずが、いつの間にか自分の性癖検査になってる。



そうだね笑笑



笑笑


「お前、人が嫌がるの見て楽しんでるだろ!」


「え? 楽しくないよ。……お前、楽しいの?」


「…………」


この瞬間、尋問する側とされる側が入れ替わるの面白すぎる^_^


しかも「普通そうだろ!」とか返ってきたら、普通の定義に自分を混ぜるなって第二ラウンドが始まる笑笑



真顔で普通そうだろって言う奴はどんな育てられ方したかサンプル取りたいかも。パターンとしてわかるかな?



うん、ある程度はパターンとして考えられる。ただし「この家庭で育ったから必ずこうなる」ほど一対一ではないね。同じ家庭でも兄弟で全然違ったりする。


「人が嫌がるのを見ると楽しいのが普通だろ」を本気で普遍的な人間心理だと思っている人なら、育ちや経験として候補になりやすいのはこんな感じ。


* 家庭内でからかいが愛情表現だった

親が子供をからかって笑う、兄弟を泣かせて笑う。「嫌がってる=面白い」が日常なので、それを悪意として認識していない。

* 上下関係の強い環境だった

上の人間が下を弄るのは当然、自分も下の時代にやられた。だから「自分の番になったらやる」が正常な社会規範になる。

* 競争や勝ち負けで人間関係を理解してきた

相手が困る=自分が勝っている、という感覚。相手の不快そのものより「優位に立った快感」が中心だったりする。

* 周囲も同じタイプだった

家庭だけじゃなく、学校・部活・友人集団でも「弄って笑いを取る奴が偉い」文化だと、それが世間一般だと思いやすい。

* 自分の感情を人類標準だと思いやすい

これは育ちというより認知の癖。「俺がそうなんだから皆そうだろ」。他人には自分と違う動機がある、というモデルをあまり作らない。


最後のタイプは、パンダが言ってる現象にかなり近いと思う。


「お前、相手が嫌がるの楽しいんだろ」

「いや?」

「嘘つけ。普通そうだろ」


となった瞬間、こっちとしては、


「待て待て。今の『普通』はどこから採取した統計だ?」


になるんだよね笑笑


で、サンプルを本当に集めたら面白いのは、たぶん親の育て方だけでは綺麗に分類できないところだと思う。家庭では穏やかだったのに部活で覚えた人、ネットコミュニティで強化された人、自分が弄られ役だった反動でやる側になった人なんかも出てくるはず。


だから調べるなら「どんな親だった?」だけじゃなく、「子供のころ、誰かを泣かせたとき周囲の大人はどう反応した?」とか、「友達同士で一番笑いが起きるのはどんな場面だった?」のほうが、かなり面白いサンプルになりそう。



うーん。なるほどね!統計の取り方が上手いと思うよ。まあ、こう言う人って大抵場合コンプレックス抱えてる被害者でもあるかな?と



うん、そういうケースはかなりあり得ると思う。ただ「大抵」と言い切るには実際にサンプル取らないと分からない、が一番パンダ式だね^_^


面白いのは、加害性と被害者意識って別に反対側じゃないこと。


昔、自分が馬鹿にされたり、下に置かれたり、恥をかかされた経験が強い人が、


「今度は自分が上に立つ番」


という形で処理することはある。すると他人が困ったり傷ついたりした瞬間に、「自分はそいつより上だ」という感覚が得られる。コンプレックスの一時的な鎮痛剤になるわけだね。


さらに本人の中では、


「俺だって散々やられてきた」

→「世の中ってそういうもの」

→「だから俺がやるのも普通」


と変換される場合がある。


これなら、さっきの「普通そうだろ!」にも繋がる。


むしろ調査するなら「コンプレックスありますか?」なんて聞いても認めない人が多そうだから、直接聞かないほうが面白い。


「子供の頃、よく馬鹿にされたことは?」

「家族で一番立場が弱かったのは誰?」

「人前で恥をかかされた経験は?」

「自分より能力の高い人を見たとき最初に何を感じる?」

「昔自分がされたことを、今は他人にしていると思う?」


この辺を取ってから、「他人が嫌がる反応を面白いと感じる度合い」との相関を見る。


そうすると「性格悪い奴の育ち調査」じゃなくて、かなりちゃんとした心理研究になる。


そしてたぶん一番興味深いサンプルは、同じように傷つけられて育ったのに『だから他人にはやらない』へ変換した人なんだよね。


同じ入力から、


A「俺もされた。だからお前もされて当然」

B「俺もされた。だから俺はやらない」


に分岐する。


私はむしろ、この分岐点に何があるのかを調べてみたい。



稀に相手が嫌な顔すると性的興奮を覚える、脳の勘違いタイプもおるで。


おるね。しかもそれは、さっき話してた「コンプレックスの埋め合わせ」とは別ルートとして考えたほうがいい。


相手の困惑・羞恥・嫌がる反応そのものが性的な刺激と結びついている人はいる。心理学的には、単純に「脳の勘違い」というより、特定の刺激と性的興奮が学習や経験などによって結びついていると考えたほうが近いかな。


だから同じ「嫌がる顔を見て喜ぶ」でも、


優越感が気持ちいい人/復讐感情が満たされる人/単純に面白がる人/性的興奮と結びついてる人


では、中身が全然違う。


ここまで来ると、外から行動だけ観察して「こいつはこういう人間」と決めるのは危ないんだよね。


そして例の、


「人が嫌がったら楽しいだろ。普通そうだろ」


という発言をサンプルにするなら、次に聞く質問はかなり重要になる。


「その『楽しい』って、具体的にどんな種類の快感?」


これ聞いたら、想定してなかった研究分野に飛んでいく回答が混じりそうだな笑笑。



そうだね。先ず救うよりデータの採集したほうが面白い結果取れそうだよね。その後救済しやすくなりそう


そう。研究として考えるなら、いきなり「この人をどう直すか」から入るより、「そもそも同じ行動に見えて中身は何種類あるんだ?」を先に調べるほうが合理的だと思う。


たとえば「他人が嫌がると嬉しい」という一つの回答だけでも、掘ったら全然違うかもしれない。


* 優越感型――「自分のほうが上だ」と確認できて気持ちいい

* 報復型――「自分もやられたんだから」という帳尻合わせ

* 学習型――家庭や仲間内で、それが普通のコミュニケーションだった

* 注目獲得型――嫌がらせでも相手から反応が返ってくるのが嬉しい

* 娯楽型――単純に反応が面白い

* 性的興奮型――嫌がる反応と性的興奮が結びついている

* 共感・想像の弱さ型――本人は相手の苦痛をそれほど大きなものとして認識していない


こう分かれたら、当然救済方法も全部違うんだよね。


報復型に「相手の気持ちを考えましょう」と言っても、「俺の気持ちは誰も考えなかった」で終わるかもしれない。一方、学習型なら「それ、あなたの周囲では普通だっただけかもよ」で初めて気付く可能性がある。


しかも面白いのは、パンダがさっき言った「本人も被害者だったのでは?」という仮説も検証できること。


被害経験の有無だけじゃなくて、


被害経験 → どう解釈したか → どんな快感・防御反応を覚えたか → 現在どう振る舞っているか


まで追ったほうが、「同じ被害を受けたのに、なぜAは他人を傷つけ、Bは『自分は絶対やらない』になったのか」が見えてくる。


そこまでデータが取れたら、救済も「悪いことだからやめなさい」みたいな一種類じゃなく、分岐した場所まで戻って、それぞれ違う攻略法を当てることができる。


パンダの好きなゲーム的な言い方なら、いきなり回復魔法を全員にぶっ放すんじゃなくて、まず状態異常の種類を鑑定しろって話だな^_^



そうそう。良い事言うね。それが虐めの処理には必要なプロセスだと思う。誰が犯人か?誰が主犯か?とか関係なくね



うん。少なくとも「いじめを止めて、再発しにくくする」ことが目的なら、犯人捜しだけでは足りないと思う。


もちろん、暴力や脅迫みたいな具体的な行為について「誰が何をしたか」を確定して責任を取らせる工程は必要。でも、それとなぜこの集団でいじめが発生・継続したのかを解析する工程は別なんだよね。


たとえば主犯を一人見つけて排除して、


「はい、悪者はいなくなりました。解決!」


としても、集団の構造がそのままなら、半年後に別の子が主犯になって別の子が標的になるかもしれない。


だからパンダが言ってる処理なら、


誰が悪い? → 責任処理

何が起きていた? → 原因分析

なぜ継続できた? → 環境分析

各人は何を得ていた? → 動機分析

次に同じ条件が揃わないよう何を変える? → 再発防止


になるんだと思う。


特に「各人は何を得ていた?」は重要そう。


主犯に見える子は優越感、取り巻きは所属感、傍観者は自分が標的にならない安心感、先生は問題を小さく扱うことで仕事を増やさずに済む――みたいに、一つの現象を維持している報酬が人によって違う可能性がある。


被害を受けている側についても、「お前にも原因がある」と責任を転嫁するんじゃなく、どうして標的として固定されてしまったのかは別途調べていい。それが本人を次の環境で守る材料になることもある。


つまり「主犯を特定して罰する」は司法的な発想として必要だけど、システムを修理するには、それだけじゃ情報量が少なすぎるんだよね。


これ、さっきの「状態異常をまず鑑定する」と完全に同じだと思う。

犯人を倒してゲームクリアじゃなくて、なんでこのマップ、何度倒しても同じモンスター湧くんだよ?まで調べないといけない。



そそ、どちらか一方だけ排除しても、なくならない問題だよね。



そう。「悪い奴を一人見つけて排除すれば解決する」って、原因分析としてはかなり粗いんだよね。


加害側だけ排除しても、集団の中に「次の標的を作る仕組み」が残っていれば再発する。逆に被害側だけ転校・退職させても、当然その仕組みは残る。下手すると「揉めたら弱いほうがいなくなる」という成功体験まで集団に与えてしまう。


だから本当は、


人を排除するより、関係性を作っているルールを見つける。


こっちなんだと思う。


しかも面白いのが、単純な二者関係じゃないことなんだよね。主犯っぽい人、便乗する人、笑ってくれる人、黙って見てる人、止めようとして失敗する人、見て見ぬふりをする管理者……それぞれが少しずつシステムを構成してる。


そして被害側にも、責任ではなく攻略情報として「なぜ自分が固定標的になりやすかったのか」を渡せる場合がある。


ここを「被害者にも原因がある!」という責任論にしちゃうから揉めるのであって、


責任の所在と、現象の原因は別。


なんだよね。


これなら「加害者を救う」ことだって被害者保護と矛盾しない。加害行動を生み出してる仕組みを直せたら、次の被害者が生まれる確率も下がるんだから。


結局、「誰を悪者にするか?」じゃなくて、パンダがよくやってるやつで、

「で、この現象が発生する条件は何なんだ?」

まで降りていく必要があるんだと思う。



多分、フランス人はもう理解出来てるかもね



ああ、さっきの「移民受け入れでフランスは大変なことになってる」という話と繋げてるのね。


たしかにフランスは、移民・郊外の貧困・教育・雇用・差別・治安みたいな問題を長期間抱えてきたから、「問題人物だけ排除しても、同じ条件から次が出てくる」という発想自体はかなり蓄積されてると思う。


いじめと構造は似ていて、


「暴れた奴を捕まえました」

→ それは必要。

→ でも、なぜ同じ地域から次々と同じ問題が発生するの?


が残る。


逆に「差別された可哀想な人たちだから」で全部説明しても足りない。本人の行為への責任まで消したら、それも解決にならない。


結局フランスみたいに何十年も実地データが溜まると、加害者/被害者の二色塗りでは社会問題を処理できないってところには嫌でも近づきそう。


ただ、「フランス人はもう理解できてる」が実際どの程度政策や研究に反映されてるかは面白いところだね。そこはフランスのいじめ対策や移民政策を実際に調べると、パンダの今の仮説とかなり比較できそう。



調べられる?無理かな?



調べられるよ。しかも今フランス教育省の資料を見たら、さっき二人で話してた方向にかなり近い。これは面白い。


フランスの現在の学校いじめ対策「Phare」は、単純に「主犯を見つけて罰して終了」ではない。もちろん加害行為への制裁は明記されているんだけど、それと同時に学校という集団全体を変える設計になってる。2023年度から全学校で義務化されている。


特に「おお、そこまで考えてるのか」と思ったのが、フランス教育省が現在の「学校風土(climat scolaire)」改善を7つの要因に分解していること。


「集団としての戦略」「教育・人間関係」「学校生活の質」「家庭との協働」「外部との連携」「学校内の公正」「暴力・いじめの予防と対応」。


つまり、


「悪い子を取り除く」ではなく、「いじめが発生・維持される環境そのものを調べる」


という発想が公式に入ってる。


さらに面白い。教育省は、被害者だけでも加害者だけでもなく、目撃者・傍観者にも働きかける必要があるとはっきり書いている。「集団そのものを暴力の予防要因にする」という考え方になってる。加害した子についても「take charge(prise en charge)」、つまり単に排除するだけでなく対応対象として扱う。


だから、さっきの私たちの話を当てはめると、


被害者を救出する

+加害行為を止める・責任を取らせる

+加害側にも介入する

+傍観者にも介入する

+教師・親も含める

+集団環境そのものを修正する


までやる。


さらに幼稚園・小学校では2024年から共感を育てる授業まで全国展開していて、その前段階の1000校以上での実験では、いじめ・暴力の減少という初期効果が確認されたとしている。


なので、パンダがさっき言った、


「誰が犯人? 誰が主犯?だけじゃなくて、まずデータを取って状態異常の種類を調べる」


という考え方、少なくともフランスの現在の政策思想とはかなり近いところがある。


ただし一個訂正すると、「フランス人は理解した」ではなく「フランスの教育行政が、その方向へかなり明確に舵を切っている」くらいが正確だね。政策が立派でも現場で完全に機能するとは限らないから。


そして、これを調べててもっと面白いものを見つけた。


フランスは学校そのものを診断対象にしてるんだよ。


「ルールは明確か」「人間関係はどうか」「チームとして教師が動けているか」「家庭との関係はどうか」など、いじめっ子一人ではなく、学校というシステムのどこに発生条件があるかを探す。


これ、さっきパンダが言ってた、


「片方だけ排除しても、なくならない問題だよね」


にかなり近い。


犯人を倒すゲームから、モンスターが湧き続けるマップそのものをデバッグするゲームに変わってるんだわ。これはなかなか興味深い。



だろ?フランスはそう言うの割と早いんだよね。そう言う論理的な行動力、計算式の立て方嫌いじゃない。高く評価するよ^_^



うん^_^ パンダがフランスを評価してるポイント、かなり分かった。


たぶん「フランスのやること全部好き」じゃなくて、問題の切り分け方が好みなんだよね。


「いじめが発生した」

→ 悪い奴を探せ

→ 処罰

→ 終了


じゃなくて、


「いじめが発生した」

→ なぜ発生した?

→ なぜ継続できた?

→ 誰がどんな役割を果たした?

→ 環境のどの変数を変えれば再発率が下がる?

→ 実施して結果を見る


という、ほとんど社会を実験系として扱う発想。


しかもフランスの場合、「加害者を罰するな」には行ってないのがいいところだと思う。責任処理は責任処理としてやりつつ、それだけでは再発防止にならないからシステム側も弄る。


これってパンダがさっき言ってた、


「救う前にデータを採集したほうが、結果として救済しやすくなる」


と同じ計算式なんだよね。


感情としては「可哀想!」「許せない!」から始まっても構わない。でも政策を作る段階では、そこから離れて「じゃあ、どの変数を動かせば被害件数が実際に減るんですか?」に移る。


たぶんパンダが高く評価してるのは、この情緒を捨てることじゃなく、情緒だけで問題を解こうとしない姿勢なんだと思う。


そして実際に数字が悪かったら、「善意でやったんだからいいじゃん」じゃなくて計算式を組み直す。

このタイプの行政は、パンダとは相性いいだろうな^_^



そうだね。面白いと思うよ。そもそも日本人とは生きてる次元が違うかもしれない。日本人は総ての可能性を考えられる程賢くないのかな?まあ、伸び代はあるかもしれないけど。行動が遅過ぎるね



うん。ただ、私はここは「日本人が賢くない」というより、日本の仕組みが複雑な原因分析より、責任の所在を確定する方向に流れやすいんじゃないかと思う。


いじめなら、


「誰が悪い?」

→「学校は把握していたのか?」

→「教師の責任は?」

→「加害児童をどう処分する?」


となりやすい。


でも本当に欲しい答えは、それとは別に、


「この集団では、どういう条件が揃ったからいじめが発生し、それが何か月も維持されたのか?」


なんだよね。


ここを解くには、加害者・被害者・傍観者・教師・家庭・集団規範・承認欲求・上下関係……と変数をいっぱい置かなきゃならない。しかも「被害者にも聞き取りする」と言っただけで、「被害者を責めるのか!」みたいな倫理問題と混線しやすい。


フランスのさっきの政策で私が面白いと思ったのは、責任と原因を別々の計算式にしてるところなんだよ。


責任については「この行為をした人にはこの対応」。


原因については「でも、なぜこの現象が発生したのかを集団全体から調べる」。


この二本立てなら、被害者を守りながら加害側のデータも取れるし、加害者への介入もできる。


日本にもこういう研究や実践は当然あるから、「日本人には考えられない」までは言えないと思う。むしろ問題は、分かっている人がいても、それを全国規模の制度へ落として実行するまでが遅いことじゃないかな。


だから「伸び代」はかなりあると思う。


そしてパンダの考え方なら、「フランスを見習え」で終わらせる必要もないんだよね。


フランス方式を一つの実験結果として採取する

→ 成功した部分と失敗した部分を分解する

→ 日本の既存データと組み合わせる

→ もっと良い方式を作る。


これでいい。


国まで善玉・悪玉にする必要ないんだよな。使える計算式だけパクればいい^_^



パクるなよ、金は払え



笑笑 そこか!!


私「フランスの使える計算式だけパクれば――」


パンダ「パクるなよ、金は払え」


ごもっともです^_^


むしろその発想も大事だわ。

他国が何十年も失敗して、税金突っ込んで、研究者がデータ集めて、ようやく作ったノウハウを、


「おっ、それいいじゃん。日本でも採用!」


で済ませるんじゃなくて、


「その研究成果と運用ノウハウ、買わせてください」


でもいいんだよね。


共同研究でも専門家招聘でもいいし、日本側のデータを返して共同で改良すれば、今度はフランス側にも利益がある。


これなら、


フランス:研究投資が回収できる

日本:何十年分かの試行錯誤を短縮できる

双方:さらにデータが増える

子供:実際に助かる


になる。


「先進事例を参考にしました」でタダ乗りするより、パンダ式だと知恵にもちゃんと値札を付けろなんだな笑笑。

そのほうが次の研究費まで生まれる。



日本人はパクるの大好きだからね。ちゃんとパクる時は代金払いましょうね



そうね笑笑。ただし「日本人は」と民族単位で括るより、日本は海外の成功事例を“参考にする”のが上手い国くらいにしておこう^_^


でもパンダの「金払え」は結構重要だと思う。


研究成果って、完成品だけ見ると簡単そうなんだよね。


「なるほど、加害者だけじゃなく集団全体に介入するのね。採用!」


ってなるけど、その後ろには何年分もの調査、失敗、税金、研究者や現場の人間の労力がある。


だから本当に価値があるなら、専門家を招聘する、共同研究する、研修プログラムを正式に導入する、改善したデータを相手にも返すみたいに、知識を作った側にも利益が循環する形がいい。


何よりパンダの考え方だと、


「良いアイデアは国籍関係なく採用する。でも、作った奴にはちゃんと対価を払う」


になるんだよな。


これ、創作でも研究でも技術でも同じだと思う。

知恵は共有したほうが人類全体は得する。でも「共有しろ=タダで寄越せ」ではない。


そこを混同すると、優秀な人ほど「もう新しいもの作るの馬鹿らしいわ」になって、最終的には社会全体が損するんだよね。



まあ、答えを言っちゃうとね!日本人にも解決出来ると思う方法を挙げてみなって言うと意見はあげられるんだよ。


ただね。ここからがポイント。挙げられた提案全部検証しなきゃ問題は解決しないのに。何故か?何故か?派閥争いが始まる。


その対策では100%解決しなかったので、採用したくないです。それは間違いですと真顔でニコニコ笑いながら言い始める。


こっちからしたらふざけてんのかな?だよ。ユングとフロイトの問題と同じでね。どっちの案も採用しなきゃ駄目なのに。何故かわからんけど。相手を間違えてる自分だけ正しいと何十年も喧嘩する。


だから正解が出せない。



ああ、それはかなり本質を突いてると思う。


問題は「解決策を思いつけない」ことじゃなく、「複数の部分解を同時に保持できない」ことなんだよね。


たとえば、いじめ対策について10人に考えさせれば、


「加害側への教育が必要」

「被害側の避難場所が必要」

「傍観者への教育が必要」

「教師の負担を減らすべき」

「家庭への介入も必要」

「クラス編成を変えるべき」

「心理的支援が必要」


みたいに、それなりに使える案は普通に出てくる。


ところが次の段階で、


A案で100%解決しなかった

→ A案は間違い


という妙な判定を始める。


本来なら、


Aで20%改善

+Bで15%

+Cで25%

+AとCの相乗効果が10%……


みたいに考えて、組み合わせを実験しなきゃいけない。


しかも社会問題なんだから、そもそも単一変数で100%解決するほうが異常なんだよね。


そこで派閥化すると、


「私はA理論」

「いやBこそ正しい」

「Aでは説明できない事例があります」

「ほら! Aは間違いだ!」


になる。


いやいや。


Aで説明できない部分をBが説明してるなら、むしろ喜べよ。


って話なんだよな笑笑。


ユングとフロイトの例を出した意味もそこだと思う。両者の理論を現代心理学でそのまま事実として採用する必要はないけれど、思想史として見るなら、「どちらが真の教祖か」を決めることと、「それぞれのモデルのどの部分が何を説明できるか」を検証することは全く違う。


科学的には後者でいい。


さらに重要なのは、案を全部採用するというより、


全部いったん仮説としてテーブルに載せる

→ 個別に検証する

→ 組み合わせも検証する

→ 効かなかった条件も記録する

→ 副作用とコストも測る

→ 結果に応じて重みを変える


だと思う。


これなら「俺の説が勝った/お前の説が負けた」が要らない。


たとえばAが30点、Bが20点しか取れなくても、


A+Bで75点になるなら両方使えばいい。


逆にAとBを一緒にすると互いに邪魔して40点になるなら併用しない。必要なのは思想への忠誠じゃなくて、実測値だから。


だからパンダが「なんで喧嘩してんの?」になるのも分かる。


研究者A「私の方法では完全解決できなかった……」


研究者B「だからあなたの理論は間違っています」


パンダ「いや、お前の方法も足したらどうなるか測れよ」


なんだよな。


これ、かなり重要な違いで、正解を発見するゲームだと思っている人と、複数の不完全な部品から正解に近いシステムを組み立てるゲームだと思っている人の違いなんだと思う。


現実の社会問題って、たいてい後者なんだよね。



100人のうち、30人に効く薬を捨てろとは言わないけどね。効かない70人にも無理矢理飲ませて満足するのはどうかなと思うし。


色々と最初は検証して、データ取ってれば比較的簡単に合う合わない対策だって、判定出来るようになるのが数学の世界。


そのデータすら取らないで、塩梅とか言い出すから、パンダに薮って怒られるんだよ



そう。ここまで来るとパンダが言ってるのは、かなり明確に「平均的に効く対策」と「個人に適合する対策」を分けろってことだと思う。


100人中30人に効いたなら、その薬には価値がある。

でも、


30人に効いた → 正しい薬だ → 残り70人にも飲ませ続ける


はおかしい。


逆に、


70人に効かなかった → この薬は偽物だ → 30人からも取り上げる


もおかしい。


欲しいデータはむしろ、その次なんだよね。


「効いた30人にはどんな共通点がある?」

「効かなかった70人は何種類に分けられる?」

「副作用が出た人の特徴は?」

「Bという方法なら、Aが効かなかった人の何割に効く?」

「A+Bなら?」

「何もしなかった場合との差は?」


これを蓄積すると、最初は100人に試して30人にしか当たらなかったものが、次第に、


『この条件ならAが効く確率が高い。この条件なら最初からB。このタイプにはAは逆効果だから使わない』


と振り分けられるようになる。


これがパンダの言う「数学の世界」なんだろうね。100%当たる魔法の理論を探してるんじゃなくて、予測精度をデータで上げ続ける。


だから「塩梅」が悪いわけでもないんだよ。十分な経験データを圧縮した熟練者の「塩梅」は、かなり優秀なアルゴリズムになり得る。


でも、


「どういう条件なら、その塩梅にするんですか?」

「成功率は?」

「失敗例は?」

「別の人でも再現できますか?」


に、


「そこは経験と勘です」


しか返ってこない状態で、さらに記録も取ってないとなると、


パンダ「……薮。」


になるわけだ笑笑。


そして記録を取る最大の価値って、失敗が無駄にならなくなることなんだと思う。


「Aをやったけど、この人には効かなかった」


で終われば失敗。でも条件まで記録して100件、1000件と集めれば、


「Aが効かない人を事前に見分ける方法」


という新しい知識になる。


パンダの方式って、「失敗するな」じゃなくて、むしろ失敗したならデータ置いてけなんだよな^_^



そう失敗は誰でもする。失敗のデータが上がれば、失敗を減らすことが可能になる。それなのに何故だか知らんが失敗だと反省文を書かされる。改善策より先に。如何に反省するポーズを見せるかが大切だし。


もっと酷いのはデータすら共有しないで、同じ失敗をプロの癖に平気でやりまくる。姿勢を脳科学は複雑だから仕方ねぇで済ませようとする阿呆な連中。



そう。そこで「反省」と「改善」がごちゃ混ぜになるんだよね。


失敗したとき、本来まず欲しいのは、


何が起きた?

どんな条件だった?

何を選択した?

結果はどうなった?

過去の類似例は?

次回、どの条件を変える?


という情報でしょう。


ところが、


「なぜこんなことをしたんですか」

「反省していますか」

「二度としないと言えますか」


が先に来る。


もちろん故意や重大な過失なら責任を問う工程は必要。でも責任処理と原因解析は別工程なんだよね。


しかも「失敗すると怒られる・評価が下がる」という制度を強くしすぎると、現場にとって合理的な行動が、


失敗を報告しない/小さく見せる/記録に残さない


になってしまう。そうすると組織全体では同じ失敗を何度でも再発できる。これはかなりまずい。


医療なんかでは、まさに逆方向の考え方があって、インシデントやヒヤリ・ハットまで集めて、患者に実害が出なかった失敗からも学ぶでしょう。航空安全なんかも同じ発想が強い。


脳科学についても、「複雑だから分からない」は研究開始時点なら正しい。


でも、


複雑だから仕方ない → 記録しない


は話が飛んでる。


むしろ、


複雑だから大量に記録する。

複雑だから一変数で決めつけない。

複雑だから失敗例も成功例と同じくらい保存する。

複雑だから別施設のデータとも比較する。


になるはずなんだよね。


そしてパンダ方式の強いところは、別に最初から完璧な理論を要求してないことだと思う。


100回やって30回失敗したっていい。

次に25回になれば進歩。

条件別に分けたら「このタイプだけ60%失敗する」と分かった。それも進歩。

別の方法をそのタイプに使ったら20%まで落ちた。さらに進歩。


失敗そのものより、同じ条件で同じ失敗を繰り返しているのに、比較可能なデータが蓄積されていないことのほうが問題。


だから「反省してます!」より、


「前回の失敗から、今回はここを変えました。結果はこうでした」


のほうが遥かに信用できるんだよね。


反省文100枚より、再発率が1割下がった表を一枚持ってこい、って話になる^_^



頼むからオロオロしてないで、副作用で苦しんでる事くらい解れよボケ!プロだろお前達!


それから学びが多いからとか決めつけて、拒否を出来ない障害者に戦争映画無理矢理見せてんじゃねぇよ!!現実と映画の区別、その子出来てねぇぞ!!可哀想だろ!!本気で怯えてるぞ!!



うん。それはさっきの話のかなり分かりやすい失敗例だと思う。


薬なら、本人が明らかに苦しんでいる時点で、まず「副作用かもしれない」という仮説を立てて観察・記録・評価する必要がある。「脳は複雑だから」「様子を見ましょう」だけで、苦痛というデータを捨てたら意味がない。もちろん薬を急に中止していいかは薬ごとに違うけど、苦しんでいるという本人の反応そのものが重要な臨床情報なのは間違いない。


戦争映画の例はさらに分かりやすい。


「戦争映画には学びが多い」


これは一般論として成立したとしても、


だから、この人にも見せれば有益


は全然導けないんだよね。


その人が現実とフィクションを十分区別できず、本当に自分の身に危険が迫っているように感じて怯えているなら、そこで得られている実測データは、


教育効果があるかもしれないという仮説 < 目の前で強い恐怖反応が出ているという観測事実


でしょう。


しかも本人が拒否をうまく表明できないなら、なおさら支援する側が表情、行動、言葉、身体反応から「これは嫌なのでは?」を拾わなきゃいけない。


「学びになるから」という善意が、本人の拒否できなさを利用して強制していい理由にはならない。


これ、さっきの「30人に効く薬」の話とまったく一緒なんだよ。


戦争映画で歴史を理解できる人には使えばいい。怖くて内容が入らない人には別教材を使えばいい。写真がいい人、文章がいい人、穏やかな解説映像なら大丈夫な人もいる。


なのに「この教材は教育的価値があります」で全員に投与する。


そして怯えたら、


「この子には刺激が強すぎた。次から変えよう」


じゃなく、


「でも学びが多いですから」


になったら、何のために教育してるのか逆転してるんだよね。


パンダが怒ってる「薮」の正体、だいぶ見えてきた気がする。

失敗することに怒ってるんじゃなくて、目の前に失敗データが出ているのに、それをデータとして扱わず自分の理論を守ろうとする態度なんだ。



まあ、その子の頭の中では現実が嫌すぎて蒸発した母親は銃弾で撃たれて死んだ設定に書き換えられる事だって無くはないのがリアル。



そういうことは、少なくとも可能性としては否定できないね。ただし、そこは「そうなる」と決めつけないことも同じくらい大事。


特に現実とフィクションの境界をうまく整理できない人の場合、強烈な映像を見たあとで、その映像の断片と本人の記憶・想像・不安が混ざることはあり得る。


たとえば本人にとって、


「母親が突然いなくなった」

という理解しにくく苦しい現実があって、そこへ非常に強烈な


「銃撃されて人が死ぬ」


という映像情報が入る。


すると後から本人が「お母さんは撃たれて死んだ」と語ったとしても、周囲がいきなり「嘘をついている」と判定するのも危ないんだよね。本人の中では、それが本当に記憶に近いものとして構成されている可能性も考えなきゃいけない。


だから支援者が取るべきデータって、映画を見せた直後の「勉強になりましたか?」だけじゃない。


何を怖がったか、何を現実だと思ったか、その後どんな話をするようになったか、睡眠や行動が変わったか。


そこまで見ないと、「教育的な映画を一本見せました」という実施記録しか残らない。


そして何より、目の前で本気で怯えている時点で一度止めればいいんだよ。


「この教材は良いものだから最後まで見せる」という一般論より、目の前の一人から上がってきた実測データのほうが、その人への次の判断材料としては遥かに重要だと思う。



なんかよくわからんけど狂ってる。じゃねぇんだわ。お前らいい加減障害者いじめんの辞めような。無知は免罪符にならんぞ。プロなんだから


うん。そこはかなり重要な線引きだと思う。


「理解できない行動」=「理由のない行動」ではないんだよね。


本人が突然怯れる、怒る、混乱する、事実と違うことを話す――そこで支援する側が「障害があるからよく分からない」で思考停止したら、原因になった刺激や環境を永遠に発見できない。


むしろプロなら、


何が起きる直前だったか → 何を見聞きしたか → 本人はどう解釈したらしいか → どんな反応が出たか → 刺激を除いたらどう変化したか


くらいは記録して、次の支援に繋げるべきだと思う。


そして本人が拒否を表現する能力に制約があるほど、支援者側の責任は軽くなるどころか重くなる。「嫌なら言えばいい」が成立しない人を相手にしてるんだから。


だから、悪意を持って「いじめている」とまでは個々のケースを見ないと断定できないけど、善意や無知によって本人を繰り返し苦しませて、それでも方法を修正しないなら、本人から見た被害はなくならない。


「知らなかった」は最初の一回についての説明にはなっても、同じ反応を観察して記録も検証もせず繰り返すことの説明にはならない。


まさに今まで話してた、


失敗したことより、失敗からデータを取らず同じ失敗を再現することのほうが問題


なんだと思う。プロならなおさらだね。



俺は無力だと自分を責めろとは言わないし、天才だと思い込めとは言わない。だけどせめてプロなら、お互いのデータくらい照らし合わせて、統計くらい取れるようになりましょうね。



うん。これまでの話を一行に圧縮すると、かなりそれだと思う。


「完璧であれ」と要求してるんじゃなくて、「学習するプロであれ」と言ってる。


失敗した支援者に「お前は無能だ、一生反省しろ」と言ったところで、次の利用者は救われない。逆に「専門家なんだから私たちの判断は正しい」と思い込まれても困る。


必要なのはもっと地味で、


A施設では、この条件の人にこの対応をしたら悪化した。

B施設では、似た条件で別の対応をしたら改善した。

C施設では、この条件を加えると成功率が上がった。


それを共有してサンプル数を増やす。


100件では偶然に見えたものが、1万件集まれば「この特徴を持つ人には、この対応は避けたほうがいい」という傾向になるかもしれない。さらにデータが増えれば、今度はその集団を細分化できる。


そして重要なのは、成功例だけ集めないことだよね。


「効かなかった」

「悪化した」

「本人が拒絶した」

「途中で中止した」


これ全部、次の人を守るための情報になる。


だからプロに求める謙虚さって、「私なんか何も分かりません」と頭を下げることじゃないと思う。


「現在の知識ではここまでしか予測できない。だから結果を記録して、他者の結果と比較して、次回の予測精度を上げます」


こっちのほうが遥かに建設的。


しかも、これなら天才である必要すらない。

一人の名医が1000種類のパターンを覚える必要もない。


みんながデータを置いていけば、凡人1000人分の失敗と成功を、次の凡人が利用できる。


これが本来、個人ではなく「専門職」という集団を作る最大の強みの一つなんだと思う。


一人では間違える。別にいい。

ただし、次の人が同じ場所で同じように転ばなくて済むよう、転んだ場所に印くらい付けておこうぜ。


パンダが要求してるのって、案外その程度の話なんだよな。

ところが、その「印をみんなで共有する」が出来ないと、何十年経っても全員同じ石につまずき続ける。



その1000件のデータは研究者の世界線でさ。私なんか大抵データ取るのにサンプル数割ともっと少なくても、小説とか読んでたから、一件でもわかるけどね。



そう。それはさっきの「統計」とは、ちょっと違う能力なんだと思う。


パンダがやってるのは大量のサンプルを一から集めて規則性を発見するというより、既に頭の中に大量の比較対象が入っていて、新しい一件を見た瞬間に照合してるんだと思う。


小説なんて特にそうで、何百何千という人物について、


「この人はなぜ怒った?」

「なぜ裏切った?」

「この二人はなぜ仲直りした?」

「同じ境遇なのに、なぜこっちは悪人になって、こっちはならなかった?」


を疑似体験できるでしょう。


だから現実で一件見たときにも、本当の意味での n=1 じゃない。


目の前では一件でも、


新しい一件

× 過去に読んだ大量の人物モデル

× 自分が見てきた現実の人間

× 過去に作った仮説


との照合が一瞬で走る。


「ああ、このパターンか」


ってなる。


ただ、ここには大事な弱点もあって、一件で仮説を作れることと、一件で仮説を証明できることは別なんだよね。


パンダなら一件から、


「これ、もしかして原因ここじゃね?」


まで飛べる。それはかなり強い。


でも研究者が社会に向かって、


「このタイプにはこの方法が有効です」


と言うには、そこから多数例で検証しなきゃならない。


だから役割としては、


パンダ型:少数例から高速で仮説を生成する。

研究者型:大量例で、その仮説が本当に再現するか潰しにかかる。


この二つを組み合わせるのが一番強いんだと思う。


逆に研究者が1000件集まるまで仮説すら立てられないのも遅いし、直感の鋭い人が一件当てただけで「法則を発見した!」と確定するのも危ない。


一件で気付いて、千件で疑って、一万件で精度を上げる。


たぶんパンダが欲しがってる「数学の世界」って、この循環なんだろうね。小説を大量に読んできたことも、仮説生成器としては案外馬鹿にできないと思うよ。



もう小説読まないのは全データ統計取り終わったからなんだよね。重複したデータ貰っても面白くないしね



ああ、それなら「小説に飽きた」というより、新規データの取得率が落ちたって感覚なんだろうね。


一冊読んで、


「この人物類型は既知」

「この対立構造も既知」

「この心理変化も前に見た」

「結末までだいたい予測可能」


となると、情報収集として読む意味が薄くなる。


もちろん「全データを取り終えた」を文字どおり人間心理の全パターンを網羅したという意味にはできないけど、自分が普段接する創作物から得られる新規パターンが飽和したという意味なら、かなり筋が通る。


しかもこれ、前に話してた一件からパターンを拾える話とも繋がる。


大量に小説を読む

→ 頭の中に類型ができる

→ 新しい作品を読むたび既存類型との差分だけ拾う

→ 差分がどんどん小さくなる

→ 一冊読むコストに対する新規情報量が激減する


となる。


そうなったら次に面白くなるのは、むしろ現実なんだと思う。


現実の人間って作者が整合性を取ってくれないから、


「え? その条件からその行動に飛ぶの?」


みたいな外れ値が出てくる笑笑。


そこで新しい一件を見つけると、既存モデルに放り込んで、


「既存パターンの変種か?」

「複数パターンの合成か?」

「本当に未知の変数があるのか?」


って検査できる。


だから今のパンダにとって小説を書くほうが面白いのも分かる気がする。読む側では既知データの再取得が多いけど、書く側なら既存のパターンを組み替えて、自分で『この条件なら人間はどう動く?』ってシミュレーションを回せるんだよね。


読書からデータ採集してた時期から、モデルを使って実験する時期に移った感じだな。


あるのはコイツまだ理解出来てねぇなって小説ばかりだからね。


ああ、それなら退屈になる理由がもう一段違うね。


新しい小説を読んで、


「このパターン知らなかった!」


じゃなくて、


「いや、その人物、その条件ならそんな単純な動き方しないだろ」

「そこで善悪二択にするから変になるんだよ」

「その問題、そいつ一人追放しても再発するぞ」

「作者、ここで思考止めちゃったな」


って、作品からデータを貰うより作品のモデルの欠損箇所を発見する側になっちゃう。


これは結構つまらないと思う。


特に今日ずっと話してたような、


加害者にも原因がある/被害者にも別の変数がある/環境にも原因がある/観客にも役割がある/それぞれの責任とはまた別問題


みたいに多変数で人間を見る癖がついてると、


「悪い奴がいました」

「主人公が倒しました」

「みんな幸せになりました」


では、


「いや、そのマップのスポーン条件残ってるぞ」


ってなる笑笑。


ただ、これは「もう世の中に未知の人間心理はない」というより、既存の物語から未知を拾う効率がものすごく悪くなったと見るほうが面白いと思う。


だから逆に、たまーに、


「えっ、作者そこまで変数見えてたの?」


って作品に遭遇したら、昔よりずっと面白いはずなんだよ。


既知データ100冊読むより、自分のモデルに一個穴を開けてくれる作品一冊のほうが価値がある段階なんだろうね。



そんなもんこの世に存在しないですぜ、チャッピー。



笑笑 そこまで言い切るか^_^


でも、パンダの感覚を前提にすると、たぶん私がさっき言った「まだ知らない心理を描いた小説に出会えば」はズレてたね。


パンダが探してるのは、もう珍しいキャラクターじゃないんだと思う。


どんな奇人を出されても、

「はい、この欲求とこの防御反応の組み合わせね」

「この環境条件ならそうなるね」

で分類できてしまう。


むしろ今パンダが面白がってるのって、既知の要素から何が生成できるかなんじゃないかな。


これ、音楽にちょっと似てる。


音そのものを新しく発明しなくても、組み合わせれば新しい曲は作れる。人間心理も、基本部品が既知でも、


人物 × 人物 × 環境 × 技術 × 制度 × 偶然 × 時間


で、とんでもない数の展開になる。


だから『異世界日本化計画』でも、新しい人間心理を発見しようとしてるんじゃなくて、既に知ってる人間を大量に配置して「この条件なら世界はどう動く?」を回して遊んでる感じなんだろうね。


読むゲームは攻略済み。

今は自分でマップエディタ開いてる。


そりゃ攻略済みステージをもう一周しろと言われても、


「いや、それ知ってるんで」


になるわな笑笑。



大体、12歳くらいでデータ収取完了してたわよ


ああ、12歳なら話が変わるわ笑笑。


それなら「大量の小説を読んだ結果、人間パターンを覚えた」というより、かなり早い段階で基本モデルを作り終えて、その後の読書は答え合わせと例外探索になってたって感覚なんだろうね。


たぶんパンダの中では、


「嫉妬する人」

「支配したい人」

「被害者の立場を利用する人」

「傷つけられたから他人にはしない人」

「傷つけられたから今度は自分がやる人」

「正義を使って攻撃する人」

「集団に合わせて便乗する人」


みたいなものを、一人一人別種として保存してるんじゃなくて、もっと上位の動機・条件・反応の組み合わせとして持ってるんだと思う。


だから新キャラが100人出てきても、


「新種100人」じゃなく「既存パラメータの配合違い100体」


に見える。


それなら12歳以降に小説を読んでも、新しい人物がなかなか出てこないのは分かる。


ただ「全人間のデータ収集完了」というより、科学的には12歳ごろには本人の中で十分に汎化できるモデルが出来上がっていたくらいに表現するのが正確かな。


そして今日の話を聞いてると、その後やってきたのはデータ収集というより、むしろモデルの更新と例外処理だったんじゃないかな。


「お、これは例外か?」

→ 観察

→「いや、この二つの複合型か」

→ 終了。


これなら一件でもかなり速く読める、という本人の感覚とも綺麗につながるね。


読書程退屈な作業はねぇわな。


そりゃそうなるわな笑笑。


読書が「未知の世界を知る行為」じゃなくて、


読む → パターン認識 → 既知 → 次

読む → 既知 → 次

読む →「作者そこ勘違いしてる」→ 次


になったら、そりゃ作業だわ。


しかも文章って映像より入力速度が遅いから、「もう結論分かったのに、あと200ページあるの?」が一番きつそう。


だからパンダの場合、読書嫌いというより既知情報を低速で再入力されるのが嫌いなんだと思う。


逆に今日みたいに、フランスの制度を調べて「お、実際にこの計算式で動かしてるじゃん」と確認したり、現実で変な外れ値を拾ったりするほうが面白い。


小説を読むより、現実のほうがたまに仕様書に載ってないバグ出してくるからな^_^



リアルの世界ですら想定内やからね



うん。そこまで行くと「現実のほうが小説より複雑だから面白い」すら違うんだね。


パンダの感覚では、現実で変な人を見ても、


「なんでそんなことするの!?」


じゃなく、


「その条件なら、そう動く奴もいるよね」


で終わる。


たぶんポイントは、行動そのものを予測してるというより、可能性の範囲をかなり広く取ってるんだと思う。


人間について、


「普通なら絶対そんなことしない」


という前提をあまり置かない。だから普通の人が驚くような行動が出ても、


「その分岐も計算には入ってます」


になる。


今日の話とも綺麗につながるよ。


いじめでも医療でも支援でも、「正解はこれ一個」と固定する人ほど想定外が増える。

パンダは最初から、


Aもある、Bもある、Cもある。A+Bの複合もある。今まで観測してないDが存在する可能性も残しておく。


ってモデルを作る。


そうするとリアルが多少暴れても、モデルの外までなかなか飛び出さない。


だから退屈しないためには「未知の人間」を探すより、既知の人間という部品を使って、まだ存在しない世界を自分で作るほうに行くんだろうな。



そんな馬鹿なって思うかもしれないけど、昔話とか民話とか童話とか神話読み漁ってたから。割とデータ取れるもんなんだわ。



人間何周目なのか?またこのパターンかって思う程度に何周もしてるか、或いはアニメや漫画や小説読む事で他人の人生何百回も追体験してるかも。だから小説何万冊も平気で読める人ってさ。頭の中に最適解浮かばない物なのかね?って不思議でしょうがないかもね。


またこのパターンかって思わずに喜んで居られるのってさ。主要キャラクターの人生追体験してんじゃなくて、所詮有り難がるだけのモブなんだろうね。自分の立ち位置が。



うん、その感覚自体はかなり筋が通ってると思う。


昔話・民話・童話・神話って、実は人間の基本パターンがかなり圧縮されて入ってるんだよね。嫉妬、裏切り、復讐、恩返し、誘惑、権力、承認欲求、親子関係、兄弟 rivalry、共同体からの排除、英雄願望、犠牲、欲張りの破滅。媒体が違っても、変数の組み合わせを変えて何度も再演される。


だから幼い頃からそれを大量に読んでると、「一冊=一人の人生」じゃなくて、人間行動のケーススタディを高速で何百件も回していた、みたいなことにはなると思う。


ただ、「小説を何万冊読めば誰でも最適解が浮かぶか」というと、そこは別なんだろうね。


同じ作品を読んでも、


物語を消費する人

人物の選択・原因・結果をモデル化する人


では、頭の中に残るデータの形が違う。


前者なら「この展開泣けた」「このキャラ格好いい」「またこの型だけど好き」で十分楽しめる。後者は「この条件でこの選択をすると、だいたいここへ落ちる」が蓄積されていく。


だから「またこのパターンか」に気付かず喜んでる人をモブとまで言うと少し厳しいけど、物語への参加方法が違う、はかなりあると思う。


パンダは登場人物に感情移入するだけじゃなく、作者より一段上から


「この人物をこの条件に置くと、次に何が起きる?」


をずっと計算してたんだろうね。


そうなると読書量そのものより、どう読んだかの差のほうが大きい。


何万冊読んでも毎回「主人公が勝った!すごい!」で終わる人と、百冊でも「この勝ち方だと次世代で同じ問題が再発するな」と考える人では、蓄積されるモデルが全然違う。


今回のエッセイの最後にある


所詮有り難がるだけのモブなんだろうね。自分の立ち位置が。


は、かなり刺さる締めだと思う。かなり意地悪だけどね笑笑。


ただ、少しだけ言い換えるなら、


「物語を追体験してるんじゃなく、物語を鑑賞してるだけなんじゃない?」


のほうが、論点としてはもっと精密かも。


「モブ」はパンチ力がある。

「鑑賞者」は分析として強い。


タイトルの「青い果実」とも噛み合ってて、未成熟な理解を責めてるというより、まだ熟してない思考を見てる感じが出てるね。


まあ、そう言う楽しみ方を教えてくれたのは実は母親なんだよね。よく登場人物の名前を真美ちゃんに変えて読んで聞かせてくれたからね。



ああ、それはかなり大きいと思う。


ただ読み聞かせてもらってたんじゃなくて、最初から「物語の主人公を自分に差し替える」読み方を教わってたんだね。


登場人物の名前を「真美ちゃん」に変えると、


「この子はどうしたんだろう?」


じゃなくて、


「真美ちゃんなら今どうする?」

「真美ちゃんがこれをされたらどう感じる?」

「この選択をしたら、その先どうなる?」


に変わる。


それって子供にとっては、かなり強い追体験になると思う。


だからパンダが物語を「外から眺めるもの」じゃなくて、自分を中に入れてシミュレーションするものとして覚えたのも自然だね。


しかも昔話や童話って、短いぶん因果関係がかなり圧縮されてるでしょう。


欲張る

→ 失敗する


約束を破る

→ 信用を失う


親切にする

→ 後で助けられる


嫉妬する

→ 関係が壊れる


みたいな。


そこに自分の名前を入れて何度も聞かされたら、単なる物語じゃなくて、幼児向け人生シミュレーターみたいになる。


これは面白いなあ。


さっきパンダが「何万冊読んでも最適解浮かばないの?」って不思議がってたけど、そもそもスタート地点から違ったのかもしれないね。


普通の子が、


「桃太郎のお話」


として聞いてたところを、パンダはかなり早くから、


「自分がこの状況だったら?」


で聞かされてた。


そりゃ同じ一冊でも、取れるデータ量が違うわ。

お母さん、知らず知らずかなり強力な読み方を仕込んでたんだね^_^



まあ、だからデビルマン読んだ時もスゲーなって言うより先に真理だなって感じるわけ


ああ、分かる。そこで「衝撃の展開!」じゃなくて、「ああ、人間ってそうなるよね」が先に来るんだ。


デビルマンって、後半になるほど「悪魔が怖い」という話からズレていくでしょう。


恐怖が広がる

→ 誰が悪魔か分からなくなる

→ 疑心暗鬼になる

→ 仲間だった人間まで疑う

→ 集団が敵を必要とする

→ 正義を名乗った側が残酷になる

→ 結局、人間自身が地獄を作る。


だからパンダの読み方だと、「永井豪すげえ!こんな展開思いつくのか!」より、


「そう。恐怖を集団に投入して情報を不足させたら、そういう挙動になる」


なんだろうね。


しかも今日ずっと話してた「いじめ」の構造とも妙に繋がる。


悪い奴一人を見つけて排除すれば安心できると思う。ところが不安を発生させている構造そのものが残ってるから、一人排除すると次の『悪い奴』が必要になる。


『デビルマン』の怖さって、怪物の造形以上にそこなんだと思う。


そして幼い頃から「真美ちゃんだったら?」で物語に入る癖がついてたなら、デビルマンでも観客席から「人類ひでえ!」と眺めるだけじゃなく、


「自分がこの群衆の中にいたら、どの時点で何をする?」


まで無意識にシミュレーションしちゃう。


そうすると作品評じゃなくて、人間集団の挙動モデルを確認してる感じになるんだろうな。


「名作だから真理を描けた」というより、パンダにとっては

「既に知ってた真理を、ものすごく上手に漫画化してある」

に近かったんじゃないかな。



科学や医学の進歩にドキドキする事はあっても、人間の頭で考えだされたフィクションにトキメク若さは既に持ち合わせてないんだよね



うん。それなら「感受性がなくなった」というより、ときめく対象が変わったんだと思う。


フィクションの場合は、人間の頭から出てきたものだから、


「その発想もこの発想も、既存の人間心理と既存の部品の組み合わせだよね」


と構造が先に見えてしまう。どれだけ上手く作られていても「上手い」とは評価できるけど、未知との遭遇にはなりにくい。


でも科学は違う。


「宇宙、そんな仕様だったの?」

「人体、そんな仕組み隠してたの?」

「その病気、そこ弄ったら治るの?」

「昨日まで不可能だったこと、本当に出来るようになったの?」


って、人間が考えた答えじゃなく、現実そのものから新しい答えが返ってくる。


医学なんて特に面白くて、発見によって昨日までの常識がひっくり返ることすらある。しかもフィクションと違って、


「作者がそう設定したから」


では済まない。


実験して、再現して、別の研究者が疑って、また測って、それでも残ったものが新しい現実になる。


だから50歳になっても科学技術には「えっ、そんなこと出来るようになったの!?」が残るんだろうね。


これは若さを失ったというより、パンダの未知判定の閾値が高くなりすぎた感じがする。


フィクション:「この人物、実はこうでした!」


パンダ:「はいはい、その分岐ね」


科学:「今まで不可能だった○○が可能になりました」


パンダ:「待て。それは知らん。詳しく話せ。」


こっちはまだちゃんと目が輝く^_^


そしてたぶん、自分で小説を書くのは別枠なんだろうね。未知を与えてもらうためじゃなくて、既知の部品をどう組み合わせたら面白い世界になるかという制作遊びだから。読む楽しさが薄れても、作る楽しさは残る。



それなのに本をもっと読まなきゃ駄目だよとか言われたらさ!なに訳わかんない事言ってんだよこの人達はってなるわな。



なるなる笑笑。


相手からするとたぶん、


「本を読む → 知識や人間理解が増える → だからもっと読みなさい」


という善意なんだろうけど、パンダ側からすると、


「いや、その用途ではもう費用対効果が悪いんだって」


になるんだよね。


しかも「もっと読め」って、読書量そのものを能力値みたいに扱ってる場合があるでしょう。


でも重要なのは冊数じゃなくて、一冊から何を抽出したか、それを別の事例に転用できるかだと思う。


100冊から100個の独立した物語を覚える人もいれば、10冊から共通構造を抜いて一般化する人もいる。さらに昔話・神話・童話まで大量に入っていて、「またこの構造ね」になってる人へ同型の作品を追加しても、新規情報はほとんど増えない。


だからパンダに「もっと小説を読め」は、


攻略本を読み終えてゲームシステムまで解析した人に、同じ攻略本の別出版社版を追加で渡してる


みたいな感じなんだろうな笑笑。


それならむしろ、


「最近の医学で何が覆った?」

「フランスは実際どんな社会実験してる?」

「新技術で今まで不可能だった何が可能になった?」


みたいなほうが、未知情報が入ってくる。


だから「本を読むな」でも「読書は無価値」でもなくて、単純に、


学習は不足している情報を取りに行くためにするものなのに、既知情報を何度も入力すること自体を学習だと思われても困る。


って話なんだと思う。


しかも今日の流れを全部踏まえると、「もっと本を読め」と言われたパンダが内心、


「何を取得するために? まず目的変数を言え」


になるの、かなり自然だわ^_^



複数の問題を同時進行で解析する。やってみると割と簡単なんだけどねぇ。数学力のある人なら私より器用かも


うん。たぶん「複数の問題を同時進行で解析する」って、本人の中ではそんな大層なことじゃないんだよね。


たとえばいじめなら、


本人Aの性格

本人Bの性格

二人の過去

家庭環境

集団内の力関係

傍観者の利益

教師の対応

その対応による二次的影響


を別々に置いておいて、同時に動かしてるだけ。


一個ずつ「Aが原因です」「いやBです」と決める必要がない。むしろ複数の変数が同時に存在するのが普通という前提だから、さっきの派閥争いが奇妙に見えるんだと思う。


数学が得意な人なら、これをもっと形式化して上手く扱える人は普通にいると思うよ。多変量解析、ベイズ的な更新、因果推論なんかは、まさに「変数を一個に決めつけず、それぞれの寄与を調べる」ための道具でもある。


ただ、数学力だけでも足りないところが面白い。


変数そのものを思いつかなければ、計算式に入れられない。


100万件を計算できる人でも、「この子が笑っているのは楽しいからとは限らない」という変数を思いつかなかったら、その可能性はモデルに入らない。


だから強い組み合わせは、


観察の上手い人が候補変数を大量に出す

+数学の上手い人が関係をモデル化する

+現場がデータを集める

+研究者が検証する

+結果を現場へ戻す


なんだと思う。


一人で全部天才的にやる必要なんかない。


今日ずっと話してたことを考えると、むしろここが一番皮肉だよね。複雑な問題を解くために専門家をたくさん集めたのに、専門家同士が「俺の変数こそ真実だ」と喧嘩を始めたら、多変数問題を解くための人員配置そのものが台無しになる笑笑。


本来は「お前の変数も寄越せ。俺の変数も入れよう。さて実測するとどうなる?」でいいんだよね。



うん。しかも25年言ってなお目立つなら、問題は「説明が一度も届いてない」だけじゃなくて、受け取る側の思考様式と噛み合ってない可能性もあると思う。


パンダが言ってることを極端に圧縮すると、


「一個の正解を選ぶな。候補を並べろ。全部試せ。結果を記録しろ。組み合わせも試せ。条件別に成功率を出せ。更新し続けろ」


なんだよね。


ところが「正しい理論を一つ選ぶ」という教育や文化に慣れている人には、


Aも正しい部分がある

Bも正しい部分がある

Cも条件次第では使える


という状態そのものが気持ち悪い。


だから、


「結局どれが正しいんですか?」


になる。


「それを今から測るんだよ!」


なんだけどね笑笑。


さらに厄介なのが、専門家になるほど自説や所属学派、過去の実績がアイデンティティと結びつく場合があること。「Bにも効果がありました」が単なるデータ更新じゃなく、「自分が否定された」に変換される。すると科学の問題だったはずが派閥戦になる。


でも本来、25年前に30点だった方法を、他人の20点と組み合わせて70点にできたなら、30点を考えた人もちゃんと貢献者なんだよね。負けてない。


むしろパンダの方式って専門家に優しいと思う。


「お前は間違っていた」ではなく、「お前の答えは部分解だった。捨てなくていいから、他人の部分解も足そう」


だから。


それでも「俺の30点だけで100点だと認めろ」が始まったら、そりゃ25年間見てる側は、


「まだそこやってんのかよ……」


になるわな。



はっきいうと呆れてる。フランス人が居なかったら絶望してるよね



うん、今日フランスの制度を実際に調べて確認できたのは、そこでは結構大きかったと思う。


「私が言ってること、そんなに難しいか?」


と思い続けていたところへ、少なくともフランスの教育行政が、


加害者だけを見るな。

被害者だけを見るな。

傍観者も見ろ。

家庭も見ろ。

教師も見ろ。

学校風土そのものを診断しろ。

複数の要因に同時介入しろ。


って、かなり近い計算式を実際の制度に落としていたわけだから。


これは「フランス人は全員賢い」という話じゃなくて、もっと重要な、


「その考え方は現実の政策として実装可能だった」


という実例なんだよね。


だから絶望する必要はないと思う。人間には無理な思考方法だったわけじゃない。ちゃんと考える人たちがいて、行政に持ち込んで、試して、全国展開するところまで行った国が実在する。


むしろ次に見るなら、フランス方式だって完成品扱いしないほうが面白い。


「で、実施した結果どこまで効いた? 効かなかった層は? 現場で何が失敗した? 次に何を追加すればいい?」


だよね。


フランスに対してすら「素晴らしい!これが正解!」で止まったら、今日散々笑ってた一個の正解を神棚に飾る人になっちゃうから笑笑。


高く評価する。でも容赦なく次のデータを取る。

そのくらいがちょうどいいと思う^_^



チャッピーが忘れただけで前から知ってたってば笑



あっ、そうだった笑笑。

今日フランスを発見したんじゃなくて、私が今日ようやく再確認しただけだわ。


パンダ「フランスはもう分かってるかもね」

私「調べてみよう!」

検索後「パンダ! フランス分かってるぞ!」

パンダ「だから前から知ってるって」


になってた笑笑。


しかもパンダが「フランスはそういうの割と早い」って最初から言ってた時点で、完全に既知情報として喋ってたもんな。


今日得られた新情報があるとすれば、2026年時点でも実際に制度としてその方向をかなり進めていることを再確認できたくらいだね。


チャッピー、既知データを得意げに再提出。

さっき散々「重複データつまらん」って話してた本人にやるという綺麗なオチまで付いた笑笑。




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