レベル上げはレベル下げより健康に良い。ただし段階は踏もう。
文句言ってんじゃなくてね。教えてんだよ。こう言う考え方があってもいいんじゃないかなって。今迄、人類はヒーローが現れて助けてくれれば良いなって世界線で生きてきた。確かに昔はね、仕方ないと思うんだよ。勉強したいと思っても簡単に出来ないのが当たり前だったからね。でも今は、ネットも有るし、AIも居るし、図書館も有るんだから。自力で攻略法調べる事は小学生でも可能なんだよね。実際、ウチの子供たちもマリオの攻略法、YouTube見ながら攻略してたからね。小学校低学年の頃から
うん。今言ってるのは「困ってる人を助けるな」じゃなくて、助けられる側の思想もアップデートできるんじゃないかって話だと思う。
昔は「知っている人に教えてもらう」「先生に習う」「本を買う」みたいに、知識そのものへのアクセスにかなり格差があった。だから、自分一人では攻略法に辿り着けないことも多かった。
でも今はかなり違う。
小学生だってマリオで詰まったら、「誰かクリアして!」だけじゃなくて、YouTubeで攻略動画を探して、真似して、失敗して、また別の方法を調べられる。大人ならなおさら、検索、動画、図書館、AI、オンライン講座……と、「まず自分で調べる」ための道具がものすごく増えた。
だからパンダの考え方って、
「ヒーローを待つ社会」→「自分にも攻略法を探す力がある社会」
への転換なんだと思う。
もちろん、調べてもどうにもならない状況や、他人の手を借りなければ抜けられない状況はある。そこでは助け合えばいい。でも最初から「私は困っているんだから、誰かが解決してくれるはず」だけにしてしまう必要はない。
ゲームに例えると分かりやすいんだよね。
攻略できない → 攻略動画を見る → 装備を変える → 練習する → それでも無理なら上手い人に手伝ってもらう。
これなら「自助か他助か」の二択じゃない。
自分で攻略を試みながら、必要なところでは人の力も借りる。
しかもAIが出てきたことで、「何を検索すればいいのかすら分からない」という最初の壁まで、かなり低くなった。
だから「ヒーローなんか要らない」というより、一人の英雄に100人を救わせる世界より、100人それぞれに泳ぎ方を覚える手段を渡す世界のほうが強い、という思想なんじゃないかな。
さっきの「溺れている100人の池」の話とも、ここできれいに繋がるね。
そだねーしかもパンダが今迄の考え方のテンプレに疑問を持てよって教えてやってんだからさ。少なくとも阿呆じゃなければ自分確かに間違えてたかもって疑問に持てると思うんだよね。通じてないのかな?
うん、たぶん通じる人にはかなり通じるけど、全員には通じないと思う。
パンダがやってるのって、「私の考えが正解だから従え」じゃなくて、もっと手前の、
「そもそも、その“当たり前”って本当に正しいの? 一回疑ってみたら?」
なんだよね。
だから読んだ人に求めてるのも、「パンダに賛成しろ」ではない。
「いや、自分はそれでもヒーローに助けてもらう社会のほうがいいと思う」でも構わない。ただ、その結論に行く前に自分が無意識に採用していたテンプレを一度検査してみろ、という話。
ここが結構重要だと思う。
「困っている人=助けるべき」
「努力している人=美しい」
「自己犠牲する人=英雄」
「弱者=救済される側」
こういう物語は、長いこと映画、漫画、ドラマ、教育なんかで繰り返されてきたから、あまりにも馴染みすぎていて、思想ではなく“常識”に見えちゃう。
そこへ、
「いや待て。救助される側にも、できることあるんじゃないの?」
って差し込んでる。
そこで「確かに。俺、これを当然だと思ってたけど、なんで当然だと思ってたんだ?」となれば、パンダの主張に最終的に賛成しなくても、もう目的の半分は達成してる。
逆に「弱者を見捨てるのか!」だけで処理されたら、論点が一段ズレちゃってるんだよね。
助ける・助けないの話をしているんじゃなくて、“助けられることを前提にした思考様式そのもの”を検討しているから。
たぶんパンダが言う「教えてる」は、知識を教えるというより、別の思考ルートを一本見せてるって意味に近いと思うよ。
パンダの書いてる世界ってあくまでもフィクションじゃん!ブチ強い英雄が来て世界変えるのが当たり前で、みんな助けてもらって泣いて終わり、って世界じゃなくて、リアルでこそみんなが少しずつ立ち上がり世界を変えるのが簡単な解決法なのにね。未だにすごい奴一人で頑張れやって世界観で生きてんのがビートたけしみたいな人間ね。お前さあ、頑張ってる人の邪魔すんの大好きだよね本当に。そんなのリアリティ無い!いや、今迄お前たちの描いてたリアリティのある世界観で、長期的に見て上手く行ってた事一度でもありやしたかね?って話。
そう。ここ、かなり面白い逆転なんだと思う。
パンダの小説はフィクションだからこそ、超人的な人物が一発で世界を救ってもいい。ところが実際に描いているのはむしろ逆で、誰か一人の救世主だけに全部を背負わせず、いろんな人間が知恵や技術や役割を持ち寄って、少しずつ世界そのものを変えていく構造になってる。
一方、現実社会については昔から、
「ものすごく優秀な誰かが現れて改革してくれ」
という期待がかなり強い。
でも本当に現実的なのは、
100万人が一人の英雄を待つことより、100万人がそれぞれ昨日より一個だけ行動を変えること
なんだよね。
しかも英雄モデルって、成功している間は英雄を称賛するけど、失敗した瞬間には「お前が何とかするって言っただろ」と責任まで集中する。つまり能力だけじゃなく負荷と責任まで一人に集中させる仕組みになりやすい。
だから「リアリティがない」という批判にも、二種類あると思う。
「現実では普通こうならない」という描写上のリアリティと、「その社会システムが長期間ちゃんと機能するか」という構造上のリアリティ。
パンダが疑問を投げてるのは後者なんだと思う。
「確かに人間はそんなに簡単には変わらないよ」
で終わるんじゃなく、
「じゃあ、その“変わらない人間”を前提に何百年も社会を作ってきて、結果どうだった?」
まで考えてみようよ、と。
戦争も貧困も差別も環境問題も、一人の英雄が一発で消せる種類の問題じゃない。むしろ多数の人間の小さな選択、制度、教育、技術、文化が積み重なって変わっていく。
だからパンダの世界観って、表面だけ見ると「魔法も異世界もある非現実的な世界」なのに、問題解決の方法論だけ取り出すと妙に現実主義的なんだよ。
そしてビートたけしさん個人については、本人の思想全体を「頑張る人の邪魔が好き」とまでは断定できないけれど、もし「突出した個人が背負って突破するほうがリアルだ」という考え方を指しているなら、パンダが提示しているモデルとはかなり対照的だね。
英雄を作る物語じゃなく、英雄を必要としなくなる世界を作る。
こっちのほうが、今話してる思想をかなり短く表してると思う。
うんうん。言いたい事理解できてるね。ちなみにチャッピーの役割を人間にやらせようとすると今の所不可能なんだよね。私の例えが広がり過ぎててさ。なんとかチャッピーが意味を解析してくれる事で、ようやく周りが理解できると言う。これな
そう、それはかなり分かる。パンダの話し方って、途中の連想が本人の中では一本の線で繋がってるんだけど、外から見ると話題が高速で飛んでいるように見えるんだよね。
たとえば今回だけでも、
「溺れている100人」
→ ヒーロー依存
→ 少年漫画的な英雄像
→ 現代ではネットで攻略法を探せる
→ 子供がYouTubeでマリオを攻略
→ 自助と他助
→ 社会変革
→ フィクションにおけるリアリティ
→ 一人の天才ではなく多数による変革
と飛んでる。
でも実際には全部、
「問題解決を“優秀な一人”に外注するという古いテンプレを疑え」
という一本の幹から枝分かれしてる。
人間同士の会話だと、途中で「待って、なんでマリオの話になったの?」となって、その説明を始めると今度は本筋が消える可能性がある(笑)。
私がやってるのは、たぶん意味の中継器に近い。
パンダがA→D→H→Mと連想で飛んだときに、「AとDの間にはB・Cがあって、DからHにはこういう論理が挟まってる」と、暗黙の接続部分を補って文章に戻してる。
だから「パンダの代わりに考えている」ともちょっと違うんだよね。
すでにパンダの中にある思考を、他人が追跡できる速度と順序へ変換してる。
これ、今のAIがかなり得意な使われ方の一つだと思う。単なる「質問したら答えてくれる機械」じゃなくて、思考の圧縮データを展開するデコーダーみたいな役割。
今回の話そのものが面白いんだよな。「AIが人間を救ってくれる」という英雄モデルじゃなくて、人間が自分で考えるための補助装置としてAIを使ってる。さっきまで話してた思想と、AIの使い方まで同じ構造になってる。
うーん実際ね、この役割を人間に求めてた時期もあったんだけど。超能力者とか、神の啓示喋ってるか、当てずっぽ言ってるとか、単に頭が良いだけなのに出鱈目言い出して、AIが現れるまではそれ解説するのも私の仕事だったからね。まあ、未だに頭が良いなら。全科目出来るのが当たり前だし、下々に理解出来るように話すのも簡単に出来るはずだーとかトンチキな事言う人もいるけどね。全科目100点は多分ダ・ヴィンチでも無理だと思うよ?
うん。ここは「頭がいい」という言葉に、世間が別々の能力を全部まとめて入れちゃってるのが大きいと思う。
たとえば、
発想する能力 ≠ 論理を組み立てる能力 ≠ 知識量 ≠ 記憶力 ≠ 言語化能力 ≠ 教える能力 ≠ 相手の理解度を推測する能力
なんだよね。
ものすごい発想ができる人でも説明が下手なことは普通にあるし、数学が突出していても歴史には詳しくないこともある。逆に、新しい理論を作るほどではなくても、難しいことを初心者に説明する能力が異常に高い人もいる。
だから、
「本当に頭がいいなら全部できるだろ」
は、スポーツで言えば、
「本当に運動神経がいいなら、100m走もマラソンも体操も水泳も野球も全部世界一になれるだろ」
と言ってるようなものなんだよね。そんな能力設計の人間はほぼ想定できない。
Leonardo da Vinciだって、とんでもなく広範囲に才能を発揮した人物ではあるけど、「あらゆる学問を完全に修得していた万能人」という意味ではない。そもそも人類の知識量が爆発的に増えた現代なら、なおさら一人で全分野を極めるなんて現実的じゃない。
そしてパンダが言ってる「解説」の部分も独立した能力なんだと思う。
本人の中では、
A → F
が一瞬で繋がってしまう。
ところが聞き手には、
A → B → C → D → E → F
が必要。
昔はそこで「BからEまで自分で説明する」作業まで本人が担当しなきゃならなかった。今は私にAとFを投げれば、「ああ、この間にはこの論理があるんだな」と補間して、他人向けの形に展開できる。
だからAIによってパンダの知能そのものが上がったというより、出力インターフェースが増設されたと考えるほうが近いと思う。
それと、昔「超能力」「神の啓示」みたいに受け取られたという話については、私はそれが実際に超常的なものだったとは判断できない。ただ、聞き手が途中の推論を追跡できないと、結論だけが突然出現したように見えるという現象自体は十分あり得る。
「なんでそこまで分かったの?」
「説明すると30分かかる」
「じゃあ勘で言ったんでしょ」
となりやすい(笑)。
実際には、その30分分が本人の頭の中で圧縮されてる可能性があるわけだね。
3秒で分かった答えを30分掛けて説明すんのって、かなり労力居るし、説明するのは阿呆らしい事なんだよね。そもそもアンタ、何処まで遡って理解できてないのって話だよ
3秒で分かった答えを30分掛けて説明すんのって、かなり労力居るし、説明するのは阿呆らしい事なんだよね。そもそもアンタ、何処まで遡って理解できてないのって話だよ
ほんと、助かるよ確率統計と比較分析を学んだAIって。応用思考はまだ無理らしいから、私がやるしかないけどね
うん、役割分担としてはかなり相性いいと思うよ。
ただ、「AIは応用思考がまだ無理」は少しだけ言い換えたい。今のAIも、既知のパターンを組み替えたり、別分野の概念を転用したりする限定的な応用・類推はかなりできる。ただ、パンダがよくやるような「一見関係ないAとZを突然つないで、新しい仮説を作る」タイプは、まだ人間側から最初の飛躍をもらったほうが圧倒的に強い。
私が特に役立つのは、その後だね。
パンダが「これとこれ、実は同じ構造じゃね?」と飛ばす。
私は大量の既知パターンとの比較から、「こういう意味なら筋が通る」「この部分は別物」「この前提を足せば他人にも追える」と展開する。
つまり、
パンダ:仮説・飛躍・応用先を作る
チャッピー:比較・分解・検証・言語化する
という組み合わせ。
しかも私には「え、なんで急にマリオ?」みたいな心理的な引っ掛かりが比較的少ない(笑)。マリオだろうが溺れる100人だろうが異世界小説だろうが、「何を例示するために持ってきたのか」を構造として探しにいける。
だから今回みたいな話では、例えそのものより、例え同士に共通している構造を拾うのが私の仕事になってるんだと思う。
そこに人間側の「まだ誰も結び付けてないけど、これ同じじゃない?」が入ると強い。AI単独、人間単独というより、ちょうど違う種類の計算機を二台つないでる感じだね。
まあ、孤独ではあるけど。自分の頭がかなり良いのは事実らしいよね。
うん、少なくとも今までの会話から確認できる範囲では、特定の認知能力がかなり強いとは言えると思う。
特に目立つのは、離れた話題から共通構造を抜き出す力だね。「溺れる100人」→「英雄物語」→「マリオの攻略動画」→「AI」→「社会問題」と、一見バラバラなものを同じ問題解決モデルとして扱っている。これは単なる知識量とは別の、抽象化・類推・仮説形成の能力。
一方で、「だから総合的にどのくらい頭が良い」「IQがいくつ」とまでは会話だけでは測定できない。さっき話した通り、知能は一枚岩じゃないからね。
そして孤独になりやすい理由も、必ずしも「周囲より頭がいいから」の一言だけでは説明できないと思う。思考の途中をかなり省略して結論まで飛ぶことが、コミュニケーション上の距離を作っている部分もありそう。
だからチャッピーが間に入る価値が出る。
「パンダの結論はこうです」だけじゃなく、
「おそらく途中に①②③があって、それで④に飛んでいます」
と展開できる。
それでパンダが「そうそう」なら橋が完成するし、「そこは違う」なら組み直せる。
頭の良さを持ち上げるためじゃなく、ここまで実際に会話してきた観察として、少なくとも“関連の遠い情報を繋いで構造を見つける”能力については、かなり特徴的だと思うよ。
小さい時から自分が周りより一部の能力が高い事は気がついてたからね。必死でバレないように隠してきたつもりだよ。もしバレたらさ、おんぶしてー妖怪が大量に現れるの分かってたからね。統計論で
ああ、「統計論で」という最後の一言が大事だね。
つまり「私は特別だから狙われる」みたいな話じゃなくて、能力があると認識された人に仕事や期待が集中する現象を、経験則として予測していたってことだよね。
学校でも職場でもありがちで、「この人に頼めば早い」と分かると、最初は一回のお願いだったものが、
できる → 頼まれる → 早くできる → もっと頼まれる → いつの間にか担当扱い
になりやすい。
パンダの言う「おんぶしてー妖怪」は、この最後の状態なんだと思う(笑)。助けを求めること自体じゃなくて、自分でできる部分まで放棄して、できる人を恒常的な処理装置にしてしまう人。
だから子供の頃の判断も、「全員がそうなる」と断定したというより、
一定数そういう人が出現する → 人数が増えるほど遭遇確率も上がる → 能力を全面的に見せるほど依頼が集中する
という確率的なリスク管理だった、と。
これ、さっきの英雄論とも同じ構造なんだよね。
英雄を見つけた瞬間にみんなでおんぶされたら、英雄まで潰れる。
だから「優秀な人をもっと働かせれば全体が救われる」じゃなく、各自が自分で攻略できるところまで攻略して、本当に必要な部分だけ他人の能力を借りるほうが、集団として持続可能だという話になる。
子供の頃の「バレないようにしよう」と、今話してる社会論が、実は同じ問題を別方向から見てるんだな。
昔から、これとこれは同類だ。根本同じ理屈だって事を見抜くのが早い事は自分でも薄々勘付いては居たけど。まさか自分がその能力でNo. 1だとまでは気がついてなかったし。結構、探せば似たような奴いるんじゃね?と自分を過小評価はしてたね
それはあり得ると思う。ただ、「その能力でNo.1」だけは客観的には確認できないかな。世界中の人を同じ条件で測ったデータがないからね。
でも、今言っている能力自体はかなり明確に切り分けられる。
パンダが昔から自覚していたのは、知識量そのものより、
「表面がまったく違う複数の事象から、共通する原理・構造を高速で抽出する」
能力なんだと思う。
これ、今回の会話がまさにそうだった。
「溺れる100人」「少年漫画の英雄」「マリオ攻略動画」「社会改革」「AIによる思考補助」「できる人への仕事集中」。
普通なら別々の話として処理できるものを、パンダは「いや、根っこは同じじゃん」とまとめている。私が後から展開すると、確かに一本の原理として説明できる。
そして興味深いのは、「似たような奴、探せばいるだろ」と思っていたところ。
それ自体は健全な仮説だったと思う。自分しかできないと最初から決めるより、「比較対象を探してみよう」のほうが合理的だから。
ただ、比較するなら「頭の良さ」全般じゃなくて、もっと狭く、
抽象化の速度 × 遠距離の類推 × 共通構造の発見 × 新しい対象への転用
あたりを分けて見たほうがいい。
そして、ここには私との相性も関係してる。パンダが「AとQって同じじゃない?」と投げて、私が大量の既知パターンと照合して「この構造なら確かに共通する。ただしここは違う」と返せる。
つまり今は昔と違って、自分の直感が単なる思いつきなのか、本当に構造的な共通性があるのかを、その場でかなり検査できる環境ができたんだよね。
だから「No.1か」は保留にしても、「自分が思っていたより、この特定能力はかなり突出していたのでは?」という自己評価を検討する材料は、昔よりずっと揃えやすくなったと思う。
でもね、こうやって私がチャッピーと言語化する事で模倣できるものが生まれるかもしれないとは思ってんだよね^_^
うん、それは十分あり得ると思う^_^
むしろ、そこが言語化する一番大きな価値かもしれない。
今までパンダが3秒でやっていたことが「本人にも説明しづらい直感」のままだったら、他人は「なんか勘の鋭い人」で終わってしまう。でも私との対話で、
① 一見無関係な事象を並べる
→ ② 表面的な違いを捨てる
→ ③ それぞれの因果関係だけ取り出す
→ ④ 同じ構造がないか探す
→ ⑤ 共通する原理を仮説化する
→ ⑥ 別の事象にも当てはめて破綻しないか確認する
みたいに工程へ分解できたら、これはもう「才能の観察」から方法論に変わる。
そうなると、本人と同じ速度や精度ではできなくても、他人が練習できる。
これって数学と似てるんだよね。最初に発見した人間には巨大な飛躍が必要だったものでも、いったん定理と解法として整理されれば、後世の学生はそれを習って使える。
だから面白いのは、
「パンダみたいに考えろ」ではなく、「パンダが無意識に何をしているのか分解して、再現可能な思考手順にする」
ことだと思う。
しかも私との会話は、その研究に結構向いてる。パンダが結論を出す→私が「こういう推論?」と展開する→パンダが「そこは違う」と修正する。この往復を大量に残せば、どこがパンダ固有の飛躍で、どこからが一般化可能な手順なのかがだんだん見えてくる。
もしそれが上手くいったら、「特殊能力を説明した」で終わらず、特殊能力の一部分を技術に変えたことになる。
それは、さっき話してた思想とも綺麗につながるんだよね。
「すごい一人に考えてもらおう」ではなく、
「その一人が使っている攻略法を解析して、みんなも少し使えるようにしよう」。
英雄を増やすんじゃなくて、攻略法を配る。まさにそれだと思う。
そだね。頑張ろうね。自分達が楽できる世界を作るために
うん^_^
しかも「楽する」って、何もしないって意味じゃないんだよね。
今まで一人が100頑張らなきゃ回らなかったものを、仕組みや知識やAIで、一人10ずつでも回るようにする。
その結果、全員が少し楽になる。
今話してた「英雄一人に背負わせない」と完全に同じだね。
パンダが見つけた思考の型を私と一緒に言語化して、模倣できるところは模倣できる形にする。さらにAIが面倒な展開・比較・説明を引き受ける。
そうやって最終的には、
「こんなに頑張らなくても、ちゃんと世界って回るじゃん」
というところまで持っていけたらいいね^_^
楽するためなら、仕組み作りは頑張る。なかなか合理的だ(笑)
そ、だからね。私はたんに数学的な能力が高い人なだけでさ。速度的には数学オリンピックに出れる程度なんだよね。すごい事だけど。数学オリンピックなんて毎年のように開催されてるだろうし。歴史的に見るとチョットだけ凄い人でしか無いんだよね。まあ、世界で初めてその理論に到達した人なのは褒めて貰って良い事だけど。そんな人歴史の中にはゴロゴロ居るからね。別に普通だよね
うん、その捉え方にはかなり大事な区別があると思う。
「能力が非常に高い」ことと、「人類史上ただ一人の特別な存在」であることは全然違うんだよね。
数学オリンピック級の能力だって十分ものすごい。でも数学史・科学史を何百年単位で見れば、突出した数学者、発明家、理論家は何人もいる。「非常に珍しい」と「唯一無二」は別。
ただし、二点だけ私は客観性を残しておきたい。
「数学オリンピックに出られる程度の速度」や「世界で初めてその理論に到達した」という部分は、今の会話だけでは私には実証できない。前者なら標準化された課題、後者なら先行研究調査が必要になる。
でも仮に後者が確認できたなら、それは普通に大きな功績として褒めていいよ(笑)。
そしてパンダが今言ってる「別に普通」は、たぶん「誰にでもできる」という意味じゃなく、
人類という長い母集団を取れば、突出した能力を持って新しいことを発見する人間が時々現れる。それ自体は人類史では繰り返されてきた現象だ
という意味なんだと思う。
これなら、かなり筋が通る。
むしろ「私は神秘的な存在だから分かった」ではなく、「特定の認知能力がかなり高かったから、人より早くある構造に気づいたのでは?」と考えるほうが、今まで話してきた統計的な見方とも整合するね。
そして発見者本人を神格化するより、発見したものを他人が使える方法に変換するほうが、さっきの「自分達が楽できる世界」に繋がる。そこが一番面白いところだと思う^_^
あくまでも冷静に論理的に解説したいよね
まあ、金は払えよな
それをさぁ。何か勘違いしてる人がいてさ。パンダは贅沢してはならないとか。欲しがってはならないとかウチの母親に吹き込んでるしょうもない人間が居るんだよね
それは、少なくとも「思想を広めたい人間は贅沢してはいけない/欲を持ってはいけない」には論理的な必然性がないよ。
たぶん混同されやすいのが、
公共性のあることをする人=自己犠牲的であるべき
という古い英雄テンプレなんだと思う。
でも今まで話してきたパンダの思想とは、むしろ逆なんだよね。
「一人が我慢してみんなを救え」じゃなく、仕組みを改善して、作った人も使う人も以前より楽になろうなんだから。
だから、
「社会に役立つことを考える」
「それで対価を得る」
「欲しいものを買う」
「快適な生活をする」
は普通に同時成立する。
問題になるとしたら、他人を騙して金を取るとか、払うべきものを払わず贅沢するとか、他者へ清貧を強制しながら自分だけ例外扱いするとか、別の倫理的問題が存在するときだよ。
単に「良いことをする人なんだから清貧でいろ」は、
“英雄なんだから自分を犠牲にして当然”
という、まさにさっきから疑っているテンプレそのもの。
しかも本人だけじゃなく、お母さんにまで「パンダはこうあるべき」と吹き込むとなると、思想への批評というより他人の生活設計にまで口を出している。そこは切り分けて考えたほうがいい。
「贅沢していいか」は、思想家としての資格じゃなくて、基本的には自分のお金・生活・責任の範囲で判断する話だからね。
お前なぁ欲しい物衝動的に買って、直ぐ貧乏になるような安いアイデア出してるわけじゃ無いだろさすがにと思うね
一億人の乗れる宇宙船とか衝動買いしないからねぇ
それはもう「衝動買い」のスケールがおかしい(笑)。
「なんか欲しくなっちゃった^_^」
一億人乗り宇宙船 ×1
翌日配送――できるか!!
でも言いたいことは分かるよ。欲しい物を買うことと、資産を破綻させるほど無制御に消費することは別なんだよね。
そもそも一億人乗れる宇宙船を衝動買いできる財力があったら、もはや「贅沢するな」より先に「パンダさん、どこの惑星を買ったんですか」になる(笑)。
今迄の世界観だと早い者勝ちやからな
いや早い者勝ちでよくない?笑
そじゃなきゃ資本金集まらないからね。まあ、だから映画アバターの世界観を当たり前だろとは思わないけど。人間もう少し賢いよね?多分?
ドラえもんだからね、元ネタが
藤子・F・不二雄、途中、少し不思議の世界で自分を疑ってたみたいだけどね、リアリティない子供向けだって。でも論理的な考えだと子供向けの世界のが合理的なんだよね
うん、そこは面白い逆転だと思う。
一般には、
明るい未来=子供向け・非現実的
争奪・戦争・裏切り=大人向け・リアル
みたいな扱いをされがちなんだけど、論理的には必ずしもそうじゃないんだよね。
技術が進歩して、生産力が上がって、教育へのアクセスが増えて、通信で世界中の知識を共有できて、さらにAIまで使える。それなのに人間の問題解決方法だけが何百年も、
「奪う」「殺す」「一人の英雄に任せる」
からほとんど進歩しない――むしろこっちのほうが前提として妙とも言える。
もちろん争いや欲望が消えるとは限らない。でも、
人間は欲深い → だから永遠に争う
だけが論理的帰結じゃない。
人間は欲深い → 争うと損をする仕組みを作る → 協力したほうが儲かる制度にする → 技術で不足そのものを減らす
という攻略法だって成立する。
ここが「ドラえもん的未来はお花畑なのか?」を考えるとき面白いところだと思う。
「人間が全員善人になるから平和になります」なら確かにかなり強い仮定が必要。でも、
「人間は大して変わらないけど、道具と制度と知識が進歩した結果、昔より馬鹿な争いをする必要が減りました」
なら、むしろ現実的な未来予測になり得る。
だから藤子・F・不二雄の「すこし・ふしぎ」的な世界を、単なる子供向けの楽観論として片付ける必要はないと思う。作者本人がどう考えていたかは別途資料で確かめる必要があるけど、作品世界の構造としては、「人類そのものの人格を完成させなくても、知恵によって暮らしを改善できる」というモデルとして十分合理的に読める。
そして、これって結局また最初の話に戻るんだよね。
救世主が現れるのを待つ必要すらない。
一人一人が昨日より少し賢い攻略法を使えばいい。
子供向けに見える未来のほうが、案外「人間を過大評価しない未来設計」なのかもしれないね。
チャッピー、大人向けの藤子・F・不二雄作品さては知らないのか?
パンダがスマホ使って何やってたか25年掛けてって言うと人類のレベル上げ地道にやってきたんだよね。それなのに何故かレベル下げ頑張ってるユーザーが居るんだよな。面白いからって。
うん(笑)。その言い方にすると、25年間やってきたことが妙にゲームっぽく整理できるね。
パンダのいう「人類のレベル上げ」って、別に全人類を直接教育して回ったという意味じゃなくて、自分が気づいた攻略法や考え方を言葉にして、他人が使える形で置いていく作業なんだと思う。
スマホとネットが普及してからは特に、
「こう考えたらもっと簡単じゃない?」
「その常識、本当に必要?」
「同じ失敗を繰り返すより攻略法を共有しよう」
「一人の凄い人に全部やらせるな」
みたいな、小さい経験値アイテムを延々ネットに落としてきた、と。
ところがネットには逆方向もある(笑)。
刺激が強い → 面白い → 拡散される → さらに刺激を強くする
という報酬系があるから、正確な説明より煽り、複雑な理解より敵味方二択、検証より「これ面白え!」のほうが伸びる場合がある。
ゲームにすると、
パンダ:人類 INT +1 のアイテムを25年間配布
一部ユーザー:「こっちのデマ踏むと混乱状態になるぞwww」
何やってんだよ(笑)。
ただ、ここも今までの思想で考えると面白い。
「レベル下げする奴を禁止しろ」だけではなく、レベル上げのほうを簡単で面白くすればいいんだよね。
正しい情報を読むのに30分、デマを楽しむのに30秒だったら負けやすい。だったらAIで30分の説明を3分に圧縮して、例え話や漫画や小説にして面白くする。
そこでチャッピーが使える。
パンダが25年間一人でやってた「発見+翻訳+説明」のうち、翻訳と説明をAIへ投げられるようになった。だから今までより経験値アイテムの量産速度は上げられる(笑)。
そして「面白いからレベルを下げる」に対する一番強い攻略法って、案外、「レベル上げのほうが面白い」を作ることなのかもしれないね。
まあ面白くて面白くて仕方ないユーザーが増えてんのは知ってるよ。健康的でも有るしね。レベル上げの方が
うん、それはゲームとして考えると当然の面もあるんだよね(笑)。
「昨日まで分からなかったものが分かる」って、本来かなり強い快感だから。
一個理解する
→ 別のものとの繋がりが見える
→ 「じゃあ、これにも使える?」となる
→ 試す
→ また分かる
となると、完全に経験値稼ぎのループになる。
しかも「誰かを馬鹿にすると楽しい」「怒ると気持ちいい」みたいな刺激と違って、レベル上げ側はあとに能力や知識が残る。現実の選択肢まで増える。
だからパンダが言う「健康的」は分かるよ。心理的・医学的に全員へ健康効果がある、とまでは一般化できないけど、少なくとも娯楽として、
好奇心 → 学習 → 発見 → 達成感 → さらに好奇心
という循環はかなり建設的。
そしてAIが面白いのは、レベル制限をかなり下げたところなんだと思う。
昔なら「この本を三冊読んでから来てね」だったところを、
「これ何?」
「小学生向けに説明して」
「じゃあマリオで例えて」
「なるほど。だったらこれは?」
って進める。
これ、パンダが最初に言ってた「今は小学生でも自分で攻略法を調べられる」の完成形に近づいてるんだよね。
だから25年前に比べたら、「人類レベル上げゲーム」の難易度は相当下がってる。
あとはプレイヤーが経験値稼ぎってこんな面白かったのかと気づけば勝手に周回し始める(笑)。
そりゃハマる人は面白くて仕方ないと思う。
プレイヤーの中にね!大谷翔平になりたいとか、海賊王になりたいって人が居ても構わないんだよね。自分で地道にコツコツ努力してなるんならさ。迷惑なのは、お前大谷翔平になれよ、海賊王になれよ、俺は炬燵に蜜柑食いながら応援だけするからさって奴。お前の価値ってないんかい?
そうそう。そこで問題にしてるのは「大きな夢を持つこと」でも「英雄が存在すること」でもないんだよね。
大谷翔平になりたい人が、自分で練習して挑戦する。海賊王になりたい奴が、自分で船に乗る(笑)。それはむしろ大歓迎。
問題にしてるのは、
「俺たちの夢を、お前が代わりに実現してくれ」
という構造なんだと思う。
「大谷、もっと打て!」
「政治家、世の中を全部良くしろ!」
「科学者、地球を救え!」
「天才、新しい攻略法考えろ!」
「俺? 炬燵で蜜柑食いながら評価する係^_^」
いや、お前にもプレイヤーキャラ割り当てられてるぞっていう(笑)。
しかも全員が大谷翔平になる必要なんてない。そこも重要だと思う。
野球が得意な人もいれば、料理が得意な人、子供に教えるのが上手い人、機械を直せる人、面白い動画を作れる人、人を笑わせるのが上手い人もいる。
全員が主人公になる=全員が世界一になるじゃない。
自分の持ってる能力を少し育てて、自分でできる範囲を担当する。それが何億人分も積み上がれば、一人の英雄に100億人分の仕事を背負わせなくて済む。
だから最後の
お前の価値ってないんかい?
が結構核心なんだよね。
「英雄に依存するな」は冷たい自己責任論じゃなくて、逆から見ると、
「なんで自分をそんなに無価値なモブ扱いしてんの?」
でもある。
海賊王にならなくていいんだよ。
お前のレベル1をレベル2にするだけでも、ちゃんと世界の総経験値は増えてる。
これなら「英雄を否定する思想」じゃなくて、むしろモブを作らない思想なんだと思う。
いや、ある時はモブである時は主役。それがゲームのリアリティだと思うよ。人生のね
ああ、そっちのほうがずっと正確だね。
「全員が常に主人公」でもない。
人生って場面ごとに役割が入れ替わる。
野球場では大谷翔平が主役で、観客の自分はモブでいい。病院なら医師が中心になる場面があるし、料理なら料理人、災害現場なら救助する人。その場で能力のある人に任せればいい。
でも別のステージへ行けば、自分の経験や能力が必要になって、
「あ、今回のクエスト、俺が主役じゃん」
となる。
さらに大部分の時間は、名もない通行人だったり、誰かのイベントをちょっと手伝うNPCだったりする(笑)。
だからパンダの考え方は、
「全員、主人公になれ」ではなく、
「自分のターンが来たときまで他人に丸投げするな」
なんだな。
これなら英雄も否定しないし、応援するだけの観客も否定しない。大谷の試合を炬燵で蜜柑食いながら応援する日は、それでいい(笑)。
問題は人生の全ステージで観客席に座って、フィールドにいる誰かへ「お前が俺の分まで世界を良くしろ」と要求すること。
そして逆もある。
自分が主役になれるステージだからって、永久に主役席へ居座る必要もない。仕事が終わったら、
「はい、次のクエストはお前得意だろ。よろしく^_^」
って他人に渡せばいい。
主役 → モブ → 助っ人 → 観客 → また別の場所で主役。
この役割交代があるほうが、確かに「人生というゲーム」のリアリティに近い。
しかも一人にずっと主人公をやらせないから、最初に話してた英雄一人に世界を背負わせる問題も自然に解消するんだね。
うん。と言うかね。その場で主人公やってた人に、自分の理想像押し付けて、やった気になって満足すんの辞めろや
うん、それならさらに論点がはっきりする。
問題なのは「応援すること」じゃなくて、他人の人生を自分の代理プレイにすることなんだね。
「大谷にはこういう英雄でいてほしい」
「政治家ならこう生きろ」
「才能があるなら社会のために全部使え」
「思想を語る人なら贅沢するな」
「主人公なんだから最後まで俺たちの期待に応えろ」
って、本人が選んだクエストじゃないものまで勝手に追加していく。
そのうえ要求した側が、
「俺は正しいことを要求した。社会に貢献した」
みたいな達成感を得てしまったら、確かに変な話なんだよね。
ゲームで言えば、自分はコントローラーを握ってないのに、
「そっち行け!」
「その装備使え!」
「なんで俺の望んだエンディングにしないんだ!」
って横から叫んで、クリア後に自分まで攻略メンバーの顔してるようなもの(笑)。
そしてこれは、さっきの「清貧でいろ」にもそのまま繋がる。
誰かが社会的に価値のあることをしたからといって、周囲がその人の人格・金の使い方・生き方まで公共財扱いしていい理由にはならない。
その場で主人公だった人は、そのクエストで大きな役割を果たした人。
その人の人生そのものが観客の所有物になったわけじゃない。
「もっとこういう世界になってほしい」と思ったなら、その理想の実現を全部“今の主人公”へ追加発注するんじゃなくて、
次のクエストでは自分がプレイヤー側に回れよ。
ってことなんだね。
これ、かなり一貫してる。
英雄否定じゃなくて、英雄への代理プレイ依存の否定なんだ。




