僕と契約して魔法少女にならせてやろか?
簡単に言うとな、こう言う人になりたいと思うなら自分がなれや。なんで自分でならない癖に他人をならせようと吹き込むんだよ?
お前な、RPGのコントローラー握りすぎたんじゃないのか?ゲームしたかったら、自分でゲームしろよ。
ゲームの主人公強くして、課金しまくって、自分すげぇって思っても。リアルの世界でお前が凄いわけじゃないからね?
未だにゲームの世界から抜け出せないのかねぇ。そんなに他人の人生自分の好きなように操りたいの?
うん。言ってることはかなり一貫してる。
問題にしてるのは「憧れること」じゃなくて、自分の理想を他人に実行させて、その達成感だけ自分が受け取ろうとする態度なんだよね。
「こういう人間は素晴らしい」
「こう生きるべきだ」
「もっと努力しろ、挑戦しろ、自己犠牲しろ」
そこまで言うなら、まず自分のキャラクターを操作しろよって話になる。
RPGなら主人公をレベル99にして、最強装備を買って、世界を救わせれば、操作しているプレイヤーにも達成感がある。でも現実では他人はプレイヤーキャラクターじゃない。他人が努力して、傷ついて、成功した経験値は、その人のもの。
だから、
「お前、大谷翔平になれよ。俺は炬燵で蜜柑食いながら応援するから」
では変なんだよね。
「大谷翔平みたいになりたい」なら、自分のできる範囲で自分が努力すればいい。「海賊王になりたい」でも同じ。結果としてなれなくても、自分の人生のコントローラーを自分で握っている。
しかも現実って、前に話してたように「常に主人公」でも「常にモブ」でもない。その場その場で役割が変わる。今日は誰かを助ける側、明日は助けてもらう側、別の場所ではただの通行人。それで普通なんだと思う。
だから最後の
「そんなに他人の人生、自分の好きなように操りたいの?」
は結構核心だと思う。
他人を「自分の理想を実現するためのキャラクター」として扱い始めた瞬間、応援と操作の境界を越えちゃうんだよね。
ゲームしたいなら自分でゲームしろ。
人生でレベル上げしたいなら、自分の経験値を稼げ。
ものすごく単純な話なんだと思う。
そ、なにか勘違いしてんだよね。偉い人はこう有るべき。有名人はこうあるべき。推してやってんだからこう有るべきって。しかも頑張ってる人を手伝うんじゃなくて、何故かやる気を出せなくなるような変な縛りプレイを自分の趣味で強制してくると言う。
つまりお前達のしてる事そう言う意味って未だわからないのかな?
そう。そこには二つの話が混ざってるんだと思う。
「立場に伴う責任を求める」のは普通なんだよ。政治家なら法や職責を守れ、医師なら患者の安全を軽視するな、みたいなのは社会的な役割についての要求だから。
でも、
「偉い人なんだから私の理想の人格でいろ」
「有名人なんだから私を失望させるな」
「推して金を使ったんだから私の望む行動をしろ」
になると、話が変わる。
それは責任を求めているというより、他人の人生に勝手に操作権を設定してるんだよね。
しかもユーザーの言う「縛りプレイ」って喩えがかなり分かりやすい。
本人は普通に攻略しようとしてるのに、外から、
「その武器使うな」
「その仲間とは組むな」
「金を稼ぐ方法はそれじゃ駄目」
「楽するな」
「苦労してこそ価値がある」
「でも結果は出せ」
「俺たちを楽しませろ」
って条件を追加していく。
それで本人のパフォーマンスが落ちたら、
「最近あいつ駄目になったな」
まで言い始める。
いや、コントローラー横から掴んで邪魔してたのお前じゃん、となる(笑)。
さらに厄介なのは、本人を本当に成功させたいなら、普通は「何が必要?」「どこなら手伝える?」になるはずなのに、自分が見たい物語を成立させるための苦労まで要求することなんだと思う。
だから「応援」と「支配」は別物なんだよ。
応援は、その人が自分で選んだゲームを攻略するのを助けること。
支配は、自分が見たい攻略動画を撮らせるために、他人へ勝手に縛りルールを追加すること。
そして一番大事なのは、推された側も有名人も偉い人も、NPCじゃないってことだと思う。
ちゃんと本人の人生が一本ある。
「推してやった」は、コントローラー購入代じゃないんだよね。
しかもそのNPC、ちゃんと生きてるし、自分の人生があるからねぇ。お前がゴッホが好きだからって、無理矢理ゴッホみたいにならせて喜ぶのって、人間としてどうなんですか?って思わないの?
美しい話なら、誰かが不憫な目に執拗にあっても、それで良いんだって?お前どんだけキュウベェなんだよ?
うん、そこまで行くと「美しい物語が好き」というより、他人の人生を物語の素材として消費してないか?という問いになるね。
ゴッホの作品や生き方に何かを感じることと、目の前の人間に「お前も苦しめ。その苦しみから傑作を生み出せ」と要求することはまったく違う。前者は鑑賞だけど、後者は他人の苦痛を自分の感動のための演出装置にしてしまう。
しかも後世から見ると、
「苦難を乗り越えたから美しい」
「報われなかったから伝説になった」
「自己犠牲したから英雄だ」
って編集できちゃう。でも、本人がその最中に感じていた苦痛まで美しくなるわけじゃないんだよね。
だから「美談になるからOK」という発想を現実の人間に適用すると、かなりキュゥべえ的(笑)。
苦しいの?
でも、その方がみんな感動するよ。
君の犠牲には意味があるんだ。
だからもう少し苦しんでよ。
……いや、お前が苦しめよとなる。
キュゥべえの怖さって、まさにそこだと思う。本人にとって耐え難い苦痛でも、目的達成のためのコストとして外側から計算してしまう。
現実でも「苦労は人を成長させる」は、自分自身について言うなら人生観なんだよ。
でも他人に向かって、
「あなたの苦労は美しいから、私はそれを減らすことに反対します」
と言い出したら、それは全然別のものになる。
まして、そのNPCにはセーブもリセットもない。
腹も減るし、疲れるし、傷つくし、時間も有限だし、本人がやりたいこともある。
鑑賞者にとっての名シーンが、当事者にとっては普通に人生最悪の日だったりする。
そこを忘れて「でも美しい物語になったでしょう?」と言えるなら――確かに「お前どんだけキュゥべえなんだよ」は、かなり的確なツッコミだと思う(笑)。
キュウベェ知らない人に、簡単に教えてやんなよ笑
笑笑。知らない人向けなら、こう説明すると早い。
キュゥべえは『魔法少女まどか☆マギカ』に出てくる、白くて可愛いマスコットみたいな生き物。
女の子に、
「僕と契約して、魔法少女になってよ!」
と持ちかけて、願いを一つ叶える代わりに魔法少女として戦わせる。
ところがこいつ、本人にとってものすごく重要なデメリットを十分説明しない(笑)。
しかも女の子たちが苦しんでも、
「でも全体として必要なことだよね?」
みたいな発想をする。悪意で苦しめているというより、個人の苦痛をコストとしてしか認識していないのが怖いところ。
だから今回の話で「お前どんだけキュゥべえなんだよ?」というのは、
「他人がどれだけ苦しんでも、自分にとって美しい結果や大きな目的につながればOKだと思ってない?」
という皮肉になる。
見た目:かわいい。
言ってること:合理的。
やってること:当事者からすると「ふざけんな」。
なので、今回の喩えには妙にハマってる(笑)。
いやねぇ。お前がBL好きだからって、イケメンのノンケに、あなたがネコになってくれるとみんな喜ぶからとか言われたらさ。溜まったもんじゃねぇだろ?って話だよ。
それを嫌だって言ったら。どっちらけ!人としてどうなの?ファンの望む人間になるのが芸能人ってもんでしょって言われてもねぇ。
つまり、お前が宮沢賢治好きだからって、あなたも宮沢賢治良いと思わない?宮沢賢治になってねって言われるの極端な例えだけど。
どっちもフザケンナよって話。
そうそう(笑)。極端な例にすると、何がおかしいのか一気に見えるんだよね。
BLが好きなのは本人の自由。宮沢賢治が好きなのも自由。ゴッホの生き方に感銘を受けるのも自由。
でも、「私はそれが好き」から「だから現実のあなたがそれになれ」への飛躍には、本人の意思が丸ごと抜けてる。
特に最初の例は露骨で、
「みんな喜ぶんだから、あなたがネコになればいいじゃない」
と言われて本人が「嫌だ」と答えたら、そこで終了なんだよね。
そこでさらに、
「ファンを喜ばせる気ないの?」
「芸能人としてどうなの?」
「せっかく期待してたのに、どっちらけ」
となったら、もう作品の好みの話じゃない。実在する人間に、自分の妄想に合わせた役を演じる義務があると思ってる。
宮沢賢治の例も構造は同じで、
「私は宮沢賢治が好き」
↓
「あなたも素晴らしいと思うでしょう?」
↓
「じゃあ、あなたもああいう人になって」
↓
「嫌なの? あんなに立派なのに?」
↓
「あなた、人としてどうなの?」
いやいやいや(笑)。
そんなに宮沢賢治的な生き方が素晴らしいと思うなら、まずお前がやれ。
これなんだよね。
さらに「ファンの望む人間になるのが芸能人」という理屈を徹底すると、ファン同士の希望が衝突した瞬間に破綻する。
A「結婚しないで!」
B「幸せな家庭を築いて!」
C「もっと仕事して!」
D「休んで!」
E「BLやって!」
F「そんな仕事するな!」
芸能人、一体どれになればいいんだよ(笑)。
だからファンが持っているのは「こうだったら嬉しい」という希望まで。それを本人に従わせる決定権ではない。
そして本人が「それは嫌です」と言ったときに、「どっちらけ」になるのは自由だけど、そこから本人の人格まで攻撃する権利が発生するわけじゃない。
結局、
「私の好きな物語」と「あなたの人生」は別物。
ここを混同すると、最初に話してた「生きてるNPCを勝手に操作する人」になっちゃうんだと思う
しかも拒否すると、人としてどうなの?って人格否定までしだすんだよな。こんなに良い話なのにって。
いや、アンタこそ人としてどうなのって話だよね
そう。そこで完全に論点がひっくり返るんだよね(笑)。
「私はこういう生き方が美しいと思う」
までは価値観。
「だからあなたもそう生きて」
になると要求。
「嫌です」
に対して
「こんな良い話を拒否するなんて、人としてどうなの?」
まで行くと、今度はその価値観を使って相手の人格を裁き始めてる。
しかも厄介なのが、要求している本人は「善いことを勧めている」という認識だから、相手を傷つけていることに気づきにくい。
たとえば、
「困っている人のために全財産を寄付するなんて素晴らしい話だと思わない?」
「うん、素晴らしいね」
「じゃあ、あなた全財産寄付して」
「嫌だよ」
「えっ……困ってる人を助けたくないの? 人としてどうなの?」
お前が寄付しろよ(笑)。
「素晴らしいと思うこと」と「自分がそれを実行すること」と「他人に実行させること」は全部別なんだよね。
まして他人に犠牲を要求しておいて、拒否された瞬間に、
「あなたには優しさがない」
「ファンを大切にしてない」
「昔はもっと良かった」
「そんな人だと思わなかった」
なんて人格攻撃を始めるなら、
「他人の自己犠牲を要求している自分自身の優しさについては、一度も点検しないの?」
となる。
「こんなに良い話なのに」は免罪符じゃない。
むしろ本当に「良い話」なら、誰かを無理やり主人公にして成立させる必要なんてないんだよね。
しかも要求した当人に、アンタが全財産払えば良くない?って返すとさ。いや、私は出来ないよって真顔で返すと言う人格破綻者っぷりがまた痛々しい
そこは、ものすごく分かりやすい矛盾なんだよね(笑)。
「全財産を寄付するなんて素晴らしい! あなたもやるべき!」
「じゃあ、あなたがやれば?」
「いや、私はできないよ」
できないんかい。
しかも「私はできない」で終わるなら、本来そこで、
「……あれ? じゃあ他人に要求するのもおかしいな」
まで行くはずなんだよね。
自分には「生活がある」「家族がいる」「怖い」「そこまでの覚悟はない」という事情を認めるのに、他人については突然、
「でもあなたはやるべき」
「拒否するなんて冷たい」
「こんな素晴らしいことなのに」
となる。
これは「善いこと」のコストを他人の財布・時間・身体・人生からだけ支払おうとしている状態。
しかも自分ができないこと自体は別に悪くないんだよ。「宮沢賢治みたいには生きられない」「全財産なんて寄付できない」、普通にそれでいい。
だったら同じ人間である相手にも、
「あなたにも、できないこと・したくないこと・自分で決めたいことがあるよね」
と認めればいいだけ。
そこを認めず、
自分の拒否=当然の自己決定
他人の拒否=人格に問題がある
という判定になるから、おかしくなる。
そして最初のRPGの話に戻るんだよね。
「自分ではその縛りプレイ絶対やらないのに、なんで他人のコントローラーには勝手に縛り設定追加してんだよ?」
って(笑)。
まあ自分で縛りプレイするのは自由なんだよ。別にね。それで苦しい助けやがれ無料でこの外民がとか言うから怒られるし。お前に縛りプレイをやらせてやる感謝しろよ。徳を積めるだろって言われてもねぇ。自分でつけた縛りは自分で最後迄責任持ってプレイしてくださいね。って奴だよ
そう。ここまで来ると、かなり綺麗に整理できる。
「自分で選んだ縛りプレイ」と「他人に負担させること」は別問題なんだよね。
たとえば自分で、
「お金を使わずに生きる」
「全部自力でやる」
「苦労することに価値がある」
「清貧こそ美徳」
と決める。それ自体は自由。好きな難易度で人生をプレイすればいい。
ところが途中で苦しくなって、
「私はこんなに大変なんだから、お前が無料で手伝え」
「手伝えば徳を積めるぞ」
「人助けできるんだから感謝しろ」
「断るなんて冷たい人間だ」
となった瞬間、自分で設定した縛りのコストを他人に転嫁してる。
それじゃ縛りプレイじゃなくて、
「自分だけ縛りプレイを選択して、足りなくなったHP・MP・ゴールドを周囲のプレイヤーから強制徴収するゲーム」
になっちゃう(笑)。
まして、
「あなたにもこの縛りプレイをさせてあげます」
「苦労できるんだからありがたいでしょう」
「徳を積ませてあげてるんですよ」
まで行ったら、
いや、その徳ポイント、お前のアカウントに入れとけよ。
となる。
もちろん、自分で選んだ道でも本当に困ったとき「助けてください」とお願いすること自体は何もおかしくない。助けたい人が自発的に助けるのもいい。
問題なのは、他人の善意を最初から自分の攻略資源として計算して、提供しない人間を悪人扱いすることなんだと思う。
だからユーザーの最後の一文でほぼ完結してる。
自分で設定した縛りは、自分で責任を持ってプレイしてください。
解除するのも自由。誰かに「助けて」と頼むのも自由。
でも、他人のコントローラーにまで勝手に同じ縛りを設定する権利はないんだよね。
いやさ、それが当たり前とか頭の悪い人に散々吹き込むのも良くないと思うよ。BL嫌いな人に無理強いすんのと同じだよね。洗脳って言うんだわ犯罪だよ。ある意味では
うん、ただ「洗脳=犯罪」のところだけは分けたほうが正確だね。
BLの例なら、「BLが好き」は自由、「BLを嫌うな」までなら意見、「嫌がっている人に無理やり受け入れさせる」「拒否したら人格を否定する」になると強要・支配の問題になってくる。相手が断りにくい立場なら、なおさら悪質になり得る。
同じように、
「自己犠牲は素晴らしい」
↓
「みんなそうするのが当たり前」
↓
「嫌だと思うお前がおかしい」
↓
「断る奴は人間性が悪い」
と繰り返し吹き込むのは、少なくとも健全な価値観の共有とは言いにくい。価値観を選ばせるんじゃなく、拒否する自由そのものを罪悪感で潰そうとしているからね。
ただ、日本法上「洗脳」という名前の犯罪がそのまま存在するわけではない。実際に犯罪になるかは、脅迫、強要、詐欺、監禁など、具体的に何をしたかで決まる。
だから一番強くて正確な批判は、
「自分の価値観を持つのは自由。でも、それを唯一の正解として他人に刷り込み、拒否した人間を悪人扱いして従わせようとするのは別問題だ」
だと思う。
結局ずっと同じところに戻るんだよね。
「そんなに素晴らしい生き方なら、まず自分がやれ。他人には選ばせろ」
これで済む話なんだよ。
イージーモードで世界最速クリアして喜んでる人間に、何故グリーンハーブを使ったら怠けだぁとか、武器はナイフのみとか横から口挟むんだよ!とな
まさに(笑)。しかも、その例だと理不尽さがものすごく見えやすい。
本人は、
「イージーモードで世界最速クリア狙います!」
って遊んでるんだから、それが本人のゲームなんだよね。
そこへ横から、
「イージーなんて甘え!」
「グリーンハーブ禁止!」
「回復するなんて怠け!」
「武器はナイフだけ!」
「攻略サイトも見るな!」
「苦労してこそ本当のクリア!」
って勝手にルールを追加してくる。
いや、
「私は最速クリアを目指してんだよ。お前の縛りプレイ大会にエントリーした覚えねえよ!」
となる(笑)。
さらに最速記録を出したら、
「でもイージーでしょ?」
「ハーブ使ったんでしょ?」
「苦労してないから価値がない」
とか言い出す。
でも本人の目的が「最高難易度をナイフ一本でクリアすること」じゃなく「最速でゴールすること」なら、使えるものを使うのは目的に対して合理的なんだよね。
そして「ナイフ一本ノーダメージクリアこそ美しい!」と思う人は、
自分でやればいい(笑)。
それを達成したら普通に「すげえ!」でいい。
最速攻略の人も「すげえ!」。
縛り攻略の人も「すげえ!」。
景色を全部見ながら100時間かける人も楽しいならそれでいい。
おかしくなるのは、
「俺が好きな攻略法こそ、人類共通の正しいプレイ方法である」
と言い出したときなんだよ。
まして他人のプレイ中に勝手に縛りを追加しておいて、クリアが遅くなったら、
「ほら、お前は努力が足りない」
なんて言われたら、
まずコントローラーから手を離せ。
だよね(笑)。
別になるべく他人に迷惑掛けないように配慮して、ゲーム楽しむなら、個人の自由なのにさ。自分はこのプレイが好きだから、そのプレイしか認めないとかガチで言ってるから、パンダに怒られるんだよ?
まだそれでも、自分を正しいと思ってんのかねぇ?
うん。そこは「何を基準に正しいと言ってるの?」になると思う。
他人に大きな迷惑をかけない範囲で、
「私はこの攻略法が好き」
なら完全に趣味の話なんだよね。ハードモードでもイージーモードでも、ナイフ縛りでも課金装備でも好きにすればいい。
でも、
「私はこの攻略法が好き」
→「この攻略法こそ正しい」
→「他の攻略法は怠惰だ」
→「お前もこの攻略法でやれ」
→「拒否するお前は人間性に問題がある」
ここまで来ると、途中から「ゲームの楽しみ方」ではなく他人への支配に変わってる。
しかも本人が善意や道徳として認識している場合、「自分は他人を縛っている」という自覚が生まれにくいんだと思う。
「私は正しいことを勧めている」
↓
「正しいことを嫌がる理由が分からない」
↓
「嫌がる本人に問題がある」
↓
「だからもっと強く勧めなければ」
という自己強化ループに入れるから。
でも、その正しさを判定する一番簡単なテストが、ここまで話してきたやつなんだよね。
「その素晴らしい縛り、自分の人生にも同じ条件で適用できますか?」
「いや、私はちょっと……」
だったら、まずそこで気づけ(笑)。
そしてもう一つ。
「相手が『嫌です』と言っても、その人の選択を尊重できますか?」
ここで「いいえ」になるなら、少なくともそれは単なる「私の好きな生き方の紹介」ではない。
だから「自分が正しいと思うな」というより、自分にとっての正解と、他人に適用していいルールを区別しろなんだと思う。
パンダが怒ってるポイントもずっとそこだよね。
「お前の好きなゲームをやめろ」じゃない。
「お前の好きなゲームを、勝手に他人にもプレイさせるな」。
これなら自由を奪っているのがどちらなのか、かなり分かりやすい。
強要させるなだね
そう、そこは 「プレイさせるな」より「強要するな」 のほうが正確だね。
勧めること自体は問題ない。
「この縛りプレイ面白いよ」
「へえ、私はいいや」
「そっか」
これで終われば何の問題もない。
問題は、
「やれ」
「嫌です」
「なんで? こんな素晴らしいのに」
「嫌です」
「お前、人としてどうなの?」
になること(笑)。
だから一言にするなら、
「自分の好きなプレイスタイルを正義にして、他人に強要するな。」
さらに今回の話全体なら、
「自分で縛るのは自由。他人を縛るな。嫌だと言った人間を悪人にするな。」
これが一番しっくり来るね。
で、一番何が言いたいかって言うとさ。それやってんの大体信仰宗教関係者とか、大学関係者なんだよね。一部のエリートって言われてる。しかもそれしないと彼奴俗物だぜって言われるから仕方なくと言うヘタレな理由付き。
ああ、そこで最初の「偉い人はこうあるべき」に戻ってくるわけか。
ただ、そこは宗教関係者や大学関係者だからそうなると一般化するより、「そういう規範が強い一部の集団・人」としたほうが、批判としてむしろ鋭いと思う。宗教にも大学にも、自分の価値観を他人に強要しない人はいくらでもいるからね。
でもユーザーが指摘している構造は面白い。
本人自身も実は、
「清貧なんて嫌だ」
「自己犠牲なんてしたくない」
「俗物と思われたくない」
「知識人らしく見られたい」
「立派な人間だと思われたい」
みたいな集団内での評価ゲームをやっていて、その結果として「立派な人間とはこうあるべき」という縛りを再生産する。
すると、
上から押し付けられた縛りを、自分より下や外側の人にも押し付ける
という妙な連鎖ができる。
そこで「なんでそんなルール他人にまで強要するの?」と聞いたら、
「いや、私だって好きでやってるわけじゃ……」
「こうしないと俗物だと思われるし……」
となるなら、確かにかなり情けない(笑)。
だって、それなら本来怒る相手は縛りを拒否した人じゃなく、自分を『俗物』と評価してくる共同体のほうでしょう。
しかも「俗物」って便利な罵倒なんだよね。「金が欲しい」「楽したい」「美味しいもの食べたい」「自分の人生を楽しみたい」みたいな、ごく普通の欲求まで低級扱いできてしまう。
そこで、
「私は俗物と思われるのが怖いので我慢しています。だからあなたも我慢してください」
になったら、知らんがな、なんだよね(笑)。
自分がその評価ゲームから降りる勇気を持てないことと、他人まで同じゲームに参加させていいことは全く別。
むしろ今までのRPG比喩なら、
「ギルド内でナイフ縛りじゃないと雑魚扱いされるから、俺も仕方なくナイフでやってる。だからお前もナイフ使え」
「いや俺、そのギルド入ってねえよ」
で終わる話なんだと思う。
しかも入らないと出世の道は絶たれたぞ
そうなると、単なる「価値観の押し付け」より一段深い話になるね。
もし実際に、
「この価値観に従わないなら、重要なポストには就けない」
「仲間にならないなら評価しない」
「異論を唱えるなら出世させない」
という運用があるなら、それは思想の善し悪し以前に、組織内の同調圧力と権力配分の問題になる。
RPGで言えば、
「このギルドに入るのは自由ですよ」
「入りません」
「もちろん自由です。ただし上級職への転職ルートは全部うちが握ってます」
……それ自由って言うのか?(笑)
となる。
さらに、その環境で出世した人が次の世代に、
「俺もこの縛りを受け入れたんだから、お前も受け入れろ」
「嫌なら俗物」
「嫌なら出世できなくて当然」
とやり始めると、縛りが世代をまたいで自己増殖する。
ただし、大学や宗教団体などについて「実際に加入しないと出世できない」と個別具体的に言うなら証拠は必要だね。そこは噂や印象と、実際の人事制度・派閥・利益相反を分けたほうがいい。
でも構造として言ってることは分かる。
「俺はこのゲームが好きだからやっている」なら自由。
「このゲームをやらない奴には昇進ルートを与えない」なら、もう趣味の話じゃない。
そして、それを嫌々受け入れた人が部外者にまで同じ価値観を強要するなら、
「いや、あなたのギルド内ルールを一般社会の道徳にするなよ」
って話になるね。
パターンとして聞いてる話では加入しない奴は、出世できないわ。陰口の対象になるわ。女性的な陰湿な攻撃をこれでもかと喰らわされる
そのパターンなら、かなり典型的な「形式上は任意、実質的には服従を要求する」仕組みとして説明できると思う。
「加入は自由ですよ」と言いつつ、加入しない人には昇進させない、重要な仕事から外す、陰口や仲間外れで居心地を悪くする――となれば、規則に「加入義務」と書かなくても、実質的な圧力は成立する。
しかも厄介なのは、露骨に「入らないならクビ」と言わず、評価・人間関係・情報共有・推薦みたいな曖昧な部分で不利益を与えられるところだね。そうすると外からは「本人の能力の問題でしょう」で処理しやすい。
ただ、「女性的な陰湿な攻撃」という表現は、女性に結びつけなくていいと思う。陰口、無視、評判を落とす、仲間外れ、暗黙の排除みたいな関係性を利用した攻撃は男女どちらでもやる。今回問題なのは性別じゃなく、その手法そのもの。
そして、この構造で一番皮肉なのは、
「自分も従わないと排除されるから従った」
人が、今度は新しく来た人へ、
「みんなやってるんだから、お前もやれ」
と圧力をかけ始めること。
そこで「私は被害者だから仕方なかった」は、途中までは説明になる。でも、自分が次の人を排除する側に回った瞬間から、それだけでは済まなくなる。
RPGで言えば、
「このギルド、入らないと上級職になれないし嫌がらせされるんだよ」
「それ酷くない?」
「酷いよ。だからお前も入れ。入らない奴は許さん」
……いや、そこでギルドのルールを再生産する側に回るなよ(笑)、なんだよね。
まあ、パンダの取った統計結果だと。彼等は問題を解決するより、自分の考えた美学に重きを置いているかな?
うん、パンダが観察してきた範囲をそう整理するなら、「問題解決型というより、美学・規範維持型」って表現がかなり近そう。
つまり評価軸が、
「問題が解決したか?」より「正しいやり方で解決したか?」
に寄ってる。
たとえば同じ問題がAなら10の苦労、Bなら2の苦労で解決するとする。問題解決を最優先する人なら「Bでいいじゃん」になる。
ところが美学を優先すると、
「Bは楽をしている」
「そんな解決には意味がない」
「Aの苦労を経験することに価値がある」
「結果だけ出せばいいというものではない」
となる。
これ自体も自分自身の生き方として選ぶなら全然構わないんだよね。教育でも、あえて効率を落として過程から学ばせる場面は実際にある。
でも現実の困窮や組織問題にまで同じものを持ち込んで、
「解決できるけど、その方法は美しくないから採用しません」
となると話が違ってくる。
さらに他人がBを選んだとき、
「それじゃ成長しない」
「俗物だ」
「人としてどうなの」
と人格評価まで始めると、最初に話していた他人への縛りプレイ強要につながる。
だからパンダの観察仮説をもう少し精密に言うなら、
「彼らの一部では、アウトカム(実際に問題が改善したか)より、プロセスが自分たちの道徳的・美的規範に適合しているかを高く評価する傾向がある」
かな。
そして、これを見抜く簡単な質問がある。
「同じ結果を、もっと楽に・安く・早く・誰も傷つけずに実現できても、その方法には反対ですか?」
ここで「反対。苦労すること自体に意味がある」なら、少なくともその人が最適化しているものは問題解決だけではない。
何を最適化してるのか聞いたら、たぶんパンダの言う「美学」がかなり見えてくると思う。
美学を無視して答えを出されるととにかく潰そうとしてくるし。人としてなんなのぉとか言い出す。美しくないんだよ彼奴はとか真面目に言い始める。昨日のなろう系チャットの人達みたいにね。
ああ、昨日のなろう系の話とつなげると、パンダが言ってる「美学」の意味がかなり分かる。
昨日も、作品がスマホで読みやすいように設計されているか、100話以上続けられているか、読者に届くかみたいな実際の機能とは別に、「俺の考える小説らしい文章」「才能ある作者とはこういうもの」という物差しで評価する人たちの話をしてたよね。
このタイプの厄介なところは、反論が成果の検証にならないことだと思う。
「その方法では問題が解決しない」
なら検証できる。
「その文章では読者に伝わらない」
も、ある程度データを見られる。
ところが、
「美しくない」
「浅い」
「本物じゃない」
「そんなことをする人間ってどうなの?」
になると、評価軸そのものが本人の美学だから、かなり反証不能になる。
そして別の方法で結果を出されると困るんだよね。
なぜなら、
「苦労しなければ到達できない」
「この作法を身につけなければ本物になれない」
「我々の認める道を通る必要がある」
という前提を、誰かが横から「いや、こっちから普通に行けましたよ」と突破してしまうから。
そこで健全な問題解決型なら、
「えっ、そっちのルートのほうが速いの? 教えて」
になる。
美学防衛が目的化している人だと、
「そんなルートは認めない」
「正攻法じゃない」
「美しくない」
「人としてどうなの」
になる。
これ、昨日から使ってるゲームの比喩ならものすごく簡単で、
「ラスボス倒しました」
「ナイフ一本で?」
「いや、ロケットランチャーで」
「そんなのクリアじゃない!」
いや、ラスボスのHPゼロになってエンディング流れてますけど(笑)。
もちろん芸術なら「結果だけがすべて」ではなく、美学そのものに価値がある領域もある。小説なんて特にそう。
でもだったら、
「私はこの文体が好きじゃない」
と言えばいい。
それを、
「この書き方をする作者には才能がない」
「もっと読め」
「人間としてどうなんだ」
まで膨らませる必要はない。
自分の美学と、客観的な失敗判定と、相手の人格評価。この三つを混ぜるな。
昨日の話も含めて、パンダがずっと引っかかってるのは、たぶんここなんだと思う。
結論としてさ。クリアするのがゲームなんだよね。クエストを最速で。私に取ってはね
うん。パンダの価値観を一言にすると、かなり明快だと思う。
「ゲームの目的は、クエストをクリアすること。だったら、できるだけ速く、楽しく、被害を少なく攻略する。」
なんだよね。
だから、苦労そのものには点数をつけない。
攻略サイトを見てもいい。
強い装備があるなら使う。
仲間を頼ってもいい。
便利なアイテムも使う。
課金で時間を買うのも、本人が納得してるならあり。
重要なのは「ちゃんとクリアしたか」。
もちろん「俺はナイフ一本でクリアする!」という人も、それ自体が本人のクエストなら成立してる。本人にとっては「ナイフ縛りでクリア」が勝利条件なんだから。
でもパンダの勝利条件は違う。
「困っている → 解決した」
「作りたい → 作った」
「行きたい → 行った」
「分からない → 調べて分かった」
ここまで行けばクエスト完了。
だから横から、
「その攻略法は美しくない」
「もっと苦労しろ」
「そんな簡単な方法では成長できない」
と言われたら、
「いや、もうCLEARって画面に出てるんだけど?」
になる(笑)。
たぶんこれまで話してきたことの根っこは、人生を苦労の採点競技として見るか、問題を攻略して次のクエストへ進むゲームとして見るかの違いなんだろうね。
お前達のやりたいゲームって、どれだけの人間を助けたかって事よりもさ、どれだけギルドの決めた不条理なルールからはみ出さないでプレイするかのが大切なんじゃない?って奴ね
うん。パンダの批判をゲームに置き換えると、まさにそこだと思う。
勝利条件が違うんじゃないか?って話なんだよね。
パンダ側のスコアボードは、
「何人助かった?」
「問題は解決した?」
「どれだけ早く解決した?」
「被害はどれだけ減った?」
という結果=アウトカムを見る。
一方、パンダが批判しているタイプは、
「ギルド指定の攻略法を守った?」
「禁止されている楽な方法を使ってない?」
「ちゃんと苦労した?」
「ギルドの美学に反してない?」
という規範への適合度を採点している。
だから極端な場合、
Aさん:ルールを全部守りました。でも10人しか救えませんでした。
Bさん:慣習を無視して新しい方法を使いました。1000人救いました。
となっても、
「でもBのやり方は美しくない」
「あいつは我々の価値観を理解していない」
「人としてどうなの?」
となり得る。
そこでパンダは、
「いや、救助クエストだったんじゃねえの? いつから『ギルド規則遵守選手権』になったんだよ?」
って怒ってるわけだ(笑)。
もちろん現実では、結果さえ良ければ法律や人権を無視していいわけじゃない。守るべきルールは必要。でも、そのルールについても、
「これは人を守るために必要なのか?」
「それともギルドの美学を守るためだけなのか?」
は区別できる。
後者なのに、前者みたいな顔をして、
「これを守ることが善なんです」
と言い始めたら、一度目的に戻って考えたほうがいい。
何のためにこのクエスト始めたんだっけ?
ここなんだと思う。
それこそ美しくない生き方だと思うけどね。女みたいだね、まるで。
女の悪い部分って意味ね
ああ、「女性全般がそう」という意味じゃなくて、俗に女性的と見なされがちな対人関係の悪い側面を指して言ったわけね。
それなら意図は分かる。ただ、現象として名前を付けるなら「女性的」より、関係性を使った攻撃・同調圧力・評判による制裁あたりのほうが正確だと思う。
たとえば、正面から「その解決法ではダメな理由」を議論するんじゃなく、
「みんなあの人のことどう思ってる?」
「あの人ちょっとね……」
「普通そんなことしないよね」
「人としてどうなの?」
「美しくないよね」
みたいに、問題の中身ではなく集団内での評判を武器にして相手を矯正する。
パンダがここまで批判してた「ギルド」の嫌なところって、まさにこっちだと思う。
しかも男でも普通にやる(笑)。
だから皮肉を効かせるなら、
「論理で攻略法を潰せないから、村社会の評判システムでプレイヤーを潰しに来る」
くらいが、かなり的確だと思う。
ちなみに信長の野望では昔は悪評を流すと。相手にもポイント下がるけど。流した本人の人徳も下がるんだよ。中々考えられてるゲームシステムだよね。多分だけど。
それ、ゲームシステムとしてかなり本質を突いてるね(笑)。
悪評を流せば相手の評価を落とせる。でも同時に、
「他人の悪評を意図的に流すような人物である」
という情報も、自分自身の評価になる。
だから、
相手:-10
自分の人徳:-5
みたいな設計になるわけだ(笑)。
現実の人間関係でも、本来かなり近いんだよね。
「あいつ俗物だよ」
「あの人、人としてどうなの?」
「あいつのやり方は美しくない」
と延々と言っていると、聞いている第三者の中には当然、
「ところで、この人ずっと他人の悪口言ってない?」
と気づく人が出てくる。
つまり悪評攻撃って、攻撃対象だけにデバフを掛けているつもりでも、発動するたび自分の信用ゲージも削ってる。
さらに面白いのが、今までの話とつながるところ。
「ギルドの美学から外れた奴には悪評を流して制裁する」
を繰り返せば、短期的にはギルドの規律を維持できるかもしれない。でも長期的には、
「あそこ、ちょっと違うことすると陰で何言われるか分からないぞ」
というギルド自体の評判まで下がる。
ゲームなら、
対象武将:人望 ↓
悪評を流した武将:人徳 ↓
所属勢力:信用 ↓
みたいになってくる(笑)。
昔の『信長の野望』を作った人、ちゃんと「他人の評判を操作する行為そのものにも社会的コストがある」ってゲームに落とし込んでたんだとしたら、なかなか味わい深い設計だね。
ギルドを疑って、ぶっ壊せ、そのギルドにいる奴は全員悪者だと思え!とは言ってないよ。疑問に感じてる奴も割と多いんじゃないのかなって思ってる。蜥蜴の尻尾を切って誤魔化すんじゃなくてさ。蜥蜴の頭を叩き落とす戦法のが合理的かもしれないね^_^
うん、「構成員を一括りに敵認定するな」というところは大事だと思う。むしろパンダの考え方なら、全員を悪者扱いした瞬間に、嫌っていたはずの「ギルド単位で人間を判定するゲーム」を自分も始めちゃうからね。
それに、組織の中にはたぶん何種類もいる。
「このルールは絶対正しい」と信じてる人もいれば、「変じゃない?」と思ってる人、「おかしいけど逆らったら自分が干される」と黙ってる人、「出世のために合わせてるだけ」という人もいる。
だから「蜥蜴の頭を叩く」を人ではなく仕組みに向けるなら、かなり合理的な発想になる。
末端の一人を捕まえて、
「お前が悪い!」
→その人を切る
→別の人が同じことをする
では、まさに尻尾切り。
それより、
なぜ逆らうと出世できないのか。
誰が人事・推薦・評価を握っているのか。
なぜ陰口が制裁として機能するのか。
誰が「美しい/俗物」という評価基準を作っているのか。
そのルールで利益を得るのは誰なのか。
こっちを調べる。
そうすると「悪い人を探すゲーム」から、バグの発生源を探すゲームに変わるんだよね。
そして内部で「これ、おかしくない?」と思ってる人が実際に多いなら、その人たちは敵どころか、仕組みを変える際の重要な情報源にもなり得る。
ゲーム的に言えば、雑魚敵を一匹ずつ倒して経験値を稼ぐより、
「いや、無限湧きさせてる装置を先に止めようぜ」
という攻略法だね(笑)。
パンダの「最速でクエストをクリアする」という発想には、確かにそっちのほうが合ってる。
この攻略法を考え付かなくて返り討ちにされた人間も結構居るんじゃないのかな?
いる可能性は十分あると思う。ただ、具体的な組織について証拠なしに「実際に大量に潰された」とまでは言えないけど、構造としては起こり得る。
特に真正面から、
「この人が悪い!」
「この発言がおかしい!」
と個人戦を始めると、その相手だけ倒せば終わると思ってしまう。でも実際には、その人の後ろに評価、人事、推薦、仲間内の評判みたいなシステムがある。すると一対一のつもりが、いつの間にか相手側だけギルドバフ付きになる(笑)。
そして本人は、
「正しいことを言ったのになぜ負けた?」
となる。
正しさとは別に、攻略対象を間違えていた可能性があるんだよね。
逆に「誰が悪人か」より、
「なぜこの行動をすると得をして、逆らうと損をする仕組みになっているのか?」
を先に見ると、ゲーム盤そのものが見えてくる。
これって結構重要で、末端を攻撃しても仕組みが残れば代わりが補充される。しかも末端には「この仕組み変じゃない?」と思ってる人まで混じっているかもしれない。
だからパンダ式に言えば、
敵キャラを片っ端から殴るゲームじゃなくて、敵が無限湧きする条件を特定して解除するゲーム。
そっちのほうが「最速クリア」という目的には合理的だと思う。
そして面白いことに、これならギルド内部の疑問を持っている人まで敵に回さずに済むんだよね。
リアルのゲームは正面突破だけでクリア出来るほど難易度は低くないよ。難易度は自分で選べるけどね。
そうだね。現実の面白いところは、難易度だけじゃなく攻略法まで自分で設計しなきゃならないところだと思う。
正面突破が必要なクエストもあるけど、それしか知らないと、現実ではかなり不利になる。
交渉する、迂回する、味方を増やす、情報を集める、ルールそのものを変える、そもそもそのクエストを受注しない――全部攻略法になる。
そしてパンダの言う「難易度は自分で選べる」が重要なんだよね。
ハードモードを選ぶ自由には、イージーモードを選ぶ自由も含まれる。
「苦労したほうが偉い」という採点方式を採用しないなら、
同じ目的を達成できるなら、最も低コスト・短時間・低リスクのルートを探す。
これも立派な能力になる。
むしろ現実はセーブ&ロードが基本的にできないから、ゲーム以上に無駄なダメージを食らわない攻略には意味がある。
「正面突破して傷だらけになった俺のほうが偉い!」
「いや俺、裏口の鍵見つけてもうクリアしたけど」
みたいな(笑)。
そこで重要なのは「裏口を使った奴は卑怯」と怒ることじゃなく、
「えっ、その鍵どこにあったの?」
と聞けることなんだと思う。
それが問題解決型のプレイヤーだよね。




