第3章 ボランティアにも金を払え!――綺麗ごとで人間を働かせるな
第3章 ボランティアにも金を払え!――綺麗ごとで人間を働かせるな
私は、世の中にある「善意」という言葉が、時々ものすごく嫌いになる。
別に、人助けが嫌いなわけじゃない。
困っている人を助けることは良いことだと思っている。
しかし、それを理由に、他人を無料で働かせようとする人間がいる。
「社会のために」
「みんなの幸せのために」
「人助けをすると徳を積めますよ」
いや、ちょっと待て。
その仕事に対する給料は、誰が払うんだ?
無償で働くのは本人の自由
最初に断っておく。
私は、ボランティアそのものを否定しているわけではない。
本人が仕事内容を理解し、無償で働くことを納得したうえで引き受けるなら、それは自由だ。
でも、報酬を求めて働いている人に対して、
「人助けなんだから無料でいいでしょう」
というのは違う。
まして、報酬を払う約束をしておいて、後から綺麗ごとを並べて支払いを拒むのは、おかしな話である。
私は、自分の仕事や知識について、正当な報酬を求めている。
慈善事業として無償で提供することに同意したわけではない。
そこを勝手に決められては困る。
いのちの電話の相談員は、なぜ無給なのか
例えば、いのちの電話。
死にたいほど苦しんでいる人や、深刻な悩みを抱えた人の話を聞く相談窓口である。
この活動を支えている相談員は、無償のボランティアだ。
しかも、相談員になるためには長期間の研修が必要で、その研修費用まで本人が負担している。
相談員たちは、人の苦しみを繰り返し聞く。
相談者が「生きてみようと思います」と言ってくれれば、喜びを感じることもあるだろう。
でも、それで心理的な負担が全部消えるわけじゃない。
人の苦しみを聞き続ければ、相談員自身がつらくなることもある。
そんな仕事を無償で引き受けてくれる人がいる。
私は、その人たちを立派だと思う。
しかし、それとは別に考えてしまう。
そんなに必要な仕事なら、なぜ給料を払わないんだ?
しかも、相談員が足りないから、もっと応募してほしいという。
いや、人が足りないなら、まず報酬を払って募集する方法を考えてみたらどうなんだ?
財源がない?
だったら、必要な金額を計算して、財源を確保する方法を考えればいい。
それこそ政治の仕事だろう。
無料でないと徳を積めないのか?
私は「人助けをすれば徳を積める」という話にも疑問を持っている。
仮に、それが本当だったとしよう。
では、医者はどうなる?
医者は給料をもらって働いている。
何千人、何万人という人を助ける医師もいる。
でも、給料をもらっているから徳を積めないのか?
無料で働く相談員には徳があって、給料をもらう医者には徳がない?
お前の言う徳って、一体何なんだよ。
人を助けたという行為の価値と、給料をもらったかどうかは、別の問題じゃないのか。
私はそう思う。
貧乏な方がいいと言われても困る
以前、教育評論家の尾木直樹先生が「貧乏な方がいい」「お金持ちになりたくない」という趣旨のことを話しているのを聞いた記憶がある。
正確な発言の文脈までは、今は確認できない。
でも、そのとき私が疑問に思ったことは、今でも変わらない。
私は、尾木先生が人の気持ちを理解しようとする姿勢については評価している。
ただ、本人が貧しく暮らしたいと思っているとしても、私はお金持ちになりたい。
美味しいものを食べたい。
旅行にも行きたい。
好きな服も買いたい。
気に入った研究者に投資して、研究成果を見ながら楽しむ人生だって送りたい。
それの何が悪い?
自分で質素な生活を選ぶことは自由である。
でも、他人にも同じ生活を望む理由はない。
まして、他人の稼いだお金を当然のように分配しろと言うなら、その人自身の取り分や希望についても考える必要があるだろう。
貧しい人を助けることと、豊かになりたい人の希望を否定することは、同じではない。
いいことをした人間が不幸になる社会
私は、他人のために働いているのに、報酬を得られず、精神的にも苦しんでいる人たちの話を聞いてきた。
なぜ自分はこんなに苦しいのか、と悩む人もいる。
私は、そういう話を聞くたびに思う。
「仕事の負担や、お金の問題をちゃんと考えた方がいいんじゃないの?」
と。
もちろん、人が苦しくなる原因はお金だけではない。
でも、十分な報酬があれば、少なくとも生活の負担を減らせる場合はある。
人を助ける仕事をする人が、自分の生活を犠牲にしなくても済む仕組みを考えるべきではないか。
相談者の人生が大切なら、相談員の人生も大切だ。
患者の人生が大切なら、医師や看護師の人生も大切だ。
社会に役立つ研究が必要なら、研究者にも適切な報酬を払うべきだ。
私は、綺麗ごとを言うこと自体を否定していない。
綺麗ごとを実現したいなら、ちゃんとお金を用意すればいい。
相手が協力したくなるだけの条件を考えればいい。
相手の時間にも、能力にも、生活にも、価値があるのだから。
「みんなのために働いてください。でも給料はありません」
そんなことを言っておいて、人が集まらない、続かない、疲れてしまうと嘆いても、そりゃそうだろうと思う。
なぜ人が集まらないのか。
なぜ続けられないのか。
まず、その原因を調べればいい。
そして、制度を変えればいい。
善意に頼ることが悪いのではない。
善意に頼りきって、人間の負担を計算しなくなることが問題なのだ。
私は、お金がすべてだとは思っていない。
でも、お金がなければ実現できないことがあるのも事実だ。
社会を良くしたいなら、まず必要な費用を計算しろ。
理想を語るのは、そのあとでもできる。
そして、人助けをしてくれた人には、ちゃんと報酬を払ってもいいじゃないか。
その方が、助けられる人も、助ける人も、幸せになれる可能性があるのだから。




