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天才パンダのエッセイ※本物のミステリー!ゲームと脳科学 楽しい経済学 切り裂きジャックと孤独  作者: ヘタレパンダ


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お金の使い方と馬鹿の教育 第6話 外面の良い人

第6話 外面の良い人


――自分の気持ちも説明できないくせに、他人に察しろと言う人たち


私の母親は、ものすごく外面が良い。


いや、もう見事なものである。


人前ではニコニコしている。


相手の話に笑って相づちを打ち、いかにも物分かりの良い人間のように振る舞う。


ところが、相手が帰るとどうなるか。


私に悪口を言い始めるのである。


それも、一回や二回じゃない。


私の夫に対してもそうだ。


夫がいるときには愛想よく接しているくせに、夫が帰ると私に夫の悪口を吹き込んでくる。


いや、待て。


何で私に言うんだ?


本人に言えばいいじゃないか。


そう思っていた。


ところが、私は以前から、母親の言動について不思議に思っていたことがある。


母親が怒らなかった男


昔、私にとって非常に嫌な男性がいた。


最初の頃は、まだ相手の性格をよく理解していなかったので、普通に友人として接していた。


言えば直してくれるだろうとも思っていた。


ところが、この男性、困ったことに人の嫌がることをなかなかやめないのである。


ある日、その男性が私の実家に来た。


そして母親の前で、うんこだのゲロだの、汚い話ばかりわかりやすく想像しやすく話し始めた。


私は嫌だった。


しかも、母親が後から私に文句を言ってくるのではないかと思った。


母親はニコニコ笑っていた。


しかし、私はそれまでの経験から、人前で笑っているからといって、本当に喜んでいるとは限らないことを知っていた。


そこで、男性がトイレに立ったとき、私は追いかけていって言った。


「お願いだから、ああいう汚い話はやめてちょうだい」


すると男性は言った。


「何でだよ。お母さん、喜んでたじゃん。俺、何も悪いことしてないよ」


いや、違うんだって。


「お母さんは笑ってるけど、あなたが帰った後に私が文句を言われるの。だからお願いだからやめて」


そう説明した。


ところが男性は、トイレから戻ると、またうんこだのゲロだのと言い始めた。


おい。


人の話を聞いていたのか、お前は。


私がやめてくれと言っているのに、何で続けるんだ。


母親は相変わらず笑っていた。


そして男性が帰った後、私は母親に謝った。


「ごめんね。あの人、汚い話ばっかりして」


すると母親は、意外なことを言った。


「全然気にしてないよ。面白かったじゃん」


え?


私は驚いた。


本当に気にしていなかったらしい。


少なくとも、そのとき母親が私に文句を言うことはなかった。


もちろん、私自身が嫌がっているのに話をやめなかった男性の態度は、それとは別の問題である。しかもその男は女性のヌードカレンダーが売られている場所で立ち止まり涎を垂らしそうな顔でカレンダーを見て居た。


私がそんなに好きなら買えば良いじゃんと言うと。興味ないと言いながら、其処から動かずそのカレンダーを涎を垂らしそうな顔で見ているので有る。まるで一緒に歩いている私まで馬鹿扱いされるような行動だった。


それに彼は人の悪口を言うのも好きだったので。友達として関わるのにも嫌気がさして縁を切ったら。自分は可哀想な被害者だとか、私とした覚えのないセックスをしたとか、おまけに私がどんなに嫌な人間か事実を三割入れて七割脚色してネットに書いて、私に謝るよう交際を続けるよう言ってきた。


勿論、散々反論を書いて無視したら。この男の被害にあった女性達が現れて散々この男の悪口を言い出した。それでもシツコク、私を追い回して居たが。最近は姿を現さなくなった。


話を戻そう。母親については、一つ疑問が残った。


どうして、あの男性の言動は許せたのだろう。


私の夫には、もっと些細なことで不満を言うこともあるのに。


何が違うんだ?


母親は、何に怒っているのか


私は長い間、この違いがわからなかった。


母親には、気に入る人間と気に入らない人間がいる。


それは誰にでもあることだろう。


しかし、同じようなことをしても、相手によって反応が違う。


その判断基準が、私にはよくわからなかったのである。


ところが、最近になって、一つの仮説を思いついた。


母親は、自分が主役として扱われることには寛大だが、自分が脇役に回されることには不満を感じるのではないか。


そう考えたのである。


例えば、私の夫が母親にこう言ったとする。


「パンダちゃん、すごく頑張ってくれているんですよ」


これは、私を褒める言葉である。


しかし、母親にとっては、私が主役になっている。


そこで、母親が面白くないと感じるのではないか。


反対に、夫がこう言ったらどうだろう。


「お母さん、いつもありがとうございます」


「お母さんが頑張ってくださっているから、僕たちは本当に助かっています」


「いつも感謝しています」


これなら、母親が主役である。


夫の評価も上がるかもしれない。


そう考えると、それまで理解できなかった母親の態度に、一定の筋道が見えてくるのである。


もちろん、これは母親本人の頭の中を直接見た結果ではない。


私が長年観察してきた言動から考えた、心理的な説明である。


ただ、一つの仮説によって、それまでバラバラに見えていた出来事を説明できるようになることはある。


私は、こういう分析が好きなのだ。


小学一年生の子供に「母親の顔に泥を塗るな」


私が小学校一年生か二年生の頃の話である。


私は、人を笑わせるのが好きだった。


面白いことを言う。


ふざけたことをする。


周囲の人たちが笑う。


子供なんだから、そんなこともするだろう。


ところが、母親は私に言った。


「本当にアンタは恥ずかしい子。お母さんの顔に泥を塗るような真似はやめてちょうだい」


何だ、それは。


小学一年生か二年生の子供に、何を要求しているんだ?


私はその頃、母親が何を言いたいのか、よくわからなかった。


しかし、今になって考えると、こんな心理だったのではないかと思う。


母親は、周囲の人たちから、


「立派なお母さんですね」


「きちんとしたお子さんですね」


「素晴らしい子育てをされていますね」


と評価されたかったのではないか。


ところが、娘は勝手にふざけている。


人を笑わせている。


母親の考えた理想的な親子像から外れている。


だから気に入らない。


つまり、母親にとって私の行動は、単に子供の行動ではなかった。


自分が周囲からどう評価されるかを左右する、母親自身の問題になっていたのではないか。


そう考えると、あの言葉の意味が違って見えてくる。


「お母さんの顔に泥を塗るな」


それは本当に、子供が悪いことをしたから言った言葉だったのだろうか。


それとも、


「私が立派な母親として評価されるように振る舞いなさい」


という要求だったのだろうか。


私は、後者の可能性を考えている。


子供は、親の評判を守るために生きているわけじゃない


そもそも、子供というのは親の所有物ではない。


親の理想的な家族像を演じるために生まれてきたわけでもない。


子供には子供の性格がある。


好きなこともあれば、得意なこともある。


人を笑わせるのが好きな子供もいる。


静かに本を読むのが好きな子供もいる。


それなのに、親が自分の評価ばかり気にして、子供に理想像を押し付けていたらどうなるだろう。


子供は自分らしく振る舞うより、親の機嫌を取る方法を覚えてしまうかもしれない。


私は、そんな教育はおかしいと思う。


親が立派だと思われたいなら、親自身が立派に振る舞えばいい。


子供に自分の評判を背負わせるな。


小学一年生の子供に、母親の社会的評価まで管理させるんじゃない。


そんなことを思うのである。


六人兄弟の中で、何を求めていたのだろう


母親は六人兄弟だった。


確か、五番目の女の子だったと思う。


そこで私は、もう一つ考えた。


子供の頃、十分に注目してもらえなかったのではないだろうか。


もしそうだとすれば、大人になっても、自分が認められることに強くこだわるようになった可能性はある。


いわゆる承認欲求である。


もちろん、兄弟の人数や生まれた順番だけで、その人の性格が決まるわけではない。


母親が実際にどのような気持ちで育ったのかも、本人に聞かなければわからない。


ただ、私は母親の現在の言動から、周囲に認められたい、自分を大切に扱ってほしいという欲求が強いのではないかと考えている。


承認されたいと思うこと自体は、悪いことじゃない。


誰だって、自分の努力を認めてもらいたいだろう。


でも、だからといって、自分が主役になれない場面で周囲に腹を立てたり、誰かを悪者にしたりするのなら、それは別問題だ。


自分を褒めてほしいなら、そう伝える方法だってある。


他人を貶めてまで、自分を中心に置こうとする必要はない。


自分の気持ちもわからない人間が、他人に察しろと言う


私は、ここに人間関係の大きな問題があると思っている。


世の中には、自分が何を嫌がっているのか、何を求めているのか、自分自身で理解できていない人がいる。


例えば、誰かが褒められているのを見て、腹が立ったとする。


本当は、自分も褒めてほしいのかもしれない。


自分が無視されたと感じたのかもしれない。


自分の努力も認めてほしかったのかもしれない。


ところが、それを言葉にできない。


本人にも、なぜ腹が立ったのかわからない。


そして、何をするか。


不機嫌になる。


相手を無視する。


嫌みを言う。


陰で悪口を言う。


周囲の人間が理由を尋ねても、


「何でもない!」


と答える。


いや、何でもなくないだろ。


明らかに怒ってるじゃないか。


だったら、何が嫌だったのか説明してくれ。


ところが、それすら言わずに、相手に自分の気持ちを理解してもらおうとする。


私は、こういう人間が非常に厄介だと思っている。


自分でも理解できていない感情を、他人に理解してもらおうとするのである。


ずうずうしいにも程がある。


他人は超能力者じゃないんだよ。


何を望んでいるのか言葉にしなければ、わからないことだってある。


そして、本人がそれを理解していないのなら、まず本人が自分の感情を分析する必要がある。


私は、これも教育すべきことだと思っている。


日本人は、我慢することを美徳にしすぎたのではないか


私は、日本人の人間関係についても疑問を持っている。


なぜか、我慢することが美徳として扱われることがある。


嫌なことがあっても、黙って我慢する。


言いたいことがあっても、口に出さない。


自分が耐えれば、すべて丸く収まる。


そう考える人がいる。


しかし、本当に丸く収まっているのだろうか。


本人は我慢しているつもりでも、心の中には不満がたまっている。


そして、ある日爆発する。


「私はこんなに我慢してきたのに!」


「誰も私の苦労をわかってくれない!」


「私ばっかり損をしている!」


いや、だったら最初から言えばよかったじゃないか。


もちろん、その場で意見を言えば危険になるような関係もある。


そういう場合に、無理に発言する必要はない。


しかし、普通に話し合える相手に対してまで、何も言わずに我慢して、後から評価されなかったと怒る。


そんなことを繰り返していたら、人間関係がうまくいくわけがない。


我慢すること自体が目的になってしまっているのである。


本来の目的は、問題を解決して、みんなが暮らしやすくなることだろう。


嫁姑問題も、結局は同じである


例えば、嫁が姑に不満を持っている。


姑が勝手に家の物を動かす。


子供の育て方に口を出す。


料理に文句をつける。


それが嫌なら、本人に言えばいい。


「勝手に物を動かさないでください」


「子供のことは、まず私たち夫婦で決めます」


「料理の味付けは、こうしてもらえると助かります。できないなら私が作ります」


もちろん、相手が素直に聞いてくれるとは限らない。


そのときは、別の方法を考えればいい。


ところが、本人には何も言わない。


その代わり、友達に悪口を言う。


夫に悪口を言う。


子供にまで悪口を聞かせる。


しかも、一回では終わらない。


何度も何度も何度も何度も、同じ話を繰り返す。


夫が言う。


「わかったよ。でも母さんも、そういうつもりじゃなかったと思うよ」


すると妻が怒る。


「何よ! このマザコン夫!」


「私よりお母さんが大事なのね!」


いやいやいや。


そういう話じゃないだろ。


夫は、双方の事情を考えているだけかもしれない。


それなのに、自分の言い分に全面的に賛成しなければ、敵だと決めつける。


姑が同じことをする場合もある。


自分の息子に嫁の悪口を繰り返し、息子が嫁をかばうと腹を立てる。


「結婚したら親のことなんてどうでもいいのね!」


何なんだ、その理屈は。


息子や夫は、嫁と姑のどちらか一方だけを愛さなければいけないのか。


全員を大切にしたら駄目なのか。


私は、こういう二者択一の考え方がおかしいと思う。


解決した問題を、いつまで持ち出すんだ


さらに厄介なのは、問題が解決した後である。


例えば、私の母親が夫の言動に腹を立てたとする。


母親は私に文句を言う。


私は夫に伝える。


夫が事情を理解して、態度を改める。


さて、これで問題は解決した。


少なくとも、同じことが起きないようにするという目的は達成されたわけだ。


ところが、母親はまた同じ悪口を言う。


数日後にも言う。


何週間もたってから、また言う。


いや、もう直しただろ。


まだ何か問題があるのか?


あるなら言ってくれ。


しかし、具体的な問題がもう残っていないのなら、いつまでも同じことを責め続ける必要があるのだろうか。


もちろん、ひどく傷つけられた経験なら、相手が謝ったからといって、すぐに気持ちが収まるとは限らない。


それは理解できる。


ただ、その場合は「まだ気持ちが整理できない」と伝えることもできる。


過去の出来事を何度も持ち出して、周囲の人間に同じ怒りを繰り返し聞かせることと、問題を解決することは違う。


私は、ここを区別したいのである。


問題を解決したいのか。それとも、自分の不満にいつまでも賛成してもらいたいのか。


この二つは同じではない。


悪口を聞かされる人間のことも考えろ


そして、もう一つ言いたいことがある。


悪口を聞かされる人間にだって、感情があるんだよ。


母親が私の夫の悪口を言う。


でも、その夫は私の大切な家族である。


私が何度も悪口を聞かされたら、どんな気持ちになるだろう。


嫁が夫に姑の悪口を言う。


しかし、その姑は夫にとって大切な母親かもしれない。


姑が息子に嫁の悪口を言う。


しかし、その嫁は息子が選んだ大切な妻である。


一方の不満を聞くために、もう一方への愛情まで否定させる必要があるのだろうか。


悪口を言っている本人は、自分が被害者だと思っているかもしれない。


自分の気持ちをわかってほしいと思っているのかもしれない。


でも、その話を何度も聞かされる人間が苦痛を感じていたらどうするのだ。


自分だけがつらいと思っているのか。


自分の気持ちさえ理解してもらえれば、相手がどんな思いをしても構わないのか。


私は、そういうところまで考えてほしい。


外面が良いことと、人間関係が上手なことは違う


私の母親は、人前で愛想よく振る舞うことができる。


それ自体は、一つの社会的な能力だと思う。


しかし、愛想よく振る舞えることと、問題を解決できることは違う。


表面上は笑っている。


でも、本当に嫌なことがあるなら伝えればいい。


伝えるのが難しいなら、どうすれば安全に伝えられるかを考えればいい。


自分が何に怒っているのかわからないなら、まず自分の気持ちを整理すればいい。


そして相手が改善してくれたなら、その改善も認めればいい。


私は、人間関係をうまく続けるために必要なのは、単に愛想よくすることではないと思っている。


自分の感情を理解し、それを相手に伝え、問題を解決する能力である。


一緒に暮らすために必要なのは、我慢ではなく解決能力


さて、ここで最初の話に戻ろう。


私は、生活費や社会的な負担を減らす方法として、長屋暮らしやグループホームのような共同生活をもっと活用できないかと考えている。


一人暮らしより費用を抑えられる可能性がある。


家事や育児を助け合うこともできる。


誰かと一緒に暮らすことで、孤独が減る人もいるだろう。


ところが、そこで必ず問題になるのが人間関係である。


自分の気持ちも理解できない。


相手に何も説明しない。


不満をため込む。


陰で悪口を言う。


問題が解決しても、いつまでも同じ話を繰り返す。


そんな人間ばかり集めたら、共同生活がうまくいくわけがない。


だからこそ、私は教育が必要だと思っている。


我慢しろという教育ではない。


自分の気持ちを分析する。


相手の言い分を聞く。


何が問題なのかを明らかにする。


解決方法を考える。


そして、解決できたことは認める。


こういう当たり前のことを、もっと多くの人ができるようになればいい。


共同生活の費用を減らすために、建物や設備を工夫することはできる。


しかし、人間関係の問題まで、建物を新しくしただけで解決するわけではない。


そこは、人間自身が変わる必要がある。


もちろん、全員が共同生活をしなければならないという話ではない。


一人で暮らしたい人は一人で暮らせばいい。自分の働いた金で。自己責任で。


でも、周囲の人と仲良く暮らせる可能性があるのに、問題を解決する方法を知らないために、共同生活を諦める必要はないだろう。


私は、そう思うのである。


それにしても、頭の悪い人間というのは不思議な生き物だ。


自分の気持ちさえ理解できないくせに、他人には自分の気持ちを完全に理解してほしいと言う。


そのくせ、理解してもらえなかったら怒る。


だったら、まず自分で説明しろよ。


他人の読心術に期待する前に、自分の頭を使え。


私は、そう言いたいのである。

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